アンツォヒヒはマジュンガからは東北に200キロほどの所にある。マダガスカルで一番暑いと聞いていたマジュンガよりは遥かに暑かった。アンタナナリブから北へ直線で約500キロなので飛行機ではそれほどの時間がかからない筈であった。而し、マイクロバスより細い胴体に翼をつけたような小さな飛行機で、しかも途中の小さな飛行場に立ち寄ったのでかなりの時間がかかった。だが、退屈はしなかった。真っ白い髭を生やしたフランス人のパイロット―機長であり、客室乗務員でもあるただ一人の乗員―は、席も近かったので私に飛行機の操縦法を教えてくれた。操縦させてくれたのではない、操縦法を教えてくれたのである。それだけでも、小型飛行機を操縦出来る気分になった。アンツォヒヒに着く前に途中の小さな飛行場に降り、乗客を降ろすと直ぐに飛び立った。それ以後はBIEの社員と私とで貸切状態であった。副操縦士の席に移動したかったが、無理に移動すれば操縦の邪魔になると考えて諦めた。だが、私の席からでも飛行機の前方、それに下方も見えた。以前にパプア・ニューギニアでこれよりかなり小さな飛行機に乗った経験があるが、その時は殆どが海の上だけであったので、陸地の上を飛んでいる今回の方がずっと興味深かった。




楽しいフライトも此処までであった。アンツォヒヒは言葉に云い尽くせないほどの暑さであった。砂漠に降りたのかと一瞬思った。陽炎の向こうにバスの停車場みたいな空港小屋があり、辺り一面が白かった。あまりの暑さで、空港についての記憶はこれだけしかない。空港小屋までどうにか辿り着くと古いルノーのタクシーが我々を待っていた。私とジルス・ベド、それにBIEの社員の一人が乗ると、タクシーはすぐに走り始めた。残りの社員は気の毒にこのタクシーが引き返すまで小屋で待つはめになった。


道路から2、3メートル引っ込んだ所にバンガローが並んで建っていた。モロンダバ(マダガスカル編の9~12をご参照願いたい)のバンガローよりは大きく、しっかりと作られていた。


中に入ると、外の暑さからは全く想像がつかないぐらいの涼しさであった。どのような建方をしてあるのか想像出来ないが、熱を完全に遮断してあることは確かだった。エアコンはないが天井に大きな扇風機があった。而し、今はそれを廻す必要がないほど涼しかった。
別棟に、本格的な木造の建物があった。そこにはオーナーと従業員の住居、キッチン。その横には15人ほどが一緒に食事の出来る食堂があった。ウィークデーの朝食と夕食は此処ですることになるのだが、窓からはたくさんの風が入り、非常に涼しかった。気温は非常に高いが、湿度が低いため直射日光を遮れば、かなり涼しく凌げることが分かった。但し、屋根は熱を遮断する特別な工夫がなされていたのだと思う。
お昼に出されたアヒルのフライが旨かった。両手の指を油まみれにして夢中になって食べた。ジルス・ベド社長が「これから森に行きますので、充分に食べて下さい」と云っていたが、云われなくたってこんな旨いものはたくさん食べる。意地汚いと思われようが気にならないほど旨かった。


白く丸で囲んであるのはバナナの花である。アメリカのスーパー・マーケットでサラダの材料として野菜売場にあるのを見たことはあったが、実際のバナナの樹(?)にぶら下がっているのは初めて見た。

バナナ畑のオーナーの家族が遅めのお昼を食べていた。軒下に居れば涼しいだろうに、このご婦人は軒の外に出て食事をしていた。まるで日光浴でもしているように感じた。

バナナ畑のご近所の一家。私がバカチョンカメラを持っているのを見ると、一家の写真を撮ってくれと手ぶりで頼まれた。

やっとパリサンダーの生える森に着いた。ジルス・ベドは下の川を指差しながら、「伐採地はあの川の向こうにあります」と説明してくれたが、橋はどこにも見当たらなかった。

下に降りていくと、子供たちが川の中で楽しそうに遊んでいた。「あの子たちはパチンコで魚を獲っているのです」とジルス・ベドが笑いながら説明してくれた。「パチンコで魚を?」と私は聞き返した。我々が子供のころ遊んでいた例の「パチンコ」、木の三又とゴムを利用して石を飛ばす、あのパチンコであるか確かめた。確かにそうであった。ジルスの説明では、乾期には水が少なくなるため、魚は通常の方法では泳げないので、横になって泳ぐのだそうだ。だからパチンコで容易に魚に命中出来るらしい。ヒラメやカレーはそのような構造になっているが、普通の川魚が横になって泳ぐなど実物を見るまで信じられなかった。確かに器用に泳いでいた。残念だが泳いでいる写真は撮れなかった。偏光(PL)フィルターの使える一眼レフでなければ、水面の反射で泳いでいる魚は撮れなかった。

森の民が夕食用に焼いた魚。子供たちがパチンコで獲った魚である。私が写真を撮りたいと云うと、一番いいお皿に乗せてくれた。20センチほどのこの魚は白身で味は蛋白であったが非常においしかった。

森の民のおかみさんは、「もう少しでご飯が炊き上がるから、一緒に食べていかないか?」と勧めてくれたが、感謝して遠慮した。是非食べたかったが、太陽は山の向こうに落ちようとしていた。暗い山道を車で走るのは非常に危険である。




楽しいフライトも此処までであった。アンツォヒヒは言葉に云い尽くせないほどの暑さであった。砂漠に降りたのかと一瞬思った。陽炎の向こうにバスの停車場みたいな空港小屋があり、辺り一面が白かった。あまりの暑さで、空港についての記憶はこれだけしかない。空港小屋までどうにか辿り着くと古いルノーのタクシーが我々を待っていた。私とジルス・ベド、それにBIEの社員の一人が乗ると、タクシーはすぐに走り始めた。残りの社員は気の毒にこのタクシーが引き返すまで小屋で待つはめになった。


道路から2、3メートル引っ込んだ所にバンガローが並んで建っていた。モロンダバ(マダガスカル編の9~12をご参照願いたい)のバンガローよりは大きく、しっかりと作られていた。


中に入ると、外の暑さからは全く想像がつかないぐらいの涼しさであった。どのような建方をしてあるのか想像出来ないが、熱を完全に遮断してあることは確かだった。エアコンはないが天井に大きな扇風機があった。而し、今はそれを廻す必要がないほど涼しかった。
別棟に、本格的な木造の建物があった。そこにはオーナーと従業員の住居、キッチン。その横には15人ほどが一緒に食事の出来る食堂があった。ウィークデーの朝食と夕食は此処ですることになるのだが、窓からはたくさんの風が入り、非常に涼しかった。気温は非常に高いが、湿度が低いため直射日光を遮れば、かなり涼しく凌げることが分かった。但し、屋根は熱を遮断する特別な工夫がなされていたのだと思う。
お昼に出されたアヒルのフライが旨かった。両手の指を油まみれにして夢中になって食べた。ジルス・ベド社長が「これから森に行きますので、充分に食べて下さい」と云っていたが、云われなくたってこんな旨いものはたくさん食べる。意地汚いと思われようが気にならないほど旨かった。


白く丸で囲んであるのはバナナの花である。アメリカのスーパー・マーケットでサラダの材料として野菜売場にあるのを見たことはあったが、実際のバナナの樹(?)にぶら下がっているのは初めて見た。

バナナ畑のオーナーの家族が遅めのお昼を食べていた。軒下に居れば涼しいだろうに、このご婦人は軒の外に出て食事をしていた。まるで日光浴でもしているように感じた。

バナナ畑のご近所の一家。私がバカチョンカメラを持っているのを見ると、一家の写真を撮ってくれと手ぶりで頼まれた。

やっとパリサンダーの生える森に着いた。ジルス・ベドは下の川を指差しながら、「伐採地はあの川の向こうにあります」と説明してくれたが、橋はどこにも見当たらなかった。

下に降りていくと、子供たちが川の中で楽しそうに遊んでいた。「あの子たちはパチンコで魚を獲っているのです」とジルス・ベドが笑いながら説明してくれた。「パチンコで魚を?」と私は聞き返した。我々が子供のころ遊んでいた例の「パチンコ」、木の三又とゴムを利用して石を飛ばす、あのパチンコであるか確かめた。確かにそうであった。ジルスの説明では、乾期には水が少なくなるため、魚は通常の方法では泳げないので、横になって泳ぐのだそうだ。だからパチンコで容易に魚に命中出来るらしい。ヒラメやカレーはそのような構造になっているが、普通の川魚が横になって泳ぐなど実物を見るまで信じられなかった。確かに器用に泳いでいた。残念だが泳いでいる写真は撮れなかった。偏光(PL)フィルターの使える一眼レフでなければ、水面の反射で泳いでいる魚は撮れなかった。

森の民が夕食用に焼いた魚。子供たちがパチンコで獲った魚である。私が写真を撮りたいと云うと、一番いいお皿に乗せてくれた。20センチほどのこの魚は白身で味は蛋白であったが非常においしかった。

森の民のおかみさんは、「もう少しでご飯が炊き上がるから、一緒に食べていかないか?」と勧めてくれたが、感謝して遠慮した。是非食べたかったが、太陽は山の向こうに落ちようとしていた。暗い山道を車で走るのは非常に危険である。
マジュンガより暑かったのは確かです。而し、森に入ると樹木で直射日光が遮られます。その上空気は乾燥していましたので、体感温度はそれほどでなかったと思います。