渋谷AX。
私のミスで、金属バットで友人を殴ってしまうくらいの衝撃を与えてしまったけれど、なんとか2人とも今回のライブに行くことができた。
一時、彼女が猛烈に楽しみにしていたライブを私が奪ってしまったことで、お互いに涙を目に浮かべたわけだけれど、何とかしようと思えば何とかなる類のことであることも学んだ。
楽しみにしていることが不意になくなるのは、「神様がそうさせない理由があったんだよ」という無理やりな納得感で何とか自分をやり込めることができるかもしれない。
でも実際には、その楽しみが奪われた事実は消えないわけで、神様がどうこうというではなくて、楽しみが奪われた事実はやっぱりそれ単体として独立した悲しみだと思う。
だからと言ってずっと悲しみに暮れることが良いということはなくて、その方が嫌なことなので、でき得る限りのことをしよう、とそれしかない。
ちなみに私は「神様」や「仏様」という言葉を自分から発することはほぼない。
インターネットってすごいね、と初めてのオークションで落とした6月5日のチケット。
見知らぬ人から届いたクロマニヨンズのライブ行きのチケット。
友人に届けられたその封筒に書かれた肉筆の文字は、なんだかとても生々しい感じがした。
彼女といつも言うのは、私たちは一人ではここまでできなかったということ。
どれだけ個々に好きだったとしても、一人ではこれに関する楽しさは今の半分だったと思う。
全てのことは個人のものだけれど、一緒にやる、ってこんなに楽しい。
6月6日の余ってしまった1枚のチケットは、会場の入り口でどこかのおじさんが1,000円で買ってくれた。
まったく同じツアーのライブに私たちはたぶん5,6回行くのだけど、ヒロトのMCの7割くらいは毎度同じことを言っているし、セットリストも毎度ほぼ同じなのだけれど、でもだって、何度でも見たいのだから仕方がない。
彼らのライブはある面では、「ロックのライブ」あるいは「甲本ヒロトのライブ」というようなレッテルを貼り付けた上のパッケージ化されたものであるようにも見える。
いつかの記事にも書いたけれど彼らのライブは「慈善事業」みたいにも思える。
でも本当のことが随所に出てしまっていて、というか受け手の私がそれを私仕様に感じやすく感じてしまっているだけというのもある。
それでも、いちいち、彼らがいうことが良く分かるような気がしてしまうのだ。
たぶん、いつまで経っても、私は彼らが大好きなのだと思う。
取り入れるばかりでなくて、私もああいうふうになりたいなあと思う。
インスパイアされつつも、自分のやり方で。
今回のライブはヒロトとマーシーがいつもより大きく見えた。
ヒロトよりのマーシー方面が良かったのだけれど、屈強な波に押し流されてマーシーよりも袖の方になってしまった。
いつも思うけれど、私はライブに頭を振りに行っているわけではないので、やっぱり止まって一生懸命見たい。
また、私はライブを見ながら私はいろんなことを考えているので、できれば観客は後ろで歌わないでほしい。
まあでも、いろんなことがありのごった返しのライブ会場では、私も一観客としての慣習は守らねばならない。
だいぶライブというものにも慣れたので、位置取り、自分の身の守り方、髪の毛の位置、服装、どれもが上手になった。
ありえないくらい着ていたシャツはびちょびちょ。
中に着ていたキャミソールの方が濡れていないくらいだったから、このびちょびちょはほとんど私のものではない。
では、いったいこのびちょびちょはなんだ。
と思うと、鳥肌が立つほどに怖い。
今年もまたフジロックに。
7月の終わりの私はどんなだろう。
悪口と愚痴がこぼれ落ちる
不燃ごみだ回収してくれ
俺はニヤリと不敵な笑みだ
君の眼には銀河が輝きあふれてる
君が救われないんなら世界中救われないよ
私のミスで、金属バットで友人を殴ってしまうくらいの衝撃を与えてしまったけれど、なんとか2人とも今回のライブに行くことができた。
一時、彼女が猛烈に楽しみにしていたライブを私が奪ってしまったことで、お互いに涙を目に浮かべたわけだけれど、何とかしようと思えば何とかなる類のことであることも学んだ。
楽しみにしていることが不意になくなるのは、「神様がそうさせない理由があったんだよ」という無理やりな納得感で何とか自分をやり込めることができるかもしれない。
でも実際には、その楽しみが奪われた事実は消えないわけで、神様がどうこうというではなくて、楽しみが奪われた事実はやっぱりそれ単体として独立した悲しみだと思う。
だからと言ってずっと悲しみに暮れることが良いということはなくて、その方が嫌なことなので、でき得る限りのことをしよう、とそれしかない。
ちなみに私は「神様」や「仏様」という言葉を自分から発することはほぼない。
インターネットってすごいね、と初めてのオークションで落とした6月5日のチケット。
見知らぬ人から届いたクロマニヨンズのライブ行きのチケット。
友人に届けられたその封筒に書かれた肉筆の文字は、なんだかとても生々しい感じがした。
彼女といつも言うのは、私たちは一人ではここまでできなかったということ。
どれだけ個々に好きだったとしても、一人ではこれに関する楽しさは今の半分だったと思う。
全てのことは個人のものだけれど、一緒にやる、ってこんなに楽しい。
6月6日の余ってしまった1枚のチケットは、会場の入り口でどこかのおじさんが1,000円で買ってくれた。
まったく同じツアーのライブに私たちはたぶん5,6回行くのだけど、ヒロトのMCの7割くらいは毎度同じことを言っているし、セットリストも毎度ほぼ同じなのだけれど、でもだって、何度でも見たいのだから仕方がない。
彼らのライブはある面では、「ロックのライブ」あるいは「甲本ヒロトのライブ」というようなレッテルを貼り付けた上のパッケージ化されたものであるようにも見える。
いつかの記事にも書いたけれど彼らのライブは「慈善事業」みたいにも思える。
でも本当のことが随所に出てしまっていて、というか受け手の私がそれを私仕様に感じやすく感じてしまっているだけというのもある。
それでも、いちいち、彼らがいうことが良く分かるような気がしてしまうのだ。
たぶん、いつまで経っても、私は彼らが大好きなのだと思う。
取り入れるばかりでなくて、私もああいうふうになりたいなあと思う。
インスパイアされつつも、自分のやり方で。
今回のライブはヒロトとマーシーがいつもより大きく見えた。
ヒロトよりのマーシー方面が良かったのだけれど、屈強な波に押し流されてマーシーよりも袖の方になってしまった。
いつも思うけれど、私はライブに頭を振りに行っているわけではないので、やっぱり止まって一生懸命見たい。
また、私はライブを見ながら私はいろんなことを考えているので、できれば観客は後ろで歌わないでほしい。
まあでも、いろんなことがありのごった返しのライブ会場では、私も一観客としての慣習は守らねばならない。
だいぶライブというものにも慣れたので、位置取り、自分の身の守り方、髪の毛の位置、服装、どれもが上手になった。
ありえないくらい着ていたシャツはびちょびちょ。
中に着ていたキャミソールの方が濡れていないくらいだったから、このびちょびちょはほとんど私のものではない。
では、いったいこのびちょびちょはなんだ。
と思うと、鳥肌が立つほどに怖い。
今年もまたフジロックに。
7月の終わりの私はどんなだろう。
悪口と愚痴がこぼれ落ちる
不燃ごみだ回収してくれ
俺はニヤリと不敵な笑みだ
君の眼には銀河が輝きあふれてる
君が救われないんなら世界中救われないよ