「世界がびっくり!日本の食品の放射性物質暫定基準値」はー「ここ」
どんどん消費はした方がいいと思う
市場をお金が回る回数が多いほど景気が良くなるが、それが一箇所に滞ってしまっているのがこの国の最大の欠陥。
その対策案としてー”原価する貨幣”としての地域通貨を童話作家エンデ等が提案・・これは、最後には貨幣価値ゼロになってしまうので競争して消費を。
その弊害を防ぐために、減価時期での宝くじ機能を紙幣番号に付加する。
その宝くじ景品には、緊急時以外は暇な・・自衛隊から新設した「災害救助隊・原発管理廃炉省」に国有地・耕作放棄地等を利用した「畑付き別荘地」(今回のような大災害には優先的に入れるようにして、将来はすべての国民に別荘を!)や、この災害救助隊・災害救助船で製造された緊急支援物質や保存食をあてる。
以前は、地方での大規模な公共投資や、企業での従業員への利益分配率が高かったけれど、政府支出減の「財政再建」や非正規社員化でお金が隅々まで循環しなくなってしまった。そのため国民大多数の購買力減少が諸悪の根源と思う。
国民総生産の中から税金も徴収するので、この全体のパイが縮小してゆく財務省・日銀のデフレ不況はやはり間違っている。
現在は、税収減で予算不足なので増税→税収減→増税という最悪のデフレスパイラルの真っ最中と思う。
日本の国債は95%というので、約千兆円のほとんどが国内の金融機関・生命保険や大企業が債権として溜め込んでいるのを改めない限り根本的な解決はないのではと思う。
それへの対策としてはー
①購買意欲があるのにお金が無い貧困層への減税。消費税はむしろ食料品等の生活必需品減税をすべき。
②この約千兆円を市場に循環させるために、新しい投資先を創造すべき。
東電の発電部門の売却による賠償金作りは一石三鳥
③地方に、地域通貨発行権や贅沢品税やペット・冠婚葬祭・ギャンブル・宗教税等の課税権や税率決定権を与えて地域主権や地方自治を進めるべき
市場をお金が回る回数が多いほど景気が良くなるが、それが一箇所に滞ってしまっているのがこの国の最大の欠陥。
その対策案としてー”原価する貨幣”としての地域通貨を童話作家エンデ等が提案・・これは、最後には貨幣価値ゼロになってしまうので競争して消費を。
その弊害を防ぐために、減価時期での宝くじ機能を紙幣番号に付加する。
その宝くじ景品には、緊急時以外は暇な・・自衛隊から新設した「災害救助隊・原発管理廃炉省」に国有地・耕作放棄地等を利用した「畑付き別荘地」(今回のような大災害には優先的に入れるようにして、将来はすべての国民に別荘を!)や、この災害救助隊・災害救助船で製造された緊急支援物質や保存食をあてる。
以前は、地方での大規模な公共投資や、企業での従業員への利益分配率が高かったけれど、政府支出減の「財政再建」や非正規社員化でお金が隅々まで循環しなくなってしまった。そのため国民大多数の購買力減少が諸悪の根源と思う。
国民総生産の中から税金も徴収するので、この全体のパイが縮小してゆく財務省・日銀のデフレ不況はやはり間違っている。
現在は、税収減で予算不足なので増税→税収減→増税という最悪のデフレスパイラルの真っ最中と思う。
日本の国債は95%というので、約千兆円のほとんどが国内の金融機関・生命保険や大企業が債権として溜め込んでいるのを改めない限り根本的な解決はないのではと思う。
それへの対策としてはー
①購買意欲があるのにお金が無い貧困層への減税。消費税はむしろ食料品等の生活必需品減税をすべき。
②この約千兆円を市場に循環させるために、新しい投資先を創造すべき。
東電の発電部門の売却による賠償金作りは一石三鳥
③地方に、地域通貨発行権や贅沢品税やペット・冠婚葬祭・ギャンブル・宗教税等の課税権や税率決定権を与えて地域主権や地方自治を進めるべき
失ってしまってから
ぼくらは正常な状態へと覚醒する
それは必ずしも
生きるためにではないかもしれないが
「無差別殺人」という行為さえもが
ぼくらを生かすための行為だったと
いまでは了解している
殺そうという者共に対しては
当然叛逆すべきなのだ
場の家畜のようであってはならない
君らはただ
ただその標的を誤っただけなのだ
原発事故後の劣悪過ぎる避難場や
原発事故に命を奪われつつある労働者の惨状をみれば
情報隠しによる被災者の抹殺状態を振り返れば
誰もがそう思いつつある
すべてのいのちを殺しながら
自分だけは助かろうという
恥知らずな国家と企業官僚支配の時代に再び遭遇している
僕らはかろうじて生きているが
僕らの子供たちには到底明るい未来はない
いつだって遅すぎることはない
ぼくらは地を這ってでも生きなければならないのだ
いざとなったら殺すことも辞さない覚悟で
冷血動物以下のこの国の支配層の
奴らの残虐
奴らの恥知らずの行為に滅ぼされつつある
世界一美しく豊かだった日本よ
ぼくらは正常な状態へと覚醒する
それは必ずしも
生きるためにではないかもしれないが
「無差別殺人」という行為さえもが
ぼくらを生かすための行為だったと
いまでは了解している
殺そうという者共に対しては
当然叛逆すべきなのだ
場の家畜のようであってはならない
君らはただ
