詩人PIKKIのひとこと日記&詩

すっかりブログを放任中だった。
詩と辛らつ日記を・・

健康三題…… 岡本かの子

2021年04月11日 | 物語

青空文庫 Aozora Bunko

     はつ湯

 男の方は、今いう必要も無いから別問題として、一体私は女に好かれる素質を持って居た。
 それも妙な意味の好かれ方でなく、ただ何となく好感が持てるという極めてあっさりしたものらしかった。だから、離れ座敷の娘が私に親しみい素振りを見せるに気が付いても一向珍らしいことには思わなかった。仕事でも片付いたらゆっくり口が利ける緒口いとぐちでもつけてやろう。単純にそのくらいの察しを持合せていた。
 女中の言うところに依ると、その娘は富裕な両親に連れられて年中温泉めぐりをして居る所謂いわゆる温泉場人種の一人だった。両親が年老いてから生れた一人娘なので大事にし過ぎるせいもあり大柄の身体の割合いに生気が無く、夢見るような大きな瞳に濃い睫毛まつげが重そうにかぶさっている。私は暮の二十五日に此の宿へ仕事をしに来て湯に入る暇も無く強引にペンを走らせている。障子しょうじてにその娘が欄干にもたれて中庭越しにこっちの部屋を伏目で眺めて居る姿が無意識の眼に映るけれども、私はそれどころでなく書きに書いて心積りした通り首尾よく大晦日おおみそかの除夜の鐘の鳴り止まぬうちに書き上げた。さて楽しみにした初湯にと手拭を下げて浴室へ下りて行った。
 浴槽は汲み換えられて新しい湯の中は爪の先まであおみ透った。暁の微光が窓硝子ガラスを通してシャンデリヤの光とたがい違いの紋様を湯の波にきらめかせる。ラジオが湯気に籠りながら、山の初日の出見物の光景をアナウンスする。
 湯の中の五六人の人影の後からその娘の瞳がこっちを見詰めている。今はよしと私はほほ笑んでやる。するとその娘はなよなよと湯を掻き分けて来て、悪びれもせず言う。
「お姉さま、お無心よ」
「なあに」
「お姉さまの、お胸の肉附のいいところを、あたくしに平手でぺちゃぺちゃとたたかして下さらない? どんなにいい気持ちでしょう」
 私はこれを奇矯な所望とも突然とも思わなかった。消えそうな少女は私の旺盛な生命の気に触れたがっているのだ。私は憐み深く胸を出してやる。

     春の浜別荘

 暮から年頭へかけて、熱海の温泉に滞在中、やや馴染になった同じ滞在客の中年の夫婦から……もしここを引揚げるようだったら、五日でも十日でも自分のところの別荘へ寄ってそこにいる娘と一緒に暮しては呉れまいかと、たっての頼みを私は受けた。
 私は自分では何とも思わないのに、異ったところのある女と見え、よくこんな不思議な頼みを人から受ける。念のため理由を夫婦に訊いてみると、「あたたのような気性を、是非娘に写して置き度いから」というのである。私はむっとして、「模範女学生じゃあるまいし」と、つい口に出していってしまったが、夫婦の強請せがみ方はなかなかそのくらいでは退けようもなく、また私自身書きものの都合からいっても何処どこかところを換え、気を換える必要があったので、遂々とうとう温泉滞在を切り上げ、夫婦に連れられて汽車に乗り、娘のいる浜の別荘へ送り込まれた。

 来て見て案外その別荘は気に入った。家は何の奇もない甘藷かんしょ畑と松林との間に建てられたものだが、縁側に立って爪立ち覗きをしてみると、浜の砂山のなみのような脊とすれすれに沖の烏帽子えぼし岩が見えた。部屋の反対側の窓を開けると相模川の河口の南湖の松林を越して、大山連山の障壁の空に、あっと息を詰めるほど白く見事に富士の整った姿がかかっていた。そして上げ汐に河口の幅の広い湾入が湖のようになると、目を疑うほどはっきり空の富士が逆に映る。私は「まるで盆景の中に住んでいるようねえ」と美景を讃嘆した。

 娘というのは数え歳は十六だそうだが、見たところやっと十二か十三で、脾弱ひよわな胴に結んだ帯がともすればずり落ちるほど腰の肉などなかった。蝋細工のような細面を臆病そうにうつ向けて下唇を噛みながら相手を見た。ただ瞳だけが吸い付くように何物をかあえぎ求めていた。そうかといって病気もなかった。
 私と娘の両親との約束は――一緒に娘と膳を並べて食事をするほか、もし暇があったら戸外の散歩へでも連れて出て呉れないか――、ただそれだけであった。だから私は所換えに依って新らしくそそられた感興の湧くに任せてぐんぐん仕事に熱中し出して娘を顧みる余裕を失ったが、娘は起きるから寝るまで私の部屋に来て、黙っての字に坐ったなり、私の姿をまじまじ見ているのだった。私は見られていると意識するときに、ちょっとてれた気持もしないではないが、然しまるで草木のような感じしかない少女が一人、傍にいたとて別に気分のさわりにはならなかった。

 私はその頃、ダルクローズの舞踊体操にっていた。で、仕事に疲れて来るとたちまち室内着を脱ぎ捨てスポーツシャツ一枚の姿で縁側でトレーニングをやった。私の肉体は相当鍛えられていたから四肢の活躍につれ、私の股や腕にギリシャの彫刻に見るような筋肉の房が現われた。私自身自分の女の肉体に青年のような筋肉の隆起が現われることに神秘的な興味を持ったのだが、気がつくと、これにみいっている少女の瞳は燃ゆるようだった。彼女は見つめて三昧さんまいに入り、ぶるぶると身ぶるいさえすることがあった。私はこれを思春期の変態の現われじゃないかと嫌な気がしたが、そうではないらしかった。健康なものを見て、眼から生気を吸い込もうとする衰亡の人間の必死の本能だった。私が運動を終ると、あえぐものが水を飲んだときのように彼女は咽喉を一つ鳴らし「もうもう本当にいい気持でしたわ」と襟元えりもとを叩いた。

 二週間ほどの滞在中一度だけ私は娘を散歩に連れて出てやった。日の当る砂丘の蔭に浜防風が鬱金色うこんいろの芽を出していた。娘は細い指先でそれを摘まみ集めながら私にいった。「ねえ、お姉さま。わたくしいつお姉さまのように活々いきいきした女になって、恋が出来るのでしょうか」私は答えた。「ばか、恋はうかうかしてしまってから気が付くもんだよ。前にかれこれ考えるものじゃないよ」娘は、はーと吐息をついた。私は焦立いらだっていった。「自分の事ばかり気苦労してないで、向うをご覧。海があるだろう。富士があるだろう。春じゃないか」旧正月を祝うとて浜に引揚げられた漁船には何れもへんぽんとして旗が飜っていた。砂丘の漁夫の車座から大島節も聞えた。私たちは別荘へ帰ってその夜の晩飯には、娘の摘んだ浜防風と生のしらすと酢のものにしたのを食べた。思いなしか、娘は日ごろより少し多く飯茶碗の数を重ねた。

 それから三年ほど経って、その娘は結婚した。今は憎らしいほど丸々肥って子供の二、三人も出来た。毎年正月のためとて浜防風と生のしらすは欠かさず送って来る。

     ゆき子へ

 ゆき子。山からの手紙ありがとう。蜜月ハネムーンの旅のやさしい夫にいたわられながら霧の高原地で暮すなんて大甘の通俗小説そのままじゃないか。たいがい満足していい筈だよ。今更、私をなつかしがるなんて手はないよ。第一誤解されてもつまらないし、人によっては同性愛なんてけちをつけまいものでもなし――結婚したら年始状以外に私へ文通するでは無いと、結婚前にあれほどくどく言ったじゃないか。それにもうよこすなんてこの手紙の初めについお礼を一筆書いては仕舞ったようなものの私はおこるよ。
 改めて言うまでもなく、あなたをかつて私の傍に、すこしの間置いといてやったのは、あなたの親達から頼まれたからであるけれど、私があなたを一目見て、あんまりあなたが貧弱なのに義憤を感じたからさ。なぜと言って、あなたの身体は紙縒こよりのようによじれていたし、ものを言うにも一口毎に息を切らしながら「おねえさま、あたくしこれで恋が出来ましょうか」と心配そうにいってたじゃないか。私は歯痒はがゆくてたまらなくなって私の健康さを見せびらかし、私の強いいのちの力をいろいろの言葉にしてあなたの耳から吹き込んでやった。そのせいか、あなたはだんだん元気になり、恋愛から結婚へ――とうとう一人前の女になった。
 あなたは一人前の女になった。私は同じ女性として助力の義務を尽した。もうそれで好い、それ以上私はあなたに望まれ度くない。
 あなたは私が都に一人ぽっち残ってさぞ寂しかろうと同情する。よしてお呉れ、私は人から同情を寄せられるのは嫌いだ。寂しいことの好きなのは私の性分だ。けれども断って置きますが、私の好きなのは豪華な寂しさだ。
 私は好んで私を愛する環境から離れて居たがる。一人、私は自分の体を抱く、張り切る力で仕事のことを考える。自分の価値につくづくうたれる。だがこれは病理学でいう「自己陶酔症ナルチスムス」などいう病的なものではないよ。自分の生命力を現実的にはっきり意識しながら好んで自分を孤独に置く――この孤独は豪華なぜいたくなものなのだよ。もう判ったか、ゆき子。判ったらもう私をなつかしがる手紙など書くな、お前の良人おっとに没頭するのだ。


