詩人PIKKIのひとこと日記&詩

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今、大阪はすごいことになっています!/現職校長の提言が大きなうねりに

2021年05月23日 | 歴史

 今、大阪はすごいことになっています! 現職校長があまりに酷い維新松井大阪市政に対して提言を出されたことで、大きなうねりが起こっています。『朝日新聞』も5月21日、大きく報道しました。大阪の木川南小学校校長が松井市長に宛てた「提言」はもうお読みいただけたでしょうか。もし、まだの方がおられれば、ぜひお読みください(下段に全文)。そして、現在、その提言に共鳴した大阪の中学校の校長が、みなさんに広く呼びかけています。ぜひ、私たちの「声」を松井市長に届けましょう!(志水博子)

 

●名田正廣さんからの呼びかけ
久保校長の提言読んだ方へ。意見を松井市長にとどけます。
omsknjhs@yahoo.co.jpまで。メッセンジャー、LINE何でも可 できるだけ早く。できるだけ多く。匿名希望の方はその旨お書きを。
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*『朝日新聞』5月21日号
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
大阪市長 松井一郎 様
大阪市教育行政への提言

豊かな学校文化を取り戻し、学び合う学校にするために

 子どもたちが豊かな未来を幸せに生きていくために、公教育はどうあるべきか真剣に考える時が来ている。

 

 学校は、グローバル経済を支える人材という「商品」を作り出す工場と化している。そこでは、子どもたちは、テストの点によって選別される「競争」に晒(さら)される。そして、教職員は、子どもの成長にかかわる教育の本質に根ざした働きができず、喜びのない何のためかわからないような仕事に追われ、疲弊していく。さらには、やりがいや使命感を奪われ、働くことへの意欲さえ失いつつある。

 今、価値の転換を図らなければ、教育の世界に未来はないのではないかとの思いが胸をよぎる。持続可能な学校にするために、本当に大切なことだけを行う必要がある。特別な事業は要らない。学校の規模や状況に応じて均等に予算と人を分配すればよい。特別なことをやめれば、評価のための評価や、効果検証のための報告書やアンケートも必要なくなるはずだ。全国学力・学習状況調査も学力経年調査もその結果を分析した膨大な資料も要らない。それぞれの子どもたちが自ら「学び」に向かうためにどのような支援をすればいいかは、毎日、一緒に学習していればわかる話である。

 現在の「運営に関する計画」も、学校協議会も手続き的なことに時間と労力がかかるばかりで、学校教育をよりよくしていくために、大きな効果をもたらすものではない。地域や保護者と共に教育を進めていくもっとよりよい形があるはずだ。目標管理シートによる人事評価制度も、教職員のやる気を喚起し、教育を活性化するものとしては機能していない。

 また、コロナ禍により前倒しになったGIGAスクール構想に伴う一人一台端末の配備についても、通信環境の整備等十分に練られることないまま場当たり的な計画で進められており、学校現場では今後の進展に危惧していた。3回目の緊急事態宣言発出に伴って、大阪市長が全小中学校でオンライン授業を行うとしたことを発端に、そのお粗末な状況が露呈したわけだが、その結果、学校現場は混乱を極め、何より保護者や児童生徒に大きな負担がかかっている。結局、子どもの安全・安心も学ぶ権利もどちらも保障されない状況をつくり出していることに、胸をかきむしられる思いである。

 つまり、本当に子どもの幸せな成長を願って、子どもの人権を尊重し「最善の利益」を考えた社会ではないことが、コロナ禍になってはっきりと可視化されてきたと言えるのではないだろうか。社会の課題のしわ寄せが、どんどん子どもや学校に襲いかかっている。虐待も不登校もいじめも増えるばかりである。10代の自殺も増えており、コロナ禍の現在、中高生の女子の自殺は急増している。これほどまでに、子どもたちを生き辛(づら)くさせているものは、何であるのか。私たち大人は、そのことに真剣に向き合わなければならない。グローバル化により激変する予測困難な社会を生き抜く力をつけなければならないと言うが、そんな社会自体が間違っているのではないのか。過度な競争を強いて、競争に打ち勝った者だけが「がんばった人間」として評価される、そんな理不尽な社会であっていいのか。誰もが幸せに生きる権利を持っており、社会は自由で公正・公平でなければならないはずだ。

 「生き抜く」世の中ではなく、「生き合う」世の中でなくてはならない。そうでなければ、このコロナ禍にも、地球温暖化にも対応することができないにちがいない。世界の人々が連帯して、この地球規模の危機を乗り越えるために必要な力は、学力経年調査の平均点を1点あげることとは無関係である。全市共通目標が、いかに虚(むな)しく、わたしたちの教育への情熱を萎(な)えさせるものか、想像していただきたい。

 子どもたちと一緒に学んだり、遊んだりする時間を楽しみたい。子どもたちに直接かかわる仕事がしたいのだ。子どもたちに働きかけた結果は、数値による効果検証などではなく、子どもの反応として、直接肌で感じたいのだ。1点・2点を追い求めるのではなく、子どもたちの5年先、10年先を見据えて、今という時間を共に過ごしたいのだ。テストの点数というエビデンスはそれほど正しいものなのか。

 あらゆるものを数値化して評価することで、人と人との信頼や信用をズタズタにし、温かなつながりを奪っただけではないのか。

 間違いなく、教職員、学校は疲弊しているし、教育の質は低下している。誰もそんなことを望んではいないはずだ。誰もが一生懸命働き、人の役に立って、幸せな人生を送りたいと願っている。その当たり前の願いを育み、自己実現できるよう支援していくのが学校でなければならない。

 「競争」ではなく「協働」の社会でなければ、持続可能な社会にはならない。

 コロナ禍の今、本当に子どもたちの安心・安全と学びをどのように保障していくかは、難しい問題である。オンライン学習などICT機器を使った学習も教育の手段としては有効なものであるだろう。しかし、それが子どもの「いのち」(人権)に光が当たっていなければ、結局は子どもたちをさらに追い詰め、苦しめることになるのではないだろうか。今回のオンライン授業に関する現場の混乱は、大人の都合による勝手な判断によるものである。

 根本的な教育の在り方、いや政治や社会の在り方を見直し、子どもたちの未来に明るい光を見出したいと切に願うものである。これは、子どもの問題ではなく、まさしく大人の問題であり、政治的権力を持つ立場にある人にはその大きな責任が課せられているのではないだろうか。

令和3(2021)年5月17日

大阪市立木川南小学校 校長 久保 敬

 

渡部通信(5/23) : 明けない夜はない(50)<大阪市立小学校校長の魂の叫び>==============================
5月17日、大阪市立木川南小学校の久保敬校長が、
松井大阪市長あてに、

「大阪市教育行政への提言
 豊かな学校文化を取り戻し、学び合う学校にするために」
(以下をクリックすれば全文が出てきます)
https://digital.asahi.com/articles/ASP5N6KWMP5NPTIL00R.html?fbclid=IwAR3wKEKV5pN
kz3dm5wAr7qBMtgeRiieTGjuXLnhkSeHwrDeI-oo_noAlPDo

を出したことが、大きな反響を呼び起こしている。

この「提言」の中で久保校長は、冒頭、
「子どもたちが豊かな未来を幸せに生きていくために、
公教育はどうあるべきか真剣に考える時が来ている。」
と問題を提起、この間に進められてきた「教育改革」(?)により、
「学校は、グローバル経済を支える人材という『商品』を作り出す工場と化している。」
と明確に批判している。
そして、そのためになされる学力テスト、教員人事評価などは、
教育をより良くし、教員のやる気を喚起していないと述べている。

また、この間のコロナ禍により前倒しになった
GIGAスクール構想やオンライン授業のお粗末さも挙げ、
次のように述べている。
「その結果、学校現場は混乱を極め、
何より保護者や児童生徒に大きな負担がかかっている。
結局、子どもの安全・安心も学ぶ権利もどちらも
保障されない状況をつくり出していることに、
胸をかきむしられる思いである。」

「つまり、本当に子どもの幸せな成長を願って、
子どもの人権を尊重し『最善の利益』を考えた社会ではないことが、
コロナ禍になってはっきりと可視化されてきたと
言えるのではないだろうか。」

「『生き抜く』世の中ではなく、『生き合う』世の中でなくてはならない。
そうでなければ、このコロナ禍にも、
地球温暖化にも対応することができないにちがいない。」

「子どもたちと一緒に学んだり、遊んだりする時間を楽しみたい。
子どもたちに直接かかわる仕事がしたいのだ。
子どもたちに働きかけた結果は、数値による効果検証などではなく、
子どもの反応として、直接肌で感じたいのだ。」

そうして、次のように結んである。
「これは、子どもの問題ではなく、まさしく大人の問題であり、
政治的権力を持つ立場にある人にはその大きな責任が
課せられているのではないだろうか。」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
これに対し、松井知事は、次のようなことを述べた。
①「校長の考えというのは一つあるんでしょうけど、
 僕とは少し違う」
②「校長だけど現場が分かってない。
 社会人として外に出たことはあるんかなと思いますね」
③「疲弊してやりがいが見つけらないんやたら、
 違う仕事を見つけたらいい」
④「個人の意見を言うのは構わないが、
 我々には教育振興基本計画がある。
 それに沿った形で運営してもらわないと、
 組織の一員として逸脱していることになる」
皆おかしな発言だが、
このうち③は、
大阪の疲弊する教職員たちに対する開き直りである。
現場教職員の労苦など考えてもいないのである。

