詩人PIKKIのひとこと日記&詩

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〔週刊 本の発見〕『我らが少女A』

2020年08月07日 | 物語
毎木曜掲載・第167回(2020/8/6)
スーパーボールのような奔放さ
『我らが少女A』(髙村薫 著、毎日新聞出版、1800円):評者=大西赤人

 本欄で採り上げる髙村作品は、『土の記(上、下)』に続き、二冊目である。奈良県の山間に住む男の日常を淡々と、かつ執拗に描いた同作とは一変し、『マークスの山』や『照柿』など、高村のメイン・キャラクターである合田雄一郎刑事が登場する新篇。「合田雄一郎、痛恨の未解決事件」なる帯の惹句を見ればなおさら、高村ファンとしては無条件に心が躍る。しかも、ほとんど予備知識はないまま本を開いて、大西は驚いた。冒頭に掲げられた――物語の主要舞台となる東西3.5キロ余り、南北5.5キロ余りの一画――「野川公園周辺の地図」には、JR中央線・東小金井駅、西武多摩川線・新小金井駅をはじめ、多磨霊園や野川公園、連雀通りや東八道路と、これまで大西が(現住所を含めて)小金井市内で移り住んだ三ヵ所を結んで形作られる生活圏が、スッポリと収まっていたのだ。そして、最初のページに「早朝と深夜を除き、平日も休日も、上り下りともに十二分間隔で行き来」すると描かれる西武多摩川線の四両編成の電車は、今もモーター音に視線を上げれば、その走り過ぎる姿が窓越しの家並みの先にチラリと見える……。

 物語は、2005年12月25日に67歳の元中学校美術教師・栂野節子が野川公園で何者かに殺された未解決の事件が、2017年3月10日に27歳の女優志望・上田朱美が池袋で同棲相手に殺された事件により、十年を超える静かな眠りを揺さぶられて始まる。事件当時、節子は自宅で水彩画教室を開いており、孫の真弓、その友人の朱美も教え子だった。少女たちと、その周辺に現われる少年たち――浅井忍、小野雄太ら――を視野に入れながら捜査に関わった合田。今は調布の警察大学校で教授となっている彼は、その風情を強く記憶に留めていた朱美の死を知らされたことから、過去の事件を振り返り、関係者の現在を探り直す。

 高村(写真)は、「……した」「……だった」というような過去形をほとんど用いず、短めな現在形の文章を連ねて行く。それは、既に総ての経緯を把握した地点から回顧しているいわゆる〝神の視点〟であり、「後日その推測は正しかったことが証明される」「二人は偶然、真弓のマンションの住人に目撃されることになる」「二〇〇五年十二月二十四日、我らが登場人物たちはそれぞれのクリスマスイブを迎える」というような書きぶりは、そこで描かれる出来事との間になにがしかの距離をあえて設け、叙情ではなく叙事に徹しようとする書き手の意志のように感じられる。合田、忍、その父・浅井隆夫、真弓、その母・雪子、雄太、朱美の母・亜沙子、多くの登場人物の内面を忙しなく行き来するコラージュのような流れは、『土の記』の粘着性とは異なり、あちこちハネ回るスーパーボールのように奔放である。とりわけ、ADHD(注意欠陥多動性障害)の持ち主である忍の疾走し、回転し、上下動するまさにゲーム画面のような思考のリアリティは見事だ。

 そして、そのスーパーボールが最後にどこに落下する・着地するのか、読む者は――概ね何らかの破局を――密かに予測しながらページをめくるだろう。しかし、なだらかな下り坂をスキップで進むようにたどり着く結末には、特段の意外性とてなく、登場人物たちが迎える運命は、ハッピー・エンドとまでは言えないものの、むしろそれぞれに穏やかでさえある。そこには合田雄一郎シリーズとはいえミステリ的味わいは乏しく、高村自身、そういう要素に既に頓着してもいないのであろうが、読み応えの反面、もはやない物ねだりに等しいかもしれない物足りなさは感じる。

 ところで、最初に記した通り、本書の物語世界は完全に筆者の生活圏に合致しており、登場する場所や建物などの一つ一つが実感を伴うものだった。しかし、その中で、重要な要素として西武多摩川線が描かれ、その利用客の目的地として沿線のランドマーク――多摩川競艇場や多磨墓地や府中運転免許試験場や味の素スタジアムや東京外語大や――が折々言及されるにもかかわらず、JRA(日本中央競馬会)ウェブサイトでも終点・是政駅が最寄り駅の一つと紹介されている東京競馬場が作中に一切登場しないことは、実に不思議であった(高村は『レディ・ジョーカー』で競馬に詳しく触れているし、本作でも結末近くには、中山競馬場での「有馬記念」を軽いエピソードとして登場させているので、競馬を避けたはずはない)。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・渡辺照子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・根岸恵子、ほかです。


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