じいじのひとりごと

高齢者の悲哀と愚痴を綴っています
唯一の相棒、mシュナウザーのベルが残り人生を伴走してくれます

60年前

2014年04月18日 | 日々のこと

紫雲丸事故は私が小学校6年の昭和305(1955)の事でした。

濃霧の中、宇高連絡船(岡山県宇野-香川県高松)同士の衝突沈没で犠牲者168

その大部分が修学旅行の小中学生でした。

 

隣町の6年生が修学旅行で乗り合わせていて約半数30人が犠牲になったのです。

今でも覚えているのは、そのうちの数人が校区の関係で中学が一緒になったからです。

同級生になった女子生徒の一人は、3年間 心を閉ざしていたように思われました。

立ち直ったでしょうか、生還してもトラウマで一生心に傷を残しているかもしれません。

 

 

あの時の船長は自責にかられ船に留まり亡くなったと言うことです。

今度の事故でただ一人救助活動していた乗組員(女性)は犠牲になったという。

閉じ込められたまま沈んで行った多くの人たち、修学旅行生・・家族の悲痛な映像。

あの状況で今となって生還は奇跡に近いことでしょうか、悲惨なことです。

 

 

ケプラー宇宙船の望遠鏡が太陽系外の宇宙で地球に似た惑星を見つけたそうだ。

水や生命の可能性も・・・とか

一番近い距離というけど500光年・・・・夢のまた夢の世界だね。

 

雨の朝、すっかり葉桜です

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コメント (2)
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