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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

◆ 「君が代」調教NO!松田処分取消裁判 請求棄却[11・28大阪地裁判決]

2022年12月26日 | 「日の丸・君が代」強制反対

  《「大阪ネットワークニュース 第27号」から》
 ◆ 子どもへの人権侵害・国際法無視の不当判決
   控訴審勝訴の展望あり

元大阪市中学校学校教員 松田幹雄

 11月28日(月)13時10分の判決言い渡しのあった大阪地裁09号法廷(傍聴定員36人)には、法廷に入りきれない多くの支援のなかまに駆けつけていただきました。ありがとうございました。

 ◆ 大きなほころびのある不当判決

 裁判長は、「原告の請求は棄却する。訴訟費用は原告負担とする。」主文を読み上げただけでそそくさと姿を消しました。
 受け取った判決文は、私が訴えた、子どもたちの人権、学習権の侵害や国際人権自由権規約18条「思想、良心、宗教の自由」侵害等についてはすべて切り捨て、これまで最高裁以下裁判所が積み上げてきた虚構の判例をつまみ食いしたものでした。
 しかし、2015年7月、大阪市人事委員会に処分取消を請求して訴えてきたこと、さらに22年12月に大阪地裁に提訴して訴えてきたこと、及び、その過程で確認された事実と、これまでの判決の間の乖離は埋めがたいほどに広がっています。
 無理やり従来の判決に合わせようとして、その溝にふたをした今回の判決には、隠すことができない大きなほころびがあります。
 控訴審での逆転勝訴は可能だと思っています。

 ◆ 私の訴え=私の「思想・良心」「教員としての良心」からの「君が代」不起立・不斉唱

 「国旗(『日の丸』)を壇上正面に掲げ、それに向かって姿勢を正して式参加者全員が国歌(『君が代』)をしっかり斉唱する。教員は自身の起立・斉唱が生徒に対する教育の効果を高めることを自覚して、率先垂範・行動する。」

 …これが、大阪維新が主導してつくった大阪市国旗国歌条例とそれを受けて発出される教育長通知によって強制される卒業式です。

 私は、8月22日の原告本人の証人尋問に向けて、陳述書(22年7月28日付)を裁判所に提出しました。そこには、

「『君が代』とは何か、その歴史(私の認識)」
「『君が代』を起立・斉唱することの私にとつての意味」
「教員としての良心の自由に基づく不起立・不斉唱」

 の項を立て、

「以上述べた通り、私の『君が代』不起立・不斉唱は、国際人権自由権規約第18条『思想、良心及び宗教の自由』、中でも『教員としての良心の自由』に基づく行動として、罰するべきではありません。」

 と主張しました。

 また、「大阪市立学校の『君が代』指導と卒・入学式の実態、及び、大阪市国旗国歌条例・教育長通知・職務命令が違憲違法であること」の項を立て、

「これらの事実を総合してわかることは、大阪市教育委員会が、『君が代』の歴史を意図的に児童・生徒に知らせないようにしているということです。

 一方、大阪市・大阪市教育委員会は、職務命令によって教職員に『君が代』起立・斉唱を命じ、また、起立・斉唱できない者の姿を児童・生徒から隠し、式参列者全員が『日の丸』に向かって「君が代」を起立・斉唱する場面を演出することで、『日の丸』『君が代』が象徴する日本国家のイメージ(=崇高で従うべきもの)を刷り込もうとするものです。

 このような大阪市立学校の「君が代」指導と卒・入学式の実態は、子どもの権利条約第12条、13条、14条、第28条、第29条と憲法26条違反に違反しています。」

 と主張しました。

 ◆ 訴えを切り捨てる判決文の手法とほころび

 判決文は、私が「思想・良心の自由」「教員としての良心の自由」の侵害に当たると訴えた私自身の信条にかかわる部分を取り上げないことで、「思想・良心の自由」にかかわる従来の判決を使いまわししました。
 また、子どもの人権、子どもの学習権に関する訴えについては、「原告は生徒の権利侵害を訴える法律上の利害関係を有していない(職務命令の名宛人は原告であって生徒ではない)」ことを理由として切り捨てました。
 しかし、判決文のほころびは誰の目にも明らかではないかと思うのです。

