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お百度詣り  ( その3 )

2009-08-06 08:13:35 | ある被爆者の 記憶
 「 父は悪いことをしたのではない。人の罪を着て、警察に引かれて行ったのだ。悪者は姿をくらました。その身代わりに、警察に留置されたのだ。」
母からも、姉からも、親戚の叔父からも何度もそう聞かされた。私はそれを疑いはしなかった。あの父が悪事を働くなど、私には考えられないことであった。
 でも、父を信じることとは全く無関係に、お百度詣りそのものが、悲しく、後暗さを思わされたものであった。― 恐怖感は、罪の有無にかかわらず、もと ゝ後暗いことと同質なのではないか。それにどういうものか、思いが前に進まない。たとえば、父はいつになったら釈放されるのだろう。一体、公金を横領して逃げている奴は、摑まるのだろうか、等々、これからの事が頭に浮かんでもよさそうなものだのに、およそ、父の事件とつながることは、意識してもすぐ途絶えてしまって、またしても、私の頭の中を蔽うものは、決まって、母方の祖父の幻影であった。
 それは父が警察に留置されたことと、祖父が警察官であったという連想にすぎないことかもしれないけれど、そんなことよりも、もっと生々しく、この春日社の境内には祖父の印象が焼きつけられていることからくるものであった。
 「 あの春日社の岩山を知っとってやろ。近郷近在を荒らしまわったピスケンちゅう賊が、あの岩肌を、よじ登って逃げようとしたんやそうな。爺さまはな、逃がしてなるものかと、下から手裏剣を投げはったそうな。そうしたらな、その手裏剣が、朝日にきら ゝっと光ったと思うとな、ピスケンの足に突き刺さったそうな。爺さまは、もとお侍で、御一新から警察官にならはったんや。ほいで、武芸はなんでもよう出来なはったんや。」
祖母が寝物語に、私たちに語って聞かせた祖父の武勇伝の一節である。私は、母の実家の長押に掛けられた一筋の長槍を思い出すのだった。
 「 ほんなら、弓も上手やったか。」
 弟のみずほは、決まって、その話のくだりで、そう聞いた。祖母の語り口も決まっていたが、