じいじのひとりごと

高齢者の悲哀と愚痴を綴っています
唯一の相棒、mシュナウザーのベルが残り人生を伴走してくれます

久しぶりにクウちゃんと

2010年01月08日 | 

ラヴの散歩時刻は私の気儘で決まる。

外の暖かさや陽ざしの具合、体調のこともあって

昼間になったり、午後になったり夕方になったり、

勿論行ってはやりたいが、寒さが厳しい時には欠かすこともある。

   

犬の最大の喜びは散歩である。

疲れるくらいの散歩時間が良いといわれるが、いつもはほんの10分か15分ほど・・

ラヴには全く不足である。(その分、庭で運動は出来ているが・・・)

   

今日は大の仲良しのクウちゃんと会うことが出来た。

馬が合うというか?、もう大はしゃぎ、全速力で疾走しては川にも入る。

3日分も運動が出来て、クウちゃんと遊べる日は大満足。

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「もったいない」の真の意味

2010年01月08日 | 日々のこと

夕べ、寝床の中で耳でテレビを聞いていた。

午後11からのNHKの視点論点「草を食べる」と題して

七草粥の話題から「もったいない」について・・・

本来七草は立春を過ぎて芽生えるもので、その新芽の息吹に感謝を込めて食べていた、

今はハウス栽培してパックで売り出されている。

   

今もったいないとは「そんな高いものもったいない」とか「捨てるのはもったいない」といったお金にまつわる、一歩進んだとして、エコにまつわる見方がされているけれど

本来、というか私達の子どもの頃には、お米は踏んではいけない、とかご飯一粒まで残してはいけないといったことに「もったいない」を使っていた。   

そこには生き物、穀物、自然に対しての畏敬の念が含まれていたように思う。

   

人間はあらゆる生き物、動植物を食べたり利用して生きている。

それらなしには生きることは全く出来ないのである。

牛や豚や鶏、魚、植物にしても、自然のままに生涯を生きながらえるべきものを奪って、人は生活をしているのです。

  

そのことをすっかり忘れてしまっていないだろうか・・・

もったいないとは、それらに感謝を込めた言葉であって欲しい

といった内容だったとおもいます。

   

目からうろこ、まさにその通りですね。

でも現代社会、そんなことを思いながら日々生きている人がいるでしょうか。

人間のおごりは果てしがありません・・・・

たまにはこんな反省もし、生きとし生けるものへの感謝の念も必要ですね。

コメント (2)
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