つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

PANGとお掃除

2011-10-02 18:59:10 | 日記
送別の品として頂いた淡いオレンジの色味のバラやガーベラのブーケをマグカップに活けた。
花なら造花もドライフラワーもどきどきするのだが、やっぱり生花が一番どきどきする。

造花の永遠性とか、ドライフラワーの時の止まった感じとか、それもいいけれど、やっぱり生花の艶かしさがいい。
水を湛えていてしなやかで柔らかくて、凛として強いのに、儚い。

私はあまり人や食べ物の写真を撮らない。
携帯のカメラのデータはほぼ花の写真だ。
ただ、花のように美しいケーキなどは写真に撮ることもある。
家に迎え入れた花たちは、造花もドライフラワーも生花もとりあえずみんな撮影する。
もちろん外に咲いている花も撮る。

今回のブーケも狭いベランダに出して、いろんな角度から撮影した。
花の中を覗き込んだり、青空をバックにしたり、裏側から撮ってみたり。
濃いオレンジ色のガーベラを2つアップにして撮ると2つ並んだ笑顔のようだった。

最近また加速度を増して、花が好きだ。
京都に行って植物園に行ってしまうくらい、もう置くところも飾るところもないから花を買い控えているくらい、自分で撮った写真を携帯で見てどきどきしてしまうくらい、「どこに一番行きたい?」「花畑」と答えるくらい、地元に帰って1時間半かけてヒマワリ畑に連れてってもらうくらい、お気に入りの花柄のスカートを色違いで買ってしまうくらい、花の絵を買ってしまうくらい、花が好きだ。
東信さんというフラワーアーティストの方の作品に出会ったのも影響が大きい。

2日が経って、小さな花の集まりの脇役の蕾が花開き始めた。
4日が経って、バラの花が最初に朽ち始めた。
枯れるというより、朽ちる。

ブログを止めている間、私は縁とか運とかタイミングとかをいい意味で感じられる嬉しい出来事がいくつかあった。
縁も運もタイミングも、そうと感じた瞬間を感じ取った後は、努力も要る。

確かに、マンションの隣人の顔を知らない大都会に住んでいるし、昔の日本社会のように醤油を借りに行くこともない。
でも、だからこそ大切なものが見えやすい気がするし、大切にする必要性もあるものだと思う。
現代は関係性が希薄なのではなく、希薄にしているのはその個々人であると思う。
他人と関係性を長く密に保つには、そう思う者からの能動的な行動以外には難しい。

自分と他人は疑いようもなく別のもので、似ていると感じることも妄想であるかもしれない。
だから自分が自分を一番好きでいることは正しいことだとも思う。
でも、それでもなお、他人と作る時間が愛おしく思えるから、自分の枠を少し越えても努力を厭わない。

誰かといることは自分一人の都合で成り立たない。
だから縁とか運とかタイミングとか、そんな不意なものを感じ取れる心の鋭敏さをいつも持っていたい。

単純な好き、と、心からの尊敬。
「あなたといると笑顔が増える」
それをする側としてもされる側としても、そして過剰な私が持ってしまいがちな期待や感じ入ってしまう性質さえも、全部一旦受け入れてそれに恥じない行動を取りたい。


夏の肌掛け布団を洗濯して、羽毛布団を出した。
ベッドが大きく膨らんで部屋が狭くなったように感じて、この前捨てようかどうか迷っていたものを捨てた。
オープンな感じのサンダルをしまって、パンプスとブーティを出す。
冬は夏より、何かと嵩張る。

曇りの秋空は、早く家に帰らないと、という気分になる。