6/10にウミウシ探索に行った海は、三浦市三崎町諸磯の浜、通称「きつね浜」というところです。どうして、
この浜を知ったかというと、誰だったかの日常生活を記したエッセイの中で、この浜でウミウシを見つけたと
書いてあったからです(ググったけどわかんない^^;;)
海へ続く道で出逢った「ハナグモ」
花の近くによく見られ、花に集まる虫を捕食しています。
花は、トキワツユクサ(常磐露草)の花(後日、植物カテゴリーで紹介する予定)
浜諸磯・キツネ浜の四角い灯台
この日は珍しく人が多かったです。(といっても数えられる・笑) シーカヤックも上陸して、楽しんでました。
ゴミグモ 何処にクモがいるか解りますか? 完全にゴミのように擬態しています。
諸磯神明社 この左脇に小桜姫神社があります。
小桜姫神社 ポジションを選んで、一発目に撮った写真が、この写真です。神社裏手の森の一部から木漏れ陽
が差し込んでいるとは全く気が付かなくて・・・。それにしても凄いハレーションで、なにかとても高揚します(笑
では、今一度、紹介しておきますね。
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海への入り口付近に、諸磯神社があります。神社の左側奥の右側の社が小桜姫をお祀りする「若宮神社(小桜姫
神社)」。ここへ来ると、必ず、姫さまに逢いに行きます。姫さまは、浅野和三郎の妻、多慶子(霊媒)さんを通して
霊界の様子などを詳細に語りました。昭和12年頃に出版された日本スピリチュアリズム史上最高の霊界通信
『小桜姫物語』は、こちらに紹介しておきます→amazonページ
また、このサイトでは、現代語訳で無料で読むことができるんですよ→小桜姫物語
小桜姫は、相州荒井《そうしゅうあらい》の城主三浦道寸《みうらどうすん》の息子、
荒次郎義光《あらじろうよしみつ》という武士の妻。時代は足利時代の末期、今から四
百年ぐらいの昔です。
小桜姫の生家は鎌倉にありました。父の名は大江廣信《おおえひろのぶ》、代々鎌倉幕
府に仕えた家柄で、父もやはりそこに勤めていました。母の名は袈裟代《けさよ》とい
い、加納家から嫁いできました。両親の間には男児はなく、小桜姫のみ。
小桜姫が三浦家へ嫁ぎましたのはちょうど二十歳《はたち》の春。それから荒井城内で
十幾年の武家生活を送りました。北条某に戦争を仕掛けられ、何回かの激しい合戦をし
ました。そして三年越しの篭城《ろうじょう》の末、三浦の一族は、夫をはじめとして
ほとんどの者が城を枕に討ち死にしてしまいました・・・・・まずは要約文をお読み下さい→要約文
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諸磯神明社 海側の鳥居
長閑な光景なんです。。。。。。奥の方は、油壺マリンパークです。
まるまる太ったネコちゃんも参道でごろんちょしてました^^ 餌がいいのかな?
梅雨の合間、天気もよくて、長閑のんびり~、まったり~、魂の栄養いただきました^^