たぬき先生 おはようございます。ここ勝手に記事載せました。何でもパソコン変身するんだそうで?この記事気になっていたし、またどこかに行っても困るんで・・・。
Q。
1、多摩美での 中沢さんのって 例の あのやすこ(=あだな)先生が行ってるあれ ですか? エブリバディー カモーンの?何気にたぬきとかきつねに化けていくやつ?
六月からそこそこ時間が取れそうなので、次回はぜひともお誘いください。
DNAのは ちょっと気持ち悪かったです。( 子供の頃はしかになった時からどうにもだめなんですよ。丸いぼつぼつしたものが・・・。)
(2008年 5月25日 朝)思ったよりも到着まで大変だった多摩美術大学でしたが「折口信夫、戦争と平和」と題されたシンポジウムはなかなか刺激的でした。このところずっと考えてきていたあの「虚数の世界が実体ではないか?」ということで言えば、まさに最晩年の折口先生の到達されていた世界は目先の実利や価値観や人間の意識できる限界を超越したような、そんな世界だったようです。
そしてまた、折口先生のキーワードである「まれびと論」がそうした世界と、この現実世界の橋渡しであることが再確認できたような気がします。そんな意味から、直接「平和運動」という形で活動されたわけではなかったにせよ、折口先生の示唆されたことはまさに今の時代への「生命の指標 (らいふいんできす)」として現代人の心にも眠っている根源を呼び覚ましてくれる力を持っていると思いました。
あと、源氏物語についての話題も多かったのですが、このあたりの戦後の思索内容にもあまり触れてきていなかったので興味深かったです。どんな点で興味深かったということはちょっとここでは簡単には書ききれません。今回の中沢新一先生の発言にもありましたが、折口先生の思想は常識的な立場でいう「危険水域」を大胆に通過した上で到達しえた部分があり、それは時として大きな誤解をされうる危険があるわけです。だから大前提になっている部分を丁寧に自分の中に尋ねた上でないと「この人は一体何を言ってるの!!!」ということになってしまいます。
それはまた、折口先生の晩年の弟子の一人であった上原先生にも通じていて、例えば上原先生の犠牲論などはとても大切な発想なのですが、その核心部分は簡単な形でなどとても紹介できません。この欄や便りで先生の犠牲論に触れていることはありますが、一番核心の部分はぼかしています。それは上原先生などは被爆体験の影響もあって、まさに「危険水域の中央突破」そのもので論を組み立てられているからです。
今の時代の様々な問題解決を実践しようとした時にも「危険水域を通過する勇気」をもって挑まなければならない部分があります。当然のことながら周囲との摩擦が起きますから。自分を振り返ってみると教師になった頃にくらべて今の自分は逆に危険水域から逃げているかもしれません。「青さがなくなった」「大人になった」と言えば聞こえはいいですが・・
追伸・・・「 用具言語 」編 は持っていないので 今度貸してください。お願いします。
>写真は 安芸の宮島 弥山のにある 弘法大師の「 不消霊火堂 」(きえずのれいかどう)の大茶釜。茶釜の霊水は万病に効き目がある。
広島 平和公園の 「 平和の灯 」の 元火の一つ (らしい)
< 5月 28日 メール >
1、おうち意識
2、神秘 意識
児言態 ホームページ ご苦労さまです。なかなか暖かいホームのおうちを作るのは難しいことだと感じます。
それこそが 今の時代 一番大切なことだと思いますが、同時に一番難しいことのようにも思えます。
こちら 家庭内 奮闘中 !!!
Q。
1、多摩美での 中沢さんのって 例の あのやすこ(=あだな)先生が行ってるあれ ですか? エブリバディー カモーンの?何気にたぬきとかきつねに化けていくやつ?
六月からそこそこ時間が取れそうなので、次回はぜひともお誘いください。
DNAのは ちょっと気持ち悪かったです。( 子供の頃はしかになった時からどうにもだめなんですよ。丸いぼつぼつしたものが・・・。)
(2008年 5月25日 朝)思ったよりも到着まで大変だった多摩美術大学でしたが「折口信夫、戦争と平和」と題されたシンポジウムはなかなか刺激的でした。このところずっと考えてきていたあの「虚数の世界が実体ではないか?」ということで言えば、まさに最晩年の折口先生の到達されていた世界は目先の実利や価値観や人間の意識できる限界を超越したような、そんな世界だったようです。
そしてまた、折口先生のキーワードである「まれびと論」がそうした世界と、この現実世界の橋渡しであることが再確認できたような気がします。そんな意味から、直接「平和運動」という形で活動されたわけではなかったにせよ、折口先生の示唆されたことはまさに今の時代への「生命の指標 (らいふいんできす)」として現代人の心にも眠っている根源を呼び覚ましてくれる力を持っていると思いました。
あと、源氏物語についての話題も多かったのですが、このあたりの戦後の思索内容にもあまり触れてきていなかったので興味深かったです。どんな点で興味深かったということはちょっとここでは簡単には書ききれません。今回の中沢新一先生の発言にもありましたが、折口先生の思想は常識的な立場でいう「危険水域」を大胆に通過した上で到達しえた部分があり、それは時として大きな誤解をされうる危険があるわけです。だから大前提になっている部分を丁寧に自分の中に尋ねた上でないと「この人は一体何を言ってるの!!!」ということになってしまいます。
それはまた、折口先生の晩年の弟子の一人であった上原先生にも通じていて、例えば上原先生の犠牲論などはとても大切な発想なのですが、その核心部分は簡単な形でなどとても紹介できません。この欄や便りで先生の犠牲論に触れていることはありますが、一番核心の部分はぼかしています。それは上原先生などは被爆体験の影響もあって、まさに「危険水域の中央突破」そのもので論を組み立てられているからです。
今の時代の様々な問題解決を実践しようとした時にも「危険水域を通過する勇気」をもって挑まなければならない部分があります。当然のことながら周囲との摩擦が起きますから。自分を振り返ってみると教師になった頃にくらべて今の自分は逆に危険水域から逃げているかもしれません。「青さがなくなった」「大人になった」と言えば聞こえはいいですが・・
追伸・・・「 用具言語 」編 は持っていないので 今度貸してください。お願いします。
>写真は 安芸の宮島 弥山のにある 弘法大師の「 不消霊火堂 」(きえずのれいかどう)の大茶釜。茶釜の霊水は万病に効き目がある。
広島 平和公園の 「 平和の灯 」の 元火の一つ (らしい)
< 5月 28日 メール >
1、おうち意識
2、神秘 意識
児言態 ホームページ ご苦労さまです。なかなか暖かいホームのおうちを作るのは難しいことだと感じます。
それこそが 今の時代 一番大切なことだと思いますが、同時に一番難しいことのようにも思えます。
こちら 家庭内 奮闘中 !!!