ただその標的を誤っただけなのだ
原発事故後の劣悪過ぎる避難場や
原発事故に命を奪われつつある労働者の惨状をみれば
情報隠しによる被災者の抹殺状態を振り返れば
誰もがそう思いつつある
すべてのいのちを殺しながら
自分だけは助かろうという
恥知らずな国家と企業官僚支配の時代に再び遭遇している
僕らはかろうじて生きているが
僕らの子供たちには到底明るい未来はない
いつだって遅すぎることはない
ぼくらは地を這ってでも生きなければならないのだ
いざとなったら殺すことも辞さない覚悟で
冷血動物以下のこの国の支配層の
奴らの残虐
奴らの恥知らずの行為に滅ぼされつつある
世界一美しく豊かだった日本よ
菅直人は口から出まかせばかりを言う政治屋というしかない。
「脱原発」や自然エネルギーへの転換という舌の根も乾かぬうちに、海江田大臣を派遣して玄海原発(事故終焉の見通しが立たない福島や全く展望がないばかりか膨大な税金を食うばかりの普賢原発よりもはるかに危険という)の再開要請を言わせている。
このような倫理観ゼロで、被災地復興など全くやる気のない政治屋を永遠に葬り去るためには、東電と安全委員会関係者を国会審問して、震災後24時間後にメルトダウンした経過を説明させて、菅首相がどのような指示をしたかを明確にさせるべきだ。
偽証した場合は偽証罪で、意図的な情報隠しが明白になった場合は、菅等を殺人罪で告訴し刑務所に放りこむべきと思う。
「脱原発」や自然エネルギーへの転換という舌の根も乾かぬうちに、海江田大臣を派遣して玄海原発(事故終焉の見通しが立たない福島や全く展望がないばかりか膨大な税金を食うばかりの普賢原発よりもはるかに危険という)の再開要請を言わせている。
このような倫理観ゼロで、被災地復興など全くやる気のない政治屋を永遠に葬り去るためには、東電と安全委員会関係者を国会審問して、震災後24時間後にメルトダウンした経過を説明させて、菅首相がどのような指示をしたかを明確にさせるべきだ。
偽証した場合は偽証罪で、意図的な情報隠しが明白になった場合は、菅等を殺人罪で告訴し刑務所に放りこむべきと思う。
「加來道雄教授によれば、福島第一原発の状況は政府発表よりもずっと悪化している」はー
「ここ」
平成7年の中国李鵬首相の発言がいよいよ現実になりつつある。
その発言はー「日本は国家じゃない。20年後には消えてなくなっているだろう」
現在急務なのは、「憲法25条(生存権=生きる権利の保証)の会」なのではと思う。
原発を例に取ると、その利益や効率性はカッコ付きの、一部の人間のためのものであり・・いざ事故が起きるとほとんどの日本人に膨大な被害を与えることになる。
それは、日銀・財務官僚の意図的な(米国利益のための)デフレ不況もそうだし、労働者の非正規化もそうだし、輸出企業だけが年間数兆円の払い戻し税で潤う消費税の増税もそうだ。
コンピュータ監視法が6月16日の参議院法務委員会で可決、17日の本会議で
成立してしまいました。5月25日に衆議院で質疑が始まってからあっという
間のスピード審議だった冤罪をやりたい放題の法務・検察官僚もそうだし、ネットカフェ規制(身分証提示でネット書き込み者の判別と風俗扱いによる12時閉店化)に血眼の警察庁官僚もそうだ。
この上に、もしも自衛隊が戦前の軍事官僚化したら、まるで戦前の言論弾圧官僚支配警察国家化の完了が終了する。
支持率が一%でも辞めないと言い、閣僚の非難も馬耳東風の菅首相は、両院議員総会では選挙をちらつかせて恫喝していたが、解散権を行使しなかった村山元首相が大嫌いというので・・消費税増税やTPPを閣議決定した後に、選挙用羊頭狗肉「脱原発」のスローガンで9月頃解散総選挙の腹積もりらしい。
被災地復興も原発事故処理もまるでやる気がない閣僚が多いなかで・・
あっぱれだったのは「民主党も自民党も公明党も嫌いだ」という就任会見をやらかした復興担当相。
◆なお当分目が離せないのは、自民党から震災復興政務官に抜擢された浜田氏ー
彼のアメンバーブログには時々書きこむが、とても謎が多い政治家だ。
より詳しくはー「ここ」
というよりも、どの国でも、それを支配しているのは、通貨発行権を持ち、銀行等の金融の頂点にいる日銀やFRBのようなロスチャイルド支店の各国中央銀行(なんらの法律的根拠のない私企業)なのかもしれない。
そのようなロスチャイルド支配の中央銀行支配下にはないイラクが破壊されたので、残るは北朝鮮とキューバくらいかも(記憶がちとあいまい。間違ってるかも・・)
◆より詳しい記事「日銀こそ原発推進の主役(かその一人)だ
」はー「ここ」
そのようなロスチャイルド支配の中央銀行支配下にはないイラクが破壊されたので、残るは北朝鮮とキューバくらいかも(記憶がちとあいまい。間違ってるかも・・)
◆より詳しい記事「日銀こそ原発推進の主役(かその一人)だ
」はー「ここ」
地震・津波大国日本に原発がある限り安全保障など絵に描いた餅だし、北朝が原発電源をミサイルで爆破するだけで日本はジ・エンドになってしまう。
政府・宮内庁が天皇を福島等の慰問に行かせたのも犯罪的行為と思う。
右翼はいったい何のために存在しているのか?
