TDY、Temporary Duty。アメリカの軍隊用語で出張を意味する。世界の僻地の出張記録!TDYの次は日常の雑感

現役時代の出張記録。人との出会いと感動。TDY編を終え、写真を交えた日常の雑感を綴る。

折々の写真&雑感 208

2019年03月10日 | エッセイ
 またビルマ(1989年から1993年)の当時の様子を綴りたい。現在のミャンマーをビルマと書いたが、私にとっては今でもビルマのままである。表向きはスー・チー女史が主導権を握った形ではあるが、実態は軍事政権が未だに続いているように思える。民主化には程遠い。民主化、民主化と騒いでいるスー・チー女史自身がロヒンギャ族の追い出しに目を瞑っているようではそれ以前の問題である。

 その当時の日本では想像もつかぬほどに彼等の生活は地味だった。政府の役人でさえ、また軍人でさえ余程上に登り詰めていなければ、我々日本人が普通に使っている日用品でさえ手に入らなかった。国営のホテルの備品である石鹸は匂いもなく、ザラザラとしており泡も出ない。こんな石鹸で汚れが落とせるのかと心配になり、二度目からは何個も石鹸を持参した。前回と同様、空港でスーツケースを開けさせられた時、係員(軍人が担当している)に幾つか取り上げられてしまったが、使うには充分な量が残った。

 政府の高官のお宅でお昼をご馳走になった時に出されたクリネックスの箱を見て驚いた。何年も前に封を切ったらしく、箱が黄ばんでいた。相当な年月をかけて大事に、大事に使ってきたのだ。古びた箱の中には半分ほどのティッシュが入っていた。「どうぞ、お使い下さい」と云われても使えるものではなかった。ポケットから自前のティッシュを出して使った。此のクリネックスはラングーン(現ヤンゴン)最大のボジョウ・マーケットでも売られていなかった。隣国のタイからでも買ってきたのかもしれない。ビルマの一般国民は、申請さえすればパスポートは簡単に発行される。だが、それを使うにはそれほど簡単なことではなかった。若者が大勢の仲間に見送られ、私と同じタイ航空の便に乗ったことがあった。その時の若者は分厚いオーバー・コートを誇らしげに着ていた。ビルマより寒い国へ行くとの認識からそのような厚着になったのだろうが、全く世界に対する認識がないことを感じた。もし、寒い日本に行くのだとしても途中の国ではどう過ごせばいいのか?第一、3月も半ばを過ぎればそれほど厚いコートは必要ない。

 その若者は偶然に私の近くの席に座った。持て余したコートをスチュワーデスに助けられ、座席の上のトランクにしまった。だが、その下にも厚手の生地で作られたスーツを着ていた。コートもスーツも非常に高級そうであった。恐らく、政府高官でも相当上の地位か、将官クラスの軍人のご子息ではなかったか?

 撮影会は本来「雨天決行」である。だが、我々のグループは無理をする必要は無いので「雨天中止」にしてきた。だが、その日の日本民家園の撮影は「小雨決行」とした。晴れた日の日本民家園ばかり撮ってきた仲間にはしっとりと濡れた古民家は勿論のこと、しずくが落ちそうな梅の小枝などにも感激したようだった。


キヤノンEOS5DMkⅣに24-105mm、4Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/45秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 入って正面に見えるのは佐地家の門と塀である。その門をくぐると、庭を通して三澤家の塀が目の前に見える。


キヤノンEOS5DMkⅣに24-105mm、4Lを装着。 ISO:1,600、 f5.6、 1/10秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 昨年に改装の終った三澤家の内部。出来る限り古い部材を残し、腐りかけた土台をはじめあらゆるものを全て新しいものにした。そう、新築の古民家である。


キヤノンEOS5DMkⅣに24-105mm、4Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/125秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 雨の向こうに水車小屋がぼやけて見える。


キヤノンEOS5DMkⅣに24-105mm、4Lを装着。 ISO:400、 f8、 1/45秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 三澤家の屋号であろうか?「津知や」と読める。


キヤノンEOS5DMkⅣに24-105mm、4Lを装着。 ISO:400、 f5.6、 1/60秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 水車小屋のそばに咲いていた梅。久しぶりの雨を喜んでいるようであった。


キヤノンEOS5DMkⅣに24-105mm、4Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/15秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 天気が続いているときの藁ぶき屋根を見慣れてしまうと、最初に出会った時ほどの感動はない。それが、多少でも雨に濡れると、歴史の重みを感じさせるような重厚な色を私に見せてくれた。