私の子供時分 伊波普猷

2021年04月11日 | 物語

 私の子供の時分のことを書いてくれとのことであるが、当時の事はおおかた忘れてしまって、記憶にのこっている部分はいたって少い。私の生れたのはもう三年経つと沖縄が廃藩置県になるという明治九年のことだ。その頃の沖縄といえば熊本鎮台の分遣隊が古波蔵村に置かれるやら松田がやって来るやらで随分物騒であったろうが、残念ながら当人はそんなことなぞ覚えていようはずがない。
 物心が付いた時分、私の頭に最初に打込まれた深い印象は私の祖父さんのことだ。私の祖父さんは、十七の時、家の系図を見て、自分の祖先に出世した人が一人もいないのを悲しみ、奮発して支那貿易を始め、六、七回も福州に渡った人だ。私が四つの時には祖父さんはまだ六十にしかならなかったが、髪の毛もひげも真白くなって、七、八十位の老人のようであった。いたって厳格な人ではあったが、また慈悲の深い人であった。今日でいう胎内教育のことなぞもよく心得ていて、私が母の体内に宿ると、母の食物やかれこれに非常な注意を払ったということだ。私が生れ落ちて乳母をやとうという時にも、十名位の応募者を集めて、身元や体質や乳などを試験した上で採用したとのことだ。
 私は生れてから何不足なしに育てられたが、どうしたのか、泣くくせが附いて家の人を困らせたとのことだ。
 いつぞや私が泣き出すと、乳母が私を抱き、祖母さんは団扇うちわで私を扇ぎ、お父さんは太鼓を敲き、お母さんは人形を持ち、家中の者が行列をなして、親見世(今の那覇警察署)の前から大仮屋(もとの県庁)の前を通って町を一周したのを覚えている。もう一つ家の人を困らせたことがある。それは私が容易に飯を喰べなかったことだ。他の家では子供が何でも喰べたがって困るが、私の家では子供が何にも喰べないで困った。そこで私に飯を喰べさせるのは家中の大仕事であった。ある時祖父さんは面白いことを考え出した。向いの屋敷の貧しい家の子供で私より一つ年上のワンパク者を連れて来て、私と一緒に食事をさせたが、私はこれと競争していつもよりたくさん喰べた。その後祖父さんはしばしばこういう晩餐会を開くようになった。
 それから祖父さんは、私と例の子供とに竹馬を造ってくれて十二畳の広間で競馬のまねをさせて非常に興に入ることもあった。その時には祖父さんはまったく子供となって子供とともに遊ぶのであった。
 先達て途中で私を呼びとめた者がいるから、誰れだろうと思ってふり向いて見ると例の竹馬の友であった。彼は私の祖父さんのことは今に忘れられない、あんな慈悲の深い人はまたといないといって涙ぐんだ。
 祖父さんは猫が大好きであった。その頃私の家には、十数匹の猫がいたが、いずれも肥え太った綺麗な猫であった。祖父さんは外から帰って来る時には、いつもせき払いするのであったが、十数匹の猫はこの声を聞くや否や、先を争って門の所まで行って、その老主人を迎えるのであった。そうすると、祖父さんは懐からカステラとかカマボコとかいうような御土産を出して、これを分配してやるようなこともしばしばあった。
 明治十二年には私は四歳であったこの年はわれわれ沖縄人が記憶しなければならない廃藩置県のあった年であるが、私には当時の騒動のことなぞはわからない。出世して系図を飾るという考えをっていた祖父さんはこの政治上の変動で全然前途の希望がなくなって、心身ともににわかに弱ったとのことだ。おまけに大仮屋に出勤していた私の叔父で当時十五になる利口の青年が相談なしに東京に連れて行かれたので祖父さんの落胆は一通りではなかったとのことだ私は彼の盗まれた日親戚の者が大勢本家に集まって人が死んだ時のように声を立てて泣いたのを覚えている
 そういう心配のために、しばらくすると祖父さんは中風ちゅうぶうかかった。歳の暮頃から全身が不随になって、口もきかなかった。そして目ばかりぱちぱちさせて私の顔を見ていた。
 今になって考えて見ると、祖父さんはこの恐ろしい世の中で、その最愛の孫の行末がどうなるだろうということばかり考えていたらしい、彼は沖縄が今日のように幸福な時代になろうとは夢にも思わなかったであろう。私の五つの年の三月に私の唯一の教育者であった祖父さんはとうとう彼の世の人となった。私は白い着物を着て下男に抱かれて葬式に出たのを覚えている。祖父さんの領地の伊波村からたくさんの人々がやって来て行列に加わったのも覚えている。


 祖父さんがなくなって後、私の家は急に寂しくなった。この数カ月の間、どういうことが起ったか、またどういうことを私がやったか、よくは覚えていない。ただ旧の大晦日の二、三日前に、私の弟月城げつじょうが生れたので、祖母さんがこれを祖父さんが生れかわったのだといって、喜んでいたのを記憶しているばかりだ。
 明けると明治十五年私は六歳になったこの年に東京で博覧会が開かれたので沖縄の方からも多くの人々が見物に出かけた私の本家の方では盗まれた叔父をこの機会に取り返すという議があって一番上の伯父さんがわざわざ上京することになった
 叔父が盗まれたというと少し語弊があるが、当時の人は皆そういっていた。ところがその実叔父は盗まれたのではなく、自分で希望していったということだ。今になって考えて見ると、当局者はこの利口な少年を東京につれていって、新しい教育を受けさせる積りであったということがわかる。そこで世間の悪口屋は許田の家では子供を高価で日本人に売ったなぞといっていた。とにかく叔父は東京に行くと間もなく、共慣羲塾に這入って勉強した。そしてさっそく断髪して服装までかえたということだ。してみると、叔父は沖縄から東京にいった最初の遊学生でしかも沖縄人で断髪した者の嚆矢と言わなければならぬ。ほかに沖縄の先輩となった岸本以下数名の青年は彼と入り違いに上京したということだ。四月に叔父はいよいよその兄さんにつれられて帰省した。故郷を飛び出して満二年で帰ったのだ。家の人は彼が断髪して、見違えるほどになったのを見て吃驚びっくりした。そして死んだ人が蘇って来たかのように喜んだ。その日叔父はいたって快闊に話していた。しかし二年の間母国の言葉を使わなかったためか、その語調は少し変であった。私始め親類の子供達は今までに見たことのないオモチャの御土産を貰って喜んだ。叔父は断髪姿で外出しては剣呑だというので夜分でなければいっさい外出はしなかった。数カ月経って、髪の毛が長くのびたので、また昔のように片髻かたかしらを結うて、盛んに親戚朋友の家を訪問していた。この年の暮に家の祖母さんが死んだ。叔父は祖母さんの墓参にはかかさずいった。そしていつも私達には東京の面白い話をして聞かせた。ところが翌年の正月に、この新文明の鼓吹者であった叔父は腸チブスに罹って急に死んだ。彼はじつに末頼もしい活溌な青年であったが、十八歳を一期として白玉はくぎょく楼中ろうちゅうの人となった。私は今までただ叔父と呼んで彼の名を言わなかったが、彼の名は許田普益であることを読者におしらせしたい。さて時勢はだんだん変って来て、沖縄から公然と数名の青年を東京に遊学させることになったので、本家の方では、こうなると思えばあのまま東京に置いておくのであったといって今更のように後悔した。叔父は今まで生きながらえていたら、まだ四十九歳で、盛んに活動している頃だが惜しいことをしたものだ。こういう事件があったために、私の親類は自然新しい文明に対して恐怖心を懐くようになった。私の家なぞは少し広すぎたに拘わらず、内地人にはいっさい間を貸さないことにした。そして私の家では私達が言うことを聞かない場合には「アレ日本人ヤマトンチュードー」といって、私達をおどすのであった。私はろくに外出なぞはさせられなかったので、どこに学校があるかということさえも知らずにいた。ずっと後になって、ようやく学校のあることには気がついたが、そういう所に這入ろうという気にはなれなかった。
 七歳の時に、私は従弟と一緒に始めてある漢学塾みたいな所におくられた。そこの先生は漢那大佐の外戚の叔父に当る玉那覇某という人であったが、私達はこの人から始めて「大舜」という素読を習った。そして二、三年の間、ここで四書の素読を習った。当時の漢那君は非常なワンパク者で、いつも叔父の家に裸足で這入って来て、イモを取って食ったり、いろいろのいたずらしたりしていた。あまり大騒ぎをして私達の勉強を妨げると、玉那覇は大喝一声で退去を命じたが、未来の海軍大佐は一向平気なもので、叔父をひやかしながら退却するのであった。だいぶ後になって玉那覇先生は「今後の人はこういうものも知っていなくてはいけない」といってイロハと算術を私達に教えた。しかし学校に入学しろとすすめたことは一度もなかった。
 私の家では祖父さんがなくなり、また引続いて祖母さんもなくなったので、血気の盛んな私の父はだんだん放縦になって、酒色に耽るようになった。そして家庭の平和は破れて、私は子供心に悲哀を感じた。しかしこういうことは独り私の家にかぎったことでもないから、この事はあまりくわしく述べずに置こう。とにかく当時の沖縄の男子で子供の教育なぞのことを考えるものは一人もなかった。私の母は子供をこのままにしておくのは将来のために善くないということに気がついて、学校に出す気になった。父はこの意見にはあまり賛成しなかったが、母が独断で明治十九年の三月に師範学校の附属小学校に入校願を出した。しかしその時は人員超過で後廻しにされた。その頃、附属の主事の戸川という先生が家の座敷を借りに来たのをさいわい、母はさっそくこの先生をつかまえて一種の交換問題を提出した。それは今後私を附属に入れてくれるなら座敷を貸して上げようということであった。戸川先生はすぐ入学を許可するから座敷は是非かしてくれといって、二、三日経つと引越して来た。私はいよいよ附属に通学するようになった。これが私の十一歳の時である。この時の学校は那覇の郵便局の所にあった。そして当時の新入生で私が覚えている主なる者は当真前那覇区長や我謝教諭である。当時の読本には神は天地の主宰にして万物の霊なりというようなことが書いてあったと覚えている。この時の教生はもとの松山尋常小学校の校長祖慶先生であったが、先生はこの時から非常な熱心家であった。一、二カ月経つと祖慶先生が、突然今日は進級試験をやるからといって、一、二の問題を出して皆にきいた。私とそれからもう二人の子供はかなりうまく答えたというので、この日から三人は五級にいって授業を受けることになった。五級の先生は阿嘉先生であった。


