つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

茶色いびわのシャーベット

2013-06-19 20:20:26 | 日記
そういえば去年のフジロックが私の初フェスで、何もかもが未知数で、山をなめるな、でもものすごく気持ちいいし楽しいよ、と脅されたり煽られたりして、準備に奔走していたことを友人のブログを読んで思い出した。
私は普段アウトドアもあまりしないし、山にも海にもドライブ派なので、ちゃんとしたスニーカーを買ったのは15年ぶりくらいだったし、いつも旅の荷物が少ない私は荷物の全体量が把握できず総量の半分も荷物も入らないバッグを買ってしまったことに前日になって気がついた。

会社のお昼休みに一駅電車に乗って、真っピンクのスーツケースを会社に連れ帰った。
金曜だったその夜、「行ってまいります」と言ったかどうか忘れたけれど、随分とどきどきわくわくして真っピンクのスーツケースを連れて新幹線に乗った。

会場からバスで15分程度の宿しか取れず、金曜の夜宿に着いた。
犬臭い宿だと思ったら、「ぽんたさん」というシーズーのような犬がいた。
私たちは、既にその日のフェスに参加した宿泊者に「ここから会場ってどうやって行くんですか?」と別々に同じ人に質問をしていた。

フジロックの会場の苗場は、本当に山とは思えないほどに混雑していて、斜面には色とりどりのテント、ぞろぞろと皆が列を成して歩いたりバスに乗車する姿は、カラフルな疎開、を思わせた。
ドラゴンドラに乗りながら、「フルコート」を歌っていたなあ、エスニックな何かを食べながら「月の爆撃機」を聞いていたなあと思い出す。
フジロックの意味ないじゃん、と何人かの人たちに言われたけれど、私たちの初フェスとしての苗場は、他のフェスに行くこともなくすっかり「ロックの神様」の場所になっている。
今年は、クロマニヨンズではないけれど、ヒロトが本当に苗場に来る。

今私が大好きなノエル・ギャラガーを、通りかかったグリーンステージで「なんか、いいね」と聞いていた。
これに限って言えば「知らないのは悪だ」と自分に言いたい。

友人は一足先に帰って、私は少しだけ酔っぱらって渋さ知らずオーケストラに感動した。
一番前で見る、舞台のような大人数で山の空間を鳴らすパフォーマンスは圧巻だった。

宿への帰り道、聞き入れたくなかったRadioheadがやっているグリーンステージを通らないと帰れなくて、それでも私はRadioheadの前で何分か足を止めて彼らの音楽を聞いていた。
フジロックの何か月か後に、湊かなえ原作の映画『告白』を見て、主題歌にRadioheadの「Last Flowers」が使われていて、私は即座に彼らの音楽だとわかった。
私にとってそれらは身体の芯が冷えてしまう思いがする。

今年は会場に近い宿も取れたし、準備することはそうないな、と軽んじていることに気づいた。
初めてのフェスで雨が降らなかったから、余計に軽んじてしまっている。
携帯電話などをジップロックに入れていった方がいいなどということは友人のブログを読まなければ思い出さなかっただろう。
ついでに、虫除けブレスレットのことも思い出せた。
去年と同じ友人に雨用のポンチョを貸してと依頼をし、再度フジロックマニュアルのようなサイトを読もうと思う。

The xx、The Cure、奥田民夫、Tahiti80、七尾旅人などを借りて予習をする。
この1年間でも結構いろんなロックを漁ったように思うのだけれど、それでもフジロックに来るアーティストの大半が分からない。
SOIL&"PIMP"SESSIONSは野音で聞いたことがあるけれど、楽しみである。

1年前の自分と今の自分を比べて、あまりにも方向性が変わってしまっていて、ふと我に返って自分でも唖然とする。
私にはどうしようもなく怖い部類のことがあるのだと思うけれど、それ以外のことへの恐怖がほとんどなくなってしまっているような気がする。



雲の図星

2013-06-17 00:26:01 | 日記
100円ショップに諸々を買いに行く。
100円ショップに行くときはいつも、明確な目的があるのだけど、たくさんの100円の物を見ているうちにそれらに飲み込まれて買いに来たものを忘れてしまう。
目的でない他の物を買ってしまうということもあまりないのだけど、3分おきくらいに「で、なんだったっけ」となる。
たくさんの100円の物に思考がものすごい勢いで吸い込まれていくようだ。

だから100円ショップに行くときはいつも、メモを持って行くようにしている。
ホチキス、厚紙、S字フック、白のペンキスプレー。
メモを持って行ってなお、「で、なんだったっけ」と何度も店内で思う。
それらがある区画に辿り着いてなお、「えっと、それで、なんだったっけ」となる。