④の「教育振興基本計画」というのは、
2006年教育基本法が改悪された際、
「愛国心」が入ると同時に入ったものである。
国家主義的教育を全面的に進めるためのプログラムであり、
国が定めた目標にそって各地方自治体でも定め、
それにそって学校現場の教職員も目標申告を出させられ、
その観点から評価される仕組みである。
だから、それに従えないものは「逸脱」している
というのである。まさに国家主義教育であり、
従えないものは「逸脱教職員」と言うことになる。
その後導入された「教員免許更新制」は、
こうした「逸脱教員」を排除するためのものである
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ところで、この問題が大きくなってきたので、
5月21日萩生田文科大臣は次のようなことを述べた。
「現場の先生が首長に意見をおっしゃることは決して悪いこと
だと思いません。ただ、大阪市は考えた上での結果だと思う。
やってみて不具合があったという報告だとすれば、
耳を傾けて改善したらどうですかね。」

彼はオンライン授業のことしか頭にないらしい。
しかし、久保校長が提言しているのは、
教育基本法改悪後の日本の社会や教育全体に対してであり、
それらを根本的に変えなけれならないということなのである。

今回の「提言」は、
「教育改革(?)」の最先頭を走ってきた
大阪(維新が牛耳る)から、
「もうこれ以上黙ってはいられない」として上げられた、
大阪市立小学校校長の魂の叫びである。
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以下のようなメールが届いています。

久保校長の提言読んだ方へ。
意見を松井市長にとどけます。omsknjhs@yahoo.co.jpまで。
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お名前(               )匿名希望
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最後の晩餐には&『ゲド戦記外伝』....日本もまた占領下の国

2021年05月15日 | 歴史

最後の晩餐には
熱々のお茶漬けがいい
飲みつかれた後にしみじみと
焼いた塩鮭かタラコに熱いお茶で

大根下ろしを掛けるのもいい
チリメンジャコかイクラを
ご飯に乗っけて

漬物はやっぱりニシン漬けがいい
お袋の味を思い出しながら
大根とキャベツをぼりぼりと

おお今夜もやっぱり
風がえらい泣いてるなと呟きながら


『ゲド戦記外伝』ル・グウィン(岩波)再読
ファンタジーの中で、何回読んでも好きなのは『影との戦い』(『ゲド戦記シリーズ』第一巻)だが・・表題の別巻は、より現代を反映した『ゲド戦記』シリーズ最高の出来栄えかもと思う。映画化された「ゲド戦記」は、たぶん映像化の容易さを最優先したために失敗したのだろう。

この『ゲド戦記外伝』の魅力はー
「カワウソ」「湿原で」の二章につきる。前者では、かっての革命的組織の再復興をなした・・まるでチェ・ゲバラのような一人の魔法使いの一生が語られる。
そうして作られた魔法の学校が「影との戦い」の舞台の・・ロークの魔法学院。
後者は「影との戦い」の後日箪。《メドラなる名を持つ若者は死んだ女をその腕に抱いて、ぬかるみの中にすわりこみ、ひとり、静かに泣きつづけた。
「この女はおれを救ってくれたのに、おれはこの人を救えなかった。」若者はだどりついた山間の村の人びとに、男女を問わず、泣いて訴え、すでに硬直した、雨に濡れたままの遺体を、人びとから守ろうとするかのように、ひしと胸に抱きしめて、離そうとはしなかった。》(「カワウソ」より)

日本もまたずっと続ずく占領下ではないんだべか。
戦前は、憲法を恣意的に解釈して天皇の名を語った「統帥権」で、財閥と軍と官僚がこの国を占領した独裁国家だった。それに言及せずに、戦前の日本は素晴らしかったとか、「自虐史観」だと言っても・・この基本的な捉え方が間違っていてはどうしようもない。

戦後はアメリカと、その意を受けた官僚層の占領した国だった。在日米軍基地の75%が置かれた沖縄でそれが顕著だった。特に数十兆円もの税金をつぎ込んで銀行・農協等を責任者の罪を問うことなくうやむやにした住専問題以後は、資本主義とも言えない日本国であり、その後数千兆円が宗主国米国へと貢がれてきた。

資本主義の基本とは、「借りた金は返す」「借金を返す担保・信用がない者には貸さない」というのが資本主義の基本だ。その基本を無視した者たちは罪を問われるべきだからだ。特に我々の税金で救済する場合には。

《占領とは、他者の人間性の否定、他者の尊厳の否定です。一民族全体が、組織的かつ集団的に、その人権を否定され、人間としての尊厳を否定される、それが占領です。 サラ・ロイ「ホロコーストとともに生きる」『みすず』2005年3月号より)》(「憲法9条の会」のtodaysongさんの書き込みから引用ーhttp://cafe.ocn.ne.jp/cafe/bbs.cgi?mode=detail&art_no=1975176&m_no=99210&t_no=0)

その意味では、ガザと日本は同じなのではないのか?ただわずかな違いはと言えば、日本の場合は太らせてから収奪するという方法・・だっただけの違いではないのだろうか?


世に倦む日日 @yoniumuhibi

2021年05月06日 | 歴史

報道1930。東京都の保健所への電話相談件数が、第3波のピーク時と同じになったという情報を緊急で流していた。つまり1日の感染者数2520人(1月7日)のレベルだということ。来週、PCR検査の結果が出てその数が表に出る。バッハ来日の直前に。

倉持仁、いいね。いい男だ。サムライだ。尾身茂を引きずり下ろして、倉持仁をこの国のコロナ対策のトップに付けたい。それができないのが口惜しい。

「G7サミットで東京五輪中止決定? – プランBを検討する局面に再び」をアップしました。https://critic20.exblog.jp/32122211/
  
中国叩きに狂奔する日本共産党としばき隊左翼は、アーダーンの爪の垢でも煎じて飲め。それでも9条の国の左翼か。恥を知れ。

アーダーンの決断は意味が重い。影響が大きい。具体的に言うと、21日に訪米してバイデンと首脳会談する文在寅にとって百人力のサポートになる。米国に全面屈服してクアッド加盟を強制される事態を回避できる。中立・フリーハンドの余地を残せる。文在寅はただちに韓・NZ会談を。中立同盟の組織を。
  
おお、アーダーン、見事だ。勇気ある決断と行動だ。 さすがだ。https://www.afpbb.com/articles/-/3345303 
  
この記事が続きです。https://critic20.exblog.jp/25084649/
  
古典ということでは、やはりマルクスを読んでもらいたいです。最近やたら内田樹がマルクスの宣伝をして、宣伝文を市場に売り捌いて儲けている。宣伝文を読んで終わりにするのではなく、自分で歯を立てて欲しい。マルクスは結構難しいですよ。今の日本の前頭葉退化縮減状況だと、本当に難しいと思う。

メールで、今の政治社会を議論する上で土台となっている古典の紹介を、というリクエストがあった。(全部が古典ではないけれど)とりあえず6年前のこの記事は参考にしていただけたらと思う。https://critic20.exblog.jp/25077488/
  
岸惠子、77年の『悪魔の手毬唄』の演技が絶品。ときどきBSで放送している。恐い恐い映画で、イメージとは違うんだけど、最初から最後まで女優岸惠子の魅力が爆発する映画だった。監督市川崑。いい作品。
  
これはすごいな。驚いた。絶句の一言。これが今の中国。鈴木敏夫のコメントを聴いてみたい。https://news.yahoo.co.jp/articles/cfb9696be27036800e8c01b2616fb33e1b2eab63 


世に倦む日日 自由と民主主義を考えるための「世に倦む」選書15冊 - 知識人になるために

2021年05月06日 | 歴史

「世に倦む」選書15冊の続きを。⑨の日高六郎編『1960年 5月19日』。1960年10月に出版の岩波新書。60年安保闘争とは何だったかを知る最良の入門書。1960年5月19日の強行採決、6月10日の羽田ハガチー事件、6月15日のデモと樺美智子の死、6月17日の七社共同宣言、6月18日の自然承認、6月23日の岸信介の退陣表明と、怒濤の1か月間が綴られている。戦後民主主義が運動のレベルで爆発した沸点の日本人のドラマ。この政治の激動を通じて、日本国憲法の理念は体制として確立し、いわゆる平和と繁栄の戦後日本ができた。ダワーが言うところの、憲法の理想を日本人が地上に引き降ろした市民革命の瞬間である。SEALDs選書にこの一冊が入ってないことも、どうにも不自然で不可解でならない。運動としての民主主義の意義にコミットするならば、60年安保の歴史を基礎知識として持とうとするのは当然のことだろう。除外された理由は何なのか。われわれは、日本国憲法について、東京裁判について、60年安保について知らなくてはいけない。基本を押さえないといけない。これらは学校教育では教わらないことが多く、正確な知識を持った教師が少ない。この書で歴史の概要を掴んだ上で、丸山真男集第8巻に所収されている「選択のとき」と「復初の説」の2論文を読み、世織書房『同時代人丸山真男について』での日高六郎の回顧を参考にして欲しい。

