年収200万円の暮らしを提唱する経済アナリストの森永卓郎さん。作家・林真理子さんとの対談では、専門の経済分野のお話とともに、趣味のおもちゃ収集などのプライベートな一面も明かしてくれました。
【前編/「年収200万円時代」を提唱する森永卓郎の社会実験とは?】より続く
* * *
林:この前、経済3団体の新年祝賀会があって、来賓の岸田総理があいさつで賃上げを要請して、経団連の会長(十倉雅和氏)はそれに同調するようなことを言ってましたけど、本当に上がるんですか。
森永:いえ、上がらないと思います。岸田政権は「賃上げ促進、法人税減税」を掲げていますけど、中小企業の3分の2は赤字なんですよ。赤字の企業に法人税減税はできないので、大企業にちょっと補助金を出す程度に終わって、賃金は下がり続けると思います。
林:下がり続けるんですか。
森永:はい。1995年に日本のGDPは世界の18%だったんです。それがいま5%台、つまり3分の1に大転落しました。世界並みにふつうのことをやってたら、いまごろわれわれの所得は3倍だったのに、四半世紀弱でなぜこんな大転落が起きたのか。私は、85年の「プラザ合意」が起点だと考えています。
林:バブル経済のきっかけと言われる……。
森永:そうです。直前まで為替は1ドル=240円でした。それがこの合意の2年後には120円になりました。2年で2倍円高になったということは、日本が輸出する製品に100%の関税をかけるのと同じことです。結果、日本は円高不況に陥り、その対策として、金融緩和を行いました。それが小泉政権の不良債権処理に結びついていくんですね。この一連の出来事が、日本人の所得を3分の1にしたと私は考えています。
林:私はバブルをよく知っている世代ですが、当時、今の日本の状況は想像できませんでした。
森永:日本の賃金はいま、G7の最下位どころか、G7に属さない多くの国々、たとえば韓国よりも低い。10年もたたないうちに先進国からはずれると思いますよ。
林:株はなさってるんですか。
森永:株は、株主優待用を残して去年全部売りました。私は今年、アメリカのバブルが崩壊して、株の大暴落が起きると思っています。そうすると日本も道連れですからね。バブル崩壊、私は今年の5月ぐらいかな、と思っています。
林:お話を伺っていると、株は大暴落しそうで、地震も起きそうとおっしゃるし、これからの日本、いい話題がないじゃないですか。
森永:林さんはいまご自宅、東京だけですか。
林:軽井沢にもあります。
森永:じゃあ、大丈夫ですね。そちらでも暮らせる態勢をつくっておいたほうがいいですよ。リスクヘッジのために。
林:そうですか。夏だけ過ごすつもりで暖房がないんですけど、暖房を入れようかな(笑)。
森永:私の家は田舎だからけっこう広くて、備蓄食料もあるし、畑を掘れば芋が出てきますし、リスクの備えとしては、比較的安心だと思っています。あとは水だけだと思って、去年、井戸掘り業者に来てもらったんです。そしたら、水害がコワくて高台に建てちゃったので、50メートル掘っても水が出る保証はないって言われて、結局、水はあきらめました。
林:私、自宅から歩いて3分ぐらいのところに、井戸があるおうちがあるんです。おまけに、歩いて2分のところの公園に東京都が水と乾パンを備蓄しているので、そこに行けばもらえるかなと……。
森永:うちも近所の農家の庭に井戸があるので、基本戦略はそのお宅と仲良くしようという(笑)。
林:話が変わりますが、森永さんはお子さんのときからオタクだったんですか。
森永:そうです。理由のひとつは、海外暮らしが原因でいじめを受けたことでした。父が毎日新聞の記者だったので、小学校1年生のときはアメリカのボストンに、4年生のときにはオーストリアのウィーンに、5年生のときにはスイスのジュネーブにいたんです。
林:当時まだめずらしかった帰国子女だったんですね。
森永:当時はまだ「リメンバー パールハーバー」のころで、日本人に対するいじめはとてつもなかった。つらかったのは、鬼ごっこをしたとき、私は捕まっても鬼にならないんです。私は人間じゃなくて、もともと鬼だから。
林:ひ、ひどい!