 那覇での私の学校生活はほんの一、二カ月に過ぎなかった。いくらかお友達が出来たかと思うと、私は間もなく、首里に行かなければならないようになった。この年師範学校が首里に引越したので今まで附属にいた生徒達は西泉崎久茂地等の学校に分配されたが私は戸川先生のすすめによって首里に行くことになった。その時私は家というものを離れた。はじめて両親の膝下しっかを離れるというので、出発の際などは両親を始めとして、親類の者が十名ばかり、別れを惜しんで、私を首里まで送った。わずか一里しか隔てていない所に旅をさせるのを、当時の人は東京にでも出すくらいに考えていたのであろう。世間ではまだ寝小便をするくらいの子供を手離して人に預けるのは惨酷ざんこくであるといって、私の両親を非難したとのことだ。実際私は時々寝小便をやらかして先生を驚かすこともあった。
 さて首里という所は今日は寂しい都会になっているがその当時は随分盛んな都会であって道を歩く時大名の行列に出合わさないことはないくらいであった。私は時々百人モモソ御物参オモノマイリといって百名近くの男子が観音堂などに参詣するのを見たことがあった。
 はじめて学校に行って変に感じたのは、生徒の言葉遣いや風習が那覇と異なっていることであった。当時はまだ階級制度の余風よふうが遺っていて、貴族の子は平民の子を軽蔑したものだ。こういう所へ私のような他所者よそものが這入ったからたまらない、彼等はいつも私を那覇人ナーファー那覇人といって冷かした。おまけに私は大きなカラジを結び、振り袖の着物を着て、女の子みたようであったから一層困った。元来那覇では十三歳にならなければ、元服しない(すなわち片髻かたかしらを結わない)規定であったが、私は十一歳の時に元服して、彼等と調子を合すように余儀なくされた。こういう風であったから、最初の間首里の学校生活は愉快ではなかった。この頃までは九〆くじめといって晩の八時頃になると、円覚寺えんかくじや天界寺や天王寺や末吉の寺の鐘が同時に鳴り出すので、何となく寂しいような気がして、夜はたいがいは家の夢ばかり見ていた。だから私に取っては、土曜日を待つのが何よりも楽しみであった。土曜の昼過ぎになると、いつも蒲平カマートー太良タラー駕籠かごを持って迎えに来たものだ。蒲平は六尺位の大男で太良は五尺足らずの小男であったから、随分乗り心地の悪い駕籠であったが、私には彼等に担がれていくのが何よりも楽しみであった。家に帰えると、両親の喜びは一通りではなかった。お友達も訪ねて来て、首里の話などを聞いて喜んだ。しかし私の言葉が変な調子になっているのを聴いて笑っていた。
 月曜日の朝は例の駕籠で首里に上った。今になって考えてみると、首里にいったのは私にとっては非常な幸福であった。それはこの頃の家の悶着を聞かずに済んだから。
 私の同級生にはもとの首里区の徒弟学校長の島袋盛政君がいた。彼は幼少の時、私の近所で育った人で、私より一年ばかり前に首里にいったのであるが、その頃はもう首里の方言を使って、首里人と識別することが出来ないようになっていた。
 このころは首里那覇に人力車は一台もなかった沖縄中に知事さんの車がたった一つあったばかりでこれを県令車といっていたから貴族の方々や師範中学の先生達はおおかた駕籠で往復したものだ。師範中学の先生達は土曜日になると、よく集まって酒を呑んだものだが、ほろ酔加減になると、例の駕籠を用意させて那覇に下っていくのであった。その翌年すなわち明治二十年に、首里の安慶田という人が大阪から十二台ほど人力車を取寄せて、人力車営業を始めたが、この車が通ると、沿道の人民は老幼男女を問わず、門の外に飛出して見物するのであった。これからはもう師範中学の先生達の那覇下りも楽になった。私も時々高い車賃を払ってこれに乗った。車賃は確か片路で二十六銭であったと覚えている。この時から私の変ちきりんの籠はあまり見えないようになった。


 この年の二月、森文部大臣が沖縄の学校をに来られた頃は、師範学校の生徒中に、断髪した者は一人もなかった。その頃断髪したのは沖縄中に一、二名しかなかった。私は伊江朝貞君(日本キリスト教の宣教師)が師範学校の寄宿合に行って、富永先生(元の高等女学校長)に片髻かたかしらを結って貰ったのを覚えている。
 この結髪の師範生等が靴をはき鉄砲をかついで中隊教練をやり始めたら口さがなき京童は、「鉄砲かためて靴くまち親の不幸やならんかやと歌って彼等を嘲けった。しばらくして、師範生中で桑江(元の佐敷校長)、奥平(菓子屋の主人)等五、六名のものが断髪したら、世間の人から売国奴として罵られた。ある時この連中が識名園しきなえんに遊びに行くと、見物人が市をなして歩けないくらいであったということだ。ところがこれから一年も経って、二十一年の四月頃になると、師範生中には最早一人の結髪者も見えないようになった。
 小学校で体操や唱歌や軍歌が始まったのもこの時だ。私は行軍の時にはいつでも「我は官軍」や「嗚呼正成よ」の音頭取をやらせられた。よほど後になって、首里の小学校では「昔唐土の朱文公」という軍歌をうたい出した。そうすると、那覇の小学校でも「一つとせ」という軍歌をやり始めた。
 戸川先生は私にわざわざ那覇からつれて来たからには、一番になってくれないと困る、と言われたが、私は元来がなまける性質なので、いつも五、六番位のところに落着いていた。そういう風に愚図愚図していたから、私はとうてい「ヤマトジフエー」なる先生の気に入る事は出来なかった。後で聞くと、先生は私の行末を悲観しておられたとのことだ。
 その頃、私は出しゃばる癖があったが、某先生が修身の時間に「実の入らぬ首折れれ」という俚諺りげんを説明して、私に諷刺をしたので、私はにわかにだんまりになった。私は戸川先生の所に二年ほどいたが、先生の都合で中学の平尾先生の所に預けられた。
 ある時私は本校生の真似をして、靴を買ってはいたら、あの子供は今に断髪をするだろう、といってそしられた。
 この頃であったろう、学校から帰えると、私はいつも城の下に蝶々を採りにいったが、田村軍曹に蝶々二十匹位分捕ぶんどりされて泣いたこともあった。
 私はこれから軍人が少々嫌いになった。平尾先生の所には一年位もいたが先生が先島に転任されたので、今度は家に帰って、毎日一里以上のところを通学するようになった。歳の若い私には、道が遠過ぎて、学校も自然欠席がちになった。そこで家では弟の乳母の子で私と同歳になる仁王という小僧を私に付てやったが、学校へ行くまねをして、よく八幡の寺の辺で遊んだものだ。私が名も知れない野生の花を摘んでいる間に、仁王は阿旦葉あだんばでラッパを造って吹いていた。この頃私の家にはいろいろの事件がおこった。私の身の上にも多少の変化がおこった。とにかくいろいろのことがあるのだけれども、それはそのうち都合のよい時、自分で素破すっぱ抜くことにして、ここでは言わないことにする。


 学校から帰えると、私はいつも城嶽の前のちっぽけな別荘にいって勉強していたが、首里にいた時分から昆虫の採集に趣味をつようになり、昆虫のことを書いた本を愛読して、いつも蝶々ばかり追いまわしていた。城嶽の辺は私にとってはじつに思い出の多いところだ。
 高等一年の時であったろうはじめて沖縄史を教えられたが私にはそれが何よりも面白かったこの以前平尾先生の所にいた時西村県令知事南島紀事を読んで郷土についていくらか趣味を感じたことはあるが私が今日郷土の研究に指を染めるようになったのは専らこの人の影響ではないかと思う。ところが私はこの先生の名を忘れた。この先生が首里の人でもなく、那覇の人でもなく、田舎の人であったというだけは確かに覚えている。私はこの無名の先生に感謝せなければならぬ。
 私は満五カ年の小学校生活を切り上げて明治二十四年の四月に、いよいよ中学に這入るようになった。当時の中学はもとの国学のあとにあったが、随分古風な建築物であった。一緒に這入った連中は漢那(大佐)や照屋(工学士)や当間(前区長)や真境名(笑古)などであった。これから私は那覇人中にも友達が出来るようになった。この時二年以上の生徒はおおかた断髪をしていたと覚えている。
 ある日のこと、一時間目の授業が済むと、先生方が急に教場の入口に立ちふさがった。何だか形勢が不穏だと思っていると、教頭下国先生がずかずかと教壇に上って、一場の演説を試みられた。その内容はよくは覚えてはいないが、アメリカインデアンの写真を見たが、生徒はいずれも断髪をして洋服を着ている。ところが日本帝国の中学の中で、まだ結髪をしてだらしのない風をしているところがあるのは、じつに歎かわしいことだ、今日皆さんは決心して断髪をしろ、そうでなければ退校をしろ、という意味の演説であったと思う。全級の生徒は真青になった。頑固党の子供らしい者が、一、二名叩頭をして出ていった。父兄に相談して来ます、といって出ていったのもあった。しばらくすると、数名の理髪師が入口に現われた。この一刹那に、先生方と上級生は手々に鋏を持って教場に闖入し、手当り次第チョン髷を切落した。この混雑中に窓から飛んで逃げたのもいた。宮古島から来た一学生は切るのを拒んだ。何とかいう先生が無理矢理に切ろうとしたらこの男、かんざしを武器にして手ひどく抵抗した。あちこちですすり泣きの声も聞えた。一、二時間経つと、沖縄の中学には、一人のチョン髷も見えないようになった。翌日は識名園で祝賀会が開かれた。この時戦ごっこをやったが、先生と生徒との組打もあった。児玉校長が芋虫が蟻群に引摺られるように、二、三十名の新入生に引摺られるのもおかしかった。この時断髪した者の中で、父兄の反対にあって、退校して髪を生やしたのも二、三名いた(世間の人は彼等のことを「ゲーイ」といった、「ゲーイ」とはやがて還俗のことだ)。私の友達に阿波連という者がいたが、これがために煩悶して死んだ。彼は漢那君と同じくらいに出来た末頼もしい青年であったが。さて私の時分は、こういう悲劇のような喜劇で一段落を告げた。今から考えると、まるで夢のようである。読者諸君がこれによってわが沖縄の変遷を知ることが出来たら望外の望である。私はそのうち気が向いた時、私の青春時代の事を書いてみようと思う。(終り)


アボンリーへの道 シーズン1 第6話 留守番は大混乱

2021年03月08日 | 物語

「わたしたち、これで本当のいとこね。」アレックとジャネットは15回目の結婚記念日を祝って小旅行に出かける。子供たちだけで留守番をすることになり、長女のフェリシティは大はりきり。アレックたちが出かけた後、ヘティも急用で出かけることになり、セーラもキング家に預けられることになる。フェリシティは威張り、フェリックスは食い意地がはっていざこざが絶えない。そんな時思わぬ訪問者が……。

キャスト
セーラ・ポリー ジャッキー・バローズ マグ・ラフマン フランセス・ハイランド
スタッフ
ポール・シャビロ ブルース・ピットマン ヘザー・コンキー フィオーナ・マクヒュー
アボンリーへの道 シーズン1
生い茂る草花が織り成すパッチワークのような草原、時間とともに七色にかわる海辺、そしてどこまでもひろがってゆく青い空、プリンス・エドワード島。― この島にやってきた夢見がちな少女・セーラが、あふれる魅力でアボンリーの人々の心をつかんでいきます。“世界一美しい島”から宝石のようなエピソードの数々をお届けします。
生い茂る草花が織り成すパッチワークのような草原、時間とともに七色にかわる海辺、そしてどこまでもひろがってゆく青い空、プリンス・エドワード島。― この島にやってきた夢見がちな少女・セーラが、あふれる魅力でアボンリーの人々の心をつかんでいきます。“世界一美しい島”から宝石のようなエピソードの数々をお届けします。(全13話)