自由と民主主義を考えるための「世に倦む」選書15冊 - 知識人になるために_c0315619_18422818.jpg⑩の樋口陽一の『個人と国家』。立憲主義について知る適当な教材は何だろうということは、誰もが思案して思い悩む問題だろう。SEALDs選書には、立憲主義を概説したテキストのセレクトが特にない。これも不具合に感じる点だ。私は、この本とは別に、同じ樋口陽一の『憲法と国家』と長谷部恭男の『憲法とは何か』の3冊を読んでみた。立憲主義とは何かを学ぶためである。その上で、推薦する一冊として集英社新書を選んだ。最も分かりやすく説明されていると感じたからであり、樋口陽一らしい社会科学的な百花繚乱の関心が書かれ、立憲主義の意味が歴史的に説かれているからだ。社会科学的な視角からの立憲主義論という点で、他の2冊は物足りない。最近、社会科学をジェネラルに語れるオーソリティが本当にいなくなった。そうした大型で豊穣な知性と説得力を持った学者は、81歳の樋口陽一くらいのものだ。その意味で、今は樋口陽一の時代だと言える。今年の憲法学者の活躍はめざましく、憲法学者だけがアカデミーで唯一信頼できる存在であることをつくづく思い知らされた。立憲主義の学説とは樋口陽一の代名詞でもある。しかしながら、残念なことに、今年の立憲主義のブームは、決して立憲主義が市民に学習され議論された理性的なムーブメントではなかった。

自由と民主主義を考えるための「世に倦む」選書15冊 - 知識人になるために_c0315619_1842394.jpg1946年の民主主義のようには真摯に学ばれず、反問と相克と陶冶の中で定着するという知的過程にはならなかった。本当なら、樋口陽一の本を、明治の国民が福沢諭吉の「学問のすすめ」を読んだようにして熟読し、庶民のレベルであれこれと論議をしなくてはいけなかった。立憲主義は民主主義とは緊張関係にある原理であり、二つは対立的で矛盾的でもあるという問題は、樋口陽一も言い、この間ずっと言われてきたが、その中身について、あるいはそれをどう捉えるかについては、掘り下げて突っ込んだ議論がなかった。立憲主義のお勉強が低調だった。本来なら、まだ一般に定着してない理論であり概念なのだから、終戦直後の民主主義のように、これが立憲主義だ、否それは立憲主義ではないというような、侃々諤々の討論が国民の中に巻き起こり、論争を通じて各自が言葉を錬磨する思想的展開こそがあるべきだった。ところが、SEALDs運動はそれをせず、最初は「民主主義って何だぁ」と、米国流デモの直輸入をモノマネでやっていたのを、後から「立憲主義って何だぁ」とフレーズだけ付け加えるだけというお粗末さで終わり、立憲主義の学習と議論を促す知的運動は全く提起されることがなかった。SEALDs運動は、「なんだぁ」に「これだぁ」がセットになって、民主主義も立憲主義も、すでに獲得され確定された安直な与件(既成概念)であり、一人一人が思考し格闘する課題ではなかった。

自由と民主主義を考えるための「世に倦む」選書15冊 - 知識人になるために_c0315619_184249100.jpg⑪の大塚久雄の『国民経済 - その歴史的考察』。学生諸君にはどうしてもこの本を読んでもらいたい。高度経済成長の基本思想が何だったかを知ってもらうためである。戦後、1950年代から1960年代の東大(法・経)の学問と教育の基調がどこにあり、どういうエリートを育てて霞ヶ関や各界指導部に送り出し、どのような国家と経済を建設しようとしていたのか。どのような経世済民の理念だったのか。誰がその指導者だったのか。それを知るために⑪を読んで欲しい。今、新自由主義が当然の空気の中に生きている君たちは、GDPが大きくなればなるほど格差は開くものだという常識を持っている。それが間違った固定観念だということは、日本の高度成長の事実が証示している。戦前の日本は現在よりも厳しい格差社会であり、格差社会というよりも身分制社会だったこと、橋田壽賀子のドラマで歴然だろう。その、一部が富み大半が貧しい暮らしだった社会を、日本は高度成長によって一億総中流社会に変えた。誰でも平等に教育を受けられ、平等に医療を受けられ、年金がもらえる社会に変えた。終身雇用と年功序列の企業に就職し(非正規などあり得ない)、現場で自分の力を存分に発揮して満足な会社人生を全うできる社会に変えた。世界から、地上で唯一成功した社会主義国と言われ、その絶倫の生産力と技術力を欧米に恐れられ、新興国のモデルとなった日本。その秘密を、この社会科学の古典がベーシックに教えている。

自由と民主主義を考えるための「世に倦む」選書15冊 - 知識人になるために_c0315619_1843243.jpg⑫のオーウェルの『1984年』。前回、政治学は丸山真男の『現代政治の思想と行動』の一冊だけでよいと断言したが、オーウェルのこの作品だけは例外だ。この本は、まさに政治学の本である。これを読まないと、今の政治の談議についていけない。例えば、「二重思考」とか「ニュースピーク」とか、オーウェルが物語の中で登場させた概念は、今では普通に眼前の政治を語る言葉として使われている。そして、その意味を理解して誰もが使わないといけない状況になっている。まさに日常の政治用語になっている。そういう思想家と著作が他にあるだろうか。ロールズの正義論がどうのとか、アレントの「悪の凡庸」がどうのとか、そうした議論はよく見かけるが、オーウェルの「二重思考」や「ニュースピーク」を凌駕する程度と迫力ではないことは言うまでもない。オーウェルが架空の国の政治を語る上で開発した言語は、それなしに今の日本の政治とイデオロギーを分析できないものになった。「ビッグブラザー」も「2分間憎悪」も、今の政治の現実そのものである。10年前はそうではなかった。間もなく、人はあの「テレスクリーン」がインターネットであることを知るだろう。オーウェルは21世紀の日本を予見してこの小説を書いたかのごとくであり、私は慄然としながら「1984年」の世界に夢中になっている。ウィンストンはどうなったのか、オセアニア国はどうなるのか、それを考えることは、自分自身と日本の運命を考えることと同じなのだ。

自由と民主主義を考えるための「世に倦む」選書15冊 - 知識人になるために_c0315619_18431334.jpg⑬の立花隆の『天皇と東大』。文春文庫で4分冊の大書。東大(帝国大学)を通して日本の近現代史を描いた渾身の歴史ノンフィクション。この本はもっと評価されていいし、話題になって議論されてよく、学生に推薦されてもよいと思うが、内田樹だの、東大岩波系の、業界マッチメイクな売らんかな本(マーケティング商品)ばかりにスポットが当たっている。そのことが私は不満だ。血盟団事件、美濃部達吉と天皇機関説事件、蓑田胸喜と滝川事件、平泉澄の皇国史観、矢内原忠雄事件、津田左右吉事件、平賀粛学、河合栄治郎事件、等々、重要な知識界の事件史が説明されている。どれも、生半可に知っている程度で、詳しくは知らないことが多く、この本は勉強になった。この文庫4冊の歴史情報群は、まるで丸山真男集のサブテキストそのものだ。日本の近現代史の主役は二人いて、一人は天皇であり、もう一人は共産党である。国体思想と共産主義。この二つの鬩ぎ合いこそ日本の近現代の政治思想史の真相に他ならず、立花隆の方法的視角は当を得ている。それこそが、敗戦して国家を再出発させるときのギブン(所与・前提)だった。この国で自由と民主主義を考える者は、近現代史の歴史の知識を確実にしなくてはいけない。侵略戦争へと進む天皇制ファシズムの思想と、アンチテーゼとしての日本マルクス主義を知らなくてはいけない。こうした骨太の歴史認識の方法は、最近では流行らなくて、ジェンダーだの何だのと脱構築の社会学の方向に簡単に流れてしまう。

自由と民主主義を考えるための「世に倦む」選書15冊 - 知識人になるために_c0315619_18432434.jpg⑭のオリバーストーンとピーター・カズニックの『もうひとつのアメリカ史』。これは、NHKで10回分のドキュメンタリー番組として放送された。特に解説の必要もないと思われるが、世界と日本を見る上での基本的知識を提供する傑作である。米国の戦後史が、共産主義(ソ連)との戦いの歴史であったことが示されている。マッカーシズムの説明は手薄な感じがあるが、第二次大戦の総括と原爆の真実を語る部分は秀逸で、特にキューバ危機の描写は圧巻だ。ベトナム戦争も過不足なく描かれている。軍産複合体こそが米国政治の主役であり、影の支配者であることが結論され、オバマ政権でもそれに変わりがないことが分かる。⑮のエドワード・サイードの『戦争とプロパガンダ』。これは、2001年の同時多発テロからイラク戦争までの間の米国で、戦争反対の論陣を果敢に張り、ネオコンのイデオロギーを暴露して戦ったサイードの言論をシリーズにしたものだ。白血病と闘いながら、サイードは孤独にこれを書き、絶筆となった。21世紀、「テロとの戦争」が始まったときの政治思想史のテキストとして、そして知識人の言論のお手本として、自由と民主主義を考える皆さんにお薦めしたい。以上、自由と民主主義を考えようとする学生諸君を想定して、推薦書15冊を紹介した。本は何のために読むのか。学生は何のために学問するのか。知識人になるためである。知識人とは何か。ウォルフレンはこう言っている。

