初見。
初めて見る譜面を、すぐさま演奏する力。
その昔。私はこれが苦手ではありませんでした。
ピアノでなら、可能でした。
でも、歌えと言われたら、恥ずかしいほどできませんでした。
最近、そんな頃の私とそっくりな子が来ました。
初見演奏はとてもしっかりできるのに、
初見視唱はからっきしダメなのです。
そして、私と同じく、絶対音感を持っています。
絶対音感を持っていると、新曲視唱なんて簡単?
と思われがちですが、これが全くダメなのです。
ま、浅~い絶対音感だからかも知れませんが。
昔の私は、弾けるんだからいいじゃないか、
と言い逃れをしていました。
が、やはり、どこか欠落しているのを感じていました。
そして、あれこれ考えながら色々トライし、
ある結論にたどり着きました。
和声感が欠落しているのだと。
音は鳴らせるけれど、次にどんなハーモニーが鳴るか全く予期できない上に、
想像もせずに演奏していたことに気付きました。
これは、和声の進行が理解できていないので、
演奏上の音の進みが、全く必然性のない演奏になります。
今現在弾いている和音、音が、
次のどんな和音を聴きたいがために鳴らしているか、
どこへ解決しようとしているのか、
全く理解できないでいました。
これに気付いてからというもの、
毎日毎日長調・短調合わせて24調の
様々な和声進行をひたすら練習し続けました。
そして、ある時、
自分でもびっくりするほど、新曲視唱が安易になっていたのです。
(そう、高校時代の私を知っている知人が、今の私の新曲視唱を聞いたら
きっと、すごくすごく、びっくりするはず!)
それと同時に、和音の持つ性格に耳が向けられるようになりました。
鳴らすだけの演奏から、音を聴く演奏に変わったのだと思います。
新曲視唱。
これだけを取り出すと、
ピアノを弾くのに、何の役に立つんだ!と思われがちですが、
和声感が身に付いているかどうかを見るのに、
こんなに簡単な方法はありません。
そして、新曲視唱が上手にできる人は、
和声づけも上手だし、和音もきれいに鳴らすように感じます。
今でも、私の和声感に対する劣等感は続いています。
まだまだ、不十分。
私の教室の生徒さんたちには、
是非とも総合的な音楽力を身につけさせてあげたいと
強く思いつつ、レッスンをしています。
初めて見る譜面を、すぐさま演奏する力。
その昔。私はこれが苦手ではありませんでした。
ピアノでなら、可能でした。
でも、歌えと言われたら、恥ずかしいほどできませんでした。
最近、そんな頃の私とそっくりな子が来ました。
初見演奏はとてもしっかりできるのに、
初見視唱はからっきしダメなのです。
そして、私と同じく、絶対音感を持っています。
絶対音感を持っていると、新曲視唱なんて簡単?
と思われがちですが、これが全くダメなのです。
ま、浅~い絶対音感だからかも知れませんが。
昔の私は、弾けるんだからいいじゃないか、
と言い逃れをしていました。
が、やはり、どこか欠落しているのを感じていました。
そして、あれこれ考えながら色々トライし、
ある結論にたどり着きました。
和声感が欠落しているのだと。
音は鳴らせるけれど、次にどんなハーモニーが鳴るか全く予期できない上に、
想像もせずに演奏していたことに気付きました。
これは、和声の進行が理解できていないので、
演奏上の音の進みが、全く必然性のない演奏になります。
今現在弾いている和音、音が、
次のどんな和音を聴きたいがために鳴らしているか、
どこへ解決しようとしているのか、
全く理解できないでいました。
これに気付いてからというもの、
毎日毎日長調・短調合わせて24調の
様々な和声進行をひたすら練習し続けました。
そして、ある時、
自分でもびっくりするほど、新曲視唱が安易になっていたのです。
(そう、高校時代の私を知っている知人が、今の私の新曲視唱を聞いたら
きっと、すごくすごく、びっくりするはず!)
それと同時に、和音の持つ性格に耳が向けられるようになりました。
鳴らすだけの演奏から、音を聴く演奏に変わったのだと思います。
新曲視唱。
これだけを取り出すと、
ピアノを弾くのに、何の役に立つんだ!と思われがちですが、
和声感が身に付いているかどうかを見るのに、
こんなに簡単な方法はありません。
そして、新曲視唱が上手にできる人は、
和声づけも上手だし、和音もきれいに鳴らすように感じます。
今でも、私の和声感に対する劣等感は続いています。
まだまだ、不十分。
私の教室の生徒さんたちには、
是非とも総合的な音楽力を身につけさせてあげたいと
強く思いつつ、レッスンをしています。