つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

あんパンパン

2013-12-27 18:21:05 | 日記
私は部屋に物が増えるのを嫌う。
広い部屋に引っ越して、机など一部大きな家具は増えたけれど、その他のものはほとんど増やしてはいない。
部屋が狭くなるのも嫌だし、物が増えると掃除が大変だし、そもそも10年もここに住もうというふうには考えていないのでいつでも身軽にしておきたい。

だから何かを新しく買うとき、何を捨てようかとまず考える。
いつもたいていそうしているから、最近はあまり捨てるものが思いつかない。
それでも何か捨てようと、比較的使ってきたが最近使っていないものや、使ってはいるものの使い勝手がよくないものを捨てていくことになる。

なぜかいつも容量とデッドスペースのイメージが私にはあって、容量の大きな段ボール箱に入っているリンゴなどは小さな紙袋に移したり、ほんの少しのデッドスペースに収納できるものを探して片づけたりする。
ゴミで部屋の容量を取られているのも本当に我慢ならない。
要らないとわかりきっているものを手元に置いておくのが嫌なのだ。

また、容量が大きなギターアンプをもう一つ買うのはとても躊躇うけれど、容量の食わない音楽やピアスはいくつでも買ってしまう。
しかし本当はギターアンプの方が私の心の充実度を上げるには大きなことかもしれないから、この癖は時々自分で破壊しながら物を買う。

電気ひざ掛けを2枚買ってから何も捨てられていなかったので、物としては好きだったがかさ張る上にあまり使い勝手が良くないラタンのかごを2つ粗大ごみに出す。
次はたぶん、大好きで購読しているがほぼ読み返すことなく、お気に入りのインテリアの一部と化している雑誌NUMEROのバックナンバーの処分だろう。
雑誌は容量も大きいことに加えて、密度もある。

ついでに服を買うときも好き嫌いや色やデザインなどの他に、容量について考える。
ダウンコートを買うならば、2着くらいニットやジャケットなどの物を捨てたい。
もこもこで容量の大きなニットを買いたくなることも多々あるのだけれど、収納面だけでなく洗濯をするときの容量も考えて今まで何度も断念したことがある。
別に収納しきれないということも今のところないし、容量の大きなものは総じて温かいのだけれど。

さて否応なく年末だけれど、私は毎週の掃除が大掃除みたいなものなので特段大掃除をする必要もない。

ローリング・ストーンズの先行抽選が外れてしまったので、一般発売開始の0時にスタンバイ。
アクセス集中で購入に進めず、何度かのトライの後にチケットを手に入れた。
たぶんポール・マッカートニーのときと同じくらい米粒サイズだろうけれど、これはロックンロール記念として是非見ておきたい。
そして何か感じられたら最高だ。


これは依頼をされて書いたもの。
言葉が言葉だけに「複雑な生活」にだけはならないように、と思って書いた。

私は古典の中では篆書体を書くのはとても好きである。
歪みのない鮮やかな線を引くのは心地よい。

まっすぐな線を引くにはある程度のスピードが要る。
これには少しの訓練と潔さが要る。

ところどころ曲がっているのは技術不足か愛嬌か。
そういうものか。