ひょうたん島研究会・TT(高木@千葉高退教)です。
すべての友人の皆さんへ。
ぼくが所属するか曖昧な千葉高教組「日の丸・君が代」対策委員会の機関誌『ひのきみ通信』用に以下の雑文を書いたので、紹介します。
例によってしょうもない内容なので、忙しい人はスルーしてください。
★ 映画『夢みる公立校長先生/子どもファーストな公立学校の作り方』雑感
T.T.0607(ひょうたん島研究会)
8月15日(火)昼、有楽町にあるシネスイッチ銀座で、映画『夢みる公立校長先生/子どもファーストな学校の作り方』を観た。若干の感想を書く。
監督はオオタ ヴィン、全然知らない人である。ぼくは観ていないが(と最初は書いたのだが、途中から観たかもしれないと思うようになっている)、前作は『夢みる小学校』、たぶん私立の小学校を描いた作品だと思う。
今作の主役は6人の公立小・中学校の校長で、コメンテーターとして、尾木直樹と前川喜平も登場する。
ナレーションは我らがアイドル・キョンキョンこと小泉今日子で、エンディングテーマはRCサクセションの『すべてはALRIGHT(YA BABY)』--実は曲名は映画の宣伝チラシにも書いてないのだが、ぼく、清志郎の高校の後輩でCDも持ってるので、曲名を調べることができたのだ。
映画では6人の校長へのインタビューも登場し、聞き手はたぶん監督のオオタだと思う。
コメンテーターが尾木と前川ということで、映画の作りは「リベラル」なのだと思う。話の本筋ではないが、映画の最後の方で、「軍拡反対!」「教育を政治の道具に使うな!」みたいなメッセージも流されていた。製作者の名誉のために、これは強調しておきたい。
--と褒めておいて(そんなに褒めてないか?)、二つだけ、ただしたぶんかなり本質的な違和感について書く。
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一つ目。宣伝チラシにも書かれているが、「校長先生は学校を大きく変えられる”大統領”なのです」。「学校教育法」にもそのようなことが書いてある--と尾木も強調する。映画の中では、”大統領”という言葉が、肯定的に使われている。
だが、学校で長く働いていたぼくには、強い違和感がある。
学校って、一人の考えで進められていいのか? 学校はそこで働く教職員--映画の文脈でいえばそこで学ぶ生徒たちをはじめとした総意で動くものじゃないのか?
映画のタイトルが『夢みる公立校長先生』だから仕方がないのかもしれないが、「英明な大統領が善政を行い、民衆が幸せになる」みたいなイメージが強すぎる。
だから校長はたくさん喋るのに、教職員の声がほとんど聞こえないのだ。「職場民主主義」とか「学校自治」という言葉にそれこそ「夢」を見てきたぼくとしては、違和感を感ぜざるを得ない。
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二つ目。この映画、形式的にはオムニバス形式の映画である。6人の校長についての物語が、続けて紹介される。
一人の校長から次の校長に話が移る時、キャッチコピーというか、小見出しというか、短文が一つ、画面に映る。
例えば、「もっと学校に自由を」--大賛成である。
大賛成ではあるのだが・・・。
今年は2023年、タモリが「新しい戦前か」と心配した年である。
その年に「学校の自由」について考えるなら、「日の丸・君が代」問題は外せないと、少なくともぼくは思う。
それなのに、この映画には「日の丸」も「君が代」も、一切登場しない。上述したように、「軍拡反対!」は明確に主張しているのに・・・。
もし「日の丸・君が代」が登場しないことが本当に存在しなかったからならば、ぼくとしては大いに喜びたいと思う。でもなあ・・・?
この映画には「小学校の入学式らしいシーン」と、「卒業式らしいシーン」が両方登場する。
「入学式らしい小学校」がどこかは覚えていないが、「卒業式らしい小学校」は、茅ヶ崎市立香川小学校、國分一哉校長がギターを弾きながら歌い、「卒業オメデトウ」という写真が宣伝チラシに使われているので、学校を特定できたのである。
ぼくは上記で「入学式らしい」「卒業式らしい」シーンと、敢えて書いた。どちらのシーンも手作り感満載で、新入生や卒業生たちの表情も笑顔がいっぱいで、素晴らしい「式」だったと思う--のだが、疑り深いぼくは(嫌な性格だ)、次のような違和感を持ってしまった。
「現在の日本の公立小・中学校で『日の丸・君が代』と無縁であることは可能なのか?」
「可能」ならそれはとてもよいことだと、ぼくは思う。でもなあ、残念ながらこの国--というか、この国の現在の政府を、ぼくは全然信用していないのだ。
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蛇足だけど、この映画が「悪い映画だ」と言ってるわけじゃない。子どもたちの明るい笑顔を見れば、この社会もまだ捨てたもんじゃないと思えるだろう。多くの人に観てもらって、感想を聞かせてもらえれば嬉しい。(23/08/19早朝)
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