僕でさえも、以前提案した「会津遷都論」は福島原発事故が終焉しない限り無理で、沖縄以外の内地ではやや安全な三重・和歌山県への遷都しかないのでは思いつつある。
復興院や災害救助隊本部や、原発関連官庁や最高裁は、東北の復興や景気・雇用回復のために会津でもいいと思う。
JR東海も何の利益にならないリニア新幹線を東京・名古屋間に作るよりも、新潟~福島間に作るべきと思う。
これらの公共投資ないしには、東北の復興は無理に違いない。
政府・宮内庁が天皇を福島等の慰問に行かせたのも犯罪的行為と思う。
右翼はいったい何のために存在しているのか?
僕でさえも、以前提案した「会津遷都論」は福島原発事故が終焉しない限り無理で、沖縄以外の内地ではやや安全な三重・和歌山県への遷都しかないのでは思いつつある。
復興院や災害救助隊本部や、原発関連官庁や最高裁は、東北の復興や景気・雇用回復のために会津でもいいと思う。
JR東海も何の利益にならないリニア新幹線を東京・名古屋間に作るよりも、新潟~福島間に作るべきと思う。
これらの公共投資ないしには、東北の復興は無理に違いない。
明治末の国策冤罪「大逆事件」から百年目。1月24日25日は死刑執行された日(同じ絞首台で次々と)
◆「大逆事件」についてとても詳しいサイトをみつけたのでその紹介と、数年前にブログに書いた記事をアップしたい。
そのサイト「アナキズム文献センター」はー
http://cira-japana.net/home/index.php"
伊勢へ行くと、お土産は秋刀魚寿司と決めてる。
三重県熊野沖のは、故郷北海道から南下してきてすっかり脂の抜け落ちた秋刀魚の終焉の海。
でも今年は、秋刀魚・鰹・マグロ等の回遊魚は我慢した方がいいのかもしれな。
紀伊半島南端は、反骨の文学者佐藤春夫や中上健次や、粘菌を研究してた昭和天皇が教えを乞いにきた時も素っ裸だったという・・日本一のスケールの大きい民俗学者南方熊楠のふるさと。
彼らに共通するのは、反権力と、一切の虚飾がない点ではと思う。
まるで秋刀魚寿司みたいな明治末の国策冤罪事件「大逆事件」の時19歳の慶大生だった佐藤春夫の詩はー
大石誠之助は殺されたり 佐藤春夫
げに厳粛なる多数者の規約を
裏切る者は殺されるべきかな
死を賭して遊戯を思い
民族の歴史を知らず
日本人ならざる者
愚なる者は殺されたり
「偽より出でし真実なり」と
絞首台上の一語その愚を極む
われの郷里は紀州新宮
かれの郷里もわれの町
聞く、かれの郷里にして、われが郷里なる
紀州新宮の町は驚愕せりと
うべさかしかる商人の町は歎(なげ)かん
町民は慎めよ
教師等は国の歴史を更にまた説けよ
秋刀魚の歌 佐藤春夫
あはれ ・
秋風よ ・
情(こころ)あらば伝へてよ ・
――男ありて ・
今日の夕餉に ひとり ・
さんまを食(くら)ひて ・
思ひにふける と。 ・
さんま、さんま ・
そが上に青き蜜柑の酸(す)をしたたらせて ・
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。 ・
そのならひをあやしみなつかしみて女は ・
いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。 ・
あはれ、人に捨てられんとする人妻と ・
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、 ・
愛うすき父を持ちし女の児は ・
小さき箸をあやつりなやみつつ ・
父ならぬ男にさんまの腸(はら)をくれむと言ふにあらずや。 ・
あはれ ・
秋風よ ・
汝(なれ)こそは見つらめ ・
世のつねならぬかの団欒(まどゐ)を。 ・
いかに ・
秋風よ ・
いとせめて ・
証しせよ かの一ときの団欒(まどゐ)ゆめに非ずと。 ・
あはれ ・
秋風よ ・
情あらば伝へてよ、 ・
夫を失はざりし妻と ・
父を失はざりし幼児とに伝へてよ ・
――男ありて ・
今日の夕餉に ひとり ・
さんまを食ひて ・
涙をながす と。 ・
さんま、さんま、 ・
さんま苦いか塩(しよ)つぱいか。 ・
そが上に熱き涙をしたたらせて ・
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。 ・
あはれ ・
げにそは問はまほしくをかし。
◆以下の手紙を書いた翌日、菅野すがは紫の三紋付きの羽織を着、縊られた時に髪が解けないように紐を結んでただ一人絞首台に上った(他の男たちは前日同じ絞首台で約30分毎に絞首刑)。「われ主義のために死す、万歳」と叫んだ。午前八時二十八分絶命、二十九歳だった。
「明治44年1月18日の菅野すがの手記」
ーああ、気の毒な友よ。同志よ。
彼等の大半は私共五、六人の為に、この不幸な巻き添えにせられたのである。
私どもと交際して居ったが為に、この驚くべき犠牲に供せられたのである。
無政府主義者であった為に死の淵に投げこまれたのである。
ああ、気の毒な友よ。同志よ。
ああ、神聖な裁判よ。公平な裁判よ。日本政府よ。東洋の文明国よ。
行え、従ままの暴虐を。
為せ、無法なる残虐を。
◆「大逆事件」についてとても詳しいサイトをみつけたのでその紹介と、数年前にブログに書いた記事をアップしたい。
そのサイト「アナキズム文献センター」はー
http://cira-japana.net/home/index.php"
伊勢へ行くと、お土産は秋刀魚寿司と決めてる。
三重県熊野沖のは、故郷北海道から南下してきてすっかり脂の抜け落ちた秋刀魚の終焉の海。
