8日、社用でFMを聴きながら運転していると、松岡佑子さんが
ある番組のゲストで出演されていた。彼女は、あのハリーポッター
の訳者である。何気なく聴いていたら彼女の亡夫は、日本ALS協会を
立ち上げた方だという。
母が亡くなったのは、1997年9月11日。ダイアナ妃が事故で亡くなって
まもなくの事だった。母の病名はALS。筋萎縮性側索硬化症という、
全身の筋肉が動かなくなる難病だった。母の場合、ろれつが回らなく
なり脳障害かと思われたが脳に異常は無く、半年か一年後にALSとの
告知を受けた。その時に訪ねに行ったのが日本ALS協会の松岡さんだった。
松岡さんには、この病気の受け止め方、生活介護等について親身に
なって教えていただいた。
この病気は原因が解らない以上、治療ができないと西洋医学にはさじを投げられ
対処療法しかないとの事。その後、東洋医学や気功など、よかれと思うことは
すべて行ったが効果はさほど上がらなかった。
・東京から静岡まで日帰りで難病に有効との鉱泉水を処方してもらいに行った事。
・やせ細った身体でウォーキングのリハビリをしていた母の姿。
・気功師について南の国まで転地気功療法をしに行った事。
・筋肉触手療法に通った事。
・告知後に父と母と三人で見た神田川沿いの切ない満開の桜。
・筆談での会話や、ボイスコミュニケーション機器による会話。
・実家へ泊りがけで一日置きに通った夜通しの介護。
・介護ベッドから右手を弱々しくあげた母の最期の姿。
まるで亡母が、たまには思い出して頂戴ねと言っているかのように
いろいろなことが思い起こされた一日だった。
松岡佑子さんは、翻訳、通訳の仕事をしながら、亡夫の出版社を引き継ぎ、
またALS患者の支援に取り組んでおられる。
多くの場合、人工呼吸器なしでは長く生きられないこの病気は、
人間の尊厳とは何か?生きるとは何か?など多くの問いかけを投げかける。
どうぞ、ALSの患者さんやその家族の力となるべく、そしてハリーポッター
のような夢見る心をこれからも与え続けて頂きたいと思います。