=教育再生実行会議のねらい=
◆ 統制される学校教育に危惧
◆ 実質審議なしの即成提言
「教育再生実行会議」は、第一次安倍内閣時に設置した「教育再生会議」の第二次版である。首相の直属の諮問機関として設置され、強力な指導力で政策を実行していこうとする趣旨でつくられた。
政権発足間もない1月24日に第一回の会合を発足させ、第二回は2月15日であり、2月26日の第三回会合で「提言」をまとめたものである。ほとんど実質的な審議をすることもなく、即成の「提言」としてまとめた点から見ても安倍政権がいかに目先の成果に拘泥しているかが分かる。
70%を超える国民の支持率を維持したまま7月の参議院選挙に持っていきたいと戦略を練っている。そのための目玉政策として、政権の実行性を誇示するために「いじめ」は絶好の対象なのである。しかし、その結果出された「提言」は大きな問題をはらんでいるのである。
◆ 人間性画一化の「道徳」
「提言」は、最初に「道徳の教科化」を示す。学校は、命の尊さや規範意識、思いやり、などの「人間性を構築する場です」と述べ、道徳教科の必要性を提言している。
しかし、命の尊さや規範意識・人間性等は、教科化に伴う成績評価の対象とには馴染まないものである。命の尊さや人間性は、これまでは学校教育全体の中で、「人権尊重の教育」や「平和教育」等として取り組まれてきた。特定の教科化は、むしろその重要性を低下させることになると言えよう。
学習指導要領に「道徳の時間」が明記されたのは、指導要領そのものが「試案」から「官報告示」となった1961年からである。そして、「道徳」のみ1958年の告示と同時に先行施行された。
この「『道徳』の時間」では、地域や各学校ごとにその状況に応じて実施されてきた。「道徳」で教えるという人間性などは教科によって画一化する性質のものではないのである。
「道徳」についての基本的趣旨は、安倍一次内閣時に成案化した新学習指導要領の中で「目標」として趣旨が示されている。従って、その具体的な適用が今一回の第二次内閣での課題とされているのである。
「道徳」の強化は、まさに安倍教育政策の本丸なのであり、いじめ対策にかこつけた「道徳教科化」であると言ってよいのである。安倍「道徳」教育の本質は愛国心教育であり、どさくさに紛れてこれを導入させようとするものだ。
◆ 暴力・懲戒でいじめ解消
「提言」のいじめ対策の特徴は、その原因を究明しないことにある。
いじめの原因は、子どもたちの精神的なストレスや格差状況等に求められる。また、大人社会の反映でもある。従って対策には、大人社会のいじめ根絶こそが求められなければならないのである。
現実の会社では「追い出し部屋」などのいじめ問題が多発している。朝日新聞の2月25日によれば、職場トラブルは2007年頃より増大しており、平行して「いじめ」問題も増大している。社会のいじめは、学校でのいじめと共に増大しているのである。
また、学力検査などで子どもたちを競争させる政策は、ストレスを作り出し、いじめ増大の原因となる。競争主義の教育政策は安倍教育政策のもう一つの柱なのである。
ところがこの「提言」では、「いじめはどの学校でもどの子にもおこりえる」と分析する。そして「いじめを早期発見し、虐められている子を社会全体でまもっていく」ことが対策の基本政策として示されているのである。
競争主義の安倍教育政策に触れることを避け、「いじめは起こるもの」を前提にして、その早期発見、早期対応、カウンセラーによる対処療法が政策として掲げられているのである。そしてこれでも駄目ならば、警察との連携と厳罰主義を提言している。
警察という巨大な暴力と「懲戒」の脅しで子どもを抑えつけて、いじめの解消をねらおうとしている政策なのである。軍隊が学校に常駐した戦前の学校を彷彿させられる。
自由な戦後教育を大きく変化させ、戦前のような統制された学校教育に代えようとしている。いじめは本質的には何も解決しないであろう。
『週刊新社会』(2013/4/2)
◆ 統制される学校教育に危惧
立正大学講師 永井栄俊
