つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

フレッシュカラー

2011-11-14 01:05:13 | 日記
私はたぶん見る人によってはおっちょこちょいなタイプだとは思われない。
私を評する言葉として「クール」だとか「そつない」とか「ちゃきちゃき」とか「しっかりしている」とか、よく聞く。
確かにそう思われているかも知れないということを自分で認識しつつ、だ。
今やそう思われている人たちへの当然の役割演技もする。

でもおっちょこちょいなところが自分の中に割とある。
おっちょこちょいは自分でコントロールできない。
一人でいるときにそうなることも時々あるが、誰かと一緒にいるときそれが出るのは、その人に対して気が緩んでいる証である。
気が緩んでいる、とは、心を開いている。
おっちょこちょいが出なければ心を開いていないか、というのは違うが、一つの指標ではある。


夏頃に予約した斉藤和義のライブに千葉まで出向く。

11月なんてまだまだ先だとその時は思っていた。
缶詰や薬の賞味期限や、2年後のオリンピックなど、確実にそのときが来ると分かっていても、現時点ではなかなか実感が持ちづらい。
それは未来の月日を経験していないからで、2013年という字面すらも今ここにあるものとしてうまく飲み込めないのだ。
でも実際にそのときが訪れる時にはその月日は現時点になっていて、当然見なれた数字である。
違和感だけが残る。

私は偏った音楽の趣味はない。
彼のこともずっと好きだったわけではない。
好きになったきっかけも覚えていない。

でも彼の書く詞が好きで彼の声が好きで、所謂バンドの音が好きだ。
せっちゃんは思ったよりも背が高くてセクシーで、45歳の人もこういう人なら好きになれるような気さえした。
月並みなことしか言えないが、本当に本当に音楽が好きでやっているんだなと思う。

観客のエンターテイメントとしてのライブと、歌い手のマスターベーションとしてのライブ。
来ている人は彼のファンなのだから、この2つが近い位置にあっていい。

一緒に行った友人は、なぜギターを弾く人にとても惹かれるのか今日納得がいったと言っていた。
その理由はここには書けないが、いろんなことがそれに通ずるものだと思う。

千葉からの小旅行から都心に戻り、日曜日が休みの店が多い私の住む街。
何年かぶりにサイゼリヤに入る。
高校の同級生の私たちは、高校生のときみたいに長居はしなかったけど、ファミレスは時によってはとても居心地のいい場所だと思う。

たくさん笑った。
たくさん喋った。
なんとも贅沢な休日。