▲ 「君が代不起立」の根津公子さん
2月19日夜、練馬文化センター小ホールで長編ドキュメンタリー「君が代不起立」(ビデオプレス・2006年12月制作・87分)の上映会が開催された。
根津公子さんは中学の家庭科の教員だ。短大生のときに朝鮮の歴史の本を読み自分が学校で学んだ歴史とあまりにも違うことに気がついた。もしかするとと思い、中国の歴史の本を読むとやはり違った歴史が書いてあったので、戦争で中国に出兵した父と論争したこともある。1971年、江東区で教員になり、子どもたちとよく話し合い、平和教育を進めた。90年代には八王子の石川中学で、教員と議論しながら卒業式の日の丸君が代をやめることにした。
根津さんは、もし国旗掲揚国歌斉唱をするなら、生徒にきちんとした資料を提示し、生徒と話し合って決めるべきだと考える。そうでないと教育ではなく「調教」になってしまうからだ。
ところが99年に都知事が石原慎太郎になり、2003年10月、卒入学式等の国旗国歌の実施要領を細かく定めた10.23通達を発令し、従わない教員は職務命令違反で処分するように強権を発動した。
2004年通達後、初の卒業式では193人もの教員が処分された。根津さんもその一人だ。05年の入学式で不起立だった根津さんは1か月の停職処分を受けた。しかし毎日立川二中の校門前に立ち続けた。生徒のなかには、校長室にどなり込んだが「わたしの言葉は校長先生の耳を右から左に通り抜けたようだ」という子もいた。不起立者には再発防止研修が課される。その研修に抗議のゼッケンを付けて参加すると、職務専念義務違反でさらに減給処分が累積された。処分だけではない。担任をはずされ、重要な仕事は与えられなくなる。不起立とひきかえに仕事上のプライドはすっかり奪われる。
06年の卒業式でも不起立だった根津さんは停職3ヵ月の処分を受け、通勤に2時間以上かかる町田の鶴川二中に見せしめ異動となった。この卒業式では都教委の職員が派遣され、教員の間近に来て不起立の「現認」をした。教員は立つだけでなく半分以上が歌うようになっていた。
鶴川二中で、根津さんは地域をあげてのイジメにあった。校門前に立つだけで近所の人から通報があり警官がかけつけることもあった。立川二中と同様「お早うございます」という根津さんをあからさまに無視する生徒も現れた。また校舎から出てきて「キモくねぇ?」「キモい」「ウゼェ」という女生徒もいた。根津さんは「あの年頃の子どもは正義感が強いので、大人の影響だろう」と言って耐える。
7月の初出勤の日、根津さんは「意見があったら、言ってきてください。100人いたら100人考えは違うものです。人間はお互いに話を交わし、考えを深めることができます。それは自分を成長させると思います。いつでも言ってきてくださいね」と挨拶した。
この映画には根津さんのほか、来賓として板橋高校の卒業式に出席し「サンデー毎日」のコピーを保護者に配布しただけで刑事告訴され、懲役8月を求刑された元教員・藤田勝久さん、2004年の卒業式で、当日朝家を出るまで迷い、震えながら座っていた伏見忠さん、都教委に抗議する多くの教員や市民、先生を信頼する生徒、被処分教員を弁護する弁護士、都議会で日の君強制を迫る土屋たかゆき都議(民主党 板橋選出)、校門前で配布したビラを校門の内側に立ち片っ端から回収していく「さわやかあいさつ運動」の男性など、多くの人が登場する。
撮影中のカメラマンに「ビデオプレスか」「オレが撮ってないのに、なんでお前が撮るんだ」とヤクザのような口調でからむ公安刑事の姿も映し出されていた。これが日本の現状なのだ。
最後のほうで9.21難波判決で沸き立つ地裁前の映像が写った。「画期的な判決です」。どの顔も喜びに輝いていた。しかし都教委はまったく無視して今年も卒業式に例年と同じ通達を出し、2月13日、20日をピークに各校長は教員に職務命令を出した。
いま根津公子さんは免職の危機にある。
上映後、地域の先生たちのお話があった。
▲ 高校教員 伏見忠さん
