その翌朝、私は早く目が覚めた。洗面所に行くには、パプアニューギニア編の6でも述べたように、一旦バルコニーに出なければならない。外に出て朝の、まだ誰も吸っていない空気を胸一杯に吸い込んだ。洗面所に行きかけて、私は足を止めた。バルコニーの柵に干してあったクリスのバスタオルに大小の蛾が二匹とまっていた。その二匹でバスタオルの柄が見えないほどだった。小さい方の蛾でもA4判ぐらいの大きさはあった。その無気味さは例えようがなかった。その時、大きい方の蛾が羽を少し広げた。私はそれ以上前に進めなかった。タイにいる蛾が世界で一番大きいと云って、バンコクの街頭で標本にして売られているが、此の二匹に比べたら、あれはまるで子供の蛾であった。
足がすくみ、その前を通れなかった。仕方なく、庭に出て椰子の木に掴まって失礼してしまった。ちゃんと土をかけておいたから大丈夫だったと思う。
何食わぬ顔をして我が家に戻ってくると、幸いなことにクリスはまだ起きだしていなかった。ベッドに横になり、読みかけの本を読んでいると急に騒々しくなってきた。我が家のリビングルームにエイミーに連れられてきた子供たちが椅子やテーブルを隅にどかし、掃除を始めていた。想い出した、今日は日曜日であるので、此処が臨時の教会になるのだ。それで朝食はクリステンセン家で取る事になっていた。寝坊しているクリスを起こしに行った。昨夜、彼は自分で釣ったシーバスを肴にかなり飲んでいたのだ。私は刺身で食べたかったが、ワサビもお醤油もない。エイミーが油をたっぷりと使ってソテーしたシーバスを、体を動かすのが辛くなるほど食べた。新鮮な魚はどのように料理したものでも旨いと感じた。
村から牧師がやってきて礼拝が始まった。牧師の説教は解りにくいパプアニューギニアの英語とウッドラーク島の言葉だった。讃美歌が歌われるときは、ローランド・クリステンセンが神妙な顔をしてアコーディオンで伴奏した。献金の袋が廻ってくると、最年長のラムが私の所にやって来た。「日本の人は沢山の献金をするんでしょう?お金に名前を書いておけば、誰の献金か神様にすぐわかります」と云って鉛筆を差し出した。まさか、紙幣に名前を書いて献金するなど、考えられなかった。隣で聞いていたクリスが笑いを堪えるために体をよじっていた。彼に鉛筆を差し出すと、「これ以上笑わせないで下さい」と云われた。
礼拝が終ると、クリスは私を散歩に誘った。ローリーに断り、彼のピックアップトラックを借りた。私が助手席に乗ると、「村の人から聞いたのですが、ローリーは『社長』ではありません。此の黒檀の事業のオーナーは別にいるそうです。決して我々の前に姿を出しません」とクリスは不思議そうな顔をして私に情報を伝えた。ラバウルのレックス・グラッテージからはローランド・クリステンセンが全てを取り仕切っていると説明されていた。クリスもそのように聞いていたと云っていた。何故本当のオーナーが出てこないのか不思議ではあったが、それ以上は追及しないことにした。オーナーが誰でも、取引がスムースに行けばそれでいい。クリスも私と同じ考え方をした。
殆ど道の無い所を森に向かって走った。これ以上車では進めなくなる所まで行き、そこからは森に向って歩いた。此処まで来て彼の目的がわかった。黒檀の若木を探しに来たのだ。根のある植物を日本国内に持ち込むときは厳重な検疫を受けなければならない。オーストラリアではどうなのだろう。
森の入り口に何とか辿り着いたが、辺りに黒檀の木など見当たらなかった。もっと奥に入る必要があった。「昼間に蛾は出ませんよ!」と私を急き立てた。
