お誕生日も過ぎた事だし、いよいよ今注目の社会保険事務所に出向く時が来た。
昔から変だと思う事が多々あっても、それを口にしても誰も相手にはしてくれなかった、その様な時代は終わったといえるのであろうか?それなら嬉しいのだが。
今までと同じ方々が対応に当たっているのだ。本当にそのような時が来たと考えても良いのだろうか?まだ俄かには信じられない思いだ。
お役人が威張っていて、国民がお伺いをたててお聞きすると言う姿だったのだ。60歳になったとき、おかしいなと思ってもそれ以上追求する事は出来なかった。
手馴れた担当者にはぐらかされて、それ以上の追求が出来ずに終わった。明快な質問により適切な説明を要求出来ない私が情けないのだろうけれど、でもあの窓口で、納得がいく説明を求める事はその時は出来なかった。
今回はしっかり勉強をして、腰をすえて、立ち向かわなければならないと考えている。
地域社会の中で役員や代表等の仕事にも携わり社会経験があるosomeでもこのような具合なのだから、もっと気が弱い方は本当に大変なのではないかと思う。
大変混み合っているようだが差し迫っているので、頑張なければならない。
今日は2孫の保護者参観だったため、3孫のお世話に村上まで出かけた。
1歳半の3孫が、気に入らない事にすねて、プリッっと横を向いたのには驚きだった。それを黙って観察していたら、そ~っと顔を向けてこちらの顔色を観察しに振り返るのには、少々驚いた。かなりの知恵が出て来ている。
しかしなんでもない事に、べそをかいて涙を一杯にしている姿を見て、「べそ顔」がなんとも可愛らしくて、写真に撮るためにカメラを向けると直ぐに表情を変えてしまう。なかなか「良いべそ顔」は撮れなかった。
写真に撮って気が付いた事は、睫毛が長くお肌が綺麗な事。子供は可愛がられ愛情豊かに育てられる為に、可愛いく生まれてくるのだと以前に聴いたことがあるがなるほど納得。
何処を見ても美しい肌に長い睫毛に(苦笑)今憎たらしい大人も、必ずこのような時代があったはずなのに.....。何時頃から人間は可愛くなくなるのだろうか可愛さがなくなる頃には自立をしていなければならないと言う事なのだろう。話はそれるが、世の中自立出来ていない大人が多くて困ったものだ。
もちろん可愛らしさも消え失せているのだから。救いようが無いのだ。
まつげ長いね うっすら涙が見えます
可愛いです 笑ちゃいけないね
涙が一杯になっている目を写したのですが、兎に角可愛いですね。自分で何でもしたい時期らしいの!箸で食べる事も出来ないのに自分でやって、手伝うと反抗するのです。1歳半でも凄いですね!昔もこんなだったのかしら?
感じた事を二つ。昨年の十月にちょっと用があって幕張本郷の社会保険事務所に行きました。その前に行った時から五年ほど経っていたのですが、職員の対応が「いらっしゃいませ」スタイルに変身していて、とても親切に対応してくれた事に驚きました。社会保険庁のして来た事は確かにひどいものですが、野党とマスコミの皆さんの言い分はあまりにも否定的で後ろ向きのコメントばかり。最近では食傷気味です。政争の具にせずに、みんなで解決を考えてくれたらいいのに。そう言えば、郵便局も随分と態度が良くなりましたね。JRはしばらくよかったけど、最近は逆戻り。
二番目。お孫さんの話を読んで、小学校の恩師が卒業の時に書いてくださった言葉を思い出しました。それは「いつまでも子供である事の幸せを忘れないように」いつもあの頃の素直な自分に戻りたいと思っていますが、そうは行きません。まあ、思うだけで良しとしましょうか・・・
電話で自分の納めた年金の記録は聞く事が出来るということで、フリーダイヤルの電話番号をお聞きしたのですが、何度やっても掛かりません。お手上げです。毎日ダイヤルする事が日課となるのでしょうか?
そうですね、最近のニュースは確かに食傷気味です。良い解決に結びつくような配慮のある取り上げ方は出来ないものでしょうか?
説明は親切でしたが、電話は掛かりません。
「子供の心を大切にしたい」と何時も考えております。「子供の心を裏切らない事」が何時の時代でも大切ですね。それにはいつも素直な心を研ぎ澄ましてい
ないといけないのではないかと感じております。