〔週刊 本の発見〕『我らが少女A』

2020年08月07日 | 物語
毎木曜掲載・第167回(2020/8/6)
スーパーボールのような奔放さ
『我らが少女A』(髙村薫 著、毎日新聞出版、1800円):評者=大西赤人

 本欄で採り上げる髙村作品は、『土の記(上、下)』に続き、二冊目である。奈良県の山間に住む男の日常を淡々と、かつ執拗に描いた同作とは一変し、『マークスの山』や『照柿』など、高村のメイン・キャラクターである合田雄一郎刑事が登場する新篇。「合田雄一郎、痛恨の未解決事件」なる帯の惹句を見ればなおさら、高村ファンとしては無条件に心が躍る。しかも、ほとんど予備知識はないまま本を開いて、大西は驚いた。冒頭に掲げられた――物語の主要舞台となる東西3.5キロ余り、南北5.5キロ余りの一画――「野川公園周辺の地図」には、JR中央線・東小金井駅、西武多摩川線・新小金井駅をはじめ、多磨霊園や野川公園、連雀通りや東八道路と、これまで大西が(現住所を含めて)小金井市内で移り住んだ三ヵ所を結んで形作られる生活圏が、スッポリと収まっていたのだ。そして、最初のページに「早朝と深夜を除き、平日も休日も、上り下りともに十二分間隔で行き来」すると描かれる西武多摩川線の四両編成の電車は、今もモーター音に視線を上げれば、その走り過ぎる姿が窓越しの家並みの先にチラリと見える……。

 物語は、2005年12月25日に67歳の元中学校美術教師・栂野節子が野川公園で何者かに殺された未解決の事件が、2017年3月10日に27歳の女優志望・上田朱美が池袋で同棲相手に殺された事件により、十年を超える静かな眠りを揺さぶられて始まる。事件当時、節子は自宅で水彩画教室を開いており、孫の真弓、その友人の朱美も教え子だった。少女たちと、その周辺に現われる少年たち――浅井忍、小野雄太ら――を視野に入れながら捜査に関わった合田。今は調布の警察大学校で教授となっている彼は、その風情を強く記憶に留めていた朱美の死を知らされたことから、過去の事件を振り返り、関係者の現在を探り直す。

 高村(写真)は、「……した」「……だった」というような過去形をほとんど用いず、短めな現在形の文章を連ねて行く。それは、既に総ての経緯を把握した地点から回顧しているいわゆる〝神の視点〟であり、「後日その推測は正しかったことが証明される」「二人は偶然、真弓のマンションの住人に目撃されることになる」「二〇〇五年十二月二十四日、我らが登場人物たちはそれぞれのクリスマスイブを迎える」というような書きぶりは、そこで描かれる出来事との間になにがしかの距離をあえて設け、叙情ではなく叙事に徹しようとする書き手の意志のように感じられる。合田、忍、その父・浅井隆夫、真弓、その母・雪子、雄太、朱美の母・亜沙子、多くの登場人物の内面を忙しなく行き来するコラージュのような流れは、『土の記』の粘着性とは異なり、あちこちハネ回るスーパーボールのように奔放である。とりわけ、ADHD(注意欠陥多動性障害)の持ち主である忍の疾走し、回転し、上下動するまさにゲーム画面のような思考のリアリティは見事だ。

 そして、そのスーパーボールが最後にどこに落下する・着地するのか、読む者は――概ね何らかの破局を――密かに予測しながらページをめくるだろう。しかし、なだらかな下り坂をスキップで進むようにたどり着く結末には、特段の意外性とてなく、登場人物たちが迎える運命は、ハッピー・エンドとまでは言えないものの、むしろそれぞれに穏やかでさえある。そこには合田雄一郎シリーズとはいえミステリ的味わいは乏しく、高村自身、そういう要素に既に頓着してもいないのであろうが、読み応えの反面、もはやない物ねだりに等しいかもしれない物足りなさは感じる。

 ところで、最初に記した通り、本書の物語世界は完全に筆者の生活圏に合致しており、登場する場所や建物などの一つ一つが実感を伴うものだった。しかし、その中で、重要な要素として西武多摩川線が描かれ、その利用客の目的地として沿線のランドマーク――多摩川競艇場や多磨墓地や府中運転免許試験場や味の素スタジアムや東京外語大や――が折々言及されるにもかかわらず、JRA(日本中央競馬会)ウェブサイトでも終点・是政駅が最寄り駅の一つと紹介されている東京競馬場が作中に一切登場しないことは、実に不思議であった(高村は『レディ・ジョーカー』で競馬に詳しく触れているし、本作でも結末近くには、中山競馬場での「有馬記念」を軽いエピソードとして登場させているので、競馬を避けたはずはない)。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・渡辺照子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・根岸恵子、ほかです。

「週刊金曜日」ニュース:「なんて世の中だ、」を終わらせる

2020年08月07日 | 物語
http://www.labornetjp.org/news/2020/1596757313368staff01

 <<『 週 刊 金 曜 日 』 メ ー ル ニ ュ ー ス >>  2020.8.7・14

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 【1】注目の記事
 【2】編集長コラム
 【3】次号予告
 【4】近刊のご案内

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【1】注目の記事

■特集1・さよならアベ政治
「安倍首相は、自分の発言が改ざんの発端になっていることから逃げているのではないでしょうか」。
森友学園問題で公文書の改竄を強制され、自殺に追い込まれた赤木俊夫さんの妻・雅子さんは7月15日、大阪地裁での裁判の意見陳述で
こう述べ、安倍晋三首相に真相解明への協力を求めた。『朝日新聞』の報道によれば、安倍首相はその夜、記者団から「再調査」について
問われ、答えなかった。その誠意のなさに怒りを禁じ得ない。財務省近畿財務局職員だった赤木俊夫さんは遺書に「なんて世の中だ、」と書いた。
その無念を思うと、心が痛い。「なんて世の中だ、」。この言葉こそ、まさに安倍政権が作り出したこの時代を的確に表現している。
今週号の第1特集「さよなら!アベ政治」は、日本の民主主義の基盤を破壊した安倍政権の数々の「権力犯罪」の記録だ。
われわれはこれらを決して許さない。内閣支持率も低迷し、安倍政権の終焉も近づいてきた。
「アベ政治」は安倍氏一人が生み出したものではない。それを支えた無数の人々がいる。なぜ「アベ政治」が生まれたのか。
それを問い続けなければならない。「なんて世の中だ、」を終わらせるために。(編集主幹 植村隆)

●青木理氏に聞く
廉恥の情があれば、政権は終わっているはず
安倍政権、終焉近づく

お友達、忖度、証拠隠滅、虚偽、改竄……。安倍政権を象徴する言葉を並べてみた。これだけでも、いかに国民を欺いてきた政権かが分かろうというものだ。2012年12月の第2次安倍政権発足から約7年7カ月。発足当初は72・8%(13年2月)あった内閣支持率は38
・8%(今年7月)にまで落ち込んだ(共同通信調べ)。終焉は近づいている。『安倍三代』(朝日新聞出版)の著者、ジャーナリストの青木理氏に聞いた。聞き手は日本新聞労働組合連合(新聞労連)元委員長の新崎盛吾氏。

●凱風快晴ときどき曇り【特別編】
枯渇する民主主義の心 内田樹

●追及!政権腐敗【任命責任】
安倍内閣の無責任・無法ぶり
約9年で大臣ら16人辞任、3人逮捕 片岡伸行

数々の疑惑と相次ぐ大臣辞任。そのたびに「真摯な説明をしていきたい」「任命責任はる」などと発言してきた安倍晋三首相だが、「真摯な説明」があったためしはなく、「責任」も一切取らない。歴代最長政権は、歴代最悪の無法・無責任政権ではないか。

●追及!政権腐敗【閣議決定】
悪用、濫用、恥ずかしい内容
安倍政権「閣議決定政治」の虚妄 片岡伸行

安倍政権の腐敗を象徴するのが、「閣議決定」の内容のひどさだ。「まやかしの」と形容するのがふさわしい。虚妄の閣議決定政治の一端を紹介しよう。

●「任期中」に意欲も実現は困難
「安倍改憲」が潰える日 高田健
「戦争のできる国」をめざす安倍晋三首相が、政治生命を賭して取り組んできた日本国憲法第9条をはじめとする憲法改正=「安倍改憲」。あくまでも「任期中」の改憲を掲げるが、その可能性は低く、安倍政治の終焉を象徴している。

●議員の国会召集要求を無視した安倍政権
憲法53条裁判那覇地裁判決の意義と課題 志田陽子
委員会に野党が要求する関係閣僚が出席せず、辞任した閣僚は国会を欠席し続け追及を避けるなど安倍晋三政権の国会軽視姿勢は際立つ。特に憲法53条に基づく臨時国会召集要求を政権が無視し続けたことは、議員が違憲違法を訴え提訴し係争中だ。この裁判と憲法53条について憲法学者が解説する。

●安倍の怨念、菅の権力欲
河井事件がさらした政権の本性 永田政徳
前法相の河井克行と妻で参院議員の案里が公職選挙法違反(買収)の罪で東京地検に起訴された。直前まで法務行政を管轄した現職国会議員が逮捕される異例の事件は、安倍政権を直撃した。因果をたどれば、政権トップによる怨恨と野望が見え隠れする。

●『私は真実が知りたい 夫が遺書で告発「森友」改ざんはなぜ?』の共著者、相澤冬樹氏に聞く
自殺した財務省職員の妻 赤木雅子さんに共感集まる
森友学園への国有地巨額値引きをめぐり、公文書を改ざんさせられ命を絶った財務省近畿財務局の職員、赤木俊夫さん(享年54)の妻、赤木雅子さん( 49 歳)が、改ざんを指示したとされる佐川宣寿元財務省理財局長と国を相手に起こした裁判が始まっている。裁判に合わせて雅子さんとの共著を出した相澤冬樹さんに聞いた。

●きんようクロスワードパズル

●追及!政権腐敗【桜疑惑】
「法律家の会」追加告発 1000人近くが安倍首相の法違反問う
検察は告発を受理し厳正な捜査を 片岡伸行
「桜を見る会」の疑惑を放置できないと、8月6日、全国の弁護士らが安倍晋三首相らに対する追加の刑事告発をする。5月の第1次告発と合わせると、告発人は1000人規模となる。これだけの数の法律専門家が首相の犯罪を訴えるのは、異常な事態だ。

●高等教育「無償化」という詐術
反対運動の取り込みと分断支配が長期政権のカギ 大内裕和
第2次安倍政権は現在、9年目に突入している。この長期政権を可能にしたものは何か。
奨学金問題や貧困問題に長年かかわってきた著者が、教育という観点から考察する。

