つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

くねり

2012-02-20 00:30:24 | 日記
5月の展覧会の詩を選ぶ。
展覧会の題材を自分で選ぶのは初めてである。

以前授業の中で谷川俊太郎『明日』という詩を書いた。
私の技術のなさで全然様にならなくて仮名の淡墨作品の見せ方がさっぱり分からなかった。

今回も谷川俊太郎氏の詩を書こうと思っている。
硬い毛の筆で、濃墨、でも細くて繊細。
イメージを再現できる技術力がないのがどうにも心配なところだが、お手本費を払いませんと宣言した手前もうやらざるを得ない。

「ひとつまみの塩」
「五行」
「三つのイメージ」
このあたりで最も形になりそうなものにしようか。


まだヒロトを追うのを止められない。
水道橋博士とのラジオ対談がYouTubeに上がっていた。
ヒロトとロックとの出会いと、ロックの部屋とその扉の話と同級生水道橋博士との話やもろもろの話。
私はたぶん明日からこの話を友人たちに言って回るだろう。

私のロックとの出会いは昨年だからごく最近で、その時の精神状態や経験値は小学生や中学生ではない。
しかしロックに出会ってからの私の方がある意味青い考えをしている。
夢で私とブルーハーツのライブに行ったというあの子が本当に本当にうらやましい。

とある待合室に置いてあった雑誌で、久しぶりにレディーガガに触れる。

手を広げる。
アンテナを張る。
すると、手を広げていてよかったと思えるものに不意に出会えたりする。

時々言いたくなる愚痴や弱音も、些細であれば自分で蹴散らした方が早い。
願いや思いは満たされるべきだと思う。
でも、できる限り負は持ちこまない。


豆腐とえのきと油揚げの赤だしのお味噌汁。
昔から一番慣れ親しんだ具たちで今でもよく作る。
最近はこれに生姜をすって入れるのが好きだ。

この前買った赤い木のお椀。
赤みそよりも白みそのお味噌汁かお吸い物の方が合いそうだ。



メダリスト

2012-02-18 17:05:36 | 日記
朝、というより昼、目が覚めると部屋が惨劇のあとみたいな状態になっていた。
ダウンジャケットやみかんの皮、脱いだタイツ、踏まれた雑誌、こぼれた消臭ビーズ、空けっぱなしのお茶のペットボトル、そして化粧をしたままで髪の毛が煙草臭く、気分の悪い私。
花瓶が倒れていなかったことだけが幸いだった。

もちろん、覚えていないということはないが、部屋が暴れていることは珍しい。
真夜中の冷たい坂道を自転車の思うままに駆け下りたことも、なぜか食べたかったわけでもないのにみかんを食べたことや、一度ソファで座ったまま寝てしまったことも、明け方に喉が渇いてお茶を飲んだことも、覚えている。

ええかっこしいの私は誰かと一緒にいるときにはたぶん平然としている。
タクシーの中でもたぶん割と平然としている。

「酔う」ということを覚えてしまった私もいいけれど、怪我とか事故とかそういうことは自分に対して案じておこうと思う。

新宿PITINN。
南博さんの3DAYSの一日。
トランペッター類家心平さん。

以前とても良かったものを味わいに行くのだが、また同じようにとても良い、とは限らない。
一緒にセッションする人や自分自身の状態、一緒に聞く人にもよるかもしれない。

みぞれなんか降ってきて、明けない寒さに凍えたけれど、とてもとても、良かった。
こういう3,000円は、どれほど素晴らしい3,000円だろう。

南さんが喋っているのを初めて聞いた。
白髪が美しい、猫みたいな顔をしたピアニストのおじさん。
こんな言葉を使っていいのか分からないが、かなりアウトローなおじさん。
生きるか死ぬか、みたいなことを何度か経験しているのではないかと勝手に想像してしまう。

「医者にメタボだと言われた。
親父に昔ピアノなんか弾いて食っていけるわけがない、と言われたことがあるけど、メタボになってる俺は何なんでしょう」
「若手がね、いいからね、もう僕演奏するのやめちゃおうかな。でも一応南博の3DAYSだからね、やるけど」
「一番前の人は寝てるね。ほっときましょう、何言ってもだめだ」

