つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

巻き戻し版

2011-10-04 22:52:29 | 日記
コントラストが強い感じが好きだ。

空が高い。
秋の空は、高く遠く、まっすぐで混じり気がない。
私は満天の星空に思うのと同じくらい、秋の空に落ちたいと思う。

スカイダイビングで空から舞うことはできても、空に向かって舞うことはできない。

私は私の目で見ているものしか見えないから、“あの人の目”という眼鏡があったら面白いなと思う。
見えているものも、見えている色もきっと違う。

秋晴れ、昼下がり、気持ちのよい公園、凛とした光、金木犀の香り。
まだ枯れ葉の匂いはしない。

温かいものが食べたくて、お味噌汁を作る。
いつもの赤だし。
そういえば幼い頃、けいこに「出汁を取っておいて」と言われて鰹節を煮立てて、出汁がらを残して出汁を流したことがある。
必要なのは出汁がらの方だと思っていた。

今日はだしの素を使う。
なめこと絹ごし豆腐。
けいこの作るお味噌汁には、なめこは入らないし豆腐もたいてい木綿だ。

今日もPANGを聴きながら、帰り道は、ずっと下り坂。



童顔な情熱

2011-10-04 00:15:51 | 日記
2年前となんだか同じ思いをした。
あのときも確かに不甲斐ない思いをしていた。
あのときもおそらく私は驕ったような見方をしていただろう。

でも2年前は、その不甲斐なさは、秋の夜風がきれいにさらってくれて、翌日の不甲斐なさはまた無関心を装うことで隠すことができたりもした。
次第に不甲斐なさを感じることすらもなくなって、いつしかまた驕ったようになってしまっていた。

しかしまたそれをリセットしてゼロに立つと、圧倒的な不甲斐なさに見舞われた。
脆くて危うくて、情けない。
無関心を装ってやり過ごすことなど到底できないし、慣れがどうにかしてくれる問題でもない。

超方向オンチな私が、現在位置も目的地もわからないまま、目の前の壁の大きさや高さも、その先にあるであろう建物の色も質感も、もっと言えばそれに対する自分自身の大きさですらうまく把握ができなくて、きょろきょろしてみたりうろうろしてみたりしゃがんでみたりしている。
そんな感じだ。
とりあえず謝りたいが、謝る前にすることがあるだろうと自分自身に言ってみる。

私は根が小心者だが、一瞥しただけではそれとは逆に見えることも知っている。
しかし今回は、そう見えるとか見えないとか、無関心とかクールとかそんなことを言っているわけにはいかない。

明らかに、今不甲斐なさを感じるのは早すぎる。
でも、不甲斐なさに危機感を感じるのは遅いくらいだ。

常に背後にいる客観的で小心者でリスクヘッジばかりの私がいつもはなかなか言わせてくれないけど、今日は初日だから自分に言う。
親にだって言われたことはない。

自分で動きなさい、力強く。そしてやりきりなさい。と。