じいじのひとりごと

高齢者の悲哀と愚痴を綴っています
唯一の相棒、mシュナウザーのベルが残り人生を伴走してくれます

昔の思い出

2014年04月13日 | 日々のこと

見るとはなしに見ていたのですが、

今日のNHK昼ののど自慢大会の観客席が 今までにない異様な雰囲気だった。

ゴレンジャーのような色とりどりの若者集団が観客席の前半分を占拠していましたよ。

なぜかと思ったらゲストがももいろクローバーだったせいらしい。

たぶん全国から押し寄せた追っかけオタク、地元からクレームはなかったのかな?

私はAKBとかこういうたぐいの風景にはアレルギーを起こしそうになる。

 

 

さて話は遡るが、

昔から音感は確かでしたが、高い声が出なくて歌えずカラオケは苦手です。

たまに歌うのはやたら昔の曲、「赤いランプの終列車」とかね・・・

なぜか昔の歌謡曲はほとんど全部覚えていて、高音を除けば歌えなくはない。

藤山一郎、東海林太郎、春日八郎、

生前や戦時中の軍歌や流行歌まで知っているのはなぜだろうね、山奥の田舎だったのに。

子供らで”いきなクロベーみこしのまーつに・・”「お富さん」など歌っていたよ。

 

唯一ラジオが音源・情報源だった、ラジオから覚えたのでしょう。

音楽、曲というのは一度聞くと耳に残り覚えているものですね。

あの時代、歌と言えば歌謡曲、歌も歌手も数えられるほど、今に比べてはるかに少なかったことがある。現代のようにシャワーの水しぶきのような曲数とは比べ物にならない・・

 

ラジオはよく聞いていましたね、友達の家の軒下で遊びを中断し耳を澄ませた・・。

新諸国物語「笛吹童子」とか「紅孔雀」ね、耳から聞いて想像を膨らませていた。

物心ついたころ家にラジオはありましたよ、木製の縦長で頑丈な作りでした。

唯一の情報源 娯楽源、都会から吹いてくる風のようでした。

ちょうど同じ時代、連続放送劇「君の名は」が放送されていたころですね。

「忘却とは忘れ去ることなり、忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」

なんと、織井茂子の歌っていたメロディーも歌詞も覚えています。

 

真空管ラジオ、聞こえなくなると裏板を外して見るか触ると切れた真空管がわかった。

近所の「ラジオ屋」で同じ真空管を調達して差し替えると治っていた。

電球切れのようなもの、懐かしいアナログ時代ですね。

テレビが入ってきて最初に見たのはね、

日本の英雄「白井義男」が世界フライ級防衛戦でペレスに敗れたとき。

当時うちには未だ無くて村に一台?、兄と小学校へ見に行った。

 

週末の贅沢は伊予牛絹の味のステーキ、

強火で表面だけのレアー、まいうー。

1404131

 

コメント (4)
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