「将来人に教えたり、自分の個展を開いたりしたいとか思うの?」
と書道の先生に聞かれて初めて思ったのだが、私はそういうことのために書道をやっているわけではない。
人に教えることはできるのであればいずれありかとも思わなくもないが、今は書道を勉強すればするほど教えるなどおこがましいと思うし、まして個展を開いて誰かを集めて見てもらいたいなどと考えたこともない。
趣味としてこんなことをやっているということを分かりやすく伝えるために作品の写真を見せたり、高い出品料を払ってもったいないという理由で展覧会に友人を連れて行ったことはある。
しかし基本的には筆で字を書くことそれ自体が気持ち良かったり、先生や他の人の発想に見とれたり、“創る”ということの訓練だったりのためにやっている。
何かを創作したいという欲求は露出願望、つまり自分のことを見せたいという欲求にあたると思うのだが、私の場合まだ創作という域に達していないのだと思う。
お手本があって、真似をすることで私の中の満足に達してしまうのだ。
創作物に自分が投影され練り込まれているほど観客を必要とするのだとすると、私も自分の発想で創作をするようになればもしかしたら個展を開きたいと思うようになるのかもしれない。
アートというのはその道に精通している人か、もしくは作り手に興味があるとかその感覚にヒットする人以外は、観客を困らせることがあると思う。
だから決して押しつけてはいけないものだと思うし、感想はあくまで観客の自由であり、作り手はそれを見せるのであれば謙虚である必要があると私は思っている。
と同時に、自分が練り込まれいるものであるほどに期待してしまい評価も気になるもので、褒められればそれはそれは幸せなことだろうと思う。
完全に自己完結できるアートというのはとても健全でとても貴重であると前に書いたが、やはり創作欲求のある人は露出狂的な部分がある気がする。
自己完結できるアートも素晴らしいが、観客があって初めて作品として完結する、というあり方も、どちらかというとこちらの方が自然であるのかもしれない。
夜道を音楽聞きながら自転車で走るのが気持ちよくて、昨日は小雨が降っていたけれど、いつもの隣の隣駅までの遠回りの道をもう1周した。
PANGだったりレディーガガだったり、斉藤和義だったりPUSHIMだったりsuperflyだったり。
そんなことが最近気持ちがいいと友人に言ったら目を細めて「いいね、そういうの」と言って喜んでくれた。
私には所謂かっこいい熱い男が言いそうなことをいう女友達がいたり、当たり障りのある話をできる人がいる。
なんて恵まれているんだろうと思う。
他者がいて完結する自己と自己によってのみ完結される自己。
どちらも、本当だ。
と書道の先生に聞かれて初めて思ったのだが、私はそういうことのために書道をやっているわけではない。
人に教えることはできるのであればいずれありかとも思わなくもないが、今は書道を勉強すればするほど教えるなどおこがましいと思うし、まして個展を開いて誰かを集めて見てもらいたいなどと考えたこともない。
趣味としてこんなことをやっているということを分かりやすく伝えるために作品の写真を見せたり、高い出品料を払ってもったいないという理由で展覧会に友人を連れて行ったことはある。
しかし基本的には筆で字を書くことそれ自体が気持ち良かったり、先生や他の人の発想に見とれたり、“創る”ということの訓練だったりのためにやっている。
何かを創作したいという欲求は露出願望、つまり自分のことを見せたいという欲求にあたると思うのだが、私の場合まだ創作という域に達していないのだと思う。
お手本があって、真似をすることで私の中の満足に達してしまうのだ。
創作物に自分が投影され練り込まれているほど観客を必要とするのだとすると、私も自分の発想で創作をするようになればもしかしたら個展を開きたいと思うようになるのかもしれない。
アートというのはその道に精通している人か、もしくは作り手に興味があるとかその感覚にヒットする人以外は、観客を困らせることがあると思う。
だから決して押しつけてはいけないものだと思うし、感想はあくまで観客の自由であり、作り手はそれを見せるのであれば謙虚である必要があると私は思っている。
と同時に、自分が練り込まれいるものであるほどに期待してしまい評価も気になるもので、褒められればそれはそれは幸せなことだろうと思う。
完全に自己完結できるアートというのはとても健全でとても貴重であると前に書いたが、やはり創作欲求のある人は露出狂的な部分がある気がする。
自己完結できるアートも素晴らしいが、観客があって初めて作品として完結する、というあり方も、どちらかというとこちらの方が自然であるのかもしれない。
夜道を音楽聞きながら自転車で走るのが気持ちよくて、昨日は小雨が降っていたけれど、いつもの隣の隣駅までの遠回りの道をもう1周した。
PANGだったりレディーガガだったり、斉藤和義だったりPUSHIMだったりsuperflyだったり。
そんなことが最近気持ちがいいと友人に言ったら目を細めて「いいね、そういうの」と言って喜んでくれた。
私には所謂かっこいい熱い男が言いそうなことをいう女友達がいたり、当たり障りのある話をできる人がいる。
なんて恵まれているんだろうと思う。
他者がいて完結する自己と自己によってのみ完結される自己。
どちらも、本当だ。