後藤健二さんに心から哀悼の意を表します。それと同時に非道なテロ行為の排除を切に願います。私の仕事場が、非常に穏やかで平和だったことが幸いでしたが、日本の国の外で働く人たちにとっては常に危険がつきまといます。国の利益のために国外で働く人たちの安全を、国がもっと積極的に守って下さるよう、強く要望致します。
パプアニューギニアには「ブッシュフォン」と云う言葉がある。プッシュ式電話機のプッシュと、藪を意味するブッシュとの造成語である。パプアニューギニア人が作ったのではなく、この国を訪れた外国人(オーストラリア人?)が作った言葉であろう。土地の人間以外が山の入口に入ると、その情報が山の頂上に住んでいる村人まですぐに届くと云われている。何故伝ってしまうのか不思議に思った外国人が「ブッシュフォン」があるのだと想像したのであろう。
そんなわけで、私とクリス・ブルックがやって来たことは既に島中に伝わってしまっているのだそうだ。それなら「迷子になっても心配ないな」とクリスに云うと、彼はニヤニヤ笑っていた。
ローランド・クリステンセンの腹の向こうに、フリッチに加工する前の黒檀の丸太があった。かなりの長さがある。
海辺の近くには黒檀輸送に使う何本ものコンテナーが置かれていた。
桟橋に向う道端にも、黒檀のフリッチが無造作に置かれていた。この島ではそれほどの価値を持たないかもしれないが、日本に持って行けば目の玉が飛び出るほどの価格になる。こんな場所で、苦手だったケインズの経済理論を想い出すとは思わなかった。
乱雑に置かれた黒檀の先に形ばかりの、どうにか桟橋と呼べるような場所があった。此の島唯一の港であるとローランド・クリステンセンが説明してくれた。天然の岩を利用して作られた桟橋の近辺は、コンテナーを本船まで運ぶ伝馬船や小型の貨物船の接岸には充分な深さがあるとのことだ。
昼食を終えた作業員がフリッチの整理を始めた。時計を見るととっくに午後の1時を過ぎていた。
空腹に耐えかねたように、ローランド・クリステンセンは「お昼にしましょう」と我々を急かせてピックアップトラックに乗せた。
島の東西を結ぶ幹線道路、真っ直ぐ空港へと繋がる。ローランド・クリステンセン宅はこの先を左に曲がった高台にある。
ローランド・クリステンセン家の入口で私の足は止まった。体長10センチほどの蛾の死体が5,6匹あった。その奥にも蛾の死骸が何匹も散らかっていた。ミセス・クリステンセンが手伝いに来ている子供たちを叱りつけた。自分の弟たちを叱っているようだった。「アンタたち、きちんと掃除をしないからお客様が入れないじゃないの!」。
後で聞いた話だが、クリステンセン夫妻は事あるごとに近所の子供を臨時に雇い入れている。自分の子供たちのお守り、その他に今回のように客があった場合には特に人数を増やしている。子供たちに給金を支払うことにより、少しでも地域の経済に貢献しようとのことらしい。「おしん」のように悲惨な使われ方ではなく、見ているとまるでクリステンセン家に遊びに来ているようだ。遊びの合間にミセス・クリステンセンに用事を云いつけられたことだけをこなしている。彼等はミスター・クリステンセンとかミセス・クリステンセンとか呼ばずに、「ローリー」と「エイミー」と呼んでいる。私もいつの間にかそのように呼んでいた。ローリーがローランドの愛称であることは容易にわかるが、エイミーはパプアニューギニア人の名前をオーストリア風の名前にしたものであろうと推察される。元の名前は知らない。
子供たちに依る掃除が終り、エイミーは改めて私を招じ入れてくれた。食卓には既に食事が用意されていた。ハムステーキに焼きたてのロールパン、新鮮な野菜サラダ。それに大振りなコップに水が満たされていた。一口水を飲んでみると、何とも云えず旨い水だった。「井戸水ですか?」とエイミーに効くと、彼女は戸惑った。ローリーがニコリともせずに「雨水です」と云った。食事はおいしかった。ローリーは無駄口を叩かず黙々と食べていた。クリス・ブルックが「どうして、蛾なんかを怖がるんですか?」と不思議そうに聞いてきた。「夜になると、此の食卓の上を沢山の蛾が飛び廻ります」とローリーがいたずらそうに云うと、クリスは「俺なら、そいつをとっ捕まえて食っちまいますね!」とニヤニヤしながら云った。死んだ蛾に恐怖心を持った私を二人はからかいたいらしい。1センチにも満たない蛾にも、私は恐怖心を持つ。「そんなに蛾が来るなら、飢え死にしてもいい。此の食卓には座らない」と私は宣言した。二人はまだニヤニヤしていた。
だが、エイミーは親切に「別棟に貴方とクリスの寝室を用意します。食事はそちらに運びます。この家と違い、あちらの家は網戸がきちんとありますから、蛾や蚊の心配はありません」と云ってくれた。男どもと違い、此のエイミーの親切心は今でも覚えている。
ローリーと長男。子供にだけ見せる優しげな笑顔。
エイミーと次男。長男の方がずっと大きいのだが、巨漢に抱かれると、母親に抱かれた次男と同じ大きさにしか見えない。
エイミーに相談に来たのか、頼って来たのか知らぬが、友人が訪ねてきた。近くに住んでいると聞いたが、彼等の「近くは」どのぐらいの距離であるかは不明である。