でも今年は、秋刀魚・鰹・マグロ等の回遊魚は我慢した方がいいのかもしれな。
紀伊半島南端は、反骨の文学者佐藤春夫や中上健次や、粘菌を研究してた昭和天皇が教えを乞いにきた時も素っ裸だったという・・日本一のスケールの大きい民俗学者南方熊楠のふるさと。
彼らに共通するのは、反権力と、一切の虚飾がない点ではと思う。
まるで秋刀魚寿司みたいな明治末の国策冤罪事件「大逆事件」の時19歳の慶大生だった佐藤春夫の詩はー
大石誠之助は殺されたり 佐藤春夫
げに厳粛なる多数者の規約を
裏切る者は殺されるべきかな
死を賭して遊戯を思い
民族の歴史を知らず
日本人ならざる者
愚なる者は殺されたり
「偽より出でし真実なり」と
絞首台上の一語その愚を極む
われの郷里は紀州新宮
かれの郷里もわれの町
聞く、かれの郷里にして、われが郷里なる
紀州新宮の町は驚愕せりと
うべさかしかる商人の町は歎(なげ)かん
町民は慎めよ
教師等は国の歴史を更にまた説けよ
秋刀魚の歌 佐藤春夫
あはれ ・
秋風よ ・
情(こころ)あらば伝へてよ ・
――男ありて ・
今日の夕餉に ひとり ・
さんまを食(くら)ひて ・
思ひにふける と。 ・
さんま、さんま ・
そが上に青き蜜柑の酸(す)をしたたらせて ・
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。 ・
そのならひをあやしみなつかしみて女は ・
いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。 ・
あはれ、人に捨てられんとする人妻と ・
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、 ・
愛うすき父を持ちし女の児は ・
小さき箸をあやつりなやみつつ ・
父ならぬ男にさんまの腸(はら)をくれむと言ふにあらずや。 ・
あはれ ・
秋風よ ・
汝(なれ)こそは見つらめ ・
世のつねならぬかの団欒(まどゐ)を。 ・
いかに ・
秋風よ ・
いとせめて ・
証しせよ かの一ときの団欒(まどゐ)ゆめに非ずと。 ・
あはれ ・
秋風よ ・
情あらば伝へてよ、 ・
夫を失はざりし妻と ・
父を失はざりし幼児とに伝へてよ ・
――男ありて ・
今日の夕餉に ひとり ・
さんまを食ひて ・
涙をながす と。 ・
さんま、さんま、 ・
さんま苦いか塩(しよ)つぱいか。 ・
そが上に熱き涙をしたたらせて ・
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。 ・
あはれ ・
げにそは問はまほしくをかし。
◆以下の手紙を書いた翌日、菅野すがは紫の三紋付きの羽織を着、縊られた時に髪が解けないように紐を結んでただ一人絞首台に上った(他の男たちは前日同じ絞首台で約30分毎に絞首刑)。「われ主義のために死す、万歳」と叫んだ。午前八時二十八分絶命、二十九歳だった。
「明治44年1月18日の菅野すがの手記」
ーああ、気の毒な友よ。同志よ。
彼等の大半は私共五、六人の為に、この不幸な巻き添えにせられたのである。
私どもと交際して居ったが為に、この驚くべき犠牲に供せられたのである。
無政府主義者であった為に死の淵に投げこまれたのである。
ああ、気の毒な友よ。同志よ。
ああ、神聖な裁判よ。公平な裁判よ。日本政府よ。東洋の文明国よ。
行え、従ままの暴虐を。
為せ、無法なる残虐を。
うーん・・なんだかHPやブログを始めて以来、これしか言ってこなかったような気もする。それほど大好きなキングの「バトルランナー」だった。
これは日本映画にもいえる。
だから「ゆきゆきて神軍」が好きなのだ。
詳しくは僕の映画の師匠マッキーさんの記事参照を。
それはー「ここ」
石原都知事は哀れな耄碌したジジイ
屠民・腐民は場へと続く家畜の群れだ。
確かに、猪瀬は西武の創業者が敗戦前後に皇族の土地を買い占めた資金の出所を知ってるに違いない・・
それは長野県での冬季オリンピック以来ずっとJOC会長をやってる竹田なんとか氏の父親の功績ー天皇の金塊だろう。
最近最も、日本社会に害を与えてるのがー
①何がなんでも増税による亡国論者(財務省、貧乏神与謝野)
②証拠改ざん検事を反省するどころかますます冤罪製造にまい進する検察・法務官僚
③言葉をもて遊ぶ管と見え透いた芝居をやってる管政府
④何故石原都知事将軍様が、猪瀬を副知事にしたのだろうかには、もっと深いすりが必要なのかもしれない。
屠民・腐民は場へと続く家畜の群れだ。
確かに、猪瀬は西武の創業者が敗戦前後に皇族の土地を買い占めた資金の出所を知ってるに違いない・・
それは長野県での冬季オリンピック以来ずっとJOC会長をやってる竹田なんとか氏の父親の功績ー天皇の金塊だろう。
最近最も、日本社会に害を与えてるのがー
①何がなんでも増税による亡国論者(財務省、貧乏神与謝野)
②証拠改ざん検事を反省するどころかますます冤罪製造にまい進する検察・法務官僚
③言葉をもて遊ぶ管と見え透いた芝居をやってる管政府
④何故石原都知事将軍様が、猪瀬を副知事にしたのだろうかには、もっと深いすりが必要なのかもしれない。
「アナーキスト詩人」で検索したらとても素晴らしい詩アーカイブのサイトがみつかった。
それは「詩の出版社 ミッドナイト・プレス」ーhttp://www.midnightpress.co.jp/poem/
離れてゆく秋 萩原恭次郎
鴎はシグナルのやうに飛び交ふ!
