いろんなことが決まらない。
いろんなことが進まない。
いろんなことが滞っている。
心に圧力がかかっていることは確かで、その原因が何かも明確にわかっている。
今かかっている圧力は取り除かなければならない類のものだ。
ただその原因を取り除いたところで、新しく圧力がかかることもわかっている。
でもそれはそれ、だ。
とりあえず、今かかっている圧力を自分の欲しいものや見たいものを検索して手に入れることで高揚へと転換する。
浪費癖がある方ではないけれど、浪費したい衝動に駆られて雑誌や本を何冊かアマゾンで購入する。
なんだか状態はあまり良くないのだけれど、疲れていることもあって寝つきはとても良い。
寝るということは、現実の意識が飛んでいるということだから、眠れないというのは大変なことだろうなあとよく思う。
不眠で悩んだことがないということは、たぶんとてもありがたいことだ。
どんなにやりたいことがあったとしても、「寝たい」ということはそれ以上の欲求であって、それが満たされることは、やりたいことが先送りになってしまったとしても、気持ちの良いことなのだと思う。
最近の私は、単純にもっと眠りたい。
私が習っているギターの先生のアルバムを買った。
私はジャズは生以外で聴くことはしないだろうと思っていたので売っていることは知っていたけれど買うことはしなかった。
面と向かっていてそういう雰囲気だったので、良い機会と思って買った。
歌詞のない曲については、最近ようやく、なんとなく、聞き方が分かってきたくらいだ。
聞き方、なんて本当はないのだと思うけれど、私はどうしても音楽はそのメッセージ性や精神性を込みでしか聞けない。
言葉がある方がそれがわかりやすくて安心できるのだ。
分からない、解せない、というようなものを遠ざけているのかもしれない。
ちなみに、音だけが好きだという曲は、1曲も思い当たらない。
iTunesに入れて、流してみるとイヤホンで聞いた方が良さそうで、iPhoneを同期してそこから聞いてみる。
あぁ、バックミュージックではないんだ、と思った。
それは先生の人と為りをある程度知っているからということと、先生が曲作りをするときに幼い時の忘れ去られたような奇妙な感覚を題材にすることがあるという話が私の記憶に残っているからということによるものなのだと思う。
私の中にも幼き頃の何か奇妙なもの、というものが確かにあって、ただ私は自分自身のそれについてはあまり心地の良いものではないので特段興味がない。
と思っていたのだけれど、いくつかの曲によってそれを想起させられた。
奇妙であり、無意識下で直視を避けているような、そんな気がして私の心がどこかの神社の木々のようにざわめく。
その曲がそういうふうに作られたものかは知らないし、ジャズについてもその他音楽についても語るほどの音楽経験はないけれど、初めて歌詞のない曲で私は煽られた気がした。
溢れてしまう思いであっても、深層心理にこびり付いて錆びついた思いだったとしても、気分が良くて遊んで作ったものであっても、どのように創られたものであっても、作り手の思いを聞くことは興味深い。
創作物はすべてが思いが漏れ出でて濃縮されたものであるわけでもなくて、案外、気楽に「あはは」という感じで創られたものも多くて、そんなのも楽しい。
言いたいことを形にする。
形にしたいものを形にする。
「あはは」も込みで。
いろんなことが進まない。
いろんなことが滞っている。
心に圧力がかかっていることは確かで、その原因が何かも明確にわかっている。
今かかっている圧力は取り除かなければならない類のものだ。
ただその原因を取り除いたところで、新しく圧力がかかることもわかっている。
でもそれはそれ、だ。
とりあえず、今かかっている圧力を自分の欲しいものや見たいものを検索して手に入れることで高揚へと転換する。
浪費癖がある方ではないけれど、浪費したい衝動に駆られて雑誌や本を何冊かアマゾンで購入する。
なんだか状態はあまり良くないのだけれど、疲れていることもあって寝つきはとても良い。
寝るということは、現実の意識が飛んでいるということだから、眠れないというのは大変なことだろうなあとよく思う。
不眠で悩んだことがないということは、たぶんとてもありがたいことだ。
どんなにやりたいことがあったとしても、「寝たい」ということはそれ以上の欲求であって、それが満たされることは、やりたいことが先送りになってしまったとしても、気持ちの良いことなのだと思う。
最近の私は、単純にもっと眠りたい。
私が習っているギターの先生のアルバムを買った。
私はジャズは生以外で聴くことはしないだろうと思っていたので売っていることは知っていたけれど買うことはしなかった。
面と向かっていてそういう雰囲気だったので、良い機会と思って買った。
歌詞のない曲については、最近ようやく、なんとなく、聞き方が分かってきたくらいだ。
聞き方、なんて本当はないのだと思うけれど、私はどうしても音楽はそのメッセージ性や精神性を込みでしか聞けない。
言葉がある方がそれがわかりやすくて安心できるのだ。
分からない、解せない、というようなものを遠ざけているのかもしれない。
ちなみに、音だけが好きだという曲は、1曲も思い当たらない。
iTunesに入れて、流してみるとイヤホンで聞いた方が良さそうで、iPhoneを同期してそこから聞いてみる。
あぁ、バックミュージックではないんだ、と思った。
それは先生の人と為りをある程度知っているからということと、先生が曲作りをするときに幼い時の忘れ去られたような奇妙な感覚を題材にすることがあるという話が私の記憶に残っているからということによるものなのだと思う。
私の中にも幼き頃の何か奇妙なもの、というものが確かにあって、ただ私は自分自身のそれについてはあまり心地の良いものではないので特段興味がない。
と思っていたのだけれど、いくつかの曲によってそれを想起させられた。
奇妙であり、無意識下で直視を避けているような、そんな気がして私の心がどこかの神社の木々のようにざわめく。
その曲がそういうふうに作られたものかは知らないし、ジャズについてもその他音楽についても語るほどの音楽経験はないけれど、初めて歌詞のない曲で私は煽られた気がした。
溢れてしまう思いであっても、深層心理にこびり付いて錆びついた思いだったとしても、気分が良くて遊んで作ったものであっても、どのように創られたものであっても、作り手の思いを聞くことは興味深い。
創作物はすべてが思いが漏れ出でて濃縮されたものであるわけでもなくて、案外、気楽に「あはは」という感じで創られたものも多くて、そんなのも楽しい。
言いたいことを形にする。
形にしたいものを形にする。
「あはは」も込みで。
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