自由と民主主義を考えるための「世に倦む」選書15冊 - 知識人になるために_c0315619_9374265.jpg「知識人というのは、博識である人とか、硬派ものの記事を書く人とか、大変な学識のある人とかとは違う。こうした人もおそらく知識人ではあろうが、所詮は役人、もしくはジャーナリスト、もしくは学者でしかないのもしれない。別の言い方をすれば、これらは真実の追求、あるいは客観的な理解の追究を、金銭とか安全保障とか相互扶助とかの追求より大切であると考えるとはかぎらない人々なのである。知的な誠実さを何よりも尊しとする姿勢こそ、知識人のきわだった特徴である。人が知識人であるがためには、独立不羈の思索家でなくてはならない。役人、ジャーナリスト、学者など、自分の頭を使って仕事をする人々も『知識人』たりえようけれど、これらの人はしばしば、この名称に値するほど知的に誠実ではないのが普通だ。わが身にどんな結果が振りかかろうとも、あくまで、筋をとおして考えることを自分の責務とする人々の意見は、これが権力の行使のされ方に関連する問題を取り上げたものである場合、もっとも価値が高くなる。権力行使のあり方こそ、日常の社会生活面で我々に影響を与える、他のすべての事柄を決定づけるからだ。言いかえれば、知識人は、政治問題を詳しく説いてもらうために最も必要とされるのである。我々の自由が無用に縮小されたり、権力を保持する者がその支配下にある万人を災難に追い込んだりしないよう取り計らう上で、知識人こそ我々の持てる最大の希望である」(窓社 『日本の知識人へ』 P.4)。

自由と民主主義を考えるための「世に倦む」選書15冊 - 知識人になるために_c0315619_18435314.jpg


米国労働運動 : アマゾンでの敗北と今後

2021年05月02日 | 歴史

【解説】先月報道したアマゾン社での組織化はバイデン大統領の後押しがあったにもかかわらず失敗した。その敗北が明らかになった5日後にレイバーノーツ誌が掲載した記事を翻訳した。まだ敗北の原因・経過を分析した記事にはなっていないが、労働運動の大きな流れの中で占める位置を明らかにしている。(レイバーネット国際部 山崎精一) *毎月1日前後に「レイバーノーツ」誌の最新記事を紹介します。
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アマゾンでの敗北と今後

 4月14日 ジョー・デマニュエルホール(レイバーノーツ・スタッフでオルグ)

 注目を集めたアラバマ州のアマゾン社での組合承認選挙の敗北から、全米の労働組合活動家は何を学べるだろうか?

 全国労働関係局は4月9日、バーミンガム市近郊のベッセマーにあるアマゾン社の発送センターで働く労働者が、小売・卸売・百貨店労働組合RWDSUへの加入に反対票を投じたと、発表した。投票結果は「反対」71%、「賛成」29%だったが、会社側が異議を唱えたために数えられなかった多数の投票を考慮すると、実際の投票率は60対40に近かった可能性がある。

●何を学ぶべきか?

 組合組織化への期待は大きかった。この組織化キャンペーンはマスコミに大きく取り上げられ、ホワイトハウスまでもが支持していた。とはいえ、今回の敗北は大方の労働組合にとって驚きではなかった。アマゾン社は世界で最大企業のひとつであり、米国の労働法の下では組織化が難しいことは知れわたっているからである。

 公の場で組合支持を発言する職場の労働者が少なかったことなど、組織化キャンペーンには心配な点もあった。長年にわたる組合活動の勝利と敗北の経験から、会社側の反対を克服するためには何が必要かということについて、知恵が蓄積されているからである。 特に、アマゾンでの組織化にはこれからも何度も挑戦することになるだろうから、今回の敗北の理由を知ることは我々の助けになるだろう。

 特定の状況下で特定の戦略がどのように有効だったかを、労働組合が学ぶ機会を無駄にするわけにはいかない。そのためには、直接関わった人たち、一般組合員、役員、スタッフが誠実に反省する必要がある。そのような兆しが見えてきたことは喜ばしい。

●敵対的な労働組合法

 アマゾン社は、多くの経営者と同じように、従業員を強制的に集会に参加させて、反組合宣伝を行った。アマゾン社は、郵便局の協力を得て、会社の敷地内に投票用紙を投函するための郵便箱を設置した。しかし、これは監視とみなされる可能性があり、違法なため、再投票が命じられる可能性がある。

 この郵便箱の設置を除いては、残念ながらこれらの反組合攻撃はすべてありふれたものである。組合組織化ではよくあることだし、アマゾン社は他の場所でもよくやっていることだが、脅迫したり、懲戒したり、解雇したりした、というような事実はまだ明らかになっていない。しかし、労働者はどこでもそうであるように、解雇や懲戒処分を恐れて組合支持を明らかにするのを恐れていた。

 現在議会で審議中の組織化保護法PRO(Protect the Right to Organize)があれば、アマゾン社のこのような行為を阻止することができるだろう。従業員を強制的に集会に参加させることは禁止されるだろう。アマゾン社は、交渉単位の決定において発言権を持たないだろう。(組合は、投票開始のわずか数週間前になって、想定していた従業員数の約4倍の数の従業員がいることを知らされた。) 組合の支持者を懲戒処分にしたり、脅迫したり、解雇したりといったよくある違反行為には、重い罰則が科せられることになる。また、組織化保護法では、最初の労働協約について仲裁プロセスを設けることにより、経営側が協約交渉をいつまでも引き伸ばさないようにすることができる。

●我々次第

 組織化保護法があれば、今回の投票の結果を変えられただろうか?それは分からない。発送センターの労働者たちが恐れることなく、立ち上がり、リーダーとして全面に立つことができただろうか? そうかもしれない。

 組織化保護法は、組合承認選挙の前後で状況を変える。選挙や最初の労働協約を勝ち取ることが容易になり、より強力な組合を作るための余地が生まれることは間違いない。労働組合は、労働者に意味のある組織化の権利を与えるこのような法案を求めて徹底的に闘うべきである。

 しかし、依然として、職場の力を構築するために広範な労働者を結集させる、強力で民主的な組織を構築する必要がある。労働者が加入したくなるような労働組合を作る必要がある。組織化保護法にはそれはできない、それは我々労働者に掛かっている。

●一つ闘いに過ぎない

 この敗北は、確かに後退である。しかし、アマゾン社で組織化できるかどうかのテストに失敗したと理解すべきではない。アメリカの労働組合運動の歴史には、大きな勝利の前の敗北、そして勝利の最中の敗北に満ちている。

 確かに、大きな敗北を喫すると、労働者が組織化を進める意欲を失ってしまうことがある。賢く、徹底して、常に勝利を目指して闘わなければならない。

 しかし、この組合承認選挙が持つ大きな歴史的意義について、メディアの熱狂に巻き込まれてはいけない。もし、マスコミの報道に流されてしまっていれば、労働運動はとっくの昔に終わっていただろう。

 組織化には、選挙戦の最中には気が付かないような波及効果がある。その波及効果は、ポジティブなものもあれば、ネガティブなものもあり、その中間のものもある。それを予測するのは難しい。 今回の損失は、失望の波を引き起こすかもしれないが、他の施設で働くアマゾンの従業員との会話から判断すると、それほど大きな影響はないようだ。いずれにしても、多くの労働者がより良い労働条件を求めて戦い、職場の様々な抑圧と闘いたいと思っていることは確かである。

 多くの労働者が労働組合を望んでいる。アマゾン社で働く多くの労働者が組合を望んでいる。今回、会社が勝ったからといって、その気持ちが変わることはない。

●長い目で見よう

 アマゾンのような巨大企業を相手にした労働組合の戦いは、何十年もかかり、さまざまなことを試し、組織化、再組織化、再再組織化を繰り返す。

 1930年代と1940年代の大規模な組織化活動に参加したオルガナイザーのオーラルヒストリーを集めた素晴らしい本『Rank and File』の中で、シカゴの精肉加工工場で働くステラ・ノヴィッキは、第一次世界大戦直後に鉄鋼や食肉加工での組織化活動やストライキに失敗したことが、数十年後の勝利につながった、と語っている。

 精肉加工工場の労働者が組合承認を勝ち取ったのは、1904年のストライキ失敗から40年後、1921~22年のストライキの失敗から20年後、そしてノヴィッキが組織化を始めてから約10年後の第二次世界大戦中のことだった。

 郵政労働者の団体交渉を合法化するきっかけとなった1970年の米国郵政公社の山猫ストは、郵政労働者の前身である郵政労働組合APWUの結成から65年後のことだった。郵政労組は何十年も前から存在していたが、その多くはロビー活動や福利厚生のための組織であった。しかし、公民権運動、政治的期待の高まり、労働環境の悪化などが重なり、全国規模のストライキにつながった。

 最近では、ノースカロライナ州ターヒールにあるスミスフィールド社の食肉加工工場場で働く何千人もの労働者が、16年の歳月と3回の選挙を経て組合承認を勝ち取った。労働者たちは、労働組合法違反、人種差別、経営側の激しい脅迫などと闘い、最終的に、全米で最も組織率の低い州の一つで大規模な組合承認選挙に勝った。