海底に私は濡れた火薬として沈む!
赤いマストは折れてドテツ腹を突き通してゐる!
君の心臓には黒い無為の切手が刷つてある!
錨の上らない程の海の憂愁は
幾匹もの魚を胸に泳がせる!
寒流である―――――――● ● ●
鋏で切られてゐる空だ!
握手にのみ充満と爆発はひそむ!
すでに秋は海底から熱情に錆びをあたへる!
「さやうなら!」
*萩原恭次郎(1899-1938)の『死刑宣告』(1925年/大正14年)は、その内容において、また、当時のアヴァンギャルドの画家たちの協力により作られたその造本において、当時の人々を驚かせたようだ。その出版記念会は喧噪狼藉の極みに達したという。萩原恭次郎は、岡本潤、川崎長太郎、壺井繁治とともに、1923年に詩誌「赤と黒」を創刊した。その表紙には、「詩とは? 詩人とは? 我々は過去の一切の概念を放棄して、大胆に断言する! 『詩とは爆弾である! 詩人とは牢獄の固き壁と扉とに爆弾を投ずる黒き犯人である!』」という宣言が印刷された。もとより、恭次郎の詩に、アナーキーなもの、ニヒリスティックなものを読みとることはたやすいことだが、「われわれの美は、欲情は、何処にさすらふか?」という一行が見出される『死刑宣告』の「序」は「深痛な情感性」(萩原朔太郎)に満ちていて、読ませる。上記の「離れてゆく秋」、9行目の「握手にのみ充満と爆発はひそむ!」から一行の空白を置いて書かれる最終行「さやうなら!」を読むとき、その「序」に書かれたことば、「詩句を、一行を、散文の如く重荷を背にして疲れしむなかれ! 次行まで叮嚀に運搬せしむ役を放棄せしめよ! 各行各行に独立せしめよ!」を思い出す。(文責・岡田)
--------------------------------------------------------------------------------
断片 20 萩原恭次郎
海のやうな量の中に小さい鼓動が刻まれてゐるのだ
知らぬ間にあたたまりゆく海水があつたのだ
その水が沸騰するやうに熱して来たのだ
何時の間にか手も指し込めなくなつてゐるのだ。
*萩原恭次郎(1899-1938)の『死刑宣告』は、日本近代詩のなかで、記憶されるべき一冊の詩集であろう。一篇ごとに版画と組み合わせたそのヴィジュアルの一端を日本現代詩大系(河出書房)において、その一端を見ることができるが、実際にその詩集を手にとってみたいと思わせるインパクトがある。その「ヂレツタンチズム」に限界を認めつつも、「もし芸術品に於て、その表現に示されたる内容以外に、或る眼に見えざる〝形而上の内容〟という如きものがあるとすれば、それが恭次郎の詩の重要な哲学である」と評したのは同郷の萩原朔太郎(1886-1942)である。その朔太郎が「気品の高い崇高な風貌を以て示されて居る」として、『死刑宣告』以上に評価したのが第二詩集『断片』。恭次郎はそのあとがきで「断片は今日より明日へと自分を築こうとして自分の身体にうち込んでいた一本一本の釘であるとも云える。これは日記以上に自分にジカなものの断片〔かけら〕かも知れない」と書いている。なるほど、我々はそこに「ジカなものの断片」を見るのだが、そのなかに上記のような「形而上的」断片を見出すとき、詩の謎、その深さを覚える。(文責・岡田)
--------------------------------------------------------------------------------
襤褸は寝てゐる 山之口貘
野良犬・野良猫・古下駄どもの
入れかはり立ちかはる
夜の底
まひるの空から舞ひ降りて
襤褸〔らんる〕は寝てゐる
夜の底
見れば見るほどひろがるやう ひらたくなつて地球を抱いてゐる
鼾〔いびき〕が光る
うるさい光
眩〔まぶ〕しい鼾
やがてそこいらぢゆうに眼がひらく
小石・紙屑・吸殻たち・神や仏の紳士も起きあがる
襤褸は寝てゐる夜の底
空にはいつぱい浮世の花
大きな米粒ばかりの白い花。
*山之口貘(1903/明治36年?1963/昭和38年)の『思辨の苑』は1938年にむらさき出版部から刊行された。この詩集には、佐藤春夫の序詩、金子光晴の序文が収められているが、「佐藤春夫氏の玉稿は、五年も前に頂戴してあった。/金子光晴氏の玉稿もまた、三年前に頂戴してあった」と、詩集の「後記」で貘は書いている。佐藤春夫がその「序詩」に「南方の孤島から来て/東京でうろついてゐる 風見たいに」と書いたのは1933年12月28日。当時のことを貘は「大正13年(1924年)の夏、着のみ着のままで、詩稿だけを携えて、ぼくはまた上京、昭和14年(1939年)の五月ごろまでの大半を、一定の住所を持たずにすごした」と書いている。
