墨を磨る。
私は必要に迫られないと墨を磨らない。
面倒だからだ。
墨を磨る行為、というのは書道というと結構シンボリックな行為なようだが、私はいつも面倒だと思ってしまう。
でも磨り墨の作品は乾くのが早いからいい。
筆を洗うのも墨汁を使う時よりも断然楽だ。
以前に祖父が山奥で買ってきてくれた硯を出す。
十何万円かと聞いているその硯は想像するよりもずっとずっしりと重く、するするすべすべの石肌をしている。
使う墨はもちろん、磨るスピードや力加減で墨の粒子の粗さが決まり、そして筆・紙の種類やその日の湿度によってもその滲み方が異なる。
墨色が良いとか悪いとか言うのだが、まず「良い墨色」というのを知るところからだ。
「思い込み」や「先入観」「既成概念」といったものを取り払って、「新しさ」と認めてくれる風土はあるが、決して何でもいいわけではない。
「良い」とは何か、を決めないと「良い作品」は生まれない。
最近、私は書道について偉そうなことを考えてばかりいて全然手が動かない。
見たくないものを半分自分から見てしまって変に尾を引いてしまった。
所謂サークル活動のようなものがあまり得意ではない私にとって、より自分自身や自分のやり方に自信を持たなければ生きづらくなる。
コミュニケーションの在り方が心地悪い。
自分自身に自信は、あるし、ない。
「じぶんのリーダーは、じぶん」と糸井重里さんが言っていた。
「私が“私”と他人だったら、私は“私”を友達もしくは恋人にしたいですか」と酒井若菜さんが言っていた。
胸張って、したい、と言えるようになりたい。
私は必要に迫られないと墨を磨らない。
面倒だからだ。
墨を磨る行為、というのは書道というと結構シンボリックな行為なようだが、私はいつも面倒だと思ってしまう。
でも磨り墨の作品は乾くのが早いからいい。
筆を洗うのも墨汁を使う時よりも断然楽だ。
以前に祖父が山奥で買ってきてくれた硯を出す。
十何万円かと聞いているその硯は想像するよりもずっとずっしりと重く、するするすべすべの石肌をしている。
使う墨はもちろん、磨るスピードや力加減で墨の粒子の粗さが決まり、そして筆・紙の種類やその日の湿度によってもその滲み方が異なる。
墨色が良いとか悪いとか言うのだが、まず「良い墨色」というのを知るところからだ。
「思い込み」や「先入観」「既成概念」といったものを取り払って、「新しさ」と認めてくれる風土はあるが、決して何でもいいわけではない。
「良い」とは何か、を決めないと「良い作品」は生まれない。
最近、私は書道について偉そうなことを考えてばかりいて全然手が動かない。
見たくないものを半分自分から見てしまって変に尾を引いてしまった。
所謂サークル活動のようなものがあまり得意ではない私にとって、より自分自身や自分のやり方に自信を持たなければ生きづらくなる。
コミュニケーションの在り方が心地悪い。
自分自身に自信は、あるし、ない。
「じぶんのリーダーは、じぶん」と糸井重里さんが言っていた。
「私が“私”と他人だったら、私は“私”を友達もしくは恋人にしたいですか」と酒井若菜さんが言っていた。
胸張って、したい、と言えるようになりたい。