 草の根労働組織のアマゾニアンズ・ユナイテッド(注)からチームスターズ労組のような巨額の資金を持つ全国労組までが、アマゾン社で組合を作ろうと長期的な闘いに取り組んでいるので期待できる。アマゾンがどのように運営され、どこが脆弱なのかを理解するために時間をかけており、すぐに組合承認選挙に打って出ずに長期的に組織化する方法を模索している。

 レイバーノーツは『職場を変える秘密のレシピ 47』という本の中で、こう述べている、「どんな大きな勝利でも、その前には一連の敗北があったことがわかる。勝つまでは負け続けるのだ」。

*注 : シカゴなど各地のアマゾン社の倉庫などで組織化を行っている団体。労働組合が組織化できない中でも、コロナ禍下の労働者の命と健康を守るための闘いを展開している。

 

時代に翻弄された歌 「イムジン河」  人気グループ「フォーク・クルセダーズ」のレコード発売の前日に発売中止が決定。その後~~~

2021年05月01日 | 歴史

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世に倦む日日/アジアの人々に愛された不朽の名作『おしん』 – 偉大な知識人・橋田壽賀子

2021年04月12日 | 歴史
『おしん』はアジアの国々の人々に熱愛された。われわれはそのことをよく知っていて、例えばエジプトなど中東の国で、親が産まれた娘の名前におしんと付けた例が多くあるという事実を知っている。『おしん』を語るときの中東イスラムの人々は生き生きしていて、作品への感動と日本への親愛の情に溢れている。中東の人々にとって『おしん』は日本そのもので、愛すべき日本のシンボルだ。それは東南アジアの国々でも同様である。2003年の日・ASEAN首脳会合に来日したメガワティが、晩餐会か何かの公式会合の席で、熱っぽく『おしん』について語る場面があった。橋田壽賀子の訃報を伝えるテレビ報道で、胡錦濤が『おしん』を語る映像が流れ、「主人公が自ら励み、苦労の末に創業した精神は、とても深い印象を残してくれた」とコメントを発していたが、(すでに要職にあって激務のはずだった)胡錦濤が本当にあの連続ドラマを全部見ていたのかはよく分からない。『おしん』を見て感動した中国人を代表しての言葉であり、あるいは中日友好外交のリップサービスであったかもしれない。

アジアの人々に愛された不朽の名作『おしん』 – 偉大な知識人・橋田壽賀子_c0315619_13422060.pngが、メガワティの感動の言葉はまさに本人の心からのもので、40代前半、政治活動をしながらずっと『おしん』に見入っていたことが明らかだ。『おしん』について話したくてたまらないという感じだった。『おしん』の感動を語ることは、日本を褒めることであり、日本について深く知っていることを伝えることであり、アジアの女性の生き方について普遍的な何かを共有する地平に立つことである。そういう作品を成してくれた橋田壽賀子に心から感謝したい。日本で放送されたのが83年4月から84年3月。いい時代だった。すぐにアジアの国々で放送され、タイの女性たちの紅涙を搾り取っているという情報に接した。バンコクにはタイ東北部の貧しい農村から働きに来ている若い女性が多くいて、薄給の中から家族に仕送りする生活を送り、おしんを我が身に重ね合わせてテレビに釘付けになっていた。それはインドネシアの女性たちも同じだっただろう。80年代のタイやインドネシアの農村がどのようなものか、日本の戦前の地主小作制と類似の社会関係があったのかどうか、正確な知識がないが、貧農の家の女の子はそうして一家の支えにならなければならなかったのだろう。

アジアの人々に愛された不朽の名作『おしん』 – 偉大な知識人・橋田壽賀子_c0315619_13451569.pngブログで何度か論じてきたが、橋田壽賀子の描く作品にはまさしく講座派の社会科学の研究と蓄積がある。社会科学そのものだ。戦前の寄生地主制がどのようなものか、そこでの小作農の家族と生活がどのような現実だったのか、農村での家父長制がどのような実態だったのか、そこに置かれた女性の視点からリアルに描かれている。そして、日本の100年間の近現代史が生々しく分かりやすく描かれている。嘘がなく、真実がある。見落としがなく、大事なことがきちんと描かれている。いい時代だったからNHKが傑作を制作できた。『おしん』は日本の戦前社会を知る上での最高かつ完璧な社会科学の教材で、講座派の聖書たる山田盛太郎の『日本資本主義分析』を映像のドラマにしたものだ。そこでの諸範疇がモーション・ピクチャーで再現され説明されている。社会科学を学ぶ大学生は、『分析』を読みつつ『おしん』のDVDを見て欲しい。橋田壽賀子自身が講座派の学問をよく理解して概念を整理しているから、あのようにドラマを立体的に構成できるのであり、そしてそれが真実を描いているから、平均視聴率52.6%を取れたのだ。橋田壽賀子は知識人であり、日本の誇る偉大な知性である。

アジアの人々に愛された不朽の名作『おしん』 – 偉大な知識人・橋田壽賀子_c0315619_13512519.png『おしん』はなぜアジアの人々に愛されたのか。右傾化・属米化の極みに達した現在の日本で語られない真相がある。それは、ドラマにおける社会主義・共産主義の要素とシンパシーだ。ドラマにはその部類に属する様々なキャラクターが登場し、おしんの人生に影響を与え、おしんの人生と寄り添っていく。中村雅俊が演じた反戦の猟師・俊作がそうである。逃亡兵として官憲に追われて非業の最期を遂げる。その次に渡瀬恒彦が演じる共産党活動家の浩太が物語を盛り上げる。地主の坊ちゃんでインテリ。戦前、戦中とおしんと助け、政治から離れた戦後もおしんを経済的に助け、心を通い合わせた事実上の伴侶として描かれる。特高の拷問を受けて足が不自由になる。いい役だ。そして並木史郎が演じた夫の竜三。佐賀の地主の次男で、昭和恐慌以降からファナティックな右翼の軍国主義者に変身するが、結婚前、東京生活している青年時代はハイカラなボンボンで、左翼思想に理解のある準インテリとして登場した。こうした人間関係の進行から、田中裕子演ずるおしんがどういう思想の持ち主かが一目瞭然で、それはおそらく橋田壽賀子と重なっていて、また、テレビの前の当時の高齢者の戦後民主主義と重なっている。

アジアの人々に愛された不朽の名作『おしん』 – 偉大な知識人・橋田壽賀子_c0315619_13491345.png描かれる戦前日本の左翼は、こうして知的水準の高い存在で、最先端のインテリとして一般の尊敬の対象となっている存在だということが分かる。支配層はそれを悪魔視して否定・排除するけれど、大衆からは一目置かれた義士的な表象を持っていて、善良で優秀な青年たちが左翼活動に接触し没頭したのは、知的・倫理的な純粋な動機からであり、自負と使命感からだった。戦前がそういう時代だったことは間違いなく、今とは違って、左翼側の一般的な知的倫理的優越の前提がある。左翼が王道だったのであり、レーニン的な革命の理想が正義であり、それを弾圧する支配者側(天皇制ファシズム)の権力を見下して軽蔑する(江戸っ子の幕府批判のような)心性が成立していた。ここで指摘したいのは、アジアの国々の戦後も似たような過程と様相があったことだ。バンコクやジャカルタのテレビの前で紅涙を流していた女性たちにも、農村の実家に泉ピン子の母ふじや伊東四朗の父作造がいたのと同じく、人生の周辺に、都市や農村で活動する社会主義・共産主義のインテリ青年がいて、何がしかの関わりがあり、多少のシンパサイズと思想的影響(啓蒙)が及んでいたに違いない。それは少なからず悲痛で苦い記憶だっただろう。

アジアの人々に愛された不朽の名作『おしん』 – 偉大な知識人・橋田壽賀子_c0315619_14022996.pngタイでは、1976年にタンマサート大学虐殺事件が起きている。血の水曜日事件とも呼ばれている。この軍事クーデターと残虐な赤狩り事件がどのようなものであったか、具体的な資料はネットになく記憶も薄れているが、左派の学生と市民の犠牲者は100人を超えるという情報が載っている。当時のタイ国軍は暴虐性において今のミャンマーと変わるところがなかった。76年はサイゴンが陥落した翌年で、CIAも必死だっただろう。インドネシアについては1965年にスカルノ失脚の軍事クーデターがあり、史上最大規模の赤狩り虐殺事件が起きている。犠牲者数は数百万とも言われていて、まだ十分な検証はなされてないようだ。過去の歴史として落ち着いていない。事件はインドネシア国内でずっとタブーで、誰もにとって恐怖を呼び起こす身近で凄絶な記憶であり、メガワティが『おしん』を見たときもその環境の中にあった。親類のインテリ青年が犠牲になったという体験を持つ者が多かっただろう。スカルノの娘で中道左派のメガワティや、(中国のリベラル左派に見える)胡錦濤が、『おしん』に特にコミットするのは、理由のないことではないと思われる。人間のあるべき生き方が同じで世界観が同じなのだ。

アジアの人々に愛された不朽の名作『おしん』 – 偉大な知識人・橋田壽賀子_c0315619_14143464.png『おしん』の放送で世界最高の視聴率90%を記録したイラン。ここでも凄絶な赤狩りがあった。イラン革命の後、1981年頃だったか、ツデー党(イラン共産党)が権力を握ったパーレビ派(革命評議会)に追い落とされて、弾圧されて大量の処刑が行われた事実がある。『フォーカス』か『フライデー』か忘れたが、当時の写真週刊誌で、クレーン車で何人もが絞首刑された公開処刑の写真が掲載され、息をのんだ記憶がある。イランで家族で『おしん』を見守った人々は、左翼に関わる物語の部分をどのような心境で見つめ、親は子どもたちに説明していただろう。クレーン車で共産党員が大量に吊されていたのは、放送の5年前の出来事だ。戦後のイランも、インドネシアも、タイも、戦前の日本も、農村に遅れた部分を抱え、32年テーゼ的な、レーニン的な後進国革命の構想と運動に衝き動かされた社会であり、そこに存在した思想と人間類型は類似していて、一人一人はその関係性の中に生きていた。そこには、知性と倫理に純粋で、社会を変えて貧者を救おうとするインテリ青年がいて、前衛たる高揚感にひたりつつ、大概は(と言うよりほぼ例外なく)政治に翻弄されて傷つき破滅するのである。

その傍らにおしんのような女性がいて、距離感を測りつつ見守っていた。橋田壽賀子はそれを見事に総括していて、彼女たちの心をグリップしたと言える。アジアの女性たちは、みな橋田壽賀子の同志であり、橋田壽賀子の教室の生徒たちだ。橋田壽賀子こそノーベル文学賞に相応しい。アジア諸国の政府や大学には、『おしん』に感動した者たちが要職に付いて指導している。そこに希望が持てる。日本が滅びても作品『おしん』は不滅だろう。最後に、訃報のニュース映像で紹介されていた橋田壽賀子の言葉、「昔の人はこんなに一首懸命生きていたのに、次の世代の人たちはそれを忘れている」を噛みしめ、呆然となりながら、1995年頃に聞いた司馬遼太郎と大橋巨泉の日本人への遺言的な予言を思い出す。思い出して悲しい。



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by yoniumuhibi | 2021-04-07 23:30 | Comments(2)
 Commented by nyckingyo2 at 2021-04-07 21:33
ときあたかも、現代のミャンマーとも酷似していますね。
中村雅俊が演じた反戦の猟師・俊作は、逃亡兵として官憲に追われて悲劇的な最期を遂げる。私たちはミャンマーに、アウンサン・スーチーからはじまる数万のおしんの影を把握できます。
 
 
 Commented by コスモス at 2021-04-08 08:08 x
子供だったので、おしんは見たことがありません。Yオハンの女性がモデルと噂で聞いたことがありましたが(橋田先生が熱海在住だったからか?)、事実は違って、静岡県中部の女性から聞いた話をもとに先生が再構成されたのですね。
橋田先生がいいともに出ていた頃、番組のディレクターが、番組に出たことがありました。ディレクターが一橋卒と聞いて先生は「一橋出てこんな仕事してたらだめよ」と言ってのけ、番組は一瞬静まり返ったものの、生放送でしたのでそのまま放送されてしまったのです。
ブログ主さんのご投稿を読んで、先生は「一橋を出たような人間はもっと使命感を持って、やるべき仕事があるでしょう」と言いたかったのだろうなとわかりました。
私が印象に残っているのは、「おんなは度胸」という朝ドラです。桜井幸子演じる若い主人公が、通訳ガイド?の国家試験受けようとして失敗、旅行社では電話番のような仕事しかさせてもらえない、旅館を経営している実家ならおかみになれるという状況で苦闘していましたが、女性の社会進出が叫ばれていた時代に、女性の置かれる難しさをしっかりと描いておられました。先生は決して嫁姑ドラマの人ではなかったこと、ブログ主さんのご投稿で認識を改めました。
 
 

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世に倦む日日 @yoniumuhibiより一「アジアの人々に愛された不朽の名作『おしん』

2021年04月12日 | 歴史

斉昭の最期のシーン。竹中直人のアドリブですね。脚本にはなかったはずだ。撮影を利用して自分の欲望のままに好き勝手やっている。ドラマを私物化している。監督はNG出して撮り直ししなきゃだめだ。セクハラで訴えられる暴走だ。絵を見るかぎり事前合意はないね。

Twitterで画像を見る
 
『おしん』の放送で高視聴率を叩き出した国々。中東イスラム諸国にせよ、キューバにせよ、東南アジア諸国にせよ、その国民の心がきれいだったからだ。だから感動したのだ。
 
バイデンが選挙に勝って、トランプが点けた戦争の火種を消してくれると期待したのに、逆にどんどん燃料をくべて火の勢いを煽っている。第三次世界大戦のリスクの面ではトランプの方がマシだったかもしれない。少なくとも対ロシアの関係では。ウクライナ情勢がこれほど危機的にはならなかっただろう。
 
軍事衝突、秒読みという感じですね。前回の紛争時の停戦が期限切れを迎えていて、ゼレンスキーが失地奪還に動き、プーチンがそれに反撃・制圧しようとしているらしい。来週のDCの日米首脳会談、それどころじゃなくなるかも。https://news.yahoo.co.jp/articles/52101c907a01bebd454a7fb478166e20e2769ea8 
 
こういう問題が背景に絡んでいるんですね。アメリカ、欧州でもなりふり構わず必死だ。https://jp.sputniknews.com/world/202103028191817/ 
 
欧州情勢も緊迫している。ウクライナでまた戦火が上がる可能性が高い。今回は一旦丸く収まったとしても、9月のドイツの総選挙の後に事態が悪化する恐れがある。メルケルという平和の重石がなくなるから。6月のG7サミットは中国・ロシア叩きの饗宴になりそうだ。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210409/k10012964261000.html 
 

ドイツの感染者数が増えている。1日3万人超え。https://covid.gutas.net/country?p=73 

準戦時なんですよねえ。戦時への態勢シフト着々ということだ。80年前と同じ。国家の戦争遂行にとって邪魔なものは消す。https://news.yahoo.co.jp/byline/tateiwayoichiro/20210409-00231537/ 

アメリカと戦争を始めたらPRCが崩壊することくらい、それぐらいの軍事は習近平でも分かるはずだ。先に動いて蔡英文と会談して、不可侵合意とステータスクオの確認をするしかない。間に入って仲介してくれる人物を探すことだ。文在寅か、ドゥテルテか、フランシスコ教皇ぐらいしかいない。
 
それぐらいの奇跡が起きないと、米中戦争が始まるわけですよね。世界のNo.1とNo.2の大国が戦争を始める。第三次世界大戦だ。戦場は東アジアで、間違いなく日本が戦場になる。核戦争の戦場となる。誰か、もう少し想像力をはたらかせる人間が出てきてくれないものか。どうやって戦争を避ける気なのか。
 
そうだ、文在寅に一世一代の働きを期待したい。任期は残り1年。ちまちま南北首脳会談程度で満足するんじゃなく、習近平と蔡英文の間に入って奇跡の両岸和平会談を実現させたらどうだ。バイデンとブリンケンが卒倒悶絶、CIAとハンドラーズが一挙崩壊のウルトラC。それぐらいやってもらいたいな。
 
これはいいことだ。これたぶん、北朝鮮、五輪に選手を出すカネがなくて、誰かカネくれと泣きついているんだと思う。韓国か、中国か、開催国の日本に。韓国が面倒みてやるのが筋ですよね。これで南北首脳会談に繋げられるのなら安いものだ。文在寅はここで巻き返さないと。https://news.yahoo.co.jp/pickup/6390152 
 
コロナで重症というのは、肺炎で呼吸困難になって人工呼吸器が必要な状態ですよね。大阪の変異種の場合、感染した60代以上は20%がこうなってしまう。この規模で感染拡大が続いたら、入院できないまま自宅で死ぬ人間が大量に出るのは確実だ。真面目に、アビガン配るとか手を打たないと。
 
60代以上の重症化率が20%以上で、この規模の空前の感染爆発が続くと、去年のNYやイタリアのような医療崩壊が起きて、高齢者が大量に死ぬことになる。大阪・関西圏ではかなりの死者数が出ますね。これまでとは違う事態になる。本格的なロックダウンに踏み切らざるを得ないだろう。
 
たぶん、今の生ぬるい蔓延防止措置では大阪の変異種コロナの流行を抑えることはできない。1日1000人を超える感染者がずっと続くだろう。ロックダウンして人流を止めるしかない。学校も閉鎖だ。来週あたり、西浦博の登場になるのではないか。https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4241247.html 
 

イギリス型の本場である英国は、ロックダウンして2か月間学校を閉鎖してましたよね。モーニングショーで森内浩幸が、玉川徹に反論して学校や給食を止める必要はないと言っていたが、英国は2か月も閉鎖していた。https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR0801P0Y1A300C2000000/ 

「アジアの人々に愛された不朽の名作『おしん』 – 偉大な知識人・橋田壽賀子」をアップしました。https://critic20.exblog.jp/32077860/ 

Real Story 島が全てを受け入れた 心を閉ざした青年が人口わずか82人の悪石島に移住し奇祭「ボゼ」役を担うまで 監督:望月 冬子

2021年04月11日 | 歴史

人口わずか82人の悪石島。この島には旧暦のお盆の最終日に悪魔祓いをする異形の神「ボゼ」が現れる。九州の南、奄美大島と鹿児島の間に連なるトカラ列島に浮ぶこの島の人々の心の余裕と温かい人間関係の底力と、心を閉ざした青年が移住し奇祭「ボゼ」役を担うまで。by Yahoo! JAPAN クリエイターズプログラム

