今年もまたサイクロンの季節がやって来た。マダガスカルにやって来る大型のサイクロンは2月と3月が最も多く、日本の台風と6カ月程のずれがある。アンタナナリブからインド洋に面しているトマシナ(旧タマタベ)に行くには、サイクロンと向き合う形になるが、どうしても行かなくてはならなかった。マダガスカルではめったにない港湾ストライキが行われていた。我々の荷がいつ積まれ、その船がいつ出航出来るか確かめる必要があった。そのようなことを確かめるだけなら、読者諸兄諸姉は電話で済むとお考えかもしれないが、繋がらないことが多い。回線はそれほど多くなく、大勢が電話しようとすると、いつでも話し中の状態になってしまう。電話回線の状況はビルマほど悪くはないが、首都のアンタナナリブを離れると極度に悪くなる。行って確かめるしかなかった。アンツォヒヒで大量に手に入れたパリサンダーを全て出荷出来ていない状況であった。現地では配送の準備は整っているが、出港地の倉庫に入れないことには輸出されない。
10日も続いているストライキがそろそろ終わりそうではないかと期待してトマシナにやって来たが、港湾事務所の周囲には労働者が大勢押しかけて、双方とも大声で応じあっていた。ジルス・ベド社長が港湾事務所の中に入って行ったが、興奮した顔で出てきた。「メリナの奴等はいつもあのような態度を取る」と大きな声で独り言を云った。以前にも述べたように、ジルス・ベドはアフリカ系のベツィミサラカ族である。マダガスカルではメリナ族に次ぐ人口を有している。これまでにマダガスカルでは他の部族の悪口を聞いたことがなかった。ジルス・ベドの口からこのような言葉を聞くのは意外であった。食事をしながら聞いたところでは、このストライキはもうじき終わるがかなりの荷物がたまっている。その出荷は荷主がメリナ族のものから船積みされると聞かされたらしい。もしかしたら、既に保税地域に運び込んだのがメリナ族だっただけかもしれない。ジルス・ベドは港湾事務所の所長がメリナ族なので、メリナ族に特別な便宜を図ったのだと思い込んでいるようだった。
何れにしろ、ストライキは収束に向かっているようなので、多少は時間がかかっても、船積みの希望は持てた。

ネプチューン・ホテルのメイン・エントランスの庭のテーブルや椅子が昨夜の風と雨で地面にたたきつけられていた。

その同じ場所を、間違えて茶色に色を変えたカメレオンがゆったりと朝の散歩をしていた。このカメレオンは非常に大人しく、手のひらに乗せるとじっとしている。また、腕に這わせるとゆっくりと上に登ってくる。カメレオンは、庭木のあるところには何処にでも生息しており、通常は草色である。マダガスカルには非常に多くの種類のカメレオンがおり、中には体長が50~60センチのカメレオンもいると聞いている。その殆どが固有種で、カメレオンの研究の為だけにマダガスカルに通っている生物学者が想像以上に多くいた。






朝食を済ませた後で、海岸沿いの道から山側の道に入ってみた。大量の雨で土留めがしっかりしていない個所は大きく削られていた。土砂で道路が覆われ、四輪駆動車でなければ、自由に走れないほどであった。


海岸線を北に行くと、道が大きく削られており、近くの住民は何時になったら補修されるのかと心配していた。
帰国後、この写真を友人である衆議院議員の所に持って行った。何とかマダガスカルに援助金を送れないかと相談に行ったのだ。後日、秘書を通して「難しい」との返事がきた。彼は自民党ではなかったので、強硬に推し進められなかったのか、マダガスカルは日本にとって重要な国ではないので断られたのか、実のところはわからない。秘書は「この写真だけではよく実態がつかめない。もっと詳しい資料が必要だ」と云ってきた。政治家特有の断り方だと理解した。詳しい資料が必要であるなら、いくらでも集められる自信があった。だが、日本政府に援助する「意志」が有るか無いかだ。友人は自分では断り難かったのであろう。秘書に連絡させる手を使った。
先週も懲りずに写真仲間と日本民家園に紅葉を撮りに行ってきた。日本の各地から古民家を移築して、当時のままの姿で公開しているので、私は年に何回となく此処を訪れる。今回は紅葉の季節と重なったため、紅葉の写真が多くなったが、本来は古民家を様々な角度から撮影する。それに、囲炉裏に火がくべられているので、それを撮るのも楽しみにしている。何度通っても、別の顔を見せてくれる、私のお気に入りの撮影スポットの一つである。
新宿で皆と別れ、私は所用があって東急ハンズに向った。その途中、南口の道路を渡ってから思わぬ拾いものにぶつかった。我国の誇るLED電球がふんだんに使われているイルミネーションに出合ったのである。






