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丹波霧     ( その7 )

2008-08-06 08:05:06 | ある被爆者の 記憶
私は、その時も、その後も、軽便鉄道での老山伏の話を、山路の祖母にも、母にも話していない。ただ、そのことがあってからは、山路の家の表座敷の上の中二階が、気になった。階段が天井に引き上げられたままで、開かずの間にちがいなかったが、日頃の生活とは何の関係もないように、隔離されていることが、却って深い意味をもっているように思われた。
確かに、その部屋には、祖父の遺品がしまわれていると言っていたし、母もまた、子どもの時、それは日清戦争直後あたりであったのであろうか、腕白ざかりの従弟たちに連れられて、この中二階にこっそり上がり、刀長持ちから、刀を出して、それぞれの子どもが、刀を振りかざして、
  日清談判、破裂して
  品川乗り出す駆逐艦
  続いて金剛、吾妻艦
口々に、当時流行の軍歌を唱って気勢を上げたら、忽ちにして、親に露顕して、仕置きをうけた失敗譚を、何のかくし立てもなく子どもたちに聞かせたこともあった。
 その部屋には、刀が何本も入った刀長持があったということだけでも、興味が湧いた。しかし、その部屋に何がしまわれているかよりも、人目をさけるようにしまいこまれてしまうことの方に、私は関心を抱いた。
 たとえば、刀長持ちにしても、貧乏下士の家に、そのようなものがあることが、謎めいて感じられてならなかったのである。また、この家の者はもとより、泊り客でも、厳重に守らなければならない、変わった約束事があった。それは、入浴、もしくは、洗濯の場合でも、濡れたタオルをしぼって広げる時に、両手でふるって音立ててはならぬという。その理由は、人の首を刀で斬り落とす音と全く似ているからと言うのである。
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