今朝(土曜)も8時に病院まで迎えに行った。
今の妻はそれだけが唯一の楽しみだといって、週末を待ち望んでいる。
主治医から、「発熱がない限りは週末外泊してもいいですよ、くれぐれも風邪を引かないようにね」と言われ、この3ヶ月欠かさず外泊できてきた。冬場の外泊はリスクが高い。
一度だけ病院で輸血中に40度の高熱を出したことがあったが、それ以外は36度台で推移している。免疫力が極端に低下した中で、よく持ちこたえている。
一方、私の方も風邪など引くと、妻の外泊ができなくなるので、涙ぐましいまでに、風邪予防には神経質になっている。買い物など外出するときは必ずマスクをして、帰ってくると手洗いとうがいを絶対に忘れず励行している。喉がイガイガするようなことがあれば、すかさずイソジンでうがいをしている。もちろんインフルエンザ予防注射も済ませた。
横道に逸れるが、
前の病院の看護師さんから教えてもらったうがいの仕方
うがい薬(水でもいい)を喉に含んで、あ~(ガラガラガラ・・・)、よりも「かーっ」と発音するほうが良いのだそうだ。やってみてなるほどと思った。
それほど楽しみにしている自宅での時間、最近はほとんどベッドでまどろんでいることが多い。痛みが減ったが、覚醒の時間が少なくなってきているようだ。
しかし時折、我慢しづらい痛みが襲ってくるそうで顔をしかめている。
早くも薬(オキシコンチン)が足りなくなってきたのかもしれない。
今度は早めに増量してもらうなど相談しなければと思っている。
少し調子がいいのよ、と二階の私の書斎? に上がってきた。
洗濯して干していた布団カバーの破れを見つけ、繕っている妻。
伸びてきた髪がモンチッチ風・・・
こんな時間が無性に幸せと思える、午後のひととき。
年の瀬の風物詩か、各地で競うようにイルミネーションが華やか。
不景気を吹き飛ばそうと年々派手になるようです。
いつもお世話になっているマイントピアでも点灯されていました。
このイルミネーション、どういう意味があるのでしょう
元々はクリスマスツリーをささやかに飾っていたものでした。
震災後の神戸のルミナリエのころからでしょうか、盛んになってきたのは。
暗い世の中を、少しでも明るく、心に癒しを届けようという善意の贈り物かな。
確かに明かりは救いと癒しがもたらされますね。
通りすがりの人も「まあ綺麗!!」、でもこれもほんの最初だけ。
年を明けてもだらだらといつまでも点灯し続けるのは、間が抜けてうんざりものです。
そして昼間は見苦しいだけ、点灯期間が終わればさっさと片付けてもらいたいもの。
この時期に稀に見る好天気、気温も20度と暖かく10月初めの陽気らしい。
山並みが春霞のようにかすんで見える。
来週早々に帰ってくる子供と孫たち用の布団を干し、シーツを掛けて準備をした。
成長し合わなくなったろうと買っておいた孫のパジャマも洗濯しておく。
ついでに自分の布団のシーツも洗濯した。
羽毛掛け布団のカバー、取り外しはまだしもだが取り付けのまどろっこしいこと。
カバーの四隅の穴に布団の角のゴム紐を通し、ボタンに掛ける、
そして四辺の中心にある輪と紐で結ぶだけのことなのに、
イライラするほどまどろっこしい・・・
指先にカットバンを巻いていたりするから余計にまどろっこしい!
それとも老化のせい・・
かみさんはサササッと簡単にやってのけていたように見えたけどねえ。
主夫の仕事は大変だなあ・・・
(まどろっこしい って方言?)
