TDY、Temporary Duty。アメリカの軍隊用語で出張を意味する。世界の僻地の出張記録!TDYの次は日常の雑感

現役時代の出張記録。人との出会いと感動。TDY編を終え、写真を交えた日常の雑感を綴る。

TDY, Temporary Duty マダガスカル編 28

2014年07月14日 | 日記
 必要な荷物を持って一階に降りていくと、ジルス・ベド社長が嬉しそうな顔をして車から降りてくるところだった。「どうしたんだ?」と聞くと、「マンザ・ケリーに会ったんですよ!久しぶりのマンザ・べでした」と云った。「マンザ」は美人の意で、「ケリー」は少しとか細いの意であるが、この場合は若いの意である。「ベ」は非常にの意である。即ち、「若い美人に会いました。久しぶりの物凄い美人でした」と云ったのである。この辺り一帯はほぼ全員がアフリカ系のサカラバ族、バラ族、マファリ族が主に住んでいる。これらの部族には楽しくなるような美人は少ない。フォー・ドーファンのアンタンヌシ族は同じアフリカ系でも例外的に美人が多い。理由は知らない。「朝早くから、そんな美人に会えてよかったな。そういうのを日本では縁起がいいと云うんだ」と云うと、更に嬉しそうな顔になった。憎めない奴だ。
 
 ベド家のルーツは東海岸のフェナリブ(貿易港のトマシナから100キロほど南に行った所)である。この辺りはベツィミサラカ族の居住地である。この「ベツィミサラカ」はマダガスカル編の11でも少し触れたが、「一致団結」の意味だそうだ。彼の「ザオダヒ」(義理の兄弟)であるジョセ・マリエ・ダヒー氏もベツィミサラカ族である。アンセルメ・ジャオリズィキーが後で云ったことだが、同じアフリカ系である自分でもベツィミサラカの仲間には入り辛いと云っていた。だが、アンセルメ・ジャオリズィキーが彼等から疎外されていたわけではない。だが、何か壁がるように感じていたらしい。


 今朝も順調に作業は始っていた。昨日、私が選んでおいたフリッチは既に製材所に運び終えていた。




 乱雑であった製材工場は、上の写真のように雑然としていた工場は既に片づけられ、材の一部は製材されていた。


 パリサンダーはきちんと四角に切り揃えられていた。これではフリッチではなく角材である。おまけに、切り落とした材で板まで作り上げていた。このような丁寧な仕事は必要ない。汚れを落とすために表面をざっと削ればいいのである。仕事を早く片付けるためにも、以後はそのような方法で行うように伝えた。


 アンタナナリブからジルス・ベドのすぐ下の弟のルイス(向かって右)が応援に来ていた。彼がこの製材工場の作業を仕切っていたようだ。ルイス君は機械、特に新しい機械が好きで、アンテナを高く伸ばせば森の中でも使える携帯電話を持っていた。


 森と製材工場との中継地点。此の中継地を設定したことで作業性が格段に良くなった。


 仕事が終わった後、ホテルに送ってくれるのかと思っていたが、この家に連れてこられた。リビングルームではルイス・ベドが既に寛いでいた。彼は強い酒だ好きで、ラム酒にバニラビーンズを漬け込んだ酒を飲んでいた。かなりアルコールの度数が上ると云っていた。私にもどうかと勧められたが辞退した。以前にも触れたが、マダガスカルのラム酒は世界最高品質と評される時期があった。原料となるサトウキビの育成に適した土地であるとのことだ。


 先に述べたように、アフリカ系が主な住人であるのに、この家にはインド系の、かなりのお年の人がいた。ジルス・ベドとは親しいようだが、紹介されたわけではないのでどのような関係であるかは不明である。だが、察するところ、この家はベド家のもので、この老人はベド家の使用人であり、この家の留守居役のようなものであると想像した。


 BIEの社員と一緒にいるのはどう見てもアラビア系のアンタイサカ族かアンティファシイ族のように見えた。彼等はずっと南の東海岸が主な居住地であるのに、かなり遠くに住んでいることになる。此のアラビア系のオジさんもベド家の使用人のようである。ジルス・ベドはその辺のところを何も云わないので、敢えて聞かなかった。だが、ベド家はかなりの資産家のようである。

 食事が終った後で、ジルス・ベド社長が「お話があります」と云って、私を誰もいない部屋に連れて行った。「C社長の件です。実は、私どもとの取引をどのようにして知ったか知りませんが―恐らく中国人を通してだと思いますが―C社長が自分の取引先を横取りするなと云ってきているのです。貴方と長く取引なさっていたことは知っています。この仕事をC社長にお返ししてもいいのですが、正当な理由もなしに相手の要求を受けるわけにはいきません。それに、我々の仕事は既に始っています。義理の兄(ジョセ・マリエ・ダヒー商務官)に相談したところ、義兄はフランスに出張しているアンセルメ・ジャオリズィキー課長に調査を依頼してくれました。課長は来週に帰ってきます。帰り次第すぐに調査をすると約束をしてくれたそうです。貴方が、C社長との仕事を復活させたいとおっしゃるなら、それはそれで結構です」と云った。
 意外な話を聞いた。C社長は全ての財産を失ったと聞いた。パリサンダーを輸出するには相当な資金が必要である。彼を復活させるために、彼と再び取引をするのはやぶさかではない。而し、何か裏がありそうだ。しばらく考えてから「とにかく、このやりかけた仕事はBIEとやり遂げよう。その後のことはアンセルメの調査が終ってから相談すればいいと思う。それでどうだろう?」と云うと、ジルス・ベドはホッとしたような顔をした。そして笑顔が戻った。


 朝早くにホテルのレストランに降りてきたが、まだ朝食の支度が出来ていなかった。朝の6時前の時間は涼しく、此処がアフリカなのだろうかと疑いたくなるほど清々しかった。


 道路の見える場所に陣取り、外を見ていたが、人は全く歩いておらず、何故か人力車が放置されていた。




 製材工場に運ぶ準備がどんどん進められていた。ジルス・ベド社長は頭の回転がかなり良いようで、私の要求を的確につかむと、作業員に指示を与えた。BIEの社員に聞いたところ、ジルス・ベドの指示は大まかであるが、作業員がよくその意を汲んで仕事をしているようだ。最初はどうなるものかと心配したが、この説明を聞いて安心した。以後、私は何もせず、口も出さずにいた。選木もBIEの社員がやり、判断がつかぬ時だけ私に聞きに来た。


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4 コメント

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マダガスカルの人脈 (Jamco)
2014-07-14 13:50:53
M/Mさん、いつも読んで下さり感謝致しております。マダガスカルで、一人と仲良くなると、次から次へと紹介され、そのうちに名前も覚えられないほど、大勢の人と知り合ってしまいました。軸になったのはアンセルメ・ジャオリズィキー課長でした。
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C社長 (Jamco)
2014-07-14 13:47:08
旅好きさん、C社長の件でご心配をおかけしているようですが、あの時はアンセルメ・ジャオリズィキー課長がヨーロッパから帰って来るまで待つしか手の打ちようがありませんでした。C社長の連絡先も不明でした。
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人のつながり (M/M)
2014-07-14 13:34:41
今回も楽しく読ませていただきました。回が進むにつれ、Jamcoさんの人脈の凄さが伝わってきます。事業は人であると実感しています。
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厄介ごと (旅好き)
2014-07-14 13:16:29
仕事が順調に進んでいる中、C社長が出てくるとは厄介なことになりましたね。上手に処理できたでしょうか?
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