=「公務員の処分量定に関する公開質問状」記者会見発言要旨④=
◆ 教員の思想信条に基づく不起立が重い懲戒、検事長の刑法違反の賭博が軽い訓告、「法の下の不平等」?
わたしは黒川検事長の常習賭博が紙一枚の「訓告」と聞いて軽さに驚きました。
賭博は刑法違反です。都公立校で国歌斉唱時不起立ピアノ不伴奏などで受けた厳しい懲戒処分とは比較にもなりません。
1999年国旗国歌法はわずか2行の定義法で、制定時、国論は分かれ、政府はくり返し「実施の義務はない、学校の式典で不起立不伴奏の自由を否定しない、国旗国歌の指導に関わる教員の責務に変更はない」と国会答弁しました。
しかし、これを踏みにじり、2003年石原都知事はお友達東京都教育委員会と、国旗国歌強制の「10・23通達」を出しました。
「学習指導要領」は法律ではなく、起立の義務の文言もありません。
わたしは、2004年の卒業式で教育の責任と信仰の故に静かに不起立をし、校長からの職務命令違反で戒告処分を受けました。
現在までこの懲戒処分教員は延べ487名に達し、昇給、勤勉期末手当て、退職金の減額、退職後の再雇用の拒否をされ、不起立の回数で減給、停職と加重され、経済的にも損害の大きい厳罰です。
職務上では、担任外し、職階制や異動などの差別、再発防止研修などの執拗な不利益と苦痛を受け、現在も該当者がいます。全くのパワハラです。
黒川検事長「訓告」に比べて、「法の下の公正、平等」に著しく反し、とうてい法治国家と言えません。
主権者として差別的人権侵害の元凶である10・23通達の廃棄を求めます。
私たちは、国連・自由権規約委員会に訴えました。委員会は、規約18条(思想・良心・宗教の自由)による人権侵害で日本政府を3度も勧告しています。しかし都教委も無視を続けています。
さらに、2019年ILO(世界労働機構)とユネスコからも、日本の卒入学式を「愛国的な式典」と呼ぴ、その規則や、懲戒審査機関に教員側の者を参加させるようにと勧告されています。国際標準の人権基準に劣るのです。
2004年、「10・23通達」」に教育的危険を見た教員らは、教員に国歌斉唱伴奏義務のないことを確認する予防訴訟を起こし、原告は403名に達しました。
2006年9月一審難波判決は、「10.23通達とその職務命令は、教師の思想・良心を侵害し憲法19条に違反する」ことを明言しました。
さらに、「都教委が校長らに対し、式典の国歌斉唱の実施や職務命令の方法、監視者の派遣、不起立教員の現認、都教委への『服無事故』報告方法など、詳細で強硬な指示を行った事実が教育基本法の『行政による教育の不当な支配』に当たり、違法」と判決され、教員側が勝訴しました。
しかし、この数日後成立した第1次安倍内閣は3ヶ月後、まず教育基本法の全面改定を強行しました。そのもとで、予防訴訟の二審と最高裁判決は逆転敗訴とされました。
また、多数の処分撤回裁判が闘われ敗訴が続きましたが、ついに最高裁で、減給、停職の重い処分は不当として、取り消しが確定され、その取り消しの総数は74件・64名以上になりました。
しかし、通達の憲法19条、20条違反は認められず、戒告は「適法」とされました。
この通達以降、学校現場の萎縮効果は著しいものがあり、学校組織自体が教委と校長による上意下達の形態に改変され、管理が徹底されました。
職員会議は連絡機関とされ、教育の生き生きとした自由な精神が抑圧され、教員は多忙で黙して超過勤務を課せられています。
最高裁判決では、「教育は強制でなく自由闊達に行われるべき」とした異例の反対意見(2名)、補足意見(9名)が出されました。
宮川光治最高裁裁判官は、予防裁判、第一次処分撤回、再雇用拒否など三裁判で反対意見を書き、
「本件は、少数者の思想及び良心の自由に深くかかわる問題である。憲法は、少数者の思想及び良心を、多数者のそれと等しく煎重し、その思想・良心の核心に反する行為を強制することは許容していない。」、
「本件通達は、式典の円滑な進行をはかる意図で発せられたものではなく、前記歴史観ないし世界観・教育観を持った教職員を念頭に置き、不利益処分をもってその歴史観等に反する行為を強制することにある」と都教委の意図を指摘し、
また、「教育公務員は、教育の目標(教基法2条)を達するために、教育の専門性をかけた責任があるとともに、教育の自由が保障されており」、「教育者の精神の自由を尊重するという、自由な民主主義社会にとっては至極当然のことが維持されているものとして、希望の明かりを見る。そのことは、子どもたちの自由な精神、博愛の心、多様な想像力を育むことにつながるであろう。」と記しました。