●「屈辱の日」を「主権回復の日」と祝う無神経
沖縄「県民の心に寄り添う」意思などない安倍政権 問山栄恵
政府は在日米軍施設の沖縄集中を認めており、安倍晋三首相も沖縄の負担軽減に努めるとは言う。しかし沖縄県民が選挙の度に表明する基地移設反対の意思を尊重しようとはせず、住民の命と尊厳を脅かす米兵の暴力問題を解決しようとする姿勢も見えない。

●「慰安婦」問題と“記憶の暗殺者”たち
安倍首相らによるメディアと教育への政治介入 池田恵理子
「慰安婦」問題では、歴史を勝手に書き替えようとする“記憶の暗殺者”たちとの闘いが続く。安倍晋三首相は“記憶の暗殺者”たちの中でも際立つ。この政権が終わらない限り、問題解決は望めない。

●東電福島第一原発事故の被災者切り捨て
電通「復興キャンペーン」に7年間で240億円を投入 白石草
「フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません」── 安倍晋三首相は2013年9月、アルゼンチンで行なった五輪招致演説でこう強調した。だが、事態は正反対だ。

●安保関連法をめぐる安倍政権の「クーデター」と、市民の挑戦
「戦争ができる国」をめざす圧倒的な想像力の欠如 清末愛砂
安保関連法案が国会で強行採決された2015年9月、アフガニスタンにいた筆者が目にしたのは「集団的自衛権」下で大国に侵略され、荒廃した国の姿だった。今まさに「侵略する国」の側に立たされようとしている私たちは何をすべきか。「安保法制違憲訴訟」の原告、同訴訟「女の会」の証人も務める筆者が強く問いかける。

■特集2・敗戦75年
太平洋戦争での敗戦から75年。この間、戦争は被害者意識、加害責任、そして自虐史観などと位置づけられ、その時々の権力者に利用されてきた。しかしそうではなく、戦争を直視し、死者の声に耳を澄ますことはできないか。そうでなければ、戦争の評価をめぐって不毛な論争がまた繰り返される。第2特集は戦争の事実を見つめ続けた画家、丸木夫妻が残した原爆の図丸木美術館の岡村幸宣学芸員から。

●死者たちの痛みを想像することはその生にもう一度命を吹き込むこ
永尾俊彦

●『猫を棄てる 父親について語るとき』を読む
父の侵略戦争体験と向き合う村上春樹 五味渕典嗣
父の戦争体験とどう向き合うか──。村上春樹の『猫を棄てる 父親について語るとき』(文藝春秋)は、2008年に世を去った彼の父とその人生を理解するまでの道のりを、率直に書き綴った一冊である。

●今年の夏はこのTVドキュメンタリーがすごい! ワタナベ=アキラ
夏のTVドキュメンタリーの定番テーマは「戦争」だが、その他にも見るべき作品は多い。何かと批判のあるTVの中で気を吐くドキュメンタリー番組を見て、作り手を応援だ!!

●植村裁判判決と日本社会 私たちは今どこに立っているのか
正面から裁判所を説得しなければ/大森 典子
人権意識から性暴力問題を考える/北原 みのり
1990年代に顕在化した旧日本軍「慰安婦」被害者の問題は、侵略戦争と植民地支配を背景にした「戦時の性暴力」に対し、日本社会がどう向き合うべきかを突きつけていた。
一方、昨年から始まった女性たちのフラワーデモによる異議申し立ては、性暴力がなおさまざまな形をとり、この社会に根深い病巣を広げていることを示した。「慰安婦」被害者のために日本政府を相手に裁判闘争を続けてきた弁護士の大森典子さんと、フラワーデモ提唱者の一人である作家の北原みのりさんが見つめ、考えていることとは──。

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【2】 編集長後記
安倍晋三首相は巣ごもり中? コロナ感染拡大で政府の対応が求められているのに、野党が要求する臨時国会を開く気配もないし(今週号で53条違反をめぐる裁判を取りあげている)、政府の方針を説明する記者会見もしない。“舎弟”議員からさえも、「政府は広報を至急改善を」と批判が出ていてちょっと驚いた。「さよなら!アベ政治」と心底言いたい!
 市民生活はコロナ禍に加えて日照不足と多雨のために、野菜が不作で高騰。契約している宅配では2週にわたってジャガイモが欠品。盤石な“ジャガイモネットワーク”が綻びを見せるなんて、よほどのこと。
 コロナが心配でお盆には実家にも行けない。時間ができたのでこの機会に読みたいと思っていた本を読もう。D・エルズバーグの『世界滅亡マシン 核戦争計画者の告白』(岩波書店)をはじめ、法律、詩、さまざまな会報も。
 今週号はこの夏二度目の合併号になるので、来週の刊行はありません。21日号でお会いしましょう。(小林和子)

「週刊金曜日」ニュース:「なんて世の中だ、」を終わらせる

2020年08月07日 | 物語
プレカリアートユニオンの清水直子です。
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 Precariat Union 駆け込み寺から砦へ
 非正規雇用でも若い世代の正社員でも組合を作って労働条件をよくしたい!
 プレカリアートユニオン(PU)通信 第105号 <2020.08.07発行>

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─□ 目次 □───────────────────────────
 1.変形労働時間制の要件を満たしていなかった場合の未払い残業代に
  ついてイースタンエアポートモータース株式会社と労使紛争の一切
  について和解、ほか                 【解決!】

 2.動画公開! 求人詐欺、退職に違約金、高額なペナルティ、偽装請負
   のバイク便、(株)ファーストボーイ(鈴木茂之代表取締役)は、
   団体交渉に応じろ! 求人情報通りの賃金を支払え!【ブラック企業】

 3.非正規雇用、女性など立場の弱い労働者にしわ寄せ。裁判は向かない
   コロナ関連の労働問題も解決する力とは  【駆け込み寺から砦へ】

 4.ユニオンをレッテル張りしながら会社に違法行為を勧めるトンデモな
   内容。『ブラックユニオン』(新田龍著/青林堂)【ブックレビュー】

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 1.変形労働時間制の要件を満たしていなかった場合の未払い残業代に
  ついてイースタンエアポートモータース株式会社と労使紛争の一切
  について和解、ほか                 【解決!】

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
2020年7月の解決報告
・変形労働時間制の要件を満たしていなかった場合の未払い残業代についてイースタンエアポートモータース株式会社と労使紛争の一切について和解しました。
・解雇問題、不当労働行為問題について交渉していた、千葉県松戸市内の古紙卸売業の会社と労使紛争の一切について和解しました。
・解雇問題について交渉していた大手ファッションブランドと和解しました。和解を迎えた当事者の思い https://precariatunion.hateblo.jp/entry/2020/07/12/010019
・解雇予告手当と残業代不払いの問題で交渉していた東京都の不動業、建設業を営む会社と和解しました。当該組合員の声 https://precariatunion.hateblo.jp/entry/2020/07/06/162723

2020年6月の解決報告
・長時間過重労働問題などについて交渉していたOYO Hotels Japan合同会社と和解しました。引き続き、労働環境改善と日本の商習慣に合うマネジメントスタイルとサービスの改善などに取り組んでいきます。
・変形労働時間制の要件を満たしていなかった場合の未払い残業代を請求していた裁判で、東京地方裁判所で完全勝利判決を得ました。
https://www.bengo4.com/c_5/n_11387/?fbclid=IwAR15v-ysIqPJwNsfbb_Bwp86qC8uM471i_9
V-BFXX5Bp2EJy3TdOQi9UfN0

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 2.動画公開! 求人詐欺、退職に違約金、高額なペナルティ、偽装請負
  のバイク便、(株)ファーストボーイ(鈴木茂之代表取締役)は、
  団体交渉に応じろ! 求人情報通りの賃金を支払え!【ブラック企業】

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 偽装請負のバイク便、ファーストボーイに関する動画を公開しました。
https://www.youtube.com/watch?v=8Fh7fRRHs78&feature=youtu.be

 月収40-50万円以上も可! 必ず稼げるバイク便のはずが、まさかの月収「4万円!?」
、さらに「やめるなら違約金払え!」と脅迫!!
求人詐欺に偽装請負のバイク便、株式会社ファーストボーイ(鈴木茂之代表取締役)は雇
用の責任逃れをやめろ!! 求人詐欺を謝罪し改めろ!

【「必ず稼げる」 悪質な求人詐欺】
 求人情報誌の広告に応募し、Aさんは株式会社ファーストボーイ(代表:鈴木茂之)と
業務委託契約を結び、働き始めました。求人広告には「時給1500円+歩合50%」「月収40
万円以上も可!」「必ず稼げるバイク便」と待遇の良さが高々と謳われており、面接でも
「最低でも1日1万円くらいは稼げるはず」等と説明を受けていましたが、実際に働き始
めると、月収はせいぜい数万円。現実は全く違っていました。
【責任逃れのための偽装請負】
 ドライバーたちは「遅刻は罰金」、「シフト変更も罰金」と、厳しく勤務シフトにより
管理されており、会社の指揮命令下にありました。シフト通り会社の指定した場所で待機
し、会社から連絡があれば、荷物を運びます。仕事を断ることもできず、第三者に依頼す
ることも禁止されています。会社は業務委託を謳っていますが、全くその要件を満たして
おらず、単に雇用の責任を逃れる為の偽装請負だったのです。
【辞めるなら違約金を払えと脅迫!】
 1日8時間以上も働いても1ヶ月で数万円の収入しか得ることが出来ません。1日あたりの
収入がガソリン代などの経費を考えるとマイナスになる日も多くありました。
到底暮らしていけないと、Aさんは「話が違う。辞めたい」と会社に申し出ましたが、「
辞めるなら違約金を払ってもらうシフトの決まっていた分の罰金も加えて支払う必要があ
るので、合計で数十万円になる」と脅迫を脅迫され辞めるに辞められません。嘘の求人で
おびき寄せ、労基法違反の待遇を押しつけ、辞めたいといったら脅迫して無理矢理働かせ
る。ファーストボーイは何重にも労働法を犯し、労働者の搾取を行っています。
【団体交渉を拒否し、「おたくは反社なの?」と組合を誹謗中傷】
 Aさんは誰でも1人からは入れる労働組合プレカリアートユニオンに加入し、求人広告
通りの待遇や違法なペナルティの撤回などを求め団体交渉を申し入れますが、
会社は「業務委託契約である」とこれを拒否。更には組合に対し「おたくは反社なの?脅
迫ですか?」「部外者でしょ!」等と、誹謗中傷・支配介入(どちらも労働組合法違反の
違法行為)を繰り返し行いました。もし仮に会社の主張通り、Aさんの契約が業務委託契
約であったとしても、「労働組合法上の労働者」である事は疑いようもありません。団体
交渉の拒否は、労働組合法違反の違法行為です。会社は更に違法行為を重ねそれを開き直
っているのです。