その当時がどのような時代であったか、ざっと振り返ると、1931年満州事変、1932年満州国建国、五・一五事件、1933年国際連盟脱退、1936年二・二六事件、1937年日中戦争、1938年国家総動員法……。日本の資本主義、帝国主義の膨張は、秩序から疎外され、脱落する多くの不定職者たちを生んだ。沖縄から上京してきた貘もそのひとりであった。「襤褸は寝てゐる」は、「詩稿だけを携えて」「一定の住所を持たずにすごした」貘がくぐりぬけてきたいくつもの「夜の底」を浮かび上がらせる。金子光晴はその「序文」で「貘君によって人は、生きることを訂正される」と書いているが、山之口貘の詩を読んでいると、一度この人に会いたかったとの思いを禁じえない。(10.3.8 文責・岡田)
--------------------------------------------------------------------------------
幻の家 佐川ちか
料理人が青空を握る。四本の指あとがついて、次第に鶏が血をながす。ここでも太陽はつぶれてゐる。
たづねてくる空の看守。日光が駆け出すのを見る。
たれも住んでないからつぽの白い家。
人々の長い夢はこの家のまはりを幾重にもとりまいては花瓣のやうに衰へてゐた。
死が徐ろに私の指にすがりつく。夜の殻を一枚づつとつてゐる。
この家は遠い世界の遠い思ひ出へと華麗な道が続いてゐる。
*『佐川ちか詩集』(1911/明治44年?1936/昭和11年)は、「詩と詩論」「マダム・ブランシュなどに詩を発表していることから、モダニズム詩人のひとりと考えがちだが、あるアンソロジーで、佐川の「緑」という詩を読んだとき、その「私は人に捨てられた」という終行を読んだとき、「モダニズム詩人」だけでは括れないものがあると思った。今回、手元にある『佐川ちか全詩集』(1983年刊)をあらためて読んで、上記の詩に惹かれた。シュルレアリスティックでありながら、妙に生々しい。「死が徐ろに私の指にすがりつく」という一行は、佐川ちかの通奏低音であるようだ。この詩は1932年に創刊された春山行夫編集の「文学」第一冊に発表されたが、当時から「医薬に親しむ」身体だった佐川は、その4年後に24歳の若さでこの世を去った。森谷均の昭森社から『佐川ちか詩集』が出版されたのは、その年(1936年)の11月だった。 (09.12.07 文責・岡田)
--------------------------------------------------------------------------------
Sensation 金子光晴
――日本は、気の毒でしたよ。(僕はながい手紙を書く)燎原〔やけはら〕に、
あらゆる種類の雑草の種子が、まづかへつてきた。(僕は、そのことを知らせてやらう。)
地球が、ギイギッといやな軋〔きし〕りをたてはじめる。……山河をつつむウラニウムの
粘つこい霧雨のなかで、かなしみたちこめるあかつきがた、
焼酎のコップを前にして、汚れた外套の女の学生が、一人坐つて、
小声でうたふ――『あなたの精液を口にふくんで、あてもなく
ゆけばさくらの花がちる』いたましいSensation〔サンサシオン〕だ。にこりともせず
かの女は、さつさと裸になる。匂やかに、朝ぞらに浮んだ高層建築〔ビルデイング〕のやうに、そのまま
立ちあがつてかの女があるきだすはうへ、僕もあとからついてあるいた。
日本の若さ、新しい愛と絶望のゆく先、先をつきとめて、(ことこまごまと記して送るために。)
*金子光晴――と書いただけで、心騒ぐものを覚える。この、いまなお語り尽くすことのできない詩人が蔵している深さはなにに拠るものだろう。上記の詩は、詩集『非情』(1955年)に収録されている。その序に「正直なところ、僕は迷つてゐるのだ。この詩集は、僕のみちくさ(4字傍点)のやうにみえるかもしれないが、よくよんでもらへば、人間とのかかりあひについて、どんな剣呑な状態に僕がさしかゝつてゐるかわかつてもらへるとおもふ。」とあるこの詩集には、印象に残る詩が多く収められている。可能であるならば、三カ月ほど南の島で、金子光晴全集だけを読んでいたい。そして、その三カ月後を夢想する。(文責・岡田)
それは「詩の出版社 ミッドナイト・プレス」ーhttp://www.midnightpress.co.jp/poem/
離れてゆく秋 萩原恭次郎
鴎はシグナルのやうに飛び交ふ!
海底に私は濡れた火薬として沈む!
赤いマストは折れてドテツ腹を突き通してゐる!
君の心臓には黒い無為の切手が刷つてある!
錨の上らない程の海の憂愁は
幾匹もの魚を胸に泳がせる!
寒流である―――――――● ● ●
鋏で切られてゐる空だ!
握手にのみ充満と爆発はひそむ!
すでに秋は海底から熱情に錆びをあたへる!
