マダガスカルから少し離れるが、丁度今が上海蟹のシーズンなのでそのことに触れたい。上海蟹を注文すると、オスとメスの二匹が必ずセットで供される。その年に依ってメスが旨いとかオスが旨いとか云われる。或いは10月はメスが旨く、11月はオスが旨いとも云われている。従って、メスだけが売れたりオスだけが売れたりしないように、オスとメスを必ずセットにして売るのだそうだ。だが、残念なことに、私はその微妙な味の差が分らない。微妙な差を感じ取る中国人の舌は尊敬に値する。食通であると宣言している日本人が、今年のメスの何処が旨いとか11月のオスのどの箇所が旨いとかいう人がいる。本当にその差が分るのであれば、それはそれで尊敬出来る。11月のオスが旨いと云われても、11月のメスだって旨い。
香港や中国の人に蟹は体を冷やすから、沢山食べてはいけないと云われる。だが、経済が許すなら全身が凍えるほど食べたい。
今は鬼籍にある中学からの友人が「パリで何回もコンニチハと云われた」と嬉しそうにしていたことがあった。日本人が海外に遊びに行けるような状態になったばかりの頃のことである。彼はどうして日本人だと分ったのだろうと疑問を持ってフランス人に聞いてみた。「こんな遠くに来れる東洋人は日本人しかいない」とそのフランス人は答えたそうだ。
私はタイのバンコクでそのような経験をした。日本人の服装(着ているシャツ?)が他のアジア人と違うからわかるのだそうだ。同じことを他のアジアの国々でも云われた。それが、マダガスカルのトマシナでは、道端の子供たちに「ニイハオ」と云われた。不法滞在の中国人が如何に多くなっているかの証拠であろう。




森への入口にある集材場にかなりの量のパリサンダーのフリッチが集まりだした。手前の赤い帽子は監督中のジルス・ベド社長。炎天下の中で手作業の労働はかなりきつそうだった。だが、彼等は不平も云わず、私を見ると笑顔さえ見せてくれた。私は「ミソートラ」(ありがとう)、そして「モラモラ」(ゆっくり、ゆっくり)とか「エケナ?」(大丈夫か?)と声をかけるしか彼等の労働に報いるすべがなかった。

木陰を見つけて小休止。これを何度も繰り返して欲しかった。




対岸に渡ると、前回とは別の場所に一本一本を撫でてみたくなるような素晴らしい色と木目を持つパリサンダーが積まれていた。太さも文句の云いようのないものばかりだった。

お昼の時間。バンガローで用意してくれるお弁当は鶏のフライの日が多かったが、全く飽きることがなかった。何とも云えないぐらいに美味しかった。最初はアヒルかと間違えるほどであった。ローストビーフ、ハムの燻製、それに野菜と沢山の果物。毎日のお昼の時間が楽しみであった。