私は眼鏡をかけていると思考が鈍くなるのだけど、眼鏡をかけて100円ショップに行った日には、通常ならば3分くらいで済みそうな買い物に20分とか時間を要する。
何か別の考え事に飛んでしまうでもなく、たくさんの何か便利そうな物の前で、その物たちについてあれこれ考えを巡らすでもなく、「えっと、それで…」と佇んでいるだけなのだ。
訳もなく目的でない物を手に取っていることもある、その商品が欲しいわけでも、用途を知りたいわけでもなく。
眩暈、というほど大げさなものでもないけれど、たくさんの100円の物にぐるぐるとなっている。

100円ショップの物たちは、コストパフォーマンスが良いものもあるし、そうでないものももちろんある。
総じて、「それっぽい形をしている中身のない物」という認識が私にはある。
100円ショップのフォークはぺらぺらなのである。

私は苦手なのだろうか、100円ショップ。


開塾指導講座がいよいよ大詰めで、私は久しぶりに先生に怒られた。
書いたものの出来栄え云々ではなくて、紙のサイズが違ったから。
というか、一つのまとまった提出物の中で紙のサイズを2種類で出したからだ。
また、それに気づいていたにも関わらず何の申し出もしなかったから。

私は紙の種類が2種類であることに、提出日の朝になって気付いた。
朝まで書いて、そのまま置いて乾かして、少し寝て起きて提出の形に仕上げるときに。
教室で使っている半紙と、私が昔買った半紙のサイズが違ったらしく私はそれを混ぜて書いていた。

一瞬、まずい、と思ったのだが、まあそんなに大したことではないだろう、とそのまま出しだ。
それは全然だめなことのようで、3種類合計25枚ほどの宿題の書き直しを命じられた。
紙のサイズが違ってもまあいいだろう、というのは私の見解で、「サイズではなく内容を見てください」と反論する気は毛頭なく、素直に恥じて返却されたそれを受け取った。

あれを書くのに、どれだけの時間を費やしたかと思うと、怒られたことも手伝って涙が出そうだった。
でも、もう一回あれをやらなければいけないのが身にならないはずはない、とこれについてはそう思えるので今日中に書き直そうと決意する。

私が元々持っている雑さと大胆さによって、普段も先生たちに半ば白い目で見られている。
ペーパーナイフで紙を切るのでさえ、面倒だからとなるべく多くの紙を一気に切ろうとして切り口が汚くなってしまうのも、何度も注意されている。

書道は人によっては、精神統一だとか無だとか癒しだとか、そんなふうな気高いイメージを持っている人も多いようだけど、私にとっては全くそんなことはない。
余白だの線の太さだの墨の量だの割と考えて書いているし、私においては気持ちが高揚しているときの方が創作はしやすい。

かの有名な王羲之の「蘭亭序」も酒に酔っている状態で書かれたものだと言われている。
まあこれについては書に興じる、という域なのだろうから、自分と比べてどうとかもないのだけれど。

作品を大事にしなさい、ということなのだと思うけれど、私はあまり自分で書いたものに興味がないので展覧会に出品した作品が返却されても邪魔だからとすぐに捨ててしまう。
しかし、今年の「情熱の薔薇」は一点選出から落ちたものを捨てられずにいる。
私にとって大事なのは、作品ではなくて、思いの方なのだと思う。

とは言っても、これもおそらく引っ越し時には捨ててしまうだろうと思う。

おしとやかとかたおやかとか、そんなふうな所謂女性らしさみたいなものが、今の私には持ちづらい。
そうでなくとも、何にしたって私は間違いなく女性だけれども、おしとやかとかたおやかとか、そんなふうには見られたくないらしい。

所謂ロックンロールの多くが男性を中心に成されていて、性は本能的にも理性的にも多分に意味を持っていると思っているので、ロックが男性的であることにおいては自分が女であることは少しだけ残念なことに思う。

奥田民生を聞きながら宿題のやり直しをする。
「さすらい」も「MOTHER」も有名な曲だけれど、歌詞が私に入ってきたのは初めてだった。
ユニコーンよりもわかりやすい。

例えば自分のやりたいことや行きたい方向が、何かによって阻まれているとする。
その原因を突き詰めていくと、その行く手を阻んでいるのは紛れもなく自分であることを知る。

そんなことを、考えた。
とても、良かった。

さすらいもしないで、このまま死なねえぞ

やり直しの宿題を書き上げて、郵送する。
缶ビール1本でぱあっとなる。




そわわわわ

2013-06-15 00:43:08 | 日記
ギターが立って弾けるようになった。
というか、随分前に立って弾いたときに全然押さえられず音が鳴らなくて、座ってやることにしていた。
それから3か月ほどだろうか、立って弾いてみたら座っているときと同じくらいのレベルで弾けた。
というか、立って弾いた方が弾きやすいくらいに思えた。
それに、私がやるような曲は立って弾いた方が楽しいんだと気が付いた。