でも談話室で紹介されるmhさんや紅葉さんの読まれた本に興味を引かれます。
姜尚中(カン・サン・ジュン)さんの「悩む力」を読みました。
書評を書くのは苦手なので、抜粋を
最終章の一節
生きる力とは、他社とのつながりが必要なのです、相互承認の中でしか、人は生きられません。相互承認によってしか自我はありえないのです。
究極的にに言うと、人間にとって最大の恐怖は「死」です。であるとすれば「老人力」とは「死を引き受ける力」ではないか。
そのためには悩みぬくことが必要、それを避けていてはいつまで経っても怖いでしょう。
そして開き直るのです、「矢でも鉄砲でも持ってこい」、横着者で行けばいいのだ。
若いころは武者小路実篤に、次いで五木寛之・・・いずれもちょっと作為的・偽善性?が見えて飽きがきた。大江健三郎は難しすぎる。
初めて読んだ「姜尚中」ですが、いいかも・・・
妻は家に帰っていても、うとうととまどろむ時間が多くなった。
オキシコンチンは服用を始めて暫くは眠気が酷くなると書いてあった。
聞くと、熟睡しているのではないらしいが。
時々薄目を開けては、
「なんだか夢ばかり見ているよ・・・」
「どんな夢だい?」
「家中掃除しているとか、洗濯物を干しているとか・・・」
「もっと楽しい夢ならいいのにね」
まだまどろんでいる妻に、
「ちょっと外を歩いてみないか」と呼びかけると、むっくりと起き上がり
「うん、行ってみたい」
家の前の河川敷広場は土手にさえぎられて陽だまり。
完全防寒で10分ほど散歩できた。
ラヴも久しぶりの同行が嬉しそう。
朝の気温は3℃、風花が舞っていた。
部屋の暖房と加湿を早めにしておいて、
いつものように朝8時に病院へ妻を迎えに行く。
すでにパジャマの上にジャージを着て、帰り支度をして待っていた。
更にダウンコートを着てショールを頭から被って・・・もちろんマスクもして
地元に帰って3ヶ月、この間、毎週土日の外泊を続けられている。
妻は一週間が待ち遠しく、楽しみにしているのである。
今回は余りの寒さなので、「今週だけは外泊を止めようか」と言ったが、
「帰りたいよー!、これが最後になるかも知れないもの・・」いつもの口癖。
オキシコンチンは5mg錠 2回/日で始めたが、途中切れ目ができるので、3回/日になった。
さらに急速鎮痛剤のオキノーム散を持たされる。
薬のせいか、昼間も眠る時間が多くなった。
帰ると同時に自宅のベッドで穏やかな寝息をたて安心しきったように眠っている。
聞きながらブログを書いている。外は雪、初雪である。
若者ではないが、今の私たち夫婦にとって「携帯」は手放せないものである。命綱というのは大げさだが、朝に昼に夜に無事を確かめあう必須の道具。
「熱はどうだい、痛みは出ていないか?」
「お箸とお茶が無くなりそうなの、今度買ってきて・・・」
「検査結果を知らせるわ、WBC 1290、RBC 274、Hb 8.4、PLT 2.0・・・」
「今日は○○さんと○○ちゃんがお見舞いに来てくれたよ、嬉しかった。」
とりわけ患者にとって不安感と孤独感がどんなにか軽減されようというもの。
ほとんど1、2時間おきにかかってくるので、散歩中も出かけ中もすぐに対応できる。
数年前私が入院していた頃、院内で携帯は使えなくて、廊下の公衆電話で夜一度だけ電話で連絡しあっていたものである。携帯の手軽さ便利さが身にしみてありがたい。
天皇陛下が不整脈で、公務をお休みになったという。
前立腺がんに不整脈、高貴なお方と同病とは何だかどうも面映い。
先進治療法やホルモン療法による骨粗しょう症など副作用についても報道されるので
注目されることになる。
不整脈には軽いものから重いものまで種類があって、そのあたりや治療などは今のと
ころ計り知れない。ご高齢にしては激務で、ストレスもかかるのであろう。
今後の病状や治療法などに関心を持って見守っていきたい。