凍てつく部屋で、ずっとエアコンをつけずにいた。
電気ひざ掛けにくるまり、もこもこの部屋着を着て、自分の首でかじかむ手を温めていた。
なぜ頑なにエアコンをつけずにいたかと言うと、私の部屋のエアコンはなぜか業務用で、電力の契約アンペアが家庭用と別になっている。
通常の家庭用の電力契約もあるため、基本料金が二重にかかっている。
しかも業務用エアコンの方の基本料金がとても高い。
夏には夏季料金などと言ったものも取られ、8月で冷房をつけざるを得なかった初月の電気料金に私は驚愕した。
東京電力によると、業務用エアコンの方の電力の計測が1か月間0であれば基本料金が半額になるというので猛暑が過ぎ去ってからは一度もエアコンを使っていなかった。
一度でもエアコンを動かしてそのメーターの針が触れればまた驚愕の電気料金になってしまう。
しかしいくらなんでも寒すぎて、3時間くらい迷った挙句、とうとうエアコンの方の電力ブレーカーを上げた。
3時間も迷って何が決め手になったかというと、寒すぎて書道もギターも進まない、ということだった。
電気ひざ掛けは優れたもので、その場を動かなくてもいいPCやテレビや読書などであれば、そんなに寒さは気にならない。
しかしくるまれながらできない書道やギターは、いよいよ耐え難い気温になってきた。
何か月かぶりにエアコンのスイッチを入れると、生ぬるい温風が出てきた。
エアコンはお風呂のような幸福感のある満足ではない。
あくまで少々の底上げにしかならない。
まあでも、やはり寒さをとりあえず気にせずに動ける温度になったので、また久しぶりに書道をやる。
依頼されているものもあって、頭の中で考えていた構想を形にしてみる。
自分で書いているだけのときは印は押さないけけれど、人に差し上げるものなので印も押す。
白黒の紙に印の赤が入ると途端にそれっぽくなる。
印は印泥といって強度の高い紙粘土みたいなものでできていて、使うときによく混ぜないといけなかったり手に付くと取れづらかったりと割に面倒なものである。
よくシャチハタみたいな簡易的な印があればいいのにと思うけれど、やはりそういうものでもない。
ヒロトの「映画」
とてもとてもヒロトらしいというか、とても好きな曲。
しかし、何枚か書いてみて、少し違う風に書きたいと思っても本当に全部同じ風合いになってしまう。
楷書で書くとか、無駄に崩さないとか、まっすぐ書くとか、そういうことをすれば違うように書けるけれど、なんとなくそれっぽくしようとなると本当に全部こうなってしまう。
濃墨でも、淡墨でも結局同じ風合いである。
大きい字を入れても、小さい字ばかりにしても、結局同じ風合いである。
紙のサイズを変えたり、縦にしたり横にしたりしても、結局同じ風合いである。
結局のところ私は大した冒険もできないというか、自分で恐る恐る踏み出した偉大と思った一歩でさえも、自分でさえ後から客観視したときに大したことがないことに気づく。
手数は驚くほど少ない。
まあでも確かに、度合いは違えど、書道の先生たちも人が違ったように異なる自体はあまり見たことがない。
もっとも、自分の章法の確立を目指しているかもしれない。
でも結局それで言えば、全て創始者の作った章法であるから新しさで言ったらほとんどないと言っても良いのだけれど。
そこで、何がやりたかったのか思い出す。
ヒロトの詞が書きたい、マーシーの詞が書きたい。
確かにそういうことで、それはそれでいい。
私はまだまだこれについては終わらなそうだし、それを味わう方法として書道は結構合っているとも思う。
がしかし、だ。
技術や手数がないと、自分にとっての面白味にも欠けるどころか、たどり着けないところもあるわけで。
あと、写真がうまく取れない。
だいたい書くものが大きいので椅子に乗って撮っているのだが、真上から撮れないので曲がってしまう。