※「業務委託」であると、雇用を偽装し、労働者からの不当な搾取を繰り返す株式会社フ
ァーストボーイの違法行為を放置することは、社会に対し公害を垂れ流すのと同じです。
皆様からもぜひ、ファーストボーイに対してご意見・ご指導をお願いいたします。

ご意見・ご抗議は
株式会社ファーストボーイ
代表取締役社長 鈴木茂之
〒107-0052東京都港区赤坂9-6-28アルベルゴ乃木坂807
TEL03-3481-6741

労働相談は 誰でも1人から加入できる労働組合
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 3.非正規雇用、女性など立場の弱い労働者にしわ寄せ。裁判は向かない
   コロナ関連の労働問題も解決する力とは   【駆け込み寺から砦へ】

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清水の駆け込み寺から砦へ 4

非正規雇用、女性など立場の弱い労働者にしわ寄せ
裁判は向かないコロナ関連の労働問題も解決する力とは

 新型コロナウイルス感染拡大を受けて、プレカリアートユニオンには、コロナ便乗解雇
、会社の都合で一時帰休中の休業手当が通常の賃金の半額程度しか払われなかった、子ど
もの小学校の休校によって仕事を休まざるを得なかった日が無給になってしまった、会社
都合の休業を命じられた日について正社員には全額賃金補償される一方で非常勤には6割
しか賃金補償がされなかった、といった相談が寄せられ、それぞれ、団体交渉や非暴力の
直接行動も行いながら、解決をしています。
 清水直子(執行委員長)
※続きは、プレカリアートユニオンのブログをご覧ください https://precariatunion.h
ateblo.jp/entry/2020/08/06/192304

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 4.ユニオンをレッテル張りしながら会社に違法行為を勧めるトンデモな
   内容。『ブラックユニオン』(新田龍著/青林堂)【ブックレビュー】

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ユニオンをレッテル張りしながら会社に違法行為を勧める
トンデモな内容。『ブラックユニオン』(新田龍著/青林堂)

 「ブラックユニオン」は青林堂から2019年に刊行された、新田龍氏による著作です。本書は、「ブラック企業」と化してしまいがちな会社を「ホワイト企業」にして、悪の労働組合「ブラックユニオン」からの不当な攻撃から守る術について記している体裁をとっています。しかし、実際に読み進んでいくと、日本の真面目な労働運動を「ブラックユニオン」とレッテル張りして攻撃しながら、企業に対してはブラック企業化を推進、更には労使の対等すら否定するような内容となっています。
 ■「合法的なリストラ手法」として「退職勧奨」を推奨?
 著者は、日本の解雇制限がとても厳しい中、実際にリストラを行うことが出来ている会社がある理由について「解雇」ではなく「退職勧奨」を行っているからだと記しています。追い出し部屋を使って積極的に自己都合退職に追いやるのも、人事権を行使すれば極端な場合を除いて法的にも認められる、「非常に強力な退職勧奨をおこなう」ことによって裁判に持ち込まれても負けない仕組みを作るべき
とも主張しています。いくら執拗な退職勧奨を行っても、社員がどれだほどの精神的苦痛を得たかは判断が難しいしどんな説得を行ったかなど知る由はないから「上手くやれ」、というのです。これらの悪質な退職勧奨・強要が裁判で無効になるケースは年々増加しています。「裁判で負けない」は明らかな誤りと言えます。著者は無知と思い込みから、社内の密室で徹底的に社員を追い詰めて自ら辞めるように仕向けろと使用者に勧めているのです。
 ■「何があっても残業をさせない・許可しないという」覚悟?
 また、著者は働き方改革について経営者が覚悟すべき事は「残業をさせない・許可しない」という強い意志を持つことただ1つだけと豪語しています。退職勧奨の件と同じく、これも明らかな誤りです。
 残業の許可制は多くの「残業代未払い」の温床になっています。「命じてないから残業ではない」として使用者はサービス残業を強いますが、そんな理屈は全く通りません。さらに、同じ章で新田氏は、仕事のスピードを上げ労働密度を高めることで、終業時間になる頃には社員を「精根尽き果てる」「もうこれ以上仕事できない」という状態にするべきだという主張をしています。
 これは安全配慮を無視した精神論であると同時に、そもそも社員が疲弊することと仕事の成果が出ることには何の因果関係ありません。「疲れなければ仕事じゃない」はいかにも昭和的な労働観に思えます。新田氏の、とにかくめちゃくちゃ働かせて残業が出ても認めず隠蔽しろともとれる主張は、ブラック企業をなくすどころか、ブラック化を推奨しているようにしか聞こえません。
 ■「教科書的な対応を疑え!」と不当労働行為を教唆 
 ユニオン対策についても、新田氏は独特な「勘違い」を披露しています。特に酷いのは「要求書」は突き返してもよいという主張です。仮にユニオンが「不当労働行為だ!」と騒ぎ立て労働委員会に訴え出ると言い出すとしても「短期間で労働委員会の命令が出ることはないので、安心して良い」というのです。また、「不毛に終わることが多い団体交渉に時間とエネルギーを費やすよりも最初から労働委員会に任せる」のも手であるとさえ主張しています。同氏がもし社労士などの士業なら、「首切りブログ」よろしく懲戒請求ものの問題発言です。
 他にも、著者の「トンデモ」な主張は、ほぼ全編にわたり展開されています。「ブラック企業であるかどうかなど、当事者以外のほとんど全ての人にとって関係ない」と言ってみたり、巻末付録の就業規則モデルには「”顛末書”で反省・謝罪を求め」など、基本的な労務の知識すら覚束ないことも披露しています。新田氏は「ブラック企業アナリスト」という聞き慣れない肩書きを名乗っていますが、まずは分析(アナライズ)するための、正しい知識を身につけるべきと考えます。
 稲葉一良(書記次長)

※プレカリアートユニオンに対するデマ/誹謗中傷については、こちらをご覧ください。
https://precariatunion.hateblo.jp/entry/2020/07/02/222457
DMUと前田史門氏らによるデマと名誉毀損について 背景には困難な仲間による過剰な居場所化も


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FAX03-4335-0971

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※会社のPCからはメールを送らないでください。相談内容を会社側に知られる可能性が
あります。
ウェブサイト https://www.precariat-union.or.jp/
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ツイッター https://twitter.com/precariatunion
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〔週刊 本の発見〕吉村昭『長英逃亡』

2020年06月25日 | 物語
http://www.labornetjp.org/news/2020/hon163
毎木曜掲載・第163回(2020/6/25)
生きるためには破獄しかない
『長英逃亡』(吉村昭、毎日新聞社)評者:大山千恵子

 ずいぶんと前に吉村昭の「破獄」
https://blog.goo.ne.jp/chieko_oyama/e/3a76727867d79fb80aa25e904135457f
の4回脱獄実話に感銘を受けたが、これは蘭学者の破獄と逃亡小説。江戸時代、外国船が何隻か来るようになった水野忠邦老中の時代。医者であり日本随一の語学の天才と称された長英が、外国船打ち払い令に反対する「夢物語」を書いたために獄に繋がれる。永牢という無期懲役の刑なのだ。最低最悪の衛生状態の監獄ゆえ、実質は死刑なんだよ。がーん。医者ということ人望もあるしで牢名主にまで登りつめたが、いずれ牢のなかで罹患して死ぬしかない。そうだ、生きるためには破獄しかない。

 どうすれば出られるか。お江戸は紙と木でできた家ばかりの町。火事になれば、どんどん延焼する大火事で死者が多数でる。わざと監獄に火をつける。特例で牢から出してもらって3日位内に戻れば罪を軽くする特例制度を利用する。でも長英の場合は、戻っても罪が軽くなる訳がないから逃げる。火付けは大罪で捕まれば火炙りの刑になるけど、逃げるしかない。生きるんだ。日本には自分が必要なんだという強い使命感もある。そして6年を超えて逃げ続ける。(右=高野長英)

 逃げるにあたって協力者がでてくる。政治犯の手助けをしたら酷い扱いを受けると知っていても、逃亡を助けるひとがいる。牢獄であった侠客も、その親分も、数百人の弟子を持つ和算家も、貧乏な下働きのひとも、いろんなひとが助けてくれる。それも命懸けで。浦和の医者は拷問を受けても口を割らなかったために、歩けなくなり早死にする。

 逃げた2ヶ月後に奉行が変わって、助命嘆願が可能な情勢に変わる。でも、もはや既に火付け逃亡の大罪をしているから間に合わない。長英の開明的発想、国防への視点、兵術を高く評価する大名もいる。なんたってアヘン戦争で、眠れる大国「清」が英国に破れたんだよ。あやういぞ日本。いやいや、ともかく逃げなきゃ長英。でも、内密に逃げ続けるのは困難きわまる。

 長英も、そんな旅のなかで成長していく。更に辞書がほしい、翻訳がしたい。お金がなくなったけど妻子を養わなくちゃで町医者をしたい。人相書きが出回っているので、薬品で顔を焼いて医者になる凄まじさ。兵書の翻訳を企てている勝麟太郎(海舟)に逢いにいき、手持ちの写本を贈呈する。そんな場面もあったのさ。波乱万丈。

 奉行所は、人相書きから数年を経て顔が変わっているかもしれないと囚人をスパイにする。トップは遠山の金さんだ。長英を見つけたら無罪放免にしてやると町に放す。見つかった長英は十手で散々に痛めつけられ、ことごとく歯は砕ける無惨。逮捕時の暴行で死んでしまうのだが、役人は「刀をふるって三人の捕方に傷を負わせ、逃げることはかなわぬと諦めて自ら咽を突き」などと大嘘こんこんちき報告を書く。なんだい、いまの警察と同じ じゃん。

 長英は死んでも、判決を出すために死体は塩詰めにされる。あああ、今の役人を連想するぞい。そして死罪になり、斬首の刑。刑場で遺体の首を、大太刀で切る形式主義。あくまでも死体晒しに意味があるのだろう。その後に娘は吉原遊郭に売られ、安政の地震で発生した大火事で死んでしまう。逃げないように穴蔵に押し込められた遊女たちの、ひとりだった。享年17、痛ましすぎる。否、あなたたちの志は継ぐよ。だって、知ってしまったんだもの。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・渡辺照子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美、根岸恵子、杜海樹、ほかです。

天皇の料理番 第2話 

2020年04月05日 | 物語
https://gyao.yahoo.co.jp/episode/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%AE%E6%96%99%E7%90%86%E7%95%AA%20%E7%AC%AC2%E8%A9%B1%E3%80%802015%E5%B9%B45%E6%9C%883%E6%97%A5%E6%94%BE%E9%80%81%E5%88%86/5e7c3f17-2fc9-4a9c-8567-4b6bf03f5fa3

キャスト
出演:佐藤 健、黒木 華、桐谷健太、柄本 佑、高岡早紀、佐藤蛾次郎、芦名 星、森岡 龍、石橋杏奈、坪倉由幸(我が家)、西沢仁太、黒田大輔、大西武志、渡邊 衛、大熊ひろたか、城戸裕次、鈴木亮平、武田鉄矢、伊藤英明、郷 ひろみ (特別出演)、麻生祐未、加藤雅也、日野陽仁、大島さと子、美保 純、杉本哲太、小林 薫 ほか

佐藤健主演。直木賞作家・杉森久英の「天皇の料理番」が原作。片田舎の青年が天皇の料理番を勤め上げるまでに成長する、史実に基づいた究極の人間愛の物語。
大正・昭和時代の宮内省厨司長を務めた秋山徳蔵氏の人生を描いた、直木賞作家・杉森久英の「天皇の料理番」が原作。ひょんなことから食べたカツレツをきっかけに西洋料理のシェフになるという途方もない夢を抱いた片田舎の青年。その男がついには天皇の料理番を勤め上げるまでに成長するという、史実に基づいた究極の人間愛のドラマだ。主人公の秋山篤蔵を演じるのは、TBS連続ドラマ初主演となる佐藤健。「JIN」や「世界の中心で、愛をさけぶ」など、数々の感動作品を世に送り出してきた制作陣とタッグを組み、涙と笑いのグランドロマンに真っ正面から挑む!