「さやうなら!」
*萩原恭次郎(1899-1938)の『死刑宣告』(1925年/大正14年)は、その内容において、また、当時のアヴァンギャルドの画家たちの協力により作られたその造本において、当時の人々を驚かせたようだ。その出版記念会は喧噪狼藉の極みに達したという。萩原恭次郎は、岡本潤、川崎長太郎、壺井繁治とともに、1923年に詩誌「赤と黒」を創刊した。その表紙には、「詩とは? 詩人とは? 我々は過去の一切の概念を放棄して、大胆に断言する! 『詩とは爆弾である! 詩人とは牢獄の固き壁と扉とに爆弾を投ずる黒き犯人である!』」という宣言が印刷された。もとより、恭次郎の詩に、アナーキーなもの、ニヒリスティックなものを読みとることはたやすいことだが、「われわれの美は、欲情は、何処にさすらふか?」という一行が見出される『死刑宣告』の「序」は「深痛な情感性」(萩原朔太郎)に満ちていて、読ませる。上記の「離れてゆく秋」、9行目の「握手にのみ充満と爆発はひそむ!」から一行の空白を置いて書かれる最終行「さやうなら!」を読むとき、その「序」に書かれたことば、「詩句を、一行を、散文の如く重荷を背にして疲れしむなかれ! 次行まで叮嚀に運搬せしむ役を放棄せしめよ! 各行各行に独立せしめよ!」を思い出す。(文責・岡田)
--------------------------------------------------------------------------------
断片 20 萩原恭次郎
海のやうな量の中に小さい鼓動が刻まれてゐるのだ
知らぬ間にあたたまりゆく海水があつたのだ
その水が沸騰するやうに熱して来たのだ
何時の間にか手も指し込めなくなつてゐるのだ。
*萩原恭次郎(1899-1938)の『死刑宣告』は、日本近代詩のなかで、記憶されるべき一冊の詩集であろう。一篇ごとに版画と組み合わせたそのヴィジュアルの一端を日本現代詩大系(河出書房)において、その一端を見ることができるが、実際にその詩集を手にとってみたいと思わせるインパクトがある。その「ヂレツタンチズム」に限界を認めつつも、「もし芸術品に於て、その表現に示されたる内容以外に、或る眼に見えざる〝形而上の内容〟という如きものがあるとすれば、それが恭次郎の詩の重要な哲学である」と評したのは同郷の萩原朔太郎(1886-1942)である。その朔太郎が「気品の高い崇高な風貌を以て示されて居る」として、『死刑宣告』以上に評価したのが第二詩集『断片』。恭次郎はそのあとがきで「断片は今日より明日へと自分を築こうとして自分の身体にうち込んでいた一本一本の釘であるとも云える。これは日記以上に自分にジカなものの断片〔かけら〕かも知れない」と書いている。なるほど、我々はそこに「ジカなものの断片」を見るのだが、そのなかに上記のような「形而上的」断片を見出すとき、詩の謎、その深さを覚える。(文責・岡田)
--------------------------------------------------------------------------------
襤褸は寝てゐる 山之口貘
野良犬・野良猫・古下駄どもの
入れかはり立ちかはる
夜の底
まひるの空から舞ひ降りて
襤褸〔らんる〕は寝てゐる
夜の底
見れば見るほどひろがるやう ひらたくなつて地球を抱いてゐる
鼾〔いびき〕が光る
うるさい光
眩〔まぶ〕しい鼾
やがてそこいらぢゆうに眼がひらく
小石・紙屑・吸殻たち・神や仏の紳士も起きあがる
襤褸は寝てゐる夜の底
空にはいつぱい浮世の花
大きな米粒ばかりの白い花。
*山之口貘(1903/明治36年?1963/昭和38年)の『思辨の苑』は1938年にむらさき出版部から刊行された。この詩集には、佐藤春夫の序詩、金子光晴の序文が収められているが、「佐藤春夫氏の玉稿は、五年も前に頂戴してあった。/金子光晴氏の玉稿もまた、三年前に頂戴してあった」と、詩集の「後記」で貘は書いている。佐藤春夫がその「序詩」に「南方の孤島から来て/東京でうろついてゐる 風見たいに」と書いたのは1933年12月28日。当時のことを貘は「大正13年(1924年)の夏、着のみ着のままで、詩稿だけを携えて、ぼくはまた上京、昭和14年(1939年)の五月ごろまでの大半を、一定の住所を持たずにすごした」と書いている。
その当時がどのような時代であったか、ざっと振り返ると、1931年満州事変、1932年満州国建国、五・一五事件、1933年国際連盟脱退、1936年二・二六事件、1937年日中戦争、1938年国家総動員法……。日本の資本主義、帝国主義の膨張は、秩序から疎外され、脱落する多くの不定職者たちを生んだ。沖縄から上京してきた貘もそのひとりであった。「襤褸は寝てゐる」は、「詩稿だけを携えて」「一定の住所を持たずにすごした」貘がくぐりぬけてきたいくつもの「夜の底」を浮かび上がらせる。金子光晴はその「序文」で「貘君によって人は、生きることを訂正される」と書いているが、山之口貘の詩を読んでいると、一度この人に会いたかったとの思いを禁じえない。(10.3.8 文責・岡田)
--------------------------------------------------------------------------------
幻の家 佐川ちか
料理人が青空を握る。四本の指あとがついて、次第に鶏が血をながす。ここでも太陽はつぶれてゐる。
たづねてくる空の看守。日光が駆け出すのを見る。
たれも住んでないからつぽの白い家。
人々の長い夢はこの家のまはりを幾重にもとりまいては花瓣のやうに衰へてゐた。
死が徐ろに私の指にすがりつく。夜の殻を一枚づつとつてゐる。
この家は遠い世界の遠い思ひ出へと華麗な道が続いてゐる。