失笑を誘うことを次々と言う。
周りの類家さんやバンドメンバーも失笑している。
でも、私は南さんのこと、かっこいいと思った。

ちょっとではない心配ごとの霧も晴れて、気兼ねなく気持ちの良い音を浴びる。
酔えない、乗り切れない、ということもない。
類家さんは今日も掠れた音を出して私の隣の彼女を魅了している。

目を閉じると聴覚は鋭くなって、音が脳と体に響く。
感覚と言うのはどこかを封鎖すると違う部分が鋭さを増すように思う。

ジャズであろうとロックであろうと、洋楽だろうと邦楽だろうと、なんでもいい。
私に響くものであればなんでもいい。

気持ちいいっていいね、と艶々した私たち。
音とお酒と言葉を存分に浴びて。

今日の惨事のような部屋もそれでいいやと。



空間を割る枝

2012-02-16 22:21:18 | 日記
近くに用があったのでメゾンカイザーに寄る。
少し前にPAULがその半分の距離にできたのだけれどバケットサンドがあまりにフランスで食べたものと違って立ち寄ることもしなくなった。
いつからか覚えてないが、こういうハード系のパンを売っているパン屋さんが好きだ。

フランスに留学していたいもうとのせいか。
ブーランジェリーだとかパンドミだとか、スノッブ、という言葉もまた、スノッブ、だ。

見とれてしまうくらいかわいいフランス人の店員さん。
真っ赤なコートを着たフランス人のおばちゃんのお客さん。

「Bonjour」の挨拶あとに、ああフランス語、という音が聞こえてきてかわいい店員さんと真っ赤なコートのおばちゃんは話をしている。
おばちゃんはバケットを3本とハード系の大きなパンをいくつかと、焼き立てのピザと、クロワッサンをトレイに山盛りに積んでいる。
お会計が4,800円あまり。
日本で買うバケットの値段の高さに驚くだろうが、スーパーではあのバケットは買えないから仕方ないのだろう。

私はクロワッサンと、生ハムとトマトのパンドカンパーニュのサンドイッチとコーヒー。
クロワッサンって香りが幸せだ。
メゾンカイザーって高いけどやっぱりおいしい。

愛機infobarの修理が終わって、新品になって返ってきた。
全損、ということで本体もソフトも取り替え、もちろんすべてリセットされてきたが、メーカー都合の修理ないようということで修理費はかからなかった。
そんな着信音に設定してない、と着信に驚いてしまう。
でも、私が落として自転車で踏みつけてしまってできた傷もつるんとなくなって返ってきた。
なんだか、全てこれでよかったんだ、と思えた。

なめこもAngry Birdももうインストールしない。

またベッドの上で、YouTubeサーフィンができる。
ふくふくと膨れて発光しているようなライトグリーンに変わってきたアオモジもきれいに撮れる。
デスクトップは新たに花だらけにしよう。


『晴れた日は晴れを愛し、
雨の日は雨を愛す。
楽しみあるところに楽しみ、
楽しみなきところに楽しむ。』
吉川英治

それが簡単か簡単でないかは置いておいて、要は心の持ちよう。


ブログの更新頻度が高いのは、まだエネルギー過多で放散がしたいからと思われる。
過剰なこの頃のひとつの欲求の、ひとつの浄化システム。

言葉が好きだ。
言葉遊びも好きだ。



うむす

2012-02-15 13:20:01 | 日記
大晦日に年越しをした同じ場所で、急にまた類家さんに会いに行けることになった。
大晦日に来るはずだったのが、インフルエンザで来られなかった南さんとのセッション。
今回は立ち見ではなく席もあるらしい。
ジャズの生演奏はなるべく近くで、なるべく狭いところでやってほしい。
と言っても生を見たのは数回しかないけれど。

