◎ 森喜朗氏の妄言に抗議し、発言の撤回を求めます
7月3日に行われたリオデジャネイロオリンピック・パラリンピック日本選手団壮行会で、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の森喜朗会長が、「どうしてみんなそろって国歌を歌わないのでしょうか。選手は口をモゴモゴしているだけじゃなくて、声を大きく上げ、表彰台に立ったら、国歌を歌ってください。国歌を歌えないような選手は日本の代表ではない(傍点引用者)」と発言したと報じられています(「朝日」2016.7.4)。
2003年来の東京都の公立学校教職員に対する職務命令をもってする「君が代」斉唱・伴奏の強制に抗して、司法の救済を求めて闘われている諸裁判を支援してきた私たち〈東京・教育の自由裁判をすすめる会〉は、この発言に対して心からの憤りをもって抗議し、その発言の撤回を求めます。
1.そもそも日本選手団壮行会の式進行の冒頭に「国歌独唱」を置くこと自体が、大きな間違いです。
そうした会は個々の競技者や競技チームを励ます催しであるべきであって、国威発揚の場とするような企ては排除されるべきです。
オリンピック・パラリンピック競技大会は、決して国家間の競争ではありません。
「オリンピック憲章」は以下のとおり明記しています。
「オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない。」
このことはまた、「IOC(国際オリンピック委員会)とOCOG(オリンピック競技大会組織委員会)は国ごとの世界ランキングを作成してはならない。」という別の条項にも反映されています。
大会組織委員会会長という職にある森喜朗氏が「オリンピック憲章」を知らないとしたら、その職責を全うする資格がないといわなければなりません。
さらに言えば、表彰式でポールに掲げられる旗は、国旗ではなく「選手団の旗」であり、演奏される曲は、国歌ではなく「選手団の歌」と定められています。
森喜朗氏が「表彰式で国歌を歌え」などと言うのは、おのれの無知をさらけ出しているのでなければ、あえて国家意識を煽るパフォーマンスと批判されてもしかたありません。
2.今回の森喜朗氏の発言に含まれている重要な問題点は、国歌を歌うか歌わないかは選手個人の判断に委ねるべきことがらだという根本問題への威嚇・攻撃だということです。
オリンピック・パラリンピック競技大会の表彰式で多くの場合、選手団の旗として国旗が掲げられ、選手団の歌として国歌が演奏されている状況があります。であればなおさら、旗や歌に対する選手個々人の判断が尊重されることが大切です。大勢の中には「日の丸」や「君が代」に対して違和感をもつ選手がいるかもしれません。そうした選手に「歌えない事情」を認め、「歌わない自由」を保障することが必要ではないでしょうか。また、自分が歌うことに抵抗がなくても、他人から強制されて歌うのはイヤだと感じる選手がいるかもしれません。
こうした精神の自由を尊重することこそ、求められるオリンピック精神=オリンピズムではないのでしょうか。
「憲章」は、「スポーツをすることは人権の1つである。すべての個人はいかなる種類の差別も受けることなく、オリンピック精神に基づき、スポーツをする機会を与えられなければならない。オリンピック精神においては友情、連帯、フェアプレーの精神とともに相互理解が求められる。」と説き、
また、「このオリンピック憲章の定める権利および自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、国あるいは社会のルーツ、財産、出自やその他の身分などの理由による、いかなる種類の差別も受けることなく、確実に享受されなければならない。」と述べています。
にもかかわらず、森喜朗氏は組織委員会会長という職の“権威”をもって、選手たちに「歌え」と強制したのです。「歌えない選手は代表ではない」という発言は、「代表選手としての資格を認めない」と恫喝したのと同じと言わざるをえません。重大な差別を持ち込むものです。
さらに、日本国憲法19条(思想・良心の自由)、14条(法の下の平等)等に保障された基本的人権を踏みにじるものとも言えます。
このような発言をそのままにしておくことは、オリンピズムへの反逆、日本国憲法の蹂躙という重大事態を容認することになると、私たちは考えます。
3.しかし、問題は森喜朗氏個人に限定されていません。その後の報道(「朝日」2016.7.8)によれば、日本オリンピック委員会(JOC)は代表選手の行動規範で、「結団式など公式行事では脱帽し、日の丸を直視して君が代を斉唱する」よう定めていることが明らかになりました。
東京都教育委員会が2003年に発したいわゆる「10.23通達」の実施指針が「式典会場において、教職員は、会場の指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する。」と書いているのと瓜二つと言うべきです。
この通達・実施指針およびそれに基づく校長の職務命令が、教職員の思想・良心の自由を間接的にではあれ制約するものであると、最高裁判決は指摘しています。
JOCの行動規範は代表選手の精神を縛る不当なものと言わなければなりません。
4.森喜朗氏は2000年に首相に就任した直後に「日本は天皇を中心とした神の国」と発言し、世間を騒がせた人物です。そういう人物が自分の腹の底をそのまま口にしたのだろうと軽く見過ごすことは決してできません。
今、2020年東京オリンピック・パラリンピック実施を背景に、排外主義的なナショナリズムを煽る動きが進んでいます。
「国歌を歌えないような選手は代表ではない」という言葉は、すぐに「国歌を歌えないような国民は日本人ではない(非国民だ)」という言葉に“拡大発展”する危険をもっています。
学校への「日の丸・君が代」強制が強められ、大学にまでその動きが進んでいます。現政権党である自由民主党の「憲法改正草案」(2012年)には、「(第3条)国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする。日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない」と書き込まれています。全国民に「君が代を歌え」と、憲法(!)で決めて強制しようということです。国民を「神の国」思想で縛ろうとするねらいは明らかです。もっとも大切な基本的人権である精神の自由への攻撃につながる動きを許してはなりません。
私たち〈東京・教育の自由裁判をすすめる会〉は、森喜朗氏の「国歌を歌えない選手は代表ではない」発言に抗議し、森喜朗氏に対してその発言の撤回を求めます。
日本オリンピック委員会、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会対しては、オリンピック憲章及び日本国憲法の基本原則に照らして、森喜朗氏の解任を含む適切な処置をとること、および選手の人権を侵害する「行動規範」を改めるよう求めます。
(以 上)
2016年 7月15日
東京・教育の自由裁判をすすめる会 運営委員会
(連絡先)160-0008 東京都新宿区三栄町6 小椋ビル401号
2016年 7月15日
東京・教育の自由裁判をすすめる会 運営委員会
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