地球へ ようこそ!

化石ブログ継続中。ハンドルネーム いろいろ。
あやかし(姫)@~。ほにゃらら・・・おばちゃん( 秘かに生息 )。  

節分  気 を いただく

2010-02-03 11:17:54 | かみさまワールド  &   不思議世界
おはようございます。本日もアクセスありがとう!
実は明日から 「 庚(金)寅(木) 」の 気が始まる。

こんな年で~~す。って報告できるような、喜ばしい、穏やかな年ではなさそうだから、今一つ書く気になれない。
気が滅入るってほどじゃあないけれど、まあ じっと耐えて、春を待つしかないかな~って感じですかね。

時間が許して、気がのれば、今年まわる 「 庚寅 」について書くかも知れませんけど・・・。?
・・・ たぬきちのHPから 頂戴してきた記事 ・・・( 一部 省略させて頂きました。)
今日は新暦の節分。毎年書いていることですが、日本古来の発想では、どうも「鬼」は悪者ではなかったようです。
「家内安全を祈る」「商売繁盛を祈る」と帰り際に宣言して去っていく・・・まさに折口民俗学でいう「まれびと」(神が客の形でやってきて幸いをもたらして去っていく)の形です。(この形の名残が ウルトラマン や 水戸黄門 などに残っています)

実際に古来は新春にこれからの農作業を前にして厄や穢れを祓う神としての位置づけで、祓った厄などをついでに持ち去って頂く・・・それがいつの間にか「鬼」そのものが悪者のイメージになって「鬼は外」となってしまったらしいのです。だから私は毎年、小声でささやかに豆まきをする際にも「出て行け!!!」という気持ちではなく、「持ち去りをよろしくお願いします」という気持ちでやっています。

< あやかし@鬼ばばの考える鬼 > は・・・結局のところ、ワタシにとっての鬼の一つは、「 病気 」
自分の人生、これまで病気を沢山いただいて、それを越えながら、自分自身を考えつつ生きてきた。とまあ、大げさにいうと言えるんじゃあなかろうか?ト思う。つまり病気は自分を変化させるために必要であったと思う。

だけどこれでもか、これでもか ってやってきたからね~。
・・・まあね、占い的には それって、”死ぬまで続きますわよん。なかなか簡単にお墓にはいれませんわよ。”って書いてあるんですよ。・・・(やだな)
だとしたら、”それを逆手に取って闘ってやろうじゃないの!”みたいな所が、どこかワタシにはある。(=ベルデンラモの気質か?)

まあ、実際には、「 姫にはできませぬぅ~」みたいなかわゆい感じで逃げることもありんすが(→ 何でここで花魁やねん。)
っていうか、バカバカシイことで犬死はしないように、つまらない所で喧嘩は売らないようにしなくてはいけないとは思うけどね。

結局のところ、家族一人一人が、自分自身との闘いをしていくしかないんじゃあないかと思うんだ。闘いに出かけては、おうちで休む。また出かけては 休む。その繰り返し。だから家庭を休むことのできる「 場 」にすることはとても大事なことだと思う。

病気になったら、自分の何か(性格とか、こだわりとか、生活習慣とか、生き方とか・・・)を変化させて、自分を変えていくしかないんだろうな~。
ある意味、病気もありがたく頂戴する。病気はいただきたくはないけど、人間、痛い思いしないとわからないことって沢山あるものね。

>写真は あやかし@の絵手紙。ちょっと 鬼かくれとります。ようござんしょ。

>殿、お仕事。
>ジャパン弘明寺さんへ。節分の護摩木申し込みに出かける。
>マンマミーヤ、地区センで勉強。
>あやかし@ 占い学校
>ららこさん・・・おこたの中、ぬくぬく。

本日 横浜 暖かくなりました。



 
コメント
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