森の民との交流。ジルス・ベド社長は私よりかなり若いが、何処へ行っても地域の人たちと如才なく話し、全員を自分の味方につけてしまう。不思議な能力の持ち主である。



伐採の許可を取っていない「マダガスカル・ローズウッド」(マダガスカル固有の紫檀)。一人の樵がパリサンダーと間違えて切り倒してしまったそうだ。折角だからとフリッチにしてしまった。当局にこの不始末を届けるべきであったが、そのようなことをしたら、この地での伐採の全てを取り消されてしまう恐れがあった。
BIEの社員の一人が云った。「社長、間違えたものは仕方ありません。これを売れば罪になるでしょうが、売らなければ単なるミスです。パリサンダーの中に入れて、日本に出荷しましょう。その代金を請求しなければいいのです」。それを聞いたジルス・ベド社長は笑い出した。社員の云ったことを要約して私に説明してくれた。私は同意した。間違えたものは仕方がない。私もお世話になっている新木場の業者にこれをタダで差し上げてしまおうと心に決めた。
間違えて切ってしまった樵も、それをフリッチに加工してしまった作業員も、事の成り行きの説明を受けて安心したように地面に座り込んでしまった。最初は気軽に考えていたが、許可を受けていない木を切ることの重大さに気が付いたようだった。
前回、木の地肌を見ただけで、私にはパリサンダー、紫檀、それに黒檀の区別がつかないと云ったことをご記憶だろうか。専門家である樵でさえ間違えることがあるのであるから、私に分らなくて当然であると、多少の自信を取り戻した。
香港や中国の人に蟹は体を冷やすから、沢山食べてはいけないと云われる。だが、経済が許すなら全身が凍えるほど食べたい。
今は鬼籍にある中学からの友人が「パリで何回もコンニチハと云われた」と嬉しそうにしていたことがあった。日本人が海外に遊びに行けるような状態になったばかりの頃のことである。彼はどうして日本人だと分ったのだろうと疑問を持ってフランス人に聞いてみた。「こんな遠くに来れる東洋人は日本人しかいない」とそのフランス人は答えたそうだ。
私はタイのバンコクでそのような経験をした。日本人の服装(着ているシャツ?)が他のアジア人と違うからわかるのだそうだ。同じことを他のアジアの国々でも云われた。それが、マダガスカルのトマシナでは、道端の子供たちに「ニイハオ」と云われた。不法滞在の中国人が如何に多くなっているかの証拠であろう。




森への入口にある集材場にかなりの量のパリサンダーのフリッチが集まりだした。手前の赤い帽子は監督中のジルス・ベド社長。炎天下の中で手作業の労働はかなりきつそうだった。だが、彼等は不平も云わず、私を見ると笑顔さえ見せてくれた。私は「ミソートラ」(ありがとう)、そして「モラモラ」(ゆっくり、ゆっくり)とか「エケナ?」(大丈夫か?)と声をかけるしか彼等の労働に報いるすべがなかった。

木陰を見つけて小休止。これを何度も繰り返して欲しかった。




対岸に渡ると、前回とは別の場所に一本一本を撫でてみたくなるような素晴らしい色と木目を持つパリサンダーが積まれていた。太さも文句の云いようのないものばかりだった。

お昼の時間。バンガローで用意してくれるお弁当は鶏のフライの日が多かったが、全く飽きることがなかった。何とも云えないぐらいに美味しかった。最初はアヒルかと間違えるほどであった。ローストビーフ、ハムの燻製、それに野菜と沢山の果物。毎日のお昼の時間が楽しみであった。

森の民との交流。ジルス・ベド社長は私よりかなり若いが、何処へ行っても地域の人たちと如才なく話し、全員を自分の味方につけてしまう。不思議な能力の持ち主である。



伐採の許可を取っていない「マダガスカル・ローズウッド」(マダガスカル固有の紫檀)。一人の樵がパリサンダーと間違えて切り倒してしまったそうだ。折角だからとフリッチにしてしまった。当局にこの不始末を届けるべきであったが、そのようなことをしたら、この地での伐採の全てを取り消されてしまう恐れがあった。
BIEの社員の一人が云った。「社長、間違えたものは仕方ありません。これを売れば罪になるでしょうが、売らなければ単なるミスです。パリサンダーの中に入れて、日本に出荷しましょう。その代金を請求しなければいいのです」。それを聞いたジルス・ベド社長は笑い出した。社員の云ったことを要約して私に説明してくれた。私は同意した。間違えたものは仕方がない。私もお世話になっている新木場の業者にこれをタダで差し上げてしまおうと心に決めた。
間違えて切ってしまった樵も、それをフリッチに加工してしまった作業員も、事の成り行きの説明を受けて安心したように地面に座り込んでしまった。最初は気軽に考えていたが、許可を受けていない木を切ることの重大さに気が付いたようだった。
前回、木の地肌を見ただけで、私にはパリサンダー、紫檀、それに黒檀の区別がつかないと云ったことをご記憶だろうか。専門家である樵でさえ間違えることがあるのであるから、私に分らなくて当然であると、多少の自信を取り戻した。