 例えば、これまでの判例に倣って、判決文は、

「生徒らにとって教育指導として受け止められるとはいえず、原告に対して特定の教育方法を強制しているとは言えない」(判決文P36)とか
「(教育長通知は)具体的な指導方法について定めるものではない」(判決文P39)としていますが、

 大阪市教育長通知は、

「児童生徒に国旗・国歌を尊重する態度を育てる立場にある教員が、学習指導要領に基づき国歌を歌えるよう指導するとともに、自らも起立して国歌を斉唱することが教育の効果を高める大切な事項であることを教員に周知すること」

 としているのです。
 すなわち、大阪市国旗国歌条例・教育長通知は、教員の起立・斉唱を教育活動と位置づけているわけで、判決文の誤りは明らかです。

 また、判決文は、私の不起立の影響について、

「学校の儀式的行事としての式典の秩序や雰囲気を一定程度損なう作用をもたらし、それにより式典に参列する生徒らへの影響を伴うものである」(判決文P41~P42)

 としていますが、これは、被告大阪市が、答弁書(P17)で、最高裁判例に書いてあったということだけを根拠に、本件の場合もそうであったと断定した部分を採用したものです。
 この答弁書主張に対して、原告第1準備書面(P38)で

「原告にかかる本件卒業式とは全く異なる式典について判示した最高裁判決の内容から、本件において『公務の運営に支障を生じさせ』たという認定をするのは意味不明で、事実認定と評価について争う。本件の場合、式典の秩序や雰囲気は一切損なわれていない。

 と反論しました。それに対して被告は反論していません。
 これらの経過からして、、判決文で、答弁書の記述をそのまま採用することが許されないことが明らかです。

 ◆ 国連自由権規約委員会総括所見にケンカを売る判決文

 私が処分取消の根拠とした国際人権自由権規約18条については、第1準備書面で訴状に追加して主張し、その後、裁判所の求めもあって、被告大阪市も反論せざるを得ず、何度か書面でのやり取りがありましたが、被告大阪市の「憲法と国際人権自由権規約は理念を同じくしており、憲法に違反しないと判断されれば、自由権規約にも違反しないということ」という主張については完全論破しました。

 結果、判決文は、「前記3の説示によると、本件各職務命令は、思想、良心及び宗教の自由を侵害するものとは言えないから、本件各職務命令は同項(自由権規約18条)に違反するということはできない。」というものになりました。

 「前記3の説示」というのは、自由権規約委員会の日本審査で日本政府(文科省)が説明したことであって、それに対する回答が、「君が代」不起立に対する懲戒処分は許されないという内容の総括所見パラグラフ38・39として、11月3日に公表されています。
 その勧告を全く否定した、国連にケンカを売った判決だと言えます。

 大阪地裁は、8月22日に結審したため、11月7日付で提出した、11月3日公表の自由権規約委員会第7回日本審査についての総括所見を紹介した原告第9準備書面は考慮外という立場だと思いますが、控訴審では、問題にならざるを得ません。
 重大な論点となるのは必至です。

 ◆ 逆転勝訴をめざして控訴します

 私は、この不当判決に対して、控訴して闘います
 私が陳述書で述べた「君が代」起立・斉唱職務命令に従えない理由(私の「思想・良心」と「教員としての良心」の内容)についての判断を求め、「君が代」の歴史についての事実認定、大阪市国旗国歌条例・教育長通知の下での「調教」ともいえるような教育の実態・生徒の権利侵害の実態を事実認定させるとともに、子どもの権利条約・国際人権自由権規約を根拠とした処分取消の勝利判決を勝ち取ることをめざします。
 引き続きご支援をお願いします。

『大阪ネットワークニュース 第27号』(2022年12月14日)

 


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