北穂さゆり
動画(29秒)
http://www.labornetjp.org/news/2020/0329kitaho
東京で新型コロナ肺炎患者が激増の報道があり、感染拡大を防ぐ外出自粛の要請が、東京 近隣首長から出された3月27日金曜日、わたしの勤務先でも、長期にわたる完全リモート ワーク化を覚悟して、準備をしました。
勤務地が渋谷繁華街のど真ん中なので、この地の喧騒には慣れていますが、今月20日過ぎ ごろからか、明らかに大人の勤め人の姿が減り、反対に若年層、はっきり10代とわかる少 年少女の互いに腕を組んだり、じゃれあったりしながら歩く姿が増えました。
わたしの勤務先は、外国人ツーリストと若者で有名な渋谷ハチ公前広場を拠点に活動する NGOです。 今回のコロナ騒ぎが日本で話題になるきっかけとなった中国人ツーリストと、ときには接 触しつつ街頭活動していた2月上旬には、わたし自身それほど危機感を感じませんでした。 街頭だけでなく、渋谷の商業施設や地下道、飲食店で、彼らと触れ合う距離で生活して いても、正直なところ、自分が感染するリスクを現実とは思えなかったのです。
ところが、中国人ツーリストとの接触を契機にした国内感染が問題になり、そのうち渋谷 から中国人の姿が消え、外国人そのものの数が減り、現在サラリーマンも姿を消しつつあ る。そして今、とにかく渋谷を席巻しているのは二十歳前後の若者です。
他の街がそうであるように、渋谷も昼間は人通りが減ったと感じることもありますが、夜 になると無目的に見えて、徘徊でもするかのような若者の姿を、イヤというほど見ます。
たとえば、キャッチと呼ばれるぼったくり店の客引きは、今も平気で歩く人を誘うし、各 ビルにはマスクをしない警備員が立っています。
手に持って歩きながら食べる飲食物は、通りから見えるように展示され、それらを買って 食べながら、依然人気のタピオカドリンクを飲み、おしゃべりしながら歩く女の子たち。 恋人同士なのか彼氏は彼女に唐揚げを食べさせてあげ、二人は疲れたら店の階段にそのま ま座り込みます。
つい数日前にオープンしたお好み焼き屋は、感染防止を意識してか「外壁」というものが ないあけっぴろげですが、隣の客と肩が触れるほど接近したテーブル配置です。この店も 若者で繁盛しています。
道端ではマイクを持った少年が唾を飛ばしてラップをがなり、フリーハグを求めるパフォ ーマンスや、何か月も意味不明な訴えを続ける男がしゃがみ込んでいる。
こんな若者の塊にぶつかりながら、かき分けて通りを歩き通勤することは、今まではただ 腹立たしく鬱陶しいことでした。しかし、都知事の緊急記者会見が開かれた翌日から、 若者の往来はさらにパワーアップしたようで、そのギラギラしたエネルギーに圧倒されて 息苦しいぐらいです。
と同時にわたしなど、ひたすら彼ら若者に恐怖を感じるようになりました。この子たちを 見てしまったが最後、自分が感染していない自信はとうてい持てません。つねに自分が熱 っぽく、病の兆候が充満していると感じます。悪意があるのかないのかか、この他者への 無関心と狂騒への同調に満たされたこの子たちのマインドにこそ、わたしは感染させられ たのかもしれませんでした。
コロナ騒ぎが一種のお祭り心理を掻き立てて、世紀末的な集団遊び狂いの状態になってい ると言ったら大袈裟でしょうか。若者の先の見えない不安、どうなってもいいという廃頽 的なバカ騒ぎが、ここに来て極まっているのです。
コロナ騒ぎはいつかはおさまります。しかし、命がけのバカ騒ぎに興じる若者の厭世観、 断じて明るい未来を感じられないという圧倒的な不幸につける薬は、すぐ簡単には開発で きません。しかしこの「恐るべき若者たち」を見て見なかったことにすることを、大人の 対応だとスカシていうのは、そろそろわたしたちのほうで、改めないといけないと思うの です。
世界のコロナ危機よりも、若者にとっては個々の絶望感の方が耐え難く、回復すべき喫緊 の課題なのでしょう。家にいろと言われてそうできないのは、若さゆえのパワーというポ ジティブなものではなく、不治で諦めるしか方法のない絶望のせいなのではないでしょう か。この騒ぎが明日どうなるかわからないし、感染拡大にどう影響するかも予想できない。 ただ、そんな絶望感を慰めるものがきっと、渋谷にはあると思われるのです。