つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

はためく

2011-11-02 15:15:07 | 日記
私は昔から人に恵まれている、と思っている。
昔から、というのは上京してから、つまり大学入学してからである。

私の周りには優しい人が多い。
私が申し訳なくなってしまうくらい、優しい人が多い。
みんなこぞって物事の感度が高い。
そしてみんなそれぞれ自分の言葉を持っていて、その言葉はまた美しくて、その美しい自分の言葉で私を鼓舞してくれたり、褒めてくれたり、励ましてくれたりする。
そしてみんないつも、私が思う以上に優しい。

尊重、ときどき、干渉。
そういう関係。

30歳の記念すべきお誕生日にと、花が大好きな私から、花が大好きな友人へ、大好きなフラワーアーティストの作品を贈った。
私も生の作品を見たかったから、友人宅まで駆けつけて、その作品に会いに行った。

真っ赤なバラを入れてください。
丸くて立派なダリヤを入れてください。
葉脈がはっきりわかる緑の葉っぱを入れてください。
ハッピーなイメージにしてください。
色とりどりの花を使ってください。
できるだけ奇抜なデザインにしてください。

これが私の注文したことだった。
色とりどりで、生命力が漲っていて、一つ一つが主張をしていて、でも全体としての世界観もある素晴らしいものだった。
今回は贈る彼女が喜ぶイメージと私の個人的な趣味のイメージが近いと思ったので、私の自己満足も大いにあった。

私はプレゼントだということを少し置いておいて、最も美しい瞬間の花たちを携帯のカメラでたくさん撮った。
私の既に花だらけの待ち受け画像にも追加で設定した。

私はその彼女に昨日相談ごとをしていた。
いろいろと言ってくれる中であの花の今の姿の写真を送ってくれた。

既に感極まっていたのも手伝って私は泣きそうになった。
そこには、朽ちつつある花たちが写っていた。
時間の経過と、それとともに朽ちるという真実が歴然と写っていた。

最も美しいのは少しの間だけで、朽ちて枯れていくことくらい知っていたはずなのに。
でも、私の待ち受けの写真は今もとても鮮やかで花盛りの写真だから。
悲しいとか切ないとかではなく、大事なことを急に思い出した時に呼吸が締め付けられるような驚きの感情に襲われた。

ここの作品は「朽ちたところまで見てほしい」と朽ちることを想定して作られている。
だから確かに、立派に朽ちている。

人はすぐに朽ちるわけではないけれど、不可抗力な流れの中で、何もかもが変化が止まることはない。
結局、自分一人の時間しか生きられないし、自分一人の痛みしか本当にはわからない。
ある人の時間はある人のものだし、ある人は自分とは関係のないところでも変化を続けていく。
でもそれなのに交われたり共鳴できたりシンクロできる瞬間があるのはなんと奇跡的なことだろうと思う。
すべての変化を前提に、誰かを理解したいと願ったり、誰かに理解してもらえた気がすると喜ぶことで、艶を増すこともがあってもいい。

人に恵まれているなと思えることはとてもとても幸せなことで、私自身の自慢でもある。

花のように美しい色は出せないけれど、
花は短い間で咲いて短い間で朽ちていくけれど。

私は人なので人らしい美しい色を持ちたい。
私は人なので人らしく私らしく立派に、いずれ朽ちていきたい。
欲を言うならそれを誰かが見ていてくれたら、嬉しい。

たくさんのいろいろなつぼみを持っていて、一つ咲いて一つ朽ちる、そして次のつぼみが花開く。
つぼみは“楽しみ”だ。