今までの試合経過は余り見てこなかったが今日の決勝戦は釘付けになった。
まさかこんなに大差がつくとはね・・・
準決勝で見た東海大相模の華麗なプレーからは思いもよらない事だった。
そして夏初優勝、春夏連覇の快挙である。
それにしても興南のあの豪快さははファンならずとも爽快であった。
爆発的な集中打、投打においてまさに圧倒していた。
選手一人一人がなんと精悍な顔つきだこと、なんだかみな落ち着いて大人びて、
そこいらの最近の高校生とは違うような印象を受けた。
島袋投手の端正でイケメンはまたヒーローとして騒がれることだろうね。
オレンジに染まった応援席は、基地問題に団結した沖縄を彷彿とさせた。
沖縄はなぜにあのように強いのか
スポーツでも歌手や芸能人にしても・・・なんか本土?とは違う
特に我が愛媛などとは根本的に違うようだ、
逞しさと言うか脈々として続く燃える闘志があるね。
1人夕食はこれがいいのだ。
ラヴ「こうしてみると大河だなあ」
水面走破の術だぞー
さて、今日からつかの間(2,3日)ですが もとの静かな生活に戻っています。
娘がrikuを連れて神戸のほうへ行きました。
向こうが嫁ぎ先ですから、神戸ジジババと孫生活の幸せを共有していただく・・・と。
実は大わらわの生活になろうことは目に見えますが、あちらもつかの間の楽しみです。
その間私は、忙中閑あり 一息入れます。
あ~ぁ・・静かな生活はいいなぁ、なんてね。
慣れてしまえば1人生活もまんざらではないものですよ・・・負け惜しみではなく。
そりぁ、老いるまで夫婦元気で水入らずならもっと幸せでしょうがねぇ、
それに加えて、たまーに来てくれる子供と孫たちがいればそれが一番でしょうか・・。
夏休み帰国の日を楽しみに待っていたものですが、孫達の滞在期間もあと僅か、
月末までの来週一週間を存分に満喫しておきましょうか。
昨日の写真の整理
「東洋のマチュピチュ」って誰が最初に言ったことなのかな・・・きのう聞きましたら、
多分JTBか、南高生かな・・・とのことでした。
多分、高校生が感動して発した言葉をJTBがパンフに使ったのでしょうか。
ネーミング効果は絶大で、その後の観光客数はうなぎ登りのようです。
前にも一度ブログに写真を載せていました。(2009年10月4日)
yuuはきのうから1人で神戸バアバんちへ行った。
今日だけrikuは一人っ子、喧嘩相手がいないのは何と静かなことでしょうか。
今日もrikuの社会勉強のお供をしましたよ。
東洋のマチュピチュというネーミングで一躍有名になったマイントピア東平(トウナル)ゾーン、
少し曇り空もあって標高800mは多少涼しい。
銅鉱山の基地で栄えた跡地にあるマイン工房で自由研究の「銅版細工」をしました。
知人(rikuの友達のばあば) が指導してくれてオリジナルの作品が完成しました。
いま彼が熱中しているバスケットを題材に・・
下絵を探して持って行ったのですが、それにしてもなかなかの出来ばえです。
薄い銅版に下絵を描き、鉄筆で線刻、裏からへらで丸みを押し出します。
この渋い色合いは硫黄系の入浴剤を使うそうです。最後に木版に貼り付けラッカー吹き付けて仕上げていました。優れた技法ですね。
私はその間写真を撮りに・・・
そうそう砂金とり体験もしたね。 今日も充実した日でした。
昨日の夕方から、ほんの近くですが、一泊で出かけてきました。
夕方の山側の眺めは石鎚連峰、朝の北側の眺めはこの景色、といえば地元の方は
どこだかすぐに分かります。
国民休暇村「瀬戸内東予」、
平日なのに満室でした。バイキングが海鮮豊富で人気の宿です。
伊予三湯、本谷温泉からの引き湯なので温泉と言うことにしておきます。
翌日は近くの海で孫達は海水浴、rikuは沖合いまで泳ぎだし心配させた。
私は暑さを避けてすぐに車に避難しましたが・・。
帰り道、国安手すき和紙の見学でrikuの社会勉強、
続いてAsahiビールの工場見学、絞りたてビールは旨い、これもrikuの社会勉強です。
ちょうど昼時でここのレストランで昼食、またビール、
昼間から3杯は最近にない飲みっぷり、娘は下戸でちょうどよい。
そういえば、rikuは神戸バアバと身長が並んだ?追い越した?
バアバはそれが嬉しい様子です。
子供と孫を伴って私の実家の墓参りに行く。
山村である。
老母は寝たきりながら健在、とは言わないか・・。
去年までは記憶もはっきりしていたが、今回は少し朦朧としていた。
無理はない、明治45年生まれ98歳である。
いつも歓待してくれる兄夫婦、懐かしい田舎料理を馳走になった。
ともに70歳を過ぎ揃って足腰が悪いが田畑仕事を続けている。
寝たきり老母の介護はさぞ大変であろうが、施設には入れたくないという。
週2日、デイサービスに行き、入浴させてくれるので助かるとのこと。
高齢化、老老介護を余儀なくされる世の中・・・、申し訳なさもあり複雑な気持ちである。
一昔前までは、盆正月といえば兄弟姉妹が子供達を引き連れて実家に集結?していたものである。
実家の兄嫁さんはさぞ大変だったことだろう。
今ではそれもはばかられるが、母親の健在のうちはそれとなく訪ねるようにしよう。
花火
夕食後、日暮れ間もなく孫達の花火遊び
小さなのばかりですが、子供達は誰も花火が大好きですね。
娘は孫達をだいたい午後8時半、遅くとも9時には寝かしつけています。
遊び疲れているので即、熟睡していますね。
おかげでrikuも元気になりました。
前の河川敷広場は格好の花火遊び場になっていて、
夏休みともなると毎夜のように花火の音と嬌声がうるさいので閉口しています。
ひどいときは家並みのほうにロケット花火が飛んできて炸裂することがあるのです。
深夜までやっているから多分若者達だろうが、後片付けも全くなし。
朝になるといつもゴミが一杯散乱、
花火を楽しむのはいいが・・・マナーどころか常識がないのには困ったもんだねぇ。