あれから3年たった。当時の学校から異動して2年、今年また異動の予定だ。逆らう教員にはありとあらゆるいやがらせがされる。もの言わぬ教員を作りたいようだ。しかし間違っているものは間違っているので「ノー」と言い続ける。都教委への怒りと自分の闘いの正しさを確信した。
▲ 小学校教員 岸田靜枝さん
音楽の教員なのでピアノ伴奏や歌唱指導があり、表現するものとして君が代斉唱はつらい。わたしは再発防止研修を受講しなかった。それで処分が加算され減給になった。ところが、減給処分で研修の件は終わったと思ったら、受講しなかったことによる再発防止研修を再び言い渡された。これではいつまでもキリがない。他の区から異動して1年だが、たった1年でまた他の学校に異動させられる予定だ。
▲ 養護学校教員 渡辺厚子さん
2002年の入学式に大泉養護学校で着たブラウスのデザインで処分を受けた。人事委員会審理で不服申し立てが認められず2004年9月裁判を提訴した。地裁・高裁を経て昨年7月20日最高裁は控訴を棄却した。ほんの1週間前に要請行動の連絡を入れどうなったか結果を聞こうと電話したら「今日、棄却し書類を発送した」と言われあっけなく終わってしまった。わたしの国内での裁判闘争は終了したが、今後、国連人権理事会に提訴しようと考えている。
練馬区は1987年の大泉東小の「日の丸」卒業式「ボイコット」事件に始まり、90年代の石神井養護の旗の引き下ろし、99年国旗国歌法制定直後の都庁功労者表彰退席問題、2002年のわたしの問題など、国旗国歌への運動が集中している地域だ。今後も地域の特徴を生かした闘いを続けたい。また国旗国歌強制反対は被処分者の教員だけが当事者ではない。生徒・保護者・地域の人も当事者であり、一人一人が主体者として運動していきたい。
▲ 高校教員 Aさん
「国歌斉唱」の掛け声に、ついうっかり着席して処分を受けた。座ったとき「ドスン」と座り気持ちがよかった。舞台で話しをしたり闘うことはわたくしの性に合わない。しかし自分自身が都立高校の生徒だったとき、そしてせいぜい10年前の楽しかった都立高校を取り戻すことが自分の最終目標だ。
▲ 高校教員 Bさん
わたしは足が悪いので、それを理由に着席すると処分されなかった。ところが異動して同じようにすると処分された。再発防止研修のときになぜ異なる処分がされるのか尋ねると「赤信号を無視したときに、注意されることも注意されないこともあるでしょう」との答えが戻った。わたしたちは卒入学式のたびにこんなに悩んでいるのに、都庁のお役人は赤信号程度にしか考えていないようだ。2003年の10.23通達以前は卒入学式は楽しい日だったというのに・・・。わたしはもうすぐ定年だ。やっとこの悩みから解放される。
▲ 高校教員 Cさん
わたしは気が弱く、組合の活動家でもないし自分には不起立はムリだなあと思い、2004年は立った。ところが2006年には、生徒が歌わなくても生徒への不適正な指導とみなされ教員が調査される通達が出た。また不起立教員へのいじめいやがらせを目の当たりにし、自分のようなものでもガマンできないこともあると、着席を決意した。
10.23通達以前の式次第に国歌斉唱はなかった。校長に「国歌斉唱が入るとどんないいことがあるのか」と聞くと「いままで話し合うことすらタブーだったことが話し合えるようになった」と答えた。最近は社会科で少し侵略のことを教えても保護者からクレームがつく時代だ。「考えないことが一番楽」なのだが、「考えたら終わり。考えたら損だ」と生徒にメッセージを送るようになっては教師はおしまいだ。
☆2002年以降起きたことはだいたい知っていたが、こういうふうに時系列に整理されたのを見て、あらためてこの4年都教委の強圧的な処分でどんどん状況が悪化し、「反発・抵抗」する一部の教員と「長いものには巻かれろ」と無気力になったり不安におびえる大部分の教員に分断されるプロセスを振り返ることができた。
またイジメの実態や都教委の不誠実な対応が生々しく映し出されていた。これがドキュメンタリー映画の強みである。
『多面体F』
http://blog.goo.ne.jp/polyhedron-f/