天皇の料理番 第3話 2015年5月10日放送分

2020年04月05日 | 物語
https://gyao.yahoo.co.jp/episode/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%AE%E6%96%99%E7%90%86%E7%95%AA%20%E7%AC%AC3%E8%A9%B1%E3%80%802015%E5%B9%B45%E6%9C%8810%E6%97%A5%E6%94%BE%E9%80%81%E5%88%86/5e7c3f08-95fd-4f96-a557-6b621104a469

キャスト
出演:佐藤 健、黒木 華、桐谷健太、柄本 佑、高岡早紀、佐藤蛾次郎、芦名 星、森岡 龍、石橋杏奈、坪倉由幸(我が家)、西沢仁太、黒田大輔、大西武志、渡邊 衛、大熊ひろたか、城戸裕次、鈴木亮平、武田鉄矢、伊藤英明、郷 ひろみ (特別出演)、麻生祐未、加藤雅也、日野陽仁、大島さと子、美保 純、杉本哲太、小林 薫 ほか

佐藤健主演。直木賞作家・杉森久英の「天皇の料理番」が原作。片田舎の青年が天皇の料理番を勤め上げるまでに成長する、史実に基づいた究極の人間愛の物語。
大正・昭和時代の宮内省厨司長を務めた秋山徳蔵氏の人生を描いた、直木賞作家・杉森久英の「天皇の料理番」が原作。ひょんなことから食べたカツレツをきっかけに西洋料理のシェフになるという途方もない夢を抱いた片田舎の青年。その男がついには天皇の料理番を勤め上げるまでに成長するという、史実に基づいた究極の人間愛のドラマだ。主人公の秋山篤蔵を演じるのは、TBS連続ドラマ初主演となる佐藤健。「JIN」や「世界の中心で、愛をさけぶ」など、数々の感動作品を世に送り出してきた制作陣とタッグを組み、涙と笑いのグランドロマンに真っ正面から挑む!

天皇の料理番 第4話 2015年5月17日放送分

2020年04月05日 | 物語
https://gyao.yahoo.co.jp/episode/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%AE%E6%96%99%E7%90%86%E7%95%AA%20%E7%AC%AC4%E8%A9%B1%E3%80%802015%E5%B9%B45%E6%9C%8817%E6%97%A5%E6%94%BE%E9%80%81%E5%88%86/5e7c3ef6-9a21-4fbc-9688-09b7e379c550

キャスト
出演:佐藤 健、黒木 華、桐谷健太、柄本 佑、高岡早紀、佐藤蛾次郎、芦名 星、森岡 龍、石橋杏奈、坪倉由幸(我が家)、西沢仁太、黒田大輔、大西武志、渡邊 衛、大熊ひろたか、城戸裕次、鈴木亮平、武田鉄矢、伊藤英明、郷 ひろみ (特別出演)、麻生祐未、加藤雅也、日野陽仁、大島さと子、美保 純、杉本哲太、小林 薫 ほか

佐藤健主演。直木賞作家・杉森久英の「天皇の料理番」が原作。片田舎の青年が天皇の料理番を勤め上げるまでに成長する、史実に基づいた究極の人間愛の物語。
大正・昭和時代の宮内省厨司長を務めた秋山徳蔵氏の人生を描いた、直木賞作家・杉森久英の「天皇の料理番」が原作。ひょんなことから食べたカツレツをきっかけに西洋料理のシェフになるという途方もない夢を抱いた片田舎の青年。その男がついには天皇の料理番を勤め上げるまでに成長するという、史実に基づいた究極の人間愛のドラマだ。主人公の秋山篤蔵を演じるのは、TBS連続ドラマ初主演となる佐藤健。「JIN」や「世界の中心で、愛をさけぶ」など、数々の感動作品を世に送り出してきた制作陣とタッグを組み、涙と笑いのグランドロマンに真っ正面から挑む!

作家別作品リスト:No.1566 柳田 国男

2020年04月01日 | 物語
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家の話 (新字新仮名、作品ID:57979) 
家を持つといふこと (新字旧仮名、作品ID:54903) 
海上の道 (新字新仮名、作品ID:54331) 
垣内の話 (新字新仮名、作品ID:58024) 
潟に関する聯想 (旧字旧仮名、作品ID:56608) 
故郷七十年 (新字新仮名、作品ID:55742) 
こども風土記 (新字新仮名、作品ID:53809) 
信濃桜の話 (新字旧仮名、作品ID:54904) 
食料名彙 (新字新仮名、作品ID:58443) 
書物を愛する道 (新字新仮名、作品ID:53771) 
人狸同盟将に成らんとす (旧字旧仮名、作品ID:58034) 
蒼海を望みて思ふ (旧字旧仮名、作品ID:56821) 
大唐田または唐干田という地名 (新字新仮名、作品ID:58447) 
地名の研究 (新字新仮名、作品ID:58544) 
峠に関する二、三の考察 (新字新仮名、作品ID:52466) 
遠野物語 (新字新仮名、作品ID:52504) 
歳棚に祭る神 (新字新仮名、作品ID:54829) 
どら猫観察記 (新字新仮名、作品ID:54905) 
日本の伝説 (新字新仮名、作品ID:53810) 
年中行事覚書 (新字新仮名、作品ID:53812) 
母の手毬歌 (新字新仮名、作品ID:53813) 
ひじりの家 (新字旧仮名、作品ID:54906) 
服装語彙分類案 (旧字旧仮名、作品ID:58037) 
祭のさまざま (新字旧仮名、作品ID:54830) 
名字の話 (新字新仮名、作品ID:57903) 
木綿以前の事 (新字新仮名、作品ID:53104) 
野草雑記・野鳥雑記 01 野草雑記(新字新仮名、作品ID:52945) 
野草雑記・野鳥雑記 02 野鳥雑記(新字新仮名、作品ID:52946) 
山の人生 (新字新仮名、作品ID:52505) 
雪国の春 (新字新仮名、作品ID:54403) 
夢と文芸 (新字新仮名、作品ID:54907) 
予が出版事業 (新字新仮名、作品ID:55953) 

作家別作品リスト:No.153 石川 啄木

2020年03月31日 | 物語
https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person153.html

足跡 (新字旧仮名、作品ID:45460) 
足跡 (旧字旧仮名、作品ID:4698) 
新しい歌の味ひ (旧字旧仮名、作品ID:48134) 
A LETTER FROM PRISON (旧字旧仮名、作品ID:48164) 
郁雨に与ふ (旧字旧仮名、作品ID:48154) 
一握の砂 (新字旧仮名、作品ID:816) 
「一握の砂」広告 (旧字旧仮名、作品ID:48133) 
一日中の楽しき時刻 (旧字旧仮名、作品ID:48135) 
公孫樹 (新字旧仮名、作品ID:52298) 
一利己主義者と友人との対話 (新字新仮名、作品ID:43031) 
いろ/\の言葉と人 (旧字旧仮名、作品ID:48136) 
所謂今度の事 林中の鳥(旧字旧仮名、作品ID:48155) 
歌のいろ/\ (旧字旧仮名、作品ID:48156) 
歌集「嘲笑」序文 (旧字旧仮名、作品ID:48137) 
火星の芝居 (新字新仮名、作品ID:43070) 
悲しき思出 (野口雨情君の北海道時代)(新字旧仮名、作品ID:49676) 
悲しき玩具 (新字旧仮名、作品ID:815) 
硝子窓 (旧字旧仮名、作品ID:48157) 
閑天地 (新字旧仮名、作品ID:49677) 
菊池君 (新字旧仮名、作品ID:45461) 
菊池君 (旧字旧仮名、作品ID:4100) 
雲は天才である (新字旧仮名、作品ID:45462) 
雲は天才である (旧字旧仮名、作品ID:4097) 
雲間寸観 (旧字旧仮名、作品ID:48138)     →大木 頭(著者)
刑余の叔父 (新字旧仮名、作品ID:48366) 
氷屋の旗 (新字旧仮名、作品ID:811) 
心の姿の研究 (新字旧仮名、作品ID:47891) 
札幌 (旧字旧仮名、作品ID:4696) 
札幌 (新字旧仮名、作品ID:45463) 
散文詩 (旧字旧仮名、作品ID:50410)     →斎藤 三郎(編者)
詩 (新字旧仮名、作品ID:817) 
時代閉塞の現状 (強権、純粋自然主義の最後および明日の考察)(新字新仮名、作品ID:814) 
渋民村より (新字旧仮名、作品ID:49678) 
唱歌 (旧字旧仮名、作品ID:50411)     →斎藤 三郎(編者)
小説「墓場」に現れたる著者木下氏の思想と平民社一派の消息 (旧字旧仮名、作品ID:48139) 
消息 (旧字旧仮名、作品ID:48140) 
女郎買の歌 (旧字旧仮名、作品ID:48158) 
赤痢 (新字旧仮名、作品ID:45464) 
赤痢 (旧字旧仮名、作品ID:4697) 
性急な思想 (新字新仮名、作品ID:813) 
雪中行 小樽より釧路まで(新字旧仮名、作品ID:3410) 
葬列 (新字旧仮名、作品ID:45465) 
葬列 (旧字旧仮名、作品ID:4098) 
大硯君足下 (旧字旧仮名、作品ID:48159) 
第十八号室より (旧字旧仮名、作品ID:48160) 
田園の思慕 (旧字旧仮名、作品ID:48161) 
鳥影 (新字旧仮名、作品ID:46947) 
鳥影 (旧字旧仮名、作品ID:4695) 
トルストイ翁論文 (旧字旧仮名、作品ID:48165) 
NAKIWARAI を読む (旧字旧仮名、作品ID:48153) 
日本無政府主義者陰謀事件経過及び付帯現象 (旧字旧仮名、作品ID:48141) 
人間の悲哀 (旧字旧仮名、作品ID:48142) 
農村の中等階級 (旧字旧仮名、作品ID:48143) 
葉書 (旧字旧仮名、作品ID:4104) 
葉書 (新字旧仮名、作品ID:45466) 
初めて見たる小樽 (新字新仮名、作品ID:812) 
病院の窓 (新字旧仮名、作品ID:45468) 
病院の窓 (旧字旧仮名、作品ID:4101) 
病室より (旧字旧仮名、作品ID:48144) 
漂泊 (新字旧仮名、作品ID:45467) 
漂泊 (旧字旧仮名、作品ID:4099) 
天鵞絨 (旧字旧仮名、作品ID:4103) 
天鵞絨 (新字旧仮名、作品ID:45469) 
不穏 (旧字旧仮名、作品ID:48147) 
二筋の血 (旧字旧仮名、作品ID:4102) 
二筋の血 (新字旧仮名、作品ID:45470) 
文芸中毒 (旧字旧仮名、作品ID:48148) 
道 (新字旧仮名、作品ID:48367) 
無題 (旧字旧仮名、作品ID:48163) 
無題 月刊文芸雑誌 樹木と果実 初号三月一日発行(旧字旧仮名、作品ID:48149) 
無名会の一夕 (旧字旧仮名、作品ID:48150) 
弓町より (新字旧仮名、作品ID:49679) 
弓町より (新字新仮名、作品ID:818) 
吉井君の歌 (旧字旧仮名、作品ID:48151) 
予の地方雑誌に対する意見 (旧字旧仮名、作品ID:48152) 
呼子と口笛 (新字旧仮名、作品ID:47892) 
我が最近の興味 (旧字旧仮名、作品ID:48145) 
我等の一団と彼 (旧字旧仮名、作品ID:4699) 

