小さな個展だった。
期待していた花はなかったけれど、大量の葉で創られた作品は植物の血が息づいていて、妙な艶感でいっぱいだった。
ただ活けたりするだけではなくて人の力で襞を作ったり曲げて押しこんだりする。
それでも植物が生気を失っていないところがすごい。
これをやろうと思ったその発想と、実際のものとして魅せる実現力。
本当に作り上げる、というところがすごい。
たぶん微妙なセンスがなかったり、現実的な想像力が欠如していたら成り立たない。
そしてたぶん微妙なセンスのなさや、現実的な想像力の欠如は、ど素人の目にもわかってしまうくらいの駄作にしかならない。
最近東さんの追っかけみたいになっている。
『南極大陸』の日曜日を「ドラマ曜日」に認定することにした。
やっぱり『海猿』的要素が多々あって、観ていて気持ちがいいし安定感がある。
どんなに熱くても、どんなに困難が立ちはだかっても、穏やかさの中で観られる日曜の夜にはもってこいのドラマだ。
ついでに「EXILE魂」も観る。
GLAYの曲を聞いて中学生の頃を思い出した。
あの頃の私は“快”ということを知らなくて、今思えば鬱屈していた。
考える頭も持たなくて、それをとりあえず話すことも知らなくて、抗う強さも意思すらも持っていなかった。
というか、何が何でどう居心地が悪いのかも分からなかったし、そもそも居心地が悪かったのだと知ったのはもっと大きくなってからだった。
当時私はGLAYよりL'Arc~en~Ciel派だった。
その頃が一番音だけで音楽を聞いていたかもしれない。
全然音楽好きではなかったが、心地のいい音、リズム、曲調に忠実だった気がする。
不思議なことにあの頃に聞いていた曲の歌詞の意味を、私はほとんど、考えたことがない。
だから、今改めてGLAYの曲を聞いて、歌詞を聞いて、こんな歌だったのかと少し驚く。
考える術を持つことができて、少々面倒なこともあるけれど、私はよかったと思っている。
それにしても自分が何に“快”であるかに鈍かった。
その発想すら持っていなかった。
そんな状態でよくやっていたと思う。
期待していた花はなかったけれど、大量の葉で創られた作品は植物の血が息づいていて、妙な艶感でいっぱいだった。
ただ活けたりするだけではなくて人の力で襞を作ったり曲げて押しこんだりする。
それでも植物が生気を失っていないところがすごい。
これをやろうと思ったその発想と、実際のものとして魅せる実現力。
本当に作り上げる、というところがすごい。
たぶん微妙なセンスがなかったり、現実的な想像力が欠如していたら成り立たない。
そしてたぶん微妙なセンスのなさや、現実的な想像力の欠如は、ど素人の目にもわかってしまうくらいの駄作にしかならない。
最近東さんの追っかけみたいになっている。
『南極大陸』の日曜日を「ドラマ曜日」に認定することにした。
やっぱり『海猿』的要素が多々あって、観ていて気持ちがいいし安定感がある。
どんなに熱くても、どんなに困難が立ちはだかっても、穏やかさの中で観られる日曜の夜にはもってこいのドラマだ。
ついでに「EXILE魂」も観る。
GLAYの曲を聞いて中学生の頃を思い出した。
あの頃の私は“快”ということを知らなくて、今思えば鬱屈していた。
考える頭も持たなくて、それをとりあえず話すことも知らなくて、抗う強さも意思すらも持っていなかった。
というか、何が何でどう居心地が悪いのかも分からなかったし、そもそも居心地が悪かったのだと知ったのはもっと大きくなってからだった。
当時私はGLAYよりL'Arc~en~Ciel派だった。
その頃が一番音だけで音楽を聞いていたかもしれない。
全然音楽好きではなかったが、心地のいい音、リズム、曲調に忠実だった気がする。
不思議なことにあの頃に聞いていた曲の歌詞の意味を、私はほとんど、考えたことがない。
だから、今改めてGLAYの曲を聞いて、歌詞を聞いて、こんな歌だったのかと少し驚く。
考える術を持つことができて、少々面倒なこともあるけれど、私はよかったと思っている。
それにしても自分が何に“快”であるかに鈍かった。
その発想すら持っていなかった。
そんな状態でよくやっていたと思う。