集会報告 / 2008年02月22日
2月19日夜、練馬文化センター小ホールで長編ドキュメンタリー「君が代不起立」(ビデオプレス・2006年12月制作・87分)の上映会が開催された。
根津公子さんは中学の家庭科の教員だ。短大生のときに朝鮮の歴史の本を読み自分が学校で学んだ歴史とあまりにも違うことに気がついた。もしかするとと思い、中国の歴史の本を読むとやはり違った歴史が書いてあったので、戦争で中国に出兵した父と論争したこともある。1971年、江東区で教員になり、子どもたちとよく話し合い、平和教育を進めた。90年代には八王子の石川中学で、教員と議論しながら卒業式の日の丸君が代をやめることにした。
根津さんは、もし国旗掲揚国歌斉唱をするなら、生徒にきちんとした資料を提示し、生徒と話し合って決めるべきだと考える。そうでないと教育ではなく「調教」になってしまうからだ。
ところが99年に都知事が石原慎太郎になり、2003年10月、卒入学式等の国旗国歌の実施要領を細かく定めた10.23通達を発令し、従わない教員は職務命令違反で処分するように強権を発動した。
2004年通達後、初の卒業式では193人もの教員が処分された。根津さんもその一人だ。05年の入学式で不起立だった根津さんは1か月の停職処分を受けた。しかし毎日立川二中の校門前に立ち続けた。生徒のなかには、校長室にどなり込んだが「わたしの言葉は校長先生の耳を右から左に通り抜けたようだ」という子もいた。不起立者には再発防止研修が課される。その研修に抗議のゼッケンを付けて参加すると、職務専念義務違反でさらに減給処分が累積された。処分だけではない。担任をはずされ、重要な仕事は与えられなくなる。不起立とひきかえに仕事上のプライドはすっかり奪われる。
06年の卒業式でも不起立だった根津さんは停職3ヵ月の処分を受け、通勤に2時間以上かかる町田の鶴川二中に見せしめ異動となった。この卒業式では都教委の職員が派遣され、教員の間近に来て不起立の「現認」をした。教員は立つだけでなく半分以上が歌うようになっていた。
鶴川二中で、根津さんは地域をあげてのイジメにあった。校門前に立つだけで近所の人から通報があり警官がかけつけることもあった。立川二中と同様「お早うございます」という根津さんをあからさまに無視する生徒も現れた。また校舎から出てきて「キモくねぇ?」「キモい」「ウゼェ」という女生徒もいた。根津さんは「あの年頃の子どもは正義感が強いので、大人の影響だろう」と言って耐える。
7月の初出勤の日、根津さんは「意見があったら、言ってきてください。100人いたら100人考えは違うものです。人間はお互いに話を交わし、考えを深めることができます。それは自分を成長させると思います。いつでも言ってきてくださいね」と挨拶した。
この映画には根津さんのほか、来賓として板橋高校の卒業式に出席し「サンデー毎日」のコピーを保護者に配布しただけで刑事告訴され、懲役8月を求刑された元教員・藤田勝久さん、2004年の卒業式で、当日朝家を出るまで迷い、震えながら座っていた伏見忠さん、都教委に抗議する多くの教員や市民、先生を信頼する生徒、被処分教員を弁護する弁護士、都議会で日の君強制を迫る土屋たかゆき都議(民主党 板橋選出)、校門前で配布したビラを校門の内側に立ち片っ端から回収していく「さわやかあいさつ運動」の男性など、多くの人が登場する。
撮影中のカメラマンに「ビデオプレスか」「オレが撮ってないのに、なんでお前が撮るんだ」とヤクザのような口調でからむ公安刑事の姿も映し出されていた。これが日本の現状なのだ。
最後のほうで9.21難波判決で沸き立つ地裁前の映像が写った。「画期的な判決です」。どの顔も喜びに輝いていた。しかし都教委はまったく無視して今年も卒業式に例年と同じ通達を出し、2月13日、20日をピークに各校長は教員に職務命令を出した。
いま根津公子さんは免職の危機にある。
上映後、地域の先生たちのお話があった。
▲ 高校教員 伏見忠さん