Real Story
Yahoo! JAPAN クリエイターズプログラムがお送りする、人々の葛藤、挑戦や社会の問題に迫るショートドキュメンタリー。 Yahoo! JAPAN クリエイターズプログラムは世の中の才能と情熱を持ったクリエイターの制作活動をサポートし、Yahoo! JAPAN上での発信を通じてユーザーのみなさまに「明日の行動」につながる良質なコンテンツを届けるプログラムです。 https://creators.yahoo.co.jp/list/video/g/shortfilm

井上・歴史学が暴いた尖閣<本澤二郎の「日本の風景」(4049)

2021年04月09日 | 歴史

井上清が暴露してた尖閣<本澤二郎の「日本の風景」(4048)

<発見!国際的歴史学者が外務省の嘘を暴露していた!>

「尖閣(釣魚島)は日本の島々。よって中国の船が接近していることは許されない」とNHKをはじめとする日本の新聞テレビががんがん報道するものだから、ほとんどの日本人は「そうか。中国はけしからん」といって中国脅威論・排外主義者となっている。立ち止まって「本当にそうだろうか」と真実を追求する気分にもならない。

 「中国は怖い」となると、日本も戦争国家に変身せざるを得ないのかな、となる。昨夜も、歴史好きで歴史を知らない夫人から「中国よりにならないで」と釘を刺されてしまった。

 歴史を曲げることで、日本を再軍備・軍国主義を復活させていることに気付かない国民は、少なくない。高齢者の1割から2割へと倍増する健康保険制度に警戒する国民は多いが、米国からの莫大な人殺しの兵器購入に甘い日本人、それ自体が偏狭なナショナリストに変質していることに気付かない。それに警鐘を鳴らす言論人・識者のいない日本!

 全くの偶然だが、著名な歴史学者の井上清のことをネットで調べていたら、尖閣諸島問題に対する日本外務省の大嘘を発見した!びっくりである。改めて歴史の重要性に気付かされてしまった。

 昔も今も尖閣は、国際法上、日本の固有の領土と胸を張れない。以下の井上論をしっかりと読むといい。井上研究者は、なぜ沈黙しているのか。このこともおかしい。史実は史実である。歴史を曲げることが、戦争の要因なのである。

 

<沖縄県初めての調査で清国の権利を暗に認めていた!>

 明治政府が尖閣調査を沖縄県に指示したのは、1885年のことである。これに対する沖縄県令の記録が残っていた。井上はその記録を証拠として提示して、外務省の「無主地と確認」よって「国際法の手続きに沿った正当なもの」と強弁していたのだが、井上は調査に当たった沖縄県の報告書を提示して「間違いだ」と真相を明らかにしている。

 すなわち「国標建設の儀は、清国との関係なきにしもあらず、万一不都合を生じては相すまず」といって国標建設を断念したと、明治政府に報告している。

にもかかわらず、10年後の明治28年には、10年前の駄目でしたとの調査によって「現地に標杭を建設する旨の閣議決定した」と真相を覆していた。日清戦争で勝ち誇った場面での改ざん閣議決定だった。

 

<井上・歴史学は天皇制国家主義に対しても堂々と真実を記録>

 筆者が真実を追求する京都大学教授のことを知ったのは、せいぜい4,5年前のことである。北京の元東京特派員宅の書棚で井上清の「日本史」、確か岩波書店だった。

 財閥の蛮行を彼がどう記録しているのか、戦後史の混乱期を開いて見て、実に明快な分析をしていたことに感銘を受けた。財閥解体は、いい加減な方法でなされていた。朝鮮戦争で一気に浮上、戦前を凌駕していく。その通りだった。もう一つは、天皇信仰の神道にも、見事な分析をしていた。

 原始宗教に毛の生えた程度のお祓い宗教という、実に明快な分析にも脱帽した。すごい歴史学者に感心してしまった。政治家では宇都宮徳馬、歴史学者では井上の右に出る人物はいないことを学んだ。

 なぜこの歴史本が、北京の友人宅にあったのか?聞けば特派員時代、人民大学留学生と知り合いになったことから、彼の両親とも交流が始まった。父親は三菱総研の研究者だった。「この本はいい。読んでみてください」と言って渡されたのが井上本だったという次第。中国留学生との出会いから、この立派な歴史本が北京の書棚にあったといのだ。

 宇都宮も井上も共に京都大学である。政府の官僚になる東大に比べると、知的レベルは京大が勝るというのは本当なのだ。むろん、暴走もあった。731部隊には、京大医学部が大挙動員されている。

 戦前の天皇制国家主義に対して、屈せずに真実を記述した井上・歴史学が、日本の最高峰といえるだろう。

 

<領有権棚上げ=中国次第だが仲良し共同開発がベター>

 さて現実の問題として、どう処理すべきか。鄧小平のいう棚上げ論の継続がいい知恵であろう。周辺に資源が眠っているらしい、ということから、日中が興味を示し始めたのだから、海洋の環境を破壊しない方法が可能なのか。共同で開発することが、東アジアにとって好ましい。

 話し合いが基本である。一般人は無縁・無関心である。中国次第だが、仲良く共同開発したらいいのではないか。日本にとって虫のいい方法であれば、むろんのこと強行は出来ないが、日本固有の島嶼は無理であろう。

 喧嘩はよくない。知恵を出すしかない。

 

<争えば日本の負け=話し合い決着が東アジアにプラス>

 日本の右翼の人たちは、いきり立って改憲軍拡へと引きずり込もうとの魂胆は、安倍晋三の7年8か月の様子を見てくると、危険極まりない。

 日本はアメリカを巻き込んで押し切ろうとしているようだが、これは日本の首を絞めるだけである。争えば、日本の負けが分かりきっている。真摯に話し合う外交決着が正しいのだが、日本政府がリベラル政権が誕生しないと、実現しないだろう。

 解決の根本は、アジアの安定が最大の価値である。竹島(独島)に執着するのも、合点がいかない。漁場を共同で活用する知恵を出せばいいはずだが、なぜなのか?さんざん悪事を働いてきた戦前財閥と軍閥と天皇責任を考慮すると、日本は可能な限り譲歩することが好ましい。

 国民は争いを好まない。9条の不戦に最大の価値があるのだから。以下に井上学説を貼り付けようと思う。

2021年4月9日記(東芝不買運動の会代表・政治評論家・日本記者クラブ会員)

 

釣魚諸島を沖縄県管轄の日本領としようという閣議決定は、このようにして行なわれた。しかるに本年三月八日の外務省の「尖閣列島」の領有権に関する「見解」は、「尖閣列島は、明治十八年以降、政府が再三にわたって現地調査を行ない、単にこれが無人島であるだけでなく、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重に確認した上で、同二十八年一月十四日、現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行ない......」という。これがいかにでたらめであるかは、本論文のこれまでの各節によって、まったく明白であろう。  明治政府が釣魚諸島の領有に関して現地調査をしたことは、一八八五年の内務大臣内命による沖縄県の調査があるだけである。しかもその調査結果を内務省に報告したさいの沖縄県令の「伺」は、「国標建設ノ儀ハ、清国トノ関係ナキニシモアラズ、万一不都合ヲ生ジ候テハ相スマズ」と、この島に対する清国の権利を暗にみとめて、国標の建設をちゅうちょしている。すなわち沖縄県の調査の結果は、この島の日本領有を正当化するものにはならなかった。この後政府は改めてこの地の領有権関係の調査をしたことはない。したがって、これらの島々に「清国の支配が及んでいないことを慎重に確認した」というのも、まったくのうそである。そんなことを「慎重に確認した上で」、釣魚諸島領有の閣議決定はなされたのではない。一八八五年には清国の抗議を恐れなければならなかったが、いまは対清戦争に大勝利をしており、台湾までも奪いとる方針を確定しているという、以前と今との決定的な「事情の相異」を、「慎重に確認」した上で、九五年一月の閣議決定はなされたのである。  閣議決定とそれによる内務省から沖縄県への指令(一月二十一日)は、日清講和条約の成立(九五年四月十七日調印、五月八日批准書交換)以前のことである。したがって、いま政府がいうように、その閣議決定によって釣魚諸島の日本領編入が決定されたとすれば--閣議で領有すると決定しただけでは、現実に領有がなされたということにはならないが、かりにいま政府のいう通りだとすれば、それらの島は、日清講和条約第二条の清国領土割譲の条項によって日本が清国から割き取ったものには入らない。しかし、講和条約の成立以前に奪いとることにきめたとしても、これらの島々が歴史的に中国領であったことは、すでに十分に考証した通りである。その中国領の島を日本領とすることには、一八八五年の政府は、清国の抗議をおそれて、あえてふみきれなかったが、九五年の政府は、清国との戦争に大勝した勢いに乗じて、これを取ることにきめた。  すなわち、釣魚諸島は、台湾のように講和条約によって公然と清国から強奪したものではないが、戦勝に乗じて、いかなる条約にも交渉にもよらず、窃かに清国から盗み取ることにしたものであるv。 一二 日清戦争で窃かに釣魚諸島を盗み公然と台湾を奪った(井上清著) http://www.roba.ne.jp/~tatsumi/di...​ 外務省の尖閣諸島についての基本見解 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senk...