10日も続いているストライキがそろそろ終わりそうではないかと期待してトマシナにやって来たが、港湾事務所の周囲には労働者が大勢押しかけて、双方とも大声で応じあっていた。ジルス・ベド社長が港湾事務所の中に入って行ったが、興奮した顔で出てきた。「メリナの奴等はいつもあのような態度を取る」と大きな声で独り言を云った。以前にも述べたように、ジルス・ベドはアフリカ系のベツィミサラカ族である。マダガスカルではメリナ族に次ぐ人口を有している。これまでにマダガスカルでは他の部族の悪口を聞いたことがなかった。ジルス・ベドの口からこのような言葉を聞くのは意外であった。食事をしながら聞いたところでは、このストライキはもうじき終わるがかなりの荷物がたまっている。その出荷は荷主がメリナ族のものから船積みされると聞かされたらしい。もしかしたら、既に保税地域に運び込んだのがメリナ族だっただけかもしれない。ジルス・ベドは港湾事務所の所長がメリナ族なので、メリナ族に特別な便宜を図ったのだと思い込んでいるようだった。
何れにしろ、ストライキは収束に向かっているようなので、多少は時間がかかっても、船積みの希望は持てた。

ネプチューン・ホテルのメイン・エントランスの庭のテーブルや椅子が昨夜の風と雨で地面にたたきつけられていた。

その同じ場所を、間違えて茶色に色を変えたカメレオンがゆったりと朝の散歩をしていた。このカメレオンは非常に大人しく、手のひらに乗せるとじっとしている。また、腕に這わせるとゆっくりと上に登ってくる。カメレオンは、庭木のあるところには何処にでも生息しており、通常は草色である。マダガスカルには非常に多くの種類のカメレオンがおり、中には体長が50~60センチのカメレオンもいると聞いている。その殆どが固有種で、カメレオンの研究の為だけにマダガスカルに通っている生物学者が想像以上に多くいた。






朝食を済ませた後で、海岸沿いの道から山側の道に入ってみた。大量の雨で土留めがしっかりしていない個所は大きく削られていた。土砂で道路が覆われ、四輪駆動車でなければ、自由に走れないほどであった。


海岸線を北に行くと、道が大きく削られており、近くの住民は何時になったら補修されるのかと心配していた。
帰国後、この写真を友人である衆議院議員の所に持って行った。何とかマダガスカルに援助金を送れないかと相談に行ったのだ。後日、秘書を通して「難しい」との返事がきた。彼は自民党ではなかったので、強硬に推し進められなかったのか、マダガスカルは日本にとって重要な国ではないので断られたのか、実のところはわからない。秘書は「この写真だけではよく実態がつかめない。もっと詳しい資料が必要だ」と云ってきた。政治家特有の断り方だと理解した。詳しい資料が必要であるなら、いくらでも集められる自信があった。だが、日本政府に援助する「意志」が有るか無いかだ。友人は自分では断り難かったのであろう。秘書に連絡させる手を使った。
先週も懲りずに写真仲間と日本民家園に紅葉を撮りに行ってきた。日本の各地から古民家を移築して、当時のままの姿で公開しているので、私は年に何回となく此処を訪れる。今回は紅葉の季節と重なったため、紅葉の写真が多くなったが、本来は古民家を様々な角度から撮影する。それに、囲炉裏に火がくべられているので、それを撮るのも楽しみにしている。何度通っても、別の顔を見せてくれる、私のお気に入りの撮影スポットの一つである。
新宿で皆と別れ、私は所用があって東急ハンズに向った。その途中、南口の道路を渡ってから思わぬ拾いものにぶつかった。我国の誇るLED電球がふんだんに使われているイルミネーションに出合ったのである。






当時新木場の銘木屋さんが、四国に大きな銘木屋さんがあり、パリサンダーに非常に興味があるとの話をしていました。而し、私にはそれ以上の情報をくれませんでした。私の方こそ残念です。