森永:日本に帰ってきたのは小学校6年生のときでした。でも、日本語はろくにしゃべれないし、習慣が違いすぎてなじめませんでした。たとえば、アメリカでは、わからないことがあったとき、意見があるときに黙っているのはよくないことで、いじめの対象になるくらいです。でも、日本の学校の授業で同じようにふるまったら、それがいじめの対象になってしまった。それで、半分引きこもりみたいになっちゃって。そうやって苦しんでいる私を心配して、ウィーンに住んでいたころから、親が毎日のようにミニカーを買ってくれたので、それがコレクションを始めるベースになったんです。
林:森永さんはいろんな体験をなさったにもかかわらず、都立高校から東大に進学されたんですよね。私が知ってる人でも、日本の教育になじめずに、海外に進学された方が何人もいますけど。
森永:運がよかったんです。帰国したばかりの小学6年生のときは、成績がクラスでビリでした。でも、中学の授業はまた一から始まったので、何とかなったんです。
林:すぐトップの成績に?
森永:クラスではすぐに一番になりましたね。でも、歴史などの社会科は積み重ねが必要なので、なかなか信じてもらえないんですけど、私が徳川家康の存在を知ったのは大学に入ってからなんです。
林:えっ!
森永:東大入試の直前模試で、日本史の偏差値が28、世界史が33だったんですよ。さすがにあせって、試験の2日前にやっぱり変えようと思って、受験当日は日本史と世界史から、政治経済と地理に受験科目を変えたんです。だから私、社会科は試験の前日、1日しか勉強してないんです。
林:それで東大に入ったって、かなりイヤミだなあ……(笑)。
森永:自己採点ですけど、地理はたぶん満点です。当時はまだ問題が洗練されてなかったんですよ。
林:というと?
森永:当時、マークシートというか、多肢選択だと、まったく知らない問題でも私は7、8割の正答率があったんですよ。出題者の気持ちになって考えるんです。選択肢をつくる人は、正解を知っているわけですよ。どういう思考回路でハズレの選択肢をつくるのかを考えると、おそらく正解から派生している。正解の逆だったり裏だったり並びだったり。そういう視点でずっと過去問を見ていくと、見た瞬間に正解がわかるんです。
林:受験生の皆さん、いい話を聞きましたね(笑)。
森永:さすがにいまは、問題作成ももうちょっと複雑になっているでしょうけど、基本構造は変わっていないと思うんです。コツは、出題者の立場から問題を見ることですね。
林:すごい……。ところでおもちゃやフィギュアのコレクションを展示している「B宝館」のコレクションって、昔から集めているミニカーとか、グリコのおまけとかでしたっけ。
森永:ほかにも、マクドナルドのハッピーセットのおもちゃとか、崎陽軒のシウマイの醤油入れとか、全部で60種類ぐらい、約12万点が飾ってあります。中でも、私独自のコレクションがあります。最初に林さんにお会いしたとき、シマリスのフィギュアを持っていきましたよね。
林:はい。「サインしてください」とおっしゃったので、サインしました。
森永:そのフィギュアに「林マリス」という名前をつけて展示してあります(笑)。そういうのが六百数十人分飾ってあります。
林:ホリエモンが刑務所で使っていたスリッパも飾ってあるって本当ですか。
森永:あります、現物が。彼がチャリティーオークションに出したんですよ。それを私が落札したんです。というか、私以外に欲しい人がいなかったんです(笑)。
林:いくらで落札したんですか。
森永:1万円だったと思います。
林:ふつうは1万円でそんなもの買わないですよ(笑)。
森永:安倍(晋三)元総理がおもちゃの信号機にサインした「安倍信号」とか、キャメロン・ディアスが「森永ミルクキャラメル」の箱にサインした「キャラメルンディアス」とか、すごい人のサインがいっぱいあるんですよ。
林:その維持費にものすごくお金がかかってるんでしょう?
森永:年間500万円ぐらいあれば回るんですけど、いま赤字が三百数十万円かな。資金的には私が死んで10年ぐらいは大丈夫だと思いますが、長男はオタクの素養がないので、いま次男を説得中です(笑)。次男はオタクなので。
林:私、オタクとして収集しているものはないんですけど、どんなものかちょっと見に伺いたいです。近くに角川武蔵野ミュージアムもあるし。
森永:ぜひ。でも、有名人が「見に行きます」とおっしゃっても、実際には誰も来ないんです。本当にいらしたのは、しょこたん(中川翔子)と、さまぁ~ずのロケだけでした(笑)。
(構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄)
森永卓郎(もりなが・たくろう)/1957年、東京都生まれ。東京大学経済学部卒業。日本専売公社、経済企画庁、三和総合研究所などを経て、2006年から獨協大学経済学部教授。専門はマクロ経済学、計量経済学など。経済アナリストとしてメディアで活躍するほか、収集家としても知られ、埼玉県所沢市に私設博物館「B宝館」を開設。『消費税は下げられる!』『森卓77言』『ビンボーでも楽しい定年後』『なぜ日本だけが成長できないのか』など著書多数。最新刊は『長生き地獄』。
※週刊朝日 2022年2月4日号より抜粋
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます