2006.7.9 横須賀・観音崎付近にて シロツメクサのお花畑
7月6日、7時6分(南無、南無)、いたずら好きな義母らしく、
数字・語呂合わせをして、あの世へ旅立っていきました。享年75歳。
6月24日、ICUに入って以来、危篤の知らせで駆けつけること4度。
いずれもpawの仕事がちょうど終る頃の呼び出しで義母も気を使った
のでしょう。
そして、寂しがり屋でもあった義母は、皆を驚かせて何度も呼びつけた
のではないでしょうか。
ICUに入って以来、麻酔投与の為、意識は戻りませんでしたが、
’イケメンのお医者さんだよ’の声に、目を見開いたとか・・・^^;
意識が戻らなかった為、義父や子供たちそれぞれの中に、義母は
自己投影されていきました。
その為、亡くなってから葬儀の事で、もめましたが、
湯灌を執り行い、義母がとても綺麗に死化粧されると
各々のわだかまりも解けて一つの方向へと向かっていきました。
ママちゃん、(義母の事をそう呼んでいた)お疲れ様でした。
ゆっくり休んでくださいね。
そして、無事に旅先へと辿り着きますように祈っています。合掌
7月6日、7時6分(南無、南無)、いたずら好きな義母らしく、
数字・語呂合わせをして、あの世へ旅立っていきました。享年75歳。
6月24日、ICUに入って以来、危篤の知らせで駆けつけること4度。
いずれもpawの仕事がちょうど終る頃の呼び出しで義母も気を使った
のでしょう。
そして、寂しがり屋でもあった義母は、皆を驚かせて何度も呼びつけた
のではないでしょうか。
ICUに入って以来、麻酔投与の為、意識は戻りませんでしたが、
’イケメンのお医者さんだよ’の声に、目を見開いたとか・・・^^;
意識が戻らなかった為、義父や子供たちそれぞれの中に、義母は
自己投影されていきました。
その為、亡くなってから葬儀の事で、もめましたが、
湯灌を執り行い、義母がとても綺麗に死化粧されると
各々のわだかまりも解けて一つの方向へと向かっていきました。
ママちゃん、(義母の事をそう呼んでいた)お疲れ様でした。
ゆっくり休んでくださいね。
そして、無事に旅先へと辿り着きますように祈っています。合掌