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つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

周波数

2011-10-19 21:16:57 | 日記
NUMEROやELLEやVOGUEなどの海外系雑誌とwebを頻繁に見るようになって、そこから行ったところや買ったものが結構ある。
写真や絵画などの展覧会や個展、映画や化粧品。
私は見事にそれらの雑誌のターゲットの中にいるのだと思う。

特にNUMEROはコンテンツがまさに私に突き刺さってくるものがたくさんあった。
フラワーアーティストの東信の作品に出会ったのもNUMEROだし、烏賀陽弘道や中野裕太のコラムやHandmanなどのコンテンツが好きだ。
眺めるだけの雑誌ではなくて、読み物としても楽しめる雑誌。

雑誌が月刊で出ることの意味や、雑誌ってこうやって読むのか、と相当に遅ればせながら知った。
編集長の田中杏子さんのことまで少し調べてしまった次第である。

言葉の相性、というところの話かもしれないが、ライターによって生み出される文章はその人が言葉を自分のものとして扱っているかという点によって“読ませる”ということが可能になるのだと思う。
ただ雑誌そのもののコンセプトによってライターは自分の思い通りに書けない、ということもあるのかもしれないが、やはり書き手が主導を握ってほしい。
もちろん、一貫した世界観、というのは重要だと思うし、全体の世界観の中でのライターの芯、といったところだろうか。
私はNUMEROのその全体の世界観がまず好きだ。

雑誌にブランド物の付録をつけて売上を伸ばす策はいいものの、買い手に雑誌本体は要らないので付録5個買えませんかとか言われてしまう本末転倒な昨今、私のような存在は雑誌の作り手からすると雑誌冥利に尽きるだろう。

もちろん、売れることは大事だ。
というよりそれが大半の意義であるし、売れなければ最終的には打ち切りになってしまうだろう。

雑誌が流行を創るのか、流行を雑誌が後押しするのか。
両方の要素を持ち得ると思うし、より売れる方、という選択は正しいと思うが、私は作り手の意志や頑固さを見たいと思う。
消費者ありき、の上で、作り手の趣味・嗜好、想いも見たいと思う。

透明な水に赤いインクを溶かすと水の量で色の濃さが決まるように、あまりに広く遍くのターゲットにしてしまうと、内容は薄まってしまう気がする。
NUMEROのターゲットが狭いかどうかとか作り手の趣味・嗜好が強いかとか実際のところは知らないが、今の感じなら私は折を見て買うだろう。

私はもともと雑誌は全然読まなかった。
流行にあまり興味がないので、年に2回くらい暇つぶしに買うくらいだった。
コンサバな雑誌には共感できないし、そのようなもので参考になったりどきどきするような服やデザインやコンテンツがない。

ただそれは単に私が雑誌について無知であったというだけで、本当は昔から面白い雑誌というのはあったのだと思う。
それと、私自身が好きなもの、が確立されてきてアンテナが立ってきたのだろうし、そのアンテナが利くようになってきたのだと思う。

ちなみにブックオフでNUMEROのバックナンバーが売っていると買ってしまう。


今日は5時くらいに空が幻想的に夕焼けていた。
オフィスから見える狭い空。
和紙で透かしたようなぼんやりとしたオレンジ色。
そこからの淡いパープルへグラデーション。
息を吹きかけたらグラデーションの具合が動きそうな。

明るくないけど、暗くない。
辺りは時間がまっすぐ進んでいないかのような不思議な色合いに包まれた。

それはほんの一時のことで、透け感が次第になくなっていった。
夜が濃度を増していく。