作家別作品リスト:No.1124 魯迅

2020年03月31日 | 物語
https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1124.html

阿Q正伝 (新字新仮名、作品ID:42934)     →井上 紅梅(翻訳者)
明日 (新字新仮名、作品ID:42935)     →井上 紅梅(翻訳者)
兎と猫 (新字新仮名、作品ID:43411)     →井上 紅梅(翻訳者)
鴨の喜劇 (新字新仮名、作品ID:43412)     →井上 紅梅(翻訳者)
狂人日記 (新字新仮名、作品ID:42936)     →井上 紅梅(翻訳者)
薬 (新字新仮名、作品ID:42937)     →井上 紅梅(翻訳者)
孔乙己 (新字新仮名、作品ID:42938)     →井上 紅梅(翻訳者)
幸福な家庭 (新字新仮名、作品ID:43650)     →井上 紅梅(翻訳者)
故郷 (新字新仮名、作品ID:42939)     →井上 紅梅(翻訳者)
些細な事件 (新字新仮名、作品ID:43019)     →井上 紅梅(翻訳者)
端午節 (新字新仮名、作品ID:43020)     →井上 紅梅(翻訳者)
頭髪の故事 (新字新仮名、作品ID:43021)     →井上 紅梅(翻訳者)
「吶喊」原序 (新字新仮名、作品ID:42933)     →井上 紅梅(翻訳者)
白光 (新字新仮名、作品ID:43413)     →井上 紅梅(翻訳者)
風波 (新字新仮名、作品ID:43022)     →井上 紅梅(翻訳者)
不周山 (新字新仮名、作品ID:43414)     →井上 紅梅(翻訳者)
村芝居 (新字新仮名、作品ID:43415)     →井上 紅梅(翻訳者)

作家別作品リスト:No.93 南方 熊楠

2020年03月31日 | 物語
https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person93.html

失うた帳面を記憶力で書き復した人 (新字新仮名、作品ID:52959) 
易の占いして金取り出したること (新字新仮名、作品ID:1917) 
女順禮 並にサンヤレの事(旧字旧仮名、作品ID:56606) 
きのふけふの草花 (新字旧仮名、作品ID:3208) 
棄老伝説に就て (旧字旧仮名、作品ID:24456) 
作文三篇 (旧字旧仮名、作品ID:58660) 
塩に関する迷信 (旧字旧仮名、作品ID:52935) 
十二支考 01 虎に関する史話と伝説民俗(新字新仮名、作品ID:526) 
十二支考 02 兎に関する民俗と伝説(新字新仮名、作品ID:527) 
十二支考 03 田原藤太竜宮入りの話(新字新仮名、作品ID:1916) 
十二支考 04 蛇に関する民俗と伝説(新字新仮名、作品ID:2536) 
十二支考 05 馬に関する民俗と伝説(新字新仮名、作品ID:2537) 
十二支考 06 羊に関する民俗と伝説(新字新仮名、作品ID:2538) 
十二支考 07 猴に関する伝説(新字新仮名、作品ID:2539) 
十二支考 08 鶏に関する伝説(新字新仮名、作品ID:2540) 
十二支考 09 犬に関する伝説(新字新仮名、作品ID:2541) 
十二支考 10 猪に関する民俗と伝説(新字新仮名、作品ID:2542) 
十二支考 11 鼠に関する民俗と信念(新字新仮名、作品ID:4790) 
神社合祀に関する意見 (新字新仮名、作品ID:525) 
詛言に就て (旧字旧仮名、作品ID:52936) 
蓮の花開く音を聴く事 (旧字旧仮名、作品ID:52937) 
毘沙門の名号に就いて (旧字旧仮名、作品ID:52938) 
人柱の話 (旧字旧仮名、作品ID:43634) 
再び毘沙門に就て (旧字旧仮名、作品ID:52360) 
秘魯国に漂著せる日本人 (旧字旧仮名、作品ID:52939) 

作家別作品リスト:No.305 正岡 子規

2020年03月30日 | 物語
https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person305.html

公開中の作品
あきまろに答ふ (新字新仮名、作品ID:57876) 
あきまろに答ふ (新字旧仮名、作品ID:43051) 
曙覧の歌 (新字新仮名、作品ID:46490) 
犬 (新字旧仮名、作品ID:3621) 
犬 (新字新仮名、作品ID:50379) 
歌よみに与ふる書 (旧字旧仮名、作品ID:43494) 
歌よみに与ふる書 (新字旧仮名、作品ID:2533) 
歌よみに与ふる書 (新字新仮名、作品ID:46534) 
画 (新字新仮名、作品ID:50380) 
かけはしの記 (新字旧仮名、作品ID:4626) 
鎌倉一見の記 (旧字旧仮名、作品ID:4656) 
寒山落木 巻一 (旧字旧仮名、作品ID:1896) 
句合の月 (新字新仮名、作品ID:50381) 
九月十四日の朝 (新字新仮名、作品ID:50382) 
九月十四日の朝 (旧字旧仮名、作品ID:1902) 
くだもの (新字新仮名、作品ID:50383) 
熊手と提灯 (新字新仮名、作品ID:50385) 
雲の日記 (新字旧仮名、作品ID:50406) 
恋 (新字新仮名、作品ID:50405) 
権助の恋 (新字新仮名、作品ID:50403) 
酒 (新字新仮名、作品ID:50402) 
字余りの和歌俳句 (旧字旧仮名、作品ID:43495) 
刺客蚊公之墓碑銘 柩に収めて東都の俳人に送る(新字旧仮名、作品ID:50401) 
死後 (新字新仮名、作品ID:1903) 
車上の春光 (新字新仮名、作品ID:50389) 
従軍紀事 (新字旧仮名、作品ID:50392) 
小園の記 (新字旧仮名、作品ID:42170) 
すゞし (新字旧仮名、作品ID:42171) 
高尾紀行 (旧字旧仮名、作品ID:4646) 
旅 (新字旧仮名、作品ID:50404) 
旅の旅の旅 (新字新仮名、作品ID:49584) 
蝶 (新字旧仮名、作品ID:42169) 
土達磨を毀つ辞 (新字旧仮名、作品ID:50387) 
東西南北序 (旧字旧仮名、作品ID:42750) 
読書弁 (新字旧仮名、作品ID:3608) 
徒歩旅行を読む (新字新仮名、作品ID:50386) 
夏の夜の音 (新字旧仮名、作品ID:42172) 
日光の紅葉 (新字旧仮名、作品ID:52299) 
俳諧大要 (新字旧仮名、作品ID:57350) 
俳句上の京と江戸 (新字新仮名、作品ID:57361) 
俳句の初歩 (新字旧仮名、作品ID:57351) 
俳人蕪村 (新字新仮名、作品ID:47985) 
俳人蕪村 (新字旧仮名、作品ID:57362) 
墓 (新字旧仮名、作品ID:42167) 
墓 (新字新仮名、作品ID:50400) 
初夢 (新字新仮名、作品ID:50396) 
花枕 (旧字旧仮名、作品ID:2535) 
煩悶 (新字新仮名、作品ID:50395) 
人々に答ふ (新字旧仮名、作品ID:2534) 
病牀苦語 (新字新仮名、作品ID:50388) 
病牀瑣事 (新字旧仮名、作品ID:2532) 
病牀譫語 (新字旧仮名、作品ID:50394) 
病牀六尺 (新字旧仮名、作品ID:43537) 
再び歌よみに与ふる書 (新字旧仮名、作品ID:42350) 
古池の句の弁 (新字旧仮名、作品ID:57363) 
ベースボール (新字新仮名、作品ID:43619) 
墨汁一滴 (新字旧仮名、作品ID:1897) 
万葉集巻十六 (旧字旧仮名、作品ID:4430) 
万葉集を読む (旧字旧仮名、作品ID:4429) 
明治卅三年十月十五日記事 (新字旧仮名、作品ID:50390) 
飯待つ間 (新字新仮名、作品ID:50393) 
病 (新字新仮名、作品ID:50399) 
闇汁図解 (旧字旧仮名、作品ID:43618) 
夢 (新字新仮名、作品ID:50398) 
夜寒十句 (新字旧仮名、作品ID:42168) 
四百年後の東京 (新字旧仮名、作品ID:50391) 
ランプの影 (新字新仮名、作品ID:50384) 
ラムプの影 (新字旧仮名、作品ID:42173) 
わが幼時の美感 (新字旧仮名、作品ID:50397)