何か良い方法はないだろうか。

電気ひざ掛けにくるまり、もこもこの部屋着を着て、自分の首でかじかむ手を温めていた。
なぜ頑なにエアコンをつけずにいたかと言うと、私の部屋のエアコンはなぜか業務用で、電力の契約アンペアが家庭用と別になっている。
通常の家庭用の電力契約もあるため、基本料金が二重にかかっている。
しかも業務用エアコンの方の基本料金がとても高い。
夏には夏季料金などと言ったものも取られ、8月で冷房をつけざるを得なかった初月の電気料金に私は驚愕した。
東京電力によると、業務用エアコンの方の電力の計測が1か月間0であれば基本料金が半額になるというので猛暑が過ぎ去ってからは一度もエアコンを使っていなかった。
一度でもエアコンを動かしてそのメーターの針が触れればまた驚愕の電気料金になってしまう。
しかしいくらなんでも寒すぎて、3時間くらい迷った挙句、とうとうエアコンの方の電力ブレーカーを上げた。
3時間も迷って何が決め手になったかというと、寒すぎて書道もギターも進まない、ということだった。
電気ひざ掛けは優れたもので、その場を動かなくてもいいPCやテレビや読書などであれば、そんなに寒さは気にならない。
しかしくるまれながらできない書道やギターは、いよいよ耐え難い気温になってきた。
何か月かぶりにエアコンのスイッチを入れると、生ぬるい温風が出てきた。
エアコンはお風呂のような幸福感のある満足ではない。
あくまで少々の底上げにしかならない。
まあでも、やはり寒さをとりあえず気にせずに動ける温度になったので、また久しぶりに書道をやる。
依頼されているものもあって、頭の中で考えていた構想を形にしてみる。
自分で書いているだけのときは印は押さないけけれど、人に差し上げるものなので印も押す。
白黒の紙に印の赤が入ると途端にそれっぽくなる。
印は印泥といって強度の高い紙粘土みたいなものでできていて、使うときによく混ぜないといけなかったり手に付くと取れづらかったりと割に面倒なものである。
よくシャチハタみたいな簡易的な印があればいいのにと思うけれど、やはりそういうものでもない。
ヒロトの「映画」
とてもとてもヒロトらしいというか、とても好きな曲。
しかし、何枚か書いてみて、少し違う風に書きたいと思っても本当に全部同じ風合いになってしまう。
楷書で書くとか、無駄に崩さないとか、まっすぐ書くとか、そういうことをすれば違うように書けるけれど、なんとなくそれっぽくしようとなると本当に全部こうなってしまう。
濃墨でも、淡墨でも結局同じ風合いである。
大きい字を入れても、小さい字ばかりにしても、結局同じ風合いである。
紙のサイズを変えたり、縦にしたり横にしたりしても、結局同じ風合いである。
結局のところ私は大した冒険もできないというか、自分で恐る恐る踏み出した偉大と思った一歩でさえも、自分でさえ後から客観視したときに大したことがないことに気づく。
手数は驚くほど少ない。
まあでも確かに、度合いは違えど、書道の先生たちも人が違ったように異なる自体はあまり見たことがない。
もっとも、自分の章法の確立を目指しているかもしれない。
でも結局それで言えば、全て創始者の作った章法であるから新しさで言ったらほとんどないと言っても良いのだけれど。
そこで、何がやりたかったのか思い出す。
ヒロトの詞が書きたい、マーシーの詞が書きたい。
確かにそういうことで、それはそれでいい。
私はまだまだこれについては終わらなそうだし、それを味わう方法として書道は結構合っているとも思う。
がしかし、だ。
技術や手数がないと、自分にとっての面白味にも欠けるどころか、たどり着けないところもあるわけで。
あと、写真がうまく取れない。
だいたい書くものが大きいので椅子に乗って撮っているのだが、真上から撮れないので曲がってしまう。
何か良い方法はないだろうか。