【北京共同】北朝鮮のウェブサイト「朝鮮体育」は6日、同国オリンピック委員会が325日に開いた2021年総会で、世界的に流行する新型コロナウイルス感染症から選手を保護するため東京五輪への不参加を決めたと伝えた。日本政府は確認を急ぐ。

(週刊金曜日)日本国内の集会で、旧日本軍による細菌戦の被害を証言するはずだった中国人へのビザ(入国査証)発給拒否は、外務省による政権への忖度だったのか。中国人査証発給拒否国家賠償請求訴訟の控訴審判決が317日に東京高裁で出され、白井幸夫裁判長は「集会に少なからぬ影響があった」と認めながらも「外務大臣は広範な裁量権を有する」などとして、一審判決(2020130日・東京地裁)に続き原告側の請求を棄却した。

(朝日)政府が「南西諸島の防衛力強化の柱」と位置づけていたF15戦闘機の改修計画について、全面的に見直すことがわかった。どんな影響や意味合いがあるのか。

 今回の改修を進めた背景に、中国が南西諸島から西太平洋にかけて進出を強める状況がある。今月3日には、中国海軍の空母など6隻の艦隊が沖縄本島宮古島の間を通峡。日本のイージス艦より大きい最新型や、射程千キロ超のミサイルを搭できるというミサイル駆逐艦も含まれていた。軍だけでなく、武器の使用を含む強い権限を与えられた中国公船「海警」がたびたび尖閣諸島周辺に侵入し、政府内には海上保安庁の能力を超える事態に拡大する懸念もくすぶる。これに対し、自衛隊は現在、射程の長い巡航ミサイルを改修せずに搭載できる戦闘機を保有していない。改修により、F15に長射程ミサイルを搭載可能にするほか、相手からの電磁波による攻撃を防ぐ「電子戦」への対応など、「抑止だけでなく、有事になっても対処できる」(政府関係者)態勢づくりを目指した。

 

http://jlj0011.livedoor.blog/archives/28671410.html

 

客主~商売の神~ 第32話

2020年08月30日 | 歴史
最愛の妻を亡くし、興奮状態で斧を手に辛家大客主に押し入ったボンサム。ボンサムからソリンが殺されたと聞いて動揺したソクチュは、思わず自分が犯人だと答えてしまう。そんなソクチュに向かってボンサムは力任せに斧を振り下ろす。その頃、朝鮮では東莱に続き元山が開港し、日本人の商人が大挙して元山に押し寄せていた。開国の流れに戸惑う商人たちであったが、その新しい流れはボンサムたちの松坡馬房をも巻き込もうとしていた。https://gyao.yahoo.co.jp/player/00486/v12544/v1000000000000017110/

キャスト
チャン・ヒョク、ユ・オソン、キム・ミンジョン、ハン・チェア
スタッフ
監督 : キム・ジョンソン

開城を代表する客主(朝鮮の伝統的な商業機関の一つで客商主人の略)である、「千家客主」の3代目後継者チョン・ボンサム。(全41話)
開城を代表する客主(朝鮮の伝統的な商業機関の一つで客商主人の略)である、「千家客主」の3代目後継者チョン・ボンサム。しかしボンサムは、客主に関心がないばかりでなく、自分が担い商いをすると考えただけでゾッとする。酷い偏平足の彼は、歩くことも苦痛なのだ。そんなある日、父が阿片密売の濡れ衣を着せられて斬首され、「チョン家客主」は主人を失ったことでバラバラになってしまう。父を死に追いやった人物が、家族のように一緒に育ったキル・ソゲだということは夢にも知らないボンサムの姉チョン・ソレは、飢えと寒さをしのぎつつ、弟ボンサムを連れて本家に向かう。しかし、気弱なボンサムは、父の死に対する衝撃と寒さと飢えにより熱病にかかり、ついに道中で倒れてしまう。このままでは自分も弟も死んでしまうと考えたソレは、寒さをしのげる所にボンサムを横たえ、「チョン家客主」を守るため、泣く泣く一人でその場を立ち去る。それから11年後。悲劇を経験したチョン・ボンサム、チョン・ソレ、キル・ソゲは大人になった。それぞれのトラウマを抱えお互いに違う場所で生きて来た3人。たった一人で世に投げ出されたチョン・ボンサムは、生き残るために人々が眉をひそめるような天下の悪、厚かましい詐欺師になっていた。果してチョン・ボンサムは、「チョン家客主」を再建して朝鮮一の客主に育てあげることができるだろうか? キル・ソゲはチョン・ボンサムに打ち勝ち、父の遺言どおり天下を取ることができるだろうか……?

米国のラオス難民とは? クリント・イーストウッドの名作『グラン・トリノ』の背景

2020年07月30日 | 歴史
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=202006022211082

 全米に広がる黒人殺害への抗議行動の渦中で、彼を殺した白人警官の妻はラオス難民で、事件後に夫との離婚の申し立てをしたと報じられている。米国のラオス難民とはどういう人たちなのか。映画ファンなら、クリント・イーストウッドが監督・主演した名作『グラン・トリノ』(2008年)を思い出すかもしれない。妻に先立たれて孤独な日々をおくる主人公の元自動車工と、ラオス難民のモン族少年との心の交流を描いた作品は、アカデミー賞の作品賞にノミネートされ、日本でもヒットした。(永井浩)

 映画は、こんなあらすじだ──
 フォードの自動車工を50年以上勤めあげたポーランド系米国人のコワルスキーは、フォードの車グラン・トリノを愛車としている。彼が人づきあいを避けるのは、妻に先立たれた悲しみだけでなく、朝鮮戦争に従軍したときに負った心の傷のせいでもあるらしい。その彼の家の近くに、ラオスから難民として移住してきたモン族が増えていく。
 モン族のギャングたちにそそのかされた少年タオは、コワルスキーの愛車を盗もうとして追い払われるが、コワルスキーはふとしたきっかけでタオの姉らと交流するようになり、そのやさしさに心を打たれる。不良たちからタオを救くおうと、彼に仕事の世話などをするうちに、少年の成長に感動していく。だがギャングたちは、姉弟への暴力とコワルスキーへの嫌がらせをつづける。
 彼は決着をつけようとしてギャングたちの住処に乗り込むが、彼らに射殺される。
 遺書には、愛車グラン・トリノをタオに譲ると記されていた。

 映画では、コワルスキーの住むデトロイトになぜラオス難民がやってきたのかの背景は説明されていない。だが彼は、朝鮮戦争で体験した光景を、ラオス人たちを米国へと追いやった戦争の悲劇と重ね合わせているらしいことが示唆される。
 クリント・イーストウッドがそれとなく想起させる、そのラオスの戦火とは何なのか?
 話は、ベトナム戦争にさかのぼる。

▽CIAに利用された山岳民族モン
 米国は、ベトナムへの軍事介入を本格化させる以前から、ラオスを経由して北ベトナムが南ベトナムへの軍事支援をおこなう「ホー・チ・ミン・ルート」を遮断するための秘密作戦を展開していた。そのために利用されたのが、ラオスの山岳少数民族モンだった。
 ラオスではベトナム戦争と連動するかたちで左右両勢力の内戦がつづいていた、CIAはモン族に軍事訓練をほどこし、左派勢力パテト・ラオとベトナム軍を攻撃させた。だが1975年の南ベトナムの首都サイゴンの陥落につづいて、ラオスの首都ビエンチャンも陥落。パテト・ラオを母体とするラオス人民革命党の一党独裁政権が誕生すると、モンは「裏切り者」として迫害される。約20万人のモンが国外に脱出し、そのうち10万人がCIAに協力したバンパオ将軍とともに米国に再定住した。

 今回、黒人を殺した白人警官の妻のラオス人がモン族かどうかわからない。モン以外にも難民として米国に定住したラオス人は少なくない。
 米国に渡ったモン族には米国生まれも増え、彼らのなかには米軍に入隊すれば市民権を得やすくなるという理由で、2003年からはじまった米国のイラク侵攻で戦場におもむいた者もいた。ラオス内戦時代からモンの悲劇を追っているフリージャーナリスト竹内正右は、「2004年6月、イラクでモン兵士の最初の死者が出た」と報告している。

 また難民だけでなく、米国のインドシナ地域への軍事介入がもたらした傷あとはいまだに癒されていない。
 現在も世界各地の戦場で投下されているクラスター爆弾が、最初に使用されたのはラオスだった。クラスター爆弾の子爆弾900万個がいまなおラオス山中に眠っているというが、正確な数はいまだに不明。国際機関による除去作業がついているものの、完全除去の見通しは立っておらず、不発弾に遭遇して死傷するラオス住民もあとを絶たない。

 だから、米国のイラク侵攻開始直後に、ラオス政府は米国を強く非難する声明をだした。ビエンチャンで行われた1万人の反戦集会には、内戦中の不発弾によるケガで歩けなくなった女性も参加、英字紙ビエンチャン・タイムズは、「これは、他者が戦争を決断したとき、罪なき人びとが支払う代償である」と報じた。

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