◆ 実質審議なしの即成提言
「教育再生実行会議」は、第一次安倍内閣時に設置した「教育再生会議」の第二次版である。首相の直属の諮問機関として設置され、強力な指導力で政策を実行していこうとする趣旨でつくられた。
政権発足間もない1月24日に第一回の会合を発足させ、第二回は2月15日であり、2月26日の第三回会合で「提言」をまとめたものである。ほとんど実質的な審議をすることもなく、即成の「提言」としてまとめた点から見ても安倍政権がいかに目先の成果に拘泥しているかが分かる。
70%を超える国民の支持率を維持したまま7月の参議院選挙に持っていきたいと戦略を練っている。そのための目玉政策として、政権の実行性を誇示するために「いじめ」は絶好の対象なのである。しかし、その結果出された「提言」は大きな問題をはらんでいるのである。
◆ 人間性画一化の「道徳」
「提言」は、最初に「道徳の教科化」を示す。学校は、命の尊さや規範意識、思いやり、などの「人間性を構築する場です」と述べ、道徳教科の必要性を提言している。
しかし、命の尊さや規範意識・人間性等は、教科化に伴う成績評価の対象とには馴染まないものである。命の尊さや人間性は、これまでは学校教育全体の中で、「人権尊重の教育」や「平和教育」等として取り組まれてきた。特定の教科化は、むしろその重要性を低下させることになると言えよう。
学習指導要領に「道徳の時間」が明記されたのは、指導要領そのものが「試案」から「官報告示」となった1961年からである。そして、「道徳」のみ1958年の告示と同時に先行施行された。
この「『道徳』の時間」では、地域や各学校ごとにその状況に応じて実施されてきた。「道徳」で教えるという人間性などは教科によって画一化する性質のものではないのである。
「道徳」についての基本的趣旨は、安倍一次内閣時に成案化した新学習指導要領の中で「目標」として趣旨が示されている。従って、その具体的な適用が今一回の第二次内閣での課題とされているのである。
「道徳」の強化は、まさに安倍教育政策の本丸なのであり、いじめ対策にかこつけた「道徳教科化」であると言ってよいのである。安倍「道徳」教育の本質は愛国心教育であり、どさくさに紛れてこれを導入させようとするものだ。
◆ 暴力・懲戒でいじめ解消
「提言」のいじめ対策の特徴は、その原因を究明しないことにある。
いじめの原因は、子どもたちの精神的なストレスや格差状況等に求められる。また、大人社会の反映でもある。従って対策には、大人社会のいじめ根絶こそが求められなければならないのである。
現実の会社では「追い出し部屋」などのいじめ問題が多発している。朝日新聞の2月25日によれば、職場トラブルは2007年頃より増大しており、平行して「いじめ」問題も増大している。社会のいじめは、学校でのいじめと共に増大しているのである。
また、学力検査などで子どもたちを競争させる政策は、ストレスを作り出し、いじめ増大の原因となる。競争主義の教育政策は安倍教育政策のもう一つの柱なのである。
ところがこの「提言」では、「いじめはどの学校でもどの子にもおこりえる」と分析する。そして「いじめを早期発見し、虐められている子を社会全体でまもっていく」ことが対策の基本政策として示されているのである。
競争主義の安倍教育政策に触れることを避け、「いじめは起こるもの」を前提にして、その早期発見、早期対応、カウンセラーによる対処療法が政策として掲げられているのである。そしてこれでも駄目ならば、警察との連携と厳罰主義を提言している。
警察という巨大な暴力と「懲戒」の脅しで子どもを抑えつけて、いじめの解消をねらおうとしている政策なのである。軍隊が学校に常駐した戦前の学校を彷彿させられる。
自由な戦後教育を大きく変化させ、戦前のような統制された学校教育に代えようとしている。いじめは本質的には何も解決しないであろう。
『週刊新社会』(2013/4/2)
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