やっと見つけた黒檀の若木。それの上の方だけをちょん切ってきた。根がついていなければ(土がついていなければ)、オーストラリアでの検疫は緩やからしい。
クリスが「昼間に蛾は出ませんよ!」と云っていた蛾が昼間に出た。クリステンセン家の山よりの庭を歩いているとき、何かを察して振り向くと、私の頭上を真っ白な大きな蛾が滑空していた。まるで音の出ないジェット戦闘機のようだった。A4の紙より大きいと感じた。そして、気持ちの悪い足まで見えた。敵はそのまま藪の中に消えたが、これからはヤシの木に掴まって失礼するときも辺りを注意してからでないと次の行動に移るべきでないと心に決めた。そして、なるべく木の下を歩かないことだ。
私が貿易の仕事を辞めた後の事であるが、知り合いから頼まれてアメリカ海軍の業務の一部を引き受けている会社の手伝いをしたことがあった。アメリカ海軍は厚木の日本海軍航空隊基地を間借りしていると聞いていたが、行ってみると、日本海軍が間借りしているようにしか見えなかった。基地の外れにある滑走路はアメリカ海軍航空隊の飛行機が大部分で、日の丸のついた旅客機のような機体が時たま見えるだけで、どこに我が海軍航空隊の戦闘機かあるのか、全く見当がつかなかった。横須賀にアメリカの空母が入港すると、離発着訓練の為か頻繁に艦載機が飛んできては、飛び立っていった。艦載機の離発着が始ると、私の事務所内では普通の声では会話が出来なかった。それほどの騒音である。艦載機は馬力を重視するので、マフラー(消音機)を外してあるのではないかとさえ思った。
厚木基地には整備工場が完備されており、そこの整備工場長を務めるアメリカの海軍少佐と仲良くなった。将校クラブで食事をしているとき、「俺の友人に蛾の収集家がいるんだ。その影響で俺も始めた」と云った。そんな気持ちの悪い話を食事中にするなと云いたかったが、彼は私が蛾に恐怖心を持っていることを知らない。「アフリカのマダガスカルに、世界最大の蛾がいるそうだ。一度友人と休暇を取って行ってみるつもりだ」と続けて云った。適当な理由をつけて、タイのアメリカ海軍基地まで軍の飛行機で無料で行けるらしい。そこからなら安くマダガスカルに行けると思うと云っていた。「俺、マダガスカルを相手に仕事をしてたんだ。だけど。そんなでかい蛾なんて見たことないぞ」と云うと、彼は不思議そうな顔をした。私がマダガスカルに通っていた間、大きな蛾に遭遇したことは一度もなかった。ただ運が良かっただけかもしれない。或いは大きな蛾のいる地域に行っていなかったからかもしれない。その話をし、パプアニューギニアのウッドラーク島の話をした。彼はがぜん興味を示した。「是非行きたい、お前さんも俺たちと一緒に行かないか?」と誘われた。冗談じゃない、あんな恐ろしい場所に、恐ろしい蛾を捕まえになんか行けるものか。私は聞こえない振りをした。
その海軍少佐と知り合ったのは、私が横須賀基地から飛んできた艦載機の写真を熱心に撮っているときであった。彼は私がスパイしているのかと一瞬考えたそうだが、そうではないことを確信すると、何かと便宜を図ってくれた。以下にその時の写真の一部をご紹介したい。これも今までの写真と同様、印画紙に焼き付けられたものをデジカメの一眼レフで複写したものである。
他の艦載機より機体がかなり大きかった。戦闘機ではなく、爆撃機なのであろうか。だが、戦闘機と同様に、駐機している間は翼を折りたたんでいた。
見るからに戦闘機に見えた。形も上の写真と似ているようであったが、私にはよく分からない。マニアではないからである。機種はどうあれ、艦載機の写真を撮ればいいのであった。
戦闘機と並び、機体の上に丸いアンテナをつけているのは情報収集のための艦載機であろうか?