あれから3年たった。当時の学校から異動して2年、今年また異動の予定だ。逆らう教員にはありとあらゆるいやがらせがされる。もの言わぬ教員を作りたいようだ。しかし間違っているものは間違っているので「ノー」と言い続ける。都教委への怒りと自分の闘いの正しさを確信した。
▲ 小学校教員 岸田靜枝さん
音楽の教員なのでピアノ伴奏や歌唱指導があり、表現するものとして君が代斉唱はつらい。わたしは再発防止研修を受講しなかった。それで処分が加算され減給になった。ところが、減給処分で研修の件は終わったと思ったら、受講しなかったことによる再発防止研修を再び言い渡された。これではいつまでもキリがない。他の区から異動して1年だが、たった1年でまた他の学校に異動させられる予定だ。
▲ 養護学校教員 渡辺厚子さん
2002年の入学式に大泉養護学校で着たブラウスのデザインで処分を受けた。人事委員会審理で不服申し立てが認められず2004年9月裁判を提訴した。地裁・高裁を経て昨年7月20日最高裁は控訴を棄却した。ほんの1週間前に要請行動の連絡を入れどうなったか結果を聞こうと電話したら「今日、棄却し書類を発送した」と言われあっけなく終わってしまった。わたしの国内での裁判闘争は終了したが、今後、国連人権理事会に提訴しようと考えている。
練馬区は1987年の大泉東小の「日の丸」卒業式「ボイコット」事件に始まり、90年代の石神井養護の旗の引き下ろし、99年国旗国歌法制定直後の都庁功労者表彰退席問題、2002年のわたしの問題など、国旗国歌への運動が集中している地域だ。今後も地域の特徴を生かした闘いを続けたい。また国旗国歌強制反対は被処分者の教員だけが当事者ではない。生徒・保護者・地域の人も当事者であり、一人一人が主体者として運動していきたい。
▲ 高校教員 Aさん
「国歌斉唱」の掛け声に、ついうっかり着席して処分を受けた。座ったとき「ドスン」と座り気持ちがよかった。舞台で話しをしたり闘うことはわたくしの性に合わない。しかし自分自身が都立高校の生徒だったとき、そしてせいぜい10年前の楽しかった都立高校を取り戻すことが自分の最終目標だ。
▲ 高校教員 Bさん
わたしは足が悪いので、それを理由に着席すると処分されなかった。ところが異動して同じようにすると処分された。再発防止研修のときになぜ異なる処分がされるのか尋ねると「赤信号を無視したときに、注意されることも注意されないこともあるでしょう」との答えが戻った。わたしたちは卒入学式のたびにこんなに悩んでいるのに、都庁のお役人は赤信号程度にしか考えていないようだ。2003年の10.23通達以前は卒入学式は楽しい日だったというのに・・・。わたしはもうすぐ定年だ。やっとこの悩みから解放される。
▲ 高校教員 Cさん
わたしは気が弱く、組合の活動家でもないし自分には不起立はムリだなあと思い、2004年は立った。ところが2006年には、生徒が歌わなくても生徒への不適正な指導とみなされ教員が調査される通達が出た。また不起立教員へのいじめいやがらせを目の当たりにし、自分のようなものでもガマンできないこともあると、着席を決意した。
10.23通達以前の式次第に国歌斉唱はなかった。校長に「国歌斉唱が入るとどんないいことがあるのか」と聞くと「いままで話し合うことすらタブーだったことが話し合えるようになった」と答えた。最近は社会科で少し侵略のことを教えても保護者からクレームがつく時代だ。「考えないことが一番楽」なのだが、「考えたら終わり。考えたら損だ」と生徒にメッセージを送るようになっては教師はおしまいだ。
☆2002年以降起きたことはだいたい知っていたが、こういうふうに時系列に整理されたのを見て、あらためてこの4年都教委の強圧的な処分でどんどん状況が悪化し、「反発・抵抗」する一部の教員と「長いものには巻かれろ」と無気力になったり不安におびえる大部分の教員に分断されるプロセスを振り返ることができた。
またイジメの実態や都教委の不誠実な対応が生々しく映し出されていた。これがドキュメンタリー映画の強みである。
『多面体F』
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