*『佐川ちか詩集』(1911/明治44年?1936/昭和11年)は、「詩と詩論」「マダム・ブランシュなどに詩を発表していることから、モダニズム詩人のひとりと考えがちだが、あるアンソロジーで、佐川の「緑」という詩を読んだとき、その「私は人に捨てられた」という終行を読んだとき、「モダニズム詩人」だけでは括れないものがあると思った。今回、手元にある『佐川ちか全詩集』(1983年刊)をあらためて読んで、上記の詩に惹かれた。シュルレアリスティックでありながら、妙に生々しい。「死が徐ろに私の指にすがりつく」という一行は、佐川ちかの通奏低音であるようだ。この詩は1932年に創刊された春山行夫編集の「文学」第一冊に発表されたが、当時から「医薬に親しむ」身体だった佐川は、その4年後に24歳の若さでこの世を去った。森谷均の昭森社から『佐川ちか詩集』が出版されたのは、その年(1936年)の11月だった。 (09.12.07 文責・岡田)
--------------------------------------------------------------------------------
Sensation 金子光晴
――日本は、気の毒でしたよ。(僕はながい手紙を書く)燎原〔やけはら〕に、
あらゆる種類の雑草の種子が、まづかへつてきた。(僕は、そのことを知らせてやらう。)
地球が、ギイギッといやな軋〔きし〕りをたてはじめる。……山河をつつむウラニウムの
粘つこい霧雨のなかで、かなしみたちこめるあかつきがた、
焼酎のコップを前にして、汚れた外套の女の学生が、一人坐つて、
小声でうたふ――『あなたの精液を口にふくんで、あてもなく
ゆけばさくらの花がちる』いたましいSensation〔サンサシオン〕だ。にこりともせず
かの女は、さつさと裸になる。匂やかに、朝ぞらに浮んだ高層建築〔ビルデイング〕のやうに、そのまま
立ちあがつてかの女があるきだすはうへ、僕もあとからついてあるいた。
日本の若さ、新しい愛と絶望のゆく先、先をつきとめて、(ことこまごまと記して送るために。)
*金子光晴――と書いただけで、心騒ぐものを覚える。この、いまなお語り尽くすことのできない詩人が蔵している深さはなにに拠るものだろう。上記の詩は、詩集『非情』(1955年)に収録されている。その序に「正直なところ、僕は迷つてゐるのだ。この詩集は、僕のみちくさ(4字傍点)のやうにみえるかもしれないが、よくよんでもらへば、人間とのかかりあひについて、どんな剣呑な状態に僕がさしかゝつてゐるかわかつてもらへるとおもふ。」とあるこの詩集には、印象に残る詩が多く収められている。可能であるならば、三カ月ほど南の島で、金子光晴全集だけを読んでいたい。そして、その三カ月後を夢想する。(文責・岡田)
怖くて触れないので、子鼠のかかったゴキブリホイホイをそのまま置いてたら、こんどは兄姉サイズの倍くらいの鼠がかかっていた。どうしようか・・
明日には、ゴキブリホイホイ一杯に親サイズの鼠かもしれない。
ここはとんでもないボロ家でいくらでも外から鼠が侵入可能なので、猫でも飼うしか解決法がないかもしれないな・・
ホラーの帝王キングもよっぽど鼠が嫌いだったらしく、鼠への恐怖があちこちで語られる。
人間くらいの大きさの鼠が現れたら、気絶しそうになるくらい・・相当怖いに違いない。
明日には、ゴキブリホイホイ一杯に親サイズの鼠かもしれない。
ここはとんでもないボロ家でいくらでも外から鼠が侵入可能なので、猫でも飼うしか解決法がないかもしれないな・・
ホラーの帝王キングもよっぽど鼠が嫌いだったらしく、鼠への恐怖があちこちで語られる。
人間くらいの大きさの鼠が現れたら、気絶しそうになるくらい・・相当怖いに違いない。
「いのちどぅ宝」(命こそが宝もの)
沖縄の言葉で大好きなのがー「いのちどぅ宝」(命こそが宝もの)。
◆またまた管首相批判の記事だけれど、このような口からでまかせで、クラゲ・幽霊みたいな権利欲しかない人間考察の記事「沖縄について語らない菅首相は卑怯だ」はー「ここ」
業田良家(漫画家)の詩
命より大切なものはない
命より大切なものは何もないのだ
命が生きてくために生きている
理想や目標は
地面に手を付き命乞いをしなさい
命は本当にかけがえのないものだから
ずっと いきてゆくことです
そのかわりと神は言った
おまえたちに空っぽをあげよう
国家や政治家・官僚の存在価値もまた、そこにしかありえない。
だからこそ、桁外れに多くの命を奪う戦争や、年間自殺者十数年間三万人以上を放置する国の政策(日銀・財務省・政治家による意図的なデフレ不景気=金の価値が増加するので大金持ちや官僚・公務員に有利)や、大震災被害者をいつまでも放置したり原発事故情報を隠したり後出しにことで被爆者数や被爆量を増やす日本政府・官僚組織等は、殺人罪にも相当する犯罪的な事や組織と言うしかない。
米国や官僚の操り人形を装いながら・・管直人は、本当は稀代のペテン師かもしれないなと思った記事『菅直人のエセ脱原発にだまされるな! 8月解散にむけて 』はー「ここ」
以前自分のブログで、首を振りながら一秒間に数回も目玉を左右にキョロキョロ動かす管直人は異常すぎる、気持ちが悪くなってしまった等とも書いたが・・「辞める」「辞めない」「辞めろ」等で政治屋たちやマスゴミがこぞって政局での電波ジャックの真の目的は、原発事故・被災者報道や日本に原発を押し付けて核のゴミタメ化をやってきたアメリカ非難をさせないための政局報道の一部なんだろう。
以前自分のブログで、首を振りながら一秒間に数回も目玉を左右にキョロキョロ動かす管直人は異常すぎる、気持ちが悪くなってしまった等とも書いたが・・「辞める」「辞めない」「辞めろ」等で政治屋たちやマスゴミがこぞって政局での電波ジャックの真の目的は、原発事故・被災者報道や日本に原発を押し付けて核のゴミタメ化をやってきたアメリカ非難をさせないための政局報道の一部なんだろう。