横須賀に入港した航空母艦から飛んできた艦載機の群れ。これだけ多く飛んでくれば付近の住人は相当に騒音に悩まされなければならない。
海軍少佐は、一度私を戦闘機に乗せてくれると約束してくれたが、約束が果たされる前にヨーロッパに転属になってしまった。私が懇意にしていた日本人の従業員の話だと、彼は艦載機に乗せて貰ったことがると云っていた。然も、急降下して航空母艦に下りたそうだ。上空からはタバコの箱ぐらいにしか見えない航空母艦にどうやれば降りられるのかと不安だったそうだ。そしてすぐに急降下が始まり、凄い衝撃で着艦した。二度と乗りたくないと云っていた。だが、その話を聞いても、私は乗りたかった。
パプアニューギニアと離れて恐縮だが、この厚木海軍航空隊基地の、日本の海軍自衛隊のことに触れたい。
此の基地の自衛官とその建物の中に非常に興味があったが、民間人である私は中に入れない。それが、契約課に出入りしている若い中尉が、自衛隊に出入りしていることを知った。彼は連絡将校であった。「連れてって貰えないか」と頼むと、何の疑問も持たず、「毎週月曜日の13時(午後1時)に行きますから、一緒に行きましょう」と云ってくれた。
入口から入ると直ぐに左手の大きな事務所に案内し、自衛官たちに「好奇心だけのオジさん」と私を紹介してくれた。隊員に笑顔で迎えられた。連絡将校は私を残し、事務所の奥に行ってしまった。机の上にあったパソコンを覗くと、スクリーン・セーバーが動いていた。ご存じの事と思うが、ブラウン管のディスプレーは長時間同じ画面を映していると焼跡が残ってしまう。それで「スクリーン・セーバー」と云うソフトを使って写真やイラストをディスプレー上に動かすのである。パソコンのメーカー独自のものもあるが、文字を自分で書き入れることも出来た。自衛官のパソコンには「全艦発進せよ!只今より攻撃に移る」と云う文字が流れていた。「随分勇ましいテロップだな」と云うと、その隊員は「我々はいつでも自衛艦に乗り、どこへでも行きます」と云った。そして続けた「我々は軍人です。ですから、国のために戦います。それで命を落とす覚悟は出来ています」。意外なことを聞き、私はより興味を覚えた。「大臣が、『お前の骨は俺が拾ってやる。お国のために尽くして来い』と云ってくれれば、我々はそのようにします。でも誰も云ってくれません」と云って寂しそうな顔をした。此の基地にいる自衛隊員は全員が「事務職」の筈である。彼だけかと思っていると、「少なくともこの事務所にいる隊員は全員がそのように考えています」と、じっと私の目を見て云った。何か、考えさせられるものがあった。
足がすくみ、その前を通れなかった。仕方なく、庭に出て椰子の木に掴まって失礼してしまった。ちゃんと土をかけておいたから大丈夫だったと思う。
何食わぬ顔をして我が家に戻ってくると、幸いなことにクリスはまだ起きだしていなかった。ベッドに横になり、読みかけの本を読んでいると急に騒々しくなってきた。我が家のリビングルームにエイミーに連れられてきた子供たちが椅子やテーブルを隅にどかし、掃除を始めていた。想い出した、今日は日曜日であるので、此処が臨時の教会になるのだ。それで朝食はクリステンセン家で取る事になっていた。寝坊しているクリスを起こしに行った。昨夜、彼は自分で釣ったシーバスを肴にかなり飲んでいたのだ。私は刺身で食べたかったが、ワサビもお醤油もない。エイミーが油をたっぷりと使ってソテーしたシーバスを、体を動かすのが辛くなるほど食べた。新鮮な魚はどのように料理したものでも旨いと感じた。
村から牧師がやってきて礼拝が始まった。牧師の説教は解りにくいパプアニューギニアの英語とウッドラーク島の言葉だった。讃美歌が歌われるときは、ローランド・クリステンセンが神妙な顔をしてアコーディオンで伴奏した。献金の袋が廻ってくると、最年長のラムが私の所にやって来た。「日本の人は沢山の献金をするんでしょう?お金に名前を書いておけば、誰の献金か神様にすぐわかります」と云って鉛筆を差し出した。まさか、紙幣に名前を書いて献金するなど、考えられなかった。隣で聞いていたクリスが笑いを堪えるために体をよじっていた。彼に鉛筆を差し出すと、「これ以上笑わせないで下さい」と云われた。