一段高い場所に別棟があった。暫く住むことになる我が家のバルコニーからの景色。海は下の方に少ししか見えなかったが、眺望は左右に開け、私の目を遮るものは何もなかった。
パプアニューギニアには「ブッシュフォン」と云う言葉がある。プッシュ式電話機のプッシュと、藪を意味するブッシュとの造成語である。パプアニューギニア人が作ったのではなく、この国を訪れた外国人(オーストラリア人?)が作った言葉であろう。土地の人間以外が山の入口に入ると、その情報が山の頂上に住んでいる村人まですぐに届くと云われている。何故伝ってしまうのか不思議に思った外国人が「ブッシュフォン」があるのだと想像したのであろう。
そんなわけで、私とクリス・ブルックがやって来たことは既に島中に伝わってしまっているのだそうだ。それなら「迷子になっても心配ないな」とクリスに云うと、彼はニヤニヤ笑っていた。
ローランド・クリステンセンの腹の向こうに、フリッチに加工する前の黒檀の丸太があった。かなりの長さがある。
海辺の近くには黒檀輸送に使う何本ものコンテナーが置かれていた。
桟橋に向う道端にも、黒檀のフリッチが無造作に置かれていた。この島ではそれほどの価値を持たないかもしれないが、日本に持って行けば目の玉が飛び出るほどの価格になる。こんな場所で、苦手だったケインズの経済理論を想い出すとは思わなかった。
乱雑に置かれた黒檀の先に形ばかりの、どうにか桟橋と呼べるような場所があった。此の島唯一の港であるとローランド・クリステンセンが説明してくれた。天然の岩を利用して作られた桟橋の近辺は、コンテナーを本船まで運ぶ伝馬船や小型の貨物船の接岸には充分な深さがあるとのことだ。
昼食を終えた作業員がフリッチの整理を始めた。時計を見るととっくに午後の1時を過ぎていた。
空腹に耐えかねたように、ローランド・クリステンセンは「お昼にしましょう」と我々を急かせてピックアップトラックに乗せた。
島の東西を結ぶ幹線道路、真っ直ぐ空港へと繋がる。ローランド・クリステンセン宅はこの先を左に曲がった高台にある。
ローランド・クリステンセン家の入口で私の足は止まった。体長10センチほどの蛾の死体が5,6匹あった。その奥にも蛾の死骸が何匹も散らかっていた。ミセス・クリステンセンが手伝いに来ている子供たちを叱りつけた。自分の弟たちを叱っているようだった。「アンタたち、きちんと掃除をしないからお客様が入れないじゃないの!」。
後で聞いた話だが、クリステンセン夫妻は事あるごとに近所の子供を臨時に雇い入れている。自分の子供たちのお守り、その他に今回のように客があった場合には特に人数を増やしている。子供たちに給金を支払うことにより、少しでも地域の経済に貢献しようとのことらしい。「おしん」のように悲惨な使われ方ではなく、見ているとまるでクリステンセン家に遊びに来ているようだ。遊びの合間にミセス・クリステンセンに用事を云いつけられたことだけをこなしている。彼等はミスター・クリステンセンとかミセス・クリステンセンとか呼ばずに、「ローリー」と「エイミー」と呼んでいる。私もいつの間にかそのように呼んでいた。ローリーがローランドの愛称であることは容易にわかるが、エイミーはパプアニューギニア人の名前をオーストリア風の名前にしたものであろうと推察される。元の名前は知らない。
子供たちに依る掃除が終り、エイミーは改めて私を招じ入れてくれた。食卓には既に食事が用意されていた。ハムステーキに焼きたてのロールパン、新鮮な野菜サラダ。それに大振りなコップに水が満たされていた。一口水を飲んでみると、何とも云えず旨い水だった。「井戸水ですか?」とエイミーに効くと、彼女は戸惑った。ローリーがニコリともせずに「雨水です」と云った。食事はおいしかった。ローリーは無駄口を叩かず黙々と食べていた。クリス・ブルックが「どうして、蛾なんかを怖がるんですか?」と不思議そうに聞いてきた。「夜になると、此の食卓の上を沢山の蛾が飛び廻ります」とローリーがいたずらそうに云うと、クリスは「俺なら、そいつをとっ捕まえて食っちまいますね!」とニヤニヤしながら云った。死んだ蛾に恐怖心を持った私を二人はからかいたいらしい。1センチにも満たない蛾にも、私は恐怖心を持つ。「そんなに蛾が来るなら、飢え死にしてもいい。此の食卓には座らない」と私は宣言した。二人はまだニヤニヤしていた。
だが、エイミーは親切に「別棟に貴方とクリスの寝室を用意します。食事はそちらに運びます。この家と違い、あちらの家は網戸がきちんとありますから、蛾や蚊の心配はありません」と云ってくれた。男どもと違い、此のエイミーの親切心は今でも覚えている。
ローリーと長男。子供にだけ見せる優しげな笑顔。
エイミーと次男。長男の方がずっと大きいのだが、巨漢に抱かれると、母親に抱かれた次男と同じ大きさにしか見えない。
エイミーに相談に来たのか、頼って来たのか知らぬが、友人が訪ねてきた。近くに住んでいると聞いたが、彼等の「近くは」どのぐらいの距離であるかは不明である。
一段高い場所に別棟があった。暫く住むことになる我が家のバルコニーからの景色。海は下の方に少ししか見えなかったが、眺望は左右に開け、私の目を遮るものは何もなかった。