教育は、児童生徒の心身の健やかな豊かな成長のためです。
家永教科書裁判判決は、「教員と児童生徒は、学問の自由を有する」ことを確認し、「児童生徒は、学習権が保障され、教師は、普遍的真実と質の高い教育を工夫し偏らない幅広い教材を提供する責務を負う」としています。
しかし、コロナ感染症防止のため縮小された卒業式でも、都教委は、都立学校校長連絡で、生徒答辞、校歌、式歌を省略し、国旗掲揚の体育館に生徒を集め、国歌斉唱、校長式辞、卒業証書授与を指導し実施させました。「生徒のためより、国旗国歌が優先か」と、批判が出ました。
安倍政権の「教育基本法の改定」「少年法改定」のもとに進められている「教育改革」は非常な教育環境の悪化をもたらせています。
子どもの方を向いておらず、学習や心身の成長発達の必要に添わず、予算削減、教員管理強化、クラス生徒多数、教員小数など、他国との比較でも、教育環境の低下は明らかです。
文科省資料で、2018年、月残業時間80時間の過労死ラインを超える中学校教員は60%です。
教員は「もっと子どもとふれあう時間が欲しい」と訴えています。
病休、退職が増え、新規教員の成り手が激減し、全国的に教員不足が深刻で、2019年4月都公立小学校正規教員の不足は404人、中学校77人です。自習を余儀なくされ担任もいない生徒の不安が思いやられます。
また、日本の10代の青少年の自死は世界で突出して一位です。
黒川検事長問題のように、国政で、国民主権・「法の下の平等」・三権分立・人間の尊厳などの意味が歪められれば、学校教育への影響は甚大です。
わたしは、授業でなぜ理科を学ぶのと問う生徒に、科学者パスカルの「人間は考える葦である」の言葉を語ってきました。
人間は、川辺の葦のように弱い有限な生物だが、他の生物との大きな違いは、自然や自分について知り考えることができること、自分の生き方を考えられることだと。
パスカルは続いて「だから、われわれの尊厳の全ては考えることの中にある。ここに道徳の原理がある。」といいました。
安倍政権下で導入された道徳教育の教科化点数化も問題ですが、国のトップが事実や現憲法を無視していては、道徳教育は歪められ、国の進路は危いと心配です。
◆ 教員の思想信条に基づく不起立が重い懲戒、検事長の刑法違反の賭博が軽い訓告、「法の下の不平等」?
呼びかけ人 木村葉子(元東京都立高校教員物理科)
わたしは黒川検事長の常習賭博が紙一枚の「訓告」と聞いて軽さに驚きました。
賭博は刑法違反です。都公立校で国歌斉唱時不起立ピアノ不伴奏などで受けた厳しい懲戒処分とは比較にもなりません。
1999年国旗国歌法はわずか2行の定義法で、制定時、国論は分かれ、政府はくり返し「実施の義務はない、学校の式典で不起立不伴奏の自由を否定しない、国旗国歌の指導に関わる教員の責務に変更はない」と国会答弁しました。
しかし、これを踏みにじり、2003年石原都知事はお友達東京都教育委員会と、国旗国歌強制の「10・23通達」を出しました。
「学習指導要領」は法律ではなく、起立の義務の文言もありません。
わたしは、2004年の卒業式で教育の責任と信仰の故に静かに不起立をし、校長からの職務命令違反で戒告処分を受けました。
現在までこの懲戒処分教員は延べ487名に達し、昇給、勤勉期末手当て、退職金の減額、退職後の再雇用の拒否をされ、不起立の回数で減給、停職と加重され、経済的にも損害の大きい厳罰です。
職務上では、担任外し、職階制や異動などの差別、再発防止研修などの執拗な不利益と苦痛を受け、現在も該当者がいます。全くのパワハラです。
黒川検事長「訓告」に比べて、「法の下の公正、平等」に著しく反し、とうてい法治国家と言えません。
主権者として差別的人権侵害の元凶である10・23通達の廃棄を求めます。
私たちは、国連・自由権規約委員会に訴えました。委員会は、規約18条(思想・良心・宗教の自由)による人権侵害で日本政府を3度も勧告しています。しかし都教委も無視を続けています。
さらに、2019年ILO(世界労働機構)とユネスコからも、日本の卒入学式を「愛国的な式典」と呼ぴ、その規則や、懲戒審査機関に教員側の者を参加させるようにと勧告されています。国際標準の人権基準に劣るのです。
2004年、「10・23通達」」に教育的危険を見た教員らは、教員に国歌斉唱伴奏義務のないことを確認する予防訴訟を起こし、原告は403名に達しました。
2006年9月一審難波判決は、「10.23通達とその職務命令は、教師の思想・良心を侵害し憲法19条に違反する」ことを明言しました。