ロックバンドのギタリストはよく股間のあたりで弾いている場合が多いが、あれはパフォーマンスの一環であって、弾きやすさとか所謂正しいギターの位置というのは上腹部あたりであるらしい。
試したことはないけれど、そんなに下の方で弾いたらたぶん左手の指と腕を攣ってしまうのではないかと思う。

まして飛び跳ねたり、頭の上に掲げたりして弾くのは考えられない。
いくらパフォーマンスでも、よく弾けるものだと感心する。

教えてもらった耳コピアプリを入れて、4分の3倍速にしてマーシーのギターソロを聞いてみるけれど、一定の速さ以上になるとさっぱり音が終えなくて、どの曲のソロも中途半端にしかできない。
2分の1倍速にする同アプリの機能アップバージョンは有料450円で、これを買おうと思う。

最近曲の中のギターの音がよく聞こえるようになった。
それがギターなのか、ベースなのか、はたまた他の楽器なのか、私の理解が間違っていることもあるとは思うが。
それは自分のiTunesから流す曲だけではなくて、街やカフェで流れている曲も、テレビから流れてくる曲も。
ギターが鳴っている方へと耳が行くようになった。
たぶんあんなふうにその音を作って鳴らして、たぶん弾き方はあんなだろう、という想像をする。

自分にギターを弾くセンスがなかったとしても、自分がやらなかったら知ることもなかったであろうこと。
もっと自分が弾けるようになればいいのにと思うのだけれど、いろんな理由で難しいなあと思う。

私が音楽の幅を広げたきっかけのひとつは、ある人から借りたそのまま曲が入ったiPod nanoだった。
私はそれをシャッフルして聴いて、自分の身体の反応で自分の好きな音楽の感じを知った。
それまでの私の、何の誇張もなく狭すぎて浅すぎた音楽史が開け始めたときだった。

このときはまだ、ジミ・ヘンドリックスやゼッペリンをほぼ知らなかったけれど、おそらく彼らがかっこいいなんて、そう思うようになるなんて思わなかった。
「うおーかっけー」と男子中学生のような心持ちなのである。

もうひとつ、大きく音楽の幅を広げることができたのはギターを始めたからだ。
というか、ギターの先生が色々と、本当に色々と教えてくれたことが大きい。
先生から教わったたくさんのアーティストを取り入れることができたし、音楽に対する見方や聞き方も私の中で明らかに変化してきた。
未だブルーハーツもハイロウズも、全くもって驚くほど色褪せはしないけれど。

色んなアーティストが、色んな曲を書いて、音を創って、その取り入れ方がようやく身に付いてきた。
私はたぶん、半年くらい前から同じようなことを繰り返し言っているのだが、その度に何度もそう思うのだ。
しかしそれは全く同じ地点で言っているのではなくて、毎度少しずつ広さか深さを得たその地点でそれを思っている。

いい先生に出会えたのだなあと、ギターの演奏習得はとてつもなく不出来な生徒が、心からそう思う。

あらゆる多くを見聞きすること。
自分の今いるフィールドに執着せず、こだわりもプライドも捨てていけたらいい。


押しボタン式の信号で、「ボタンを押してください」となっているまま、横断歩道に10人くらいがそのまま待っていた。
それでは永久に変わらない信号の前で待ち続ける人々。
私は周りを見渡してから、大袈裟にボタンを押した。
「お待ちください」となって、しばらくして信号は青に変わった。



チキン&ライス

2013-06-13 23:18:02 | 日記
自転車の季節なものだから、自転車でいつもの道をうろつく。
私にとってはマーシーの『よろこびの歌』のような感じなのだけれど、本当にお巡りさんが見ているものだから、なんとなく落ち着かない。
お巡りさんも自転車で、鉢合わせないように回り道をしてみるものの、お巡りさんも当てどなくパトロールしているようだからしばらくすると鉢合わせてしまう。
私は咄嗟に「あ、」というような感じになってしまうものだから、余計に怪しい。

今のところ呼び止められたことはないけれど、真夜中に徘徊することはそんなにいけないことなだろうか。
せっかく気分良くうろついているのに、お巡りさんを気にしていたらうろつくのがままならない。

真夜中にうろつく 意味もなくうろつく
一人でいい 一人がいい 真夜中にうろつく

真夜中にうろつく 雨上がりの匂い
とりとめなく 脈絡なく 真夜中にうろつく

周りに誰がいても 周りに誰もいなくても
自分が好きなものがなんなのかは知っている
あふれ出る よろこびの歌
あふれ出る よろこびの歌

真夜中にうろつく おまわりが見ている
今は少しほっといてね 見るだけにしといて


雨が降り続くみたいだから、しばらくうろつくこともできないけれど。

雨がざんざん降っている。
洗濯物が全然乾かなそうなので、とても久しぶりに浴室乾燥を2時間のタイマーをかけて出かける。

こんな日は、部屋にこもって借りてきたたくさんの海外ドラマを観たい。
そうしていたら真夜中になって、雨は上がって自転車で散歩に出かけたい。

いつもそうだけれど、何となく少し極端と思われるような振れたことを言うと、私はそんなにおかしくないと言い訳をしたくなる。
今日で言えば、「私は別にずっと一人でいることが自分の喜びの最上級、と思っているわけでは全然ない」というように。