ジャズの生演奏は「音楽を聞く」というよりは「音を浴びる」といった方がしっくりくる。
演奏者が煙草を吸っているくらいの、煙草の煙で会場全体が白く霞んでいるくらいの、お酒が煙草の煙で苦くなってしまうくらいの、そんなくぐもったシチュエーションがいい。
まさに「このままどこか遠く連れてってくれないか」みたいな状況がそこにある。
別に私は自分が喫煙者でも愛煙家でもないけれど。

1か月半前を思い出すに、やっぱり類家さんはセクシーだなと思う。
本当は前日の菊地さんのライブにもぜひ行きたかったのだが、飛ぶには金曜日でないとならない。


一昨年、かれこれ7,8年の付き合いになる友人が「私はもう動物的なところと感情しか信じない。理性になんて意味がない。意味なんて意味がない」というようなことを言っていて、ああ離れて行ってしまうかもしれない、とその時の私は少し悲しく思ったものだ。
それまで彼女は自分のことを極めて理性的で客観的な自己の持ち主だと思っていて、すべての物事に対してその意味を考えてしまう癖があったという。
動物的・感情的というのはそうしようと考えてできるものではないことではあるものの、私が見る限りでも、彼女は動物的・感情的に生きているようだった。
その彼女は去年「今までほぼ理性的に考えてきたのを、去年1年できる限り動物的に生きた。2011年はその統合の年だ」と言って、やはり私が見る限りでも、理性と感情がミックスされて統合されて、以前の彼女が少し戻ってきたように思えた。
そして今年、その彼女は紆余曲折の末にひとつの柱を見い出して、落ち着きを得たように見える。

そうしているうちに今度は私自身が一昨年の彼女と似たような状況になっている。
理性になんて意味がないとまでは毛頭思わないし、それを完全に感情優先で生きることなど正しく言って不可能である。
だからそれなりの制御を持ちつつではあるが、感情の優位比率が高まっていることは感じる。
素直でなかった子供時代の経験を、今大人としても子どもとしても味わっているかのようだ。

その彼女は最近の私に「面白いけど危なっかしい」なんて笑いながら言う。
最初はおそらく同じ匂いを感じて近づき合った私たちだが、お互いの歩み方を離れず傍から眺めながら、時に爆破みたいな経験も各々しながら20代の前半を過ごしてきた。

やりたいようにやればいいよ、見てるから。
いろいろ言って、結局最後はいつも、そう言ってくれているみたいな優しい傍観者。

どこかで、相容れることのエクスタシーを持った人間同士が、やっぱり他人だというその事実を理解をする。
たぶんそういうことなのだと思う。

私が統合されるのはおそらくもう少しあと。

『バームクーヘン』が頭から離れない。




おっきくなるよ

2012-02-14 00:05:51 | 日記
夢を見る。
レム睡眠が不安定。

熱帯雨林なのかサバンナなのか。
近くに川があって土地は野性的に荒れている。
象が何頭か地団駄を踏んでいる。
そのうちに暴れ出して地響きがなる。

すると、多くのサイや恐竜や象や人が川に向かって一斉に歩き出した。
私は呆然と立ち止まってその流れを見ている。

流れの中に父がいる。
妹と兄が父に何かを渡している。
その何かは私には見えないけど、私にはそれが何なのかがなぜだかわかる。

私はまだ呆然と立ち止まってその光景を見ている。

のちに父は動物たちと同じ流れに乗って川の方へ歩き始めた。

明け方6時半。
最初の目覚ましが鳴るまであと1時間以上ある。

現実なのか、現実でないのか。
現実でないことだけを意識と無意識の狭間で理解をする。

目が熱くなって。
吹き出すように熱くなった。

いつまで経ってもなんだねと、起き抜けにぐったりしている私に、優しい私が慰める。


興味のあることしか考えられなくて、興味のあることしかできない。
でも、そんなことばかりでは人に迷惑だしそんなでもないことだってもちろんする。

過剰に排他的であることをよしとすることにいいことなんてない。
かといって過剰に迎合することにはいいことなんてもっとない。

ただの子供、ただの我が儘、ただの残酷、難しいけれどそんなではいけない。