さらに、「都教委が校長らに対し、式典の国歌斉唱の実施や職務命令の方法、監視者の派遣、不起立教員の現認、都教委への『服無事故』報告方法など、詳細で強硬な指示を行った事実が教育基本法の『行政による教育の不当な支配』に当たり、違法」と判決され、教員側が勝訴しました。
しかし、この数日後成立した第1次安倍内閣は3ヶ月後、まず教育基本法の全面改定を強行しました。そのもとで、予防訴訟の二審と最高裁判決は逆転敗訴とされました。
また、多数の処分撤回裁判が闘われ敗訴が続きましたが、ついに最高裁で、減給、停職の重い処分は不当として、取り消しが確定され、その取り消しの総数は74件・64名以上になりました。
しかし、通達の憲法19条、20条違反は認められず、戒告は「適法」とされました。
この通達以降、学校現場の萎縮効果は著しいものがあり、学校組織自体が教委と校長による上意下達の形態に改変され、管理が徹底されました。
職員会議は連絡機関とされ、教育の生き生きとした自由な精神が抑圧され、教員は多忙で黙して超過勤務を課せられています。
最高裁判決では、「教育は強制でなく自由闊達に行われるべき」とした異例の反対意見(2名)、補足意見(9名)が出されました。
宮川光治最高裁裁判官は、予防裁判、第一次処分撤回、再雇用拒否など三裁判で反対意見を書き、
「本件は、少数者の思想及び良心の自由に深くかかわる問題である。憲法は、少数者の思想及び良心を、多数者のそれと等しく煎重し、その思想・良心の核心に反する行為を強制することは許容していない。」、
「本件通達は、式典の円滑な進行をはかる意図で発せられたものではなく、前記歴史観ないし世界観・教育観を持った教職員を念頭に置き、不利益処分をもってその歴史観等に反する行為を強制することにある」と都教委の意図を指摘し、
また、「教育公務員は、教育の目標(教基法2条)を達するために、教育の専門性をかけた責任があるとともに、教育の自由が保障されており」、「教育者の精神の自由を尊重するという、自由な民主主義社会にとっては至極当然のことが維持されているものとして、希望の明かりを見る。そのことは、子どもたちの自由な精神、博愛の心、多様な想像力を育むことにつながるであろう。」と記しました。
教育は、児童生徒の心身の健やかな豊かな成長のためです。
家永教科書裁判判決は、「教員と児童生徒は、学問の自由を有する」ことを確認し、「児童生徒は、学習権が保障され、教師は、普遍的真実と質の高い教育を工夫し偏らない幅広い教材を提供する責務を負う」としています。
しかし、コロナ感染症防止のため縮小された卒業式でも、都教委は、都立学校校長連絡で、生徒答辞、校歌、式歌を省略し、国旗掲揚の体育館に生徒を集め、国歌斉唱、校長式辞、卒業証書授与を指導し実施させました。「生徒のためより、国旗国歌が優先か」と、批判が出ました。
安倍政権の「教育基本法の改定」「少年法改定」のもとに進められている「教育改革」は非常な教育環境の悪化をもたらせています。
子どもの方を向いておらず、学習や心身の成長発達の必要に添わず、予算削減、教員管理強化、クラス生徒多数、教員小数など、他国との比較でも、教育環境の低下は明らかです。
文科省資料で、2018年、月残業時間80時間の過労死ラインを超える中学校教員は60%です。
教員は「もっと子どもとふれあう時間が欲しい」と訴えています。
病休、退職が増え、新規教員の成り手が激減し、全国的に教員不足が深刻で、2019年4月都公立小学校正規教員の不足は404人、中学校77人です。自習を余儀なくされ担任もいない生徒の不安が思いやられます。
また、日本の10代の青少年の自死は世界で突出して一位です。
黒川検事長問題のように、国政で、国民主権・「法の下の平等」・三権分立・人間の尊厳などの意味が歪められれば、学校教育への影響は甚大です。
わたしは、授業でなぜ理科を学ぶのと問う生徒に、科学者パスカルの「人間は考える葦である」の言葉を語ってきました。
人間は、川辺の葦のように弱い有限な生物だが、他の生物との大きな違いは、自然や自分について知り考えることができること、自分の生き方を考えられることだと。
パスカルは続いて「だから、われわれの尊厳の全ては考えることの中にある。ここに道徳の原理がある。」といいました。
安倍政権下で導入された道徳教育の教科化点数化も問題ですが、国のトップが事実や現憲法を無視していては、道徳教育は歪められ、国の進路は危いと心配です。
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