そういうときもあるし、そういうこともあるのだけど、全部が全部そういうことではなくて、でも、それはそれで本当のこと。
100%の純度の物事なんて、そんなにあるものではない。
変わらないことなんて、あるにはあるけど、ほとんどない。


まだ青々しく固い蕾が3つついた百合と、ぎゅっと丸く蕾んでいた芍薬の蕾。
どちらもまだ花が咲くまでには時間がかかりそうで、こんなに固く青いとそれを咲かせることは難しいのではないかとそう思いながら買った。
いつもは、咲いた花か、咲く直前の蕾を買うことが多い。
こんなに固く青い蕾を買ったのは初めてかもしれない。

先に百合が、だんだんと蕾の血色を良くしていた。
そして、私の部屋に来て4日目、帰ると3つのうち2つが花びらを広げていた。
あと1つも、蕾に血が通い始めている。

何度も、何度でも、私はこの様が見たい。
水しか吸い上げてない花が、音なき音を立てながら咲いていくその様を。
そして、次第にその艶の時期を終えていくその様を。

芍薬は外側の1枚の花びらが外れて、少しだけ空気を取り込み始めた。



やっぱり青い

2013-06-12 01:16:29 | 日記
けいこが還暦を迎えるからと、そのお祝いのための連絡のためにLINEで「4兄弟」というグループが兄によって作られた。
よく考えると、よく分からなくなるけれど、子どもたちがそれなりの大人になったということで、明らかな世代交代を形にするのである。

親から見る社会的ないい子、というのは4人中今のところ五分だ。

けいこは何をあげても大して喜ばない。
好きなものは、花や植物、カップや絵、音楽。
結構私と似ている、というか私がけいこに似ている、のか。

しかし花以外の何か物をあげて、それを使っているのを見たことがない。
ロイヤルコペンハーゲンのカップ&ソーサーをいつかの誕生日にいもうとと買ってあげたけれど、「いいものはなかなか使えない」といってまだ箱の中に入っている。
使わないのなら私にください。

他にも何度かそういうことがあったので、もう花しかあげないことになった。
いつかの母の日に私は小さなブルーベリーの鉢植えをあげたのだが、それが実をつけて今年も食べたという連絡が毎年来る。
プレゼントとしての植物はとてもポピュラーだし、値段も相応に選べるので手間がなくて良い。

還暦という大きな節目のお祝いだからと、「4兄弟」が話し合った結果、やっぱり花になった。
4人もいればお金も出しあえるので、それならば「ジャルダンデフルールで!」と私は即座に花担当を申し出た。
あとは場を賑わすために顔のイラストを入れたケーキでも買おうということになる。

ジャルダンデフルールのフラワーアレンジメントは、私は発注する側でも十分に楽しめる。
しかしとても高価なのでこういう機会でもないと発注ができない。
夏は1週間程度しか持たない。
花が本当に好きな人にしかこれはあげられないものだ。

そしてあげた先に出向いて私はそのアレンジメントを見せてもらう。
誰のためのものだったのかわからないくらい、私はそれに感嘆して写真を撮る。
相手もそうなっているから、私のこの態度もまあよしであろう。

さっそく私はジャルダンデフルールに連絡を入れて、作品が見たいがためにいくつか画像を送ってもらった。
あぁもう可愛くてかわいくて。
やっぱり近いうちにまたジャルダンデフルールに自分のアレンジメントを作りに行こうか。

「60」というのを花で文字を作ろうかと思っていたけれど、せっかくのデザインが台無しになってしまうのでそれはやめることにする。
その代わり、6本の何かわかりやすい花をデザインに入れ込んでもらうことにした。
私任せに色を選ぶと、極彩色なカラフルなものになってしまうので、今回は色をある程度絞ることにする。

主賓のけいこは全員分の宿の予約をしていた。
宿に届くジャルダンデフルールの花を見て、一番の歓声を上げるのは間違いなく私である。

ジャムのポール・ウェラーのその後のバンド、ザ・スタイル・カウンシル。
ビートルズのポール・マッカートニーの彼自身のアルバム。
ジミ・ヘンドリックスの追加アルバムもう1枚。
派生して出てきたリバティーンズ。
カフェで流れていた音楽を拾ったマイケル・ブーブレ。
聞いたことのない曲が入っているハイロウズの「FOUR BY FIVE」

飽きたらず、いっぱい漁る。