つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

雲の図星

2013-06-17 00:26:01 | 日記
100円ショップに諸々を買いに行く。
100円ショップに行くときはいつも、明確な目的があるのだけど、たくさんの100円の物を見ているうちにそれらに飲み込まれて買いに来たものを忘れてしまう。
目的でない他の物を買ってしまうということもあまりないのだけど、3分おきくらいに「で、なんだったっけ」となる。
たくさんの100円の物に思考がものすごい勢いで吸い込まれていくようだ。

だから100円ショップに行くときはいつも、メモを持って行くようにしている。
ホチキス、厚紙、S字フック、白のペンキスプレー。
メモを持って行ってなお、「で、なんだったっけ」と何度も店内で思う。
それらがある区画に辿り着いてなお、「えっと、それで、なんだったっけ」となる。

私は眼鏡をかけていると思考が鈍くなるのだけど、眼鏡をかけて100円ショップに行った日には、通常ならば3分くらいで済みそうな買い物に20分とか時間を要する。
何か別の考え事に飛んでしまうでもなく、たくさんの何か便利そうな物の前で、その物たちについてあれこれ考えを巡らすでもなく、「えっと、それで…」と佇んでいるだけなのだ。
訳もなく目的でない物を手に取っていることもある、その商品が欲しいわけでも、用途を知りたいわけでもなく。
眩暈、というほど大げさなものでもないけれど、たくさんの100円の物にぐるぐるとなっている。

100円ショップの物たちは、コストパフォーマンスが良いものもあるし、そうでないものももちろんある。
総じて、「それっぽい形をしている中身のない物」という認識が私にはある。
100円ショップのフォークはぺらぺらなのである。

私は苦手なのだろうか、100円ショップ。


開塾指導講座がいよいよ大詰めで、私は久しぶりに先生に怒られた。
書いたものの出来栄え云々ではなくて、紙のサイズが違ったから。
というか、一つのまとまった提出物の中で紙のサイズを2種類で出したからだ。
また、それに気づいていたにも関わらず何の申し出もしなかったから。

私は紙の種類が2種類であることに、提出日の朝になって気付いた。
朝まで書いて、そのまま置いて乾かして、少し寝て起きて提出の形に仕上げるときに。
教室で使っている半紙と、私が昔買った半紙のサイズが違ったらしく私はそれを混ぜて書いていた。

一瞬、まずい、と思ったのだが、まあそんなに大したことではないだろう、とそのまま出しだ。
それは全然だめなことのようで、3種類合計25枚ほどの宿題の書き直しを命じられた。
紙のサイズが違ってもまあいいだろう、というのは私の見解で、「サイズではなく内容を見てください」と反論する気は毛頭なく、素直に恥じて返却されたそれを受け取った。

あれを書くのに、どれだけの時間を費やしたかと思うと、怒られたことも手伝って涙が出そうだった。
でも、もう一回あれをやらなければいけないのが身にならないはずはない、とこれについてはそう思えるので今日中に書き直そうと決意する。

私が元々持っている雑さと大胆さによって、普段も先生たちに半ば白い目で見られている。
ペーパーナイフで紙を切るのでさえ、面倒だからとなるべく多くの紙を一気に切ろうとして切り口が汚くなってしまうのも、何度も注意されている。

書道は人によっては、精神統一だとか無だとか癒しだとか、そんなふうな気高いイメージを持っている人も多いようだけど、私にとっては全くそんなことはない。
余白だの線の太さだの墨の量だの割と考えて書いているし、私においては気持ちが高揚しているときの方が創作はしやすい。

かの有名な王羲之の「蘭亭序」も酒に酔っている状態で書かれたものだと言われている。
まあこれについては書に興じる、という域なのだろうから、自分と比べてどうとかもないのだけれど。

作品を大事にしなさい、ということなのだと思うけれど、私はあまり自分で書いたものに興味がないので展覧会に出品した作品が返却されても邪魔だからとすぐに捨ててしまう。
しかし、今年の「情熱の薔薇」は一点選出から落ちたものを捨てられずにいる。
私にとって大事なのは、作品ではなくて、思いの方なのだと思う。

とは言っても、これもおそらく引っ越し時には捨ててしまうだろうと思う。

おしとやかとかたおやかとか、そんなふうな所謂女性らしさみたいなものが、今の私には持ちづらい。
そうでなくとも、何にしたって私は間違いなく女性だけれども、おしとやかとかたおやかとか、そんなふうには見られたくないらしい。

所謂ロックンロールの多くが男性を中心に成されていて、性は本能的にも理性的にも多分に意味を持っていると思っているので、ロックが男性的であることにおいては自分が女であることは少しだけ残念なことに思う。

奥田民生を聞きながら宿題のやり直しをする。
「さすらい」も「MOTHER」も有名な曲だけれど、歌詞が私に入ってきたのは初めてだった。
ユニコーンよりもわかりやすい。

例えば自分のやりたいことや行きたい方向が、何かによって阻まれているとする。
その原因を突き詰めていくと、その行く手を阻んでいるのは紛れもなく自分であることを知る。

そんなことを、考えた。
とても、良かった。

さすらいもしないで、このまま死なねえぞ

やり直しの宿題を書き上げて、郵送する。
缶ビール1本でぱあっとなる。