礼拝が終ると、クリスは私を散歩に誘った。ローリーに断り、彼のピックアップトラックを借りた。私が助手席に乗ると、「村の人から聞いたのですが、ローリーは『社長』ではありません。此の黒檀の事業のオーナーは別にいるそうです。決して我々の前に姿を出しません」とクリスは不思議そうな顔をして私に情報を伝えた。ラバウルのレックス・グラッテージからはローランド・クリステンセンが全てを取り仕切っていると説明されていた。クリスもそのように聞いていたと云っていた。何故本当のオーナーが出てこないのか不思議ではあったが、それ以上は追及しないことにした。オーナーが誰でも、取引がスムースに行けばそれでいい。クリスも私と同じ考え方をした。
殆ど道の無い所を森に向かって走った。これ以上車では進めなくなる所まで行き、そこからは森に向って歩いた。此処まで来て彼の目的がわかった。黒檀の若木を探しに来たのだ。根のある植物を日本国内に持ち込むときは厳重な検疫を受けなければならない。オーストラリアではどうなのだろう。
森の入り口に何とか辿り着いたが、辺りに黒檀の木など見当たらなかった。もっと奥に入る必要があった。「昼間に蛾は出ませんよ!」と私を急き立てた。
やっと見つけた黒檀の若木。それの上の方だけをちょん切ってきた。根がついていなければ(土がついていなければ)、オーストラリアでの検疫は緩やからしい。
クリスが「昼間に蛾は出ませんよ!」と云っていた蛾が昼間に出た。クリステンセン家の山よりの庭を歩いているとき、何かを察して振り向くと、私の頭上を真っ白な大きな蛾が滑空していた。まるで音の出ないジェット戦闘機のようだった。A4の紙より大きいと感じた。そして、気持ちの悪い足まで見えた。敵はそのまま藪の中に消えたが、これからはヤシの木に掴まって失礼するときも辺りを注意してからでないと次の行動に移るべきでないと心に決めた。そして、なるべく木の下を歩かないことだ。
私が貿易の仕事を辞めた後の事であるが、知り合いから頼まれてアメリカ海軍の業務の一部を引き受けている会社の手伝いをしたことがあった。アメリカ海軍は厚木の日本海軍航空隊基地を間借りしていると聞いていたが、行ってみると、日本海軍が間借りしているようにしか見えなかった。基地の外れにある滑走路はアメリカ海軍航空隊の飛行機が大部分で、日の丸のついた旅客機のような機体が時たま見えるだけで、どこに我が海軍航空隊の戦闘機かあるのか、全く見当がつかなかった。横須賀にアメリカの空母が入港すると、離発着訓練の為か頻繁に艦載機が飛んできては、飛び立っていった。艦載機の離発着が始ると、私の事務所内では普通の声では会話が出来なかった。それほどの騒音である。艦載機は馬力を重視するので、マフラー(消音機)を外してあるのではないかとさえ思った。
厚木基地には整備工場が完備されており、そこの整備工場長を務めるアメリカの海軍少佐と仲良くなった。将校クラブで食事をしているとき、「俺の友人に蛾の収集家がいるんだ。その影響で俺も始めた」と云った。そんな気持ちの悪い話を食事中にするなと云いたかったが、彼は私が蛾に恐怖心を持っていることを知らない。「アフリカのマダガスカルに、世界最大の蛾がいるそうだ。一度友人と休暇を取って行ってみるつもりだ」と続けて云った。適当な理由をつけて、タイのアメリカ海軍基地まで軍の飛行機で無料で行けるらしい。そこからなら安くマダガスカルに行けると思うと云っていた。「俺、マダガスカルを相手に仕事をしてたんだ。だけど。そんなでかい蛾なんて見たことないぞ」と云うと、彼は不思議そうな顔をした。私がマダガスカルに通っていた間、大きな蛾に遭遇したことは一度もなかった。ただ運が良かっただけかもしれない。或いは大きな蛾のいる地域に行っていなかったからかもしれない。その話をし、パプアニューギニアのウッドラーク島の話をした。彼はがぜん興味を示した。「是非行きたい、お前さんも俺たちと一緒に行かないか?」と誘われた。冗談じゃない、あんな恐ろしい場所に、恐ろしい蛾を捕まえになんか行けるものか。私は聞こえない振りをした。
その海軍少佐と知り合ったのは、私が横須賀基地から飛んできた艦載機の写真を熱心に撮っているときであった。彼は私がスパイしているのかと一瞬考えたそうだが、そうではないことを確信すると、何かと便宜を図ってくれた。以下にその時の写真の一部をご紹介したい。これも今までの写真と同様、印画紙に焼き付けられたものをデジカメの一眼レフで複写したものである。
他の艦載機より機体がかなり大きかった。戦闘機ではなく、爆撃機なのであろうか。だが、戦闘機と同様に、駐機している間は翼を折りたたんでいた。
見るからに戦闘機に見えた。形も上の写真と似ているようであったが、私にはよく分からない。マニアではないからである。機種はどうあれ、艦載機の写真を撮ればいいのであった。
戦闘機と並び、機体の上に丸いアンテナをつけているのは情報収集のための艦載機であろうか?
横須賀に入港した航空母艦から飛んできた艦載機の群れ。これだけ多く飛んでくれば付近の住人は相当に騒音に悩まされなければならない。
海軍少佐は、一度私を戦闘機に乗せてくれると約束してくれたが、約束が果たされる前にヨーロッパに転属になってしまった。私が懇意にしていた日本人の従業員の話だと、彼は艦載機に乗せて貰ったことがると云っていた。然も、急降下して航空母艦に下りたそうだ。上空からはタバコの箱ぐらいにしか見えない航空母艦にどうやれば降りられるのかと不安だったそうだ。そしてすぐに急降下が始まり、凄い衝撃で着艦した。二度と乗りたくないと云っていた。だが、その話を聞いても、私は乗りたかった。
パプアニューギニアと離れて恐縮だが、この厚木海軍航空隊基地の、日本の海軍自衛隊のことに触れたい。
此の基地の自衛官とその建物の中に非常に興味があったが、民間人である私は中に入れない。それが、契約課に出入りしている若い中尉が、自衛隊に出入りしていることを知った。彼は連絡将校であった。「連れてって貰えないか」と頼むと、何の疑問も持たず、「毎週月曜日の13時(午後1時)に行きますから、一緒に行きましょう」と云ってくれた。
入口から入ると直ぐに左手の大きな事務所に案内し、自衛官たちに「好奇心だけのオジさん」と私を紹介してくれた。隊員に笑顔で迎えられた。連絡将校は私を残し、事務所の奥に行ってしまった。机の上にあったパソコンを覗くと、スクリーン・セーバーが動いていた。ご存じの事と思うが、ブラウン管のディスプレーは長時間同じ画面を映していると焼跡が残ってしまう。それで「スクリーン・セーバー」と云うソフトを使って写真やイラストをディスプレー上に動かすのである。パソコンのメーカー独自のものもあるが、文字を自分で書き入れることも出来た。自衛官のパソコンには「全艦発進せよ!只今より攻撃に移る」と云う文字が流れていた。「随分勇ましいテロップだな」と云うと、その隊員は「我々はいつでも自衛艦に乗り、どこへでも行きます」と云った。そして続けた「我々は軍人です。ですから、国のために戦います。それで命を落とす覚悟は出来ています」。意外なことを聞き、私はより興味を覚えた。「大臣が、『お前の骨は俺が拾ってやる。お国のために尽くして来い』と云ってくれれば、我々はそのようにします。でも誰も云ってくれません」と云って寂しそうな顔をした。此の基地にいる自衛隊員は全員が「事務職」の筈である。彼だけかと思っていると、「少なくともこの事務所にいる隊員は全員がそのように考えています」と、じっと私の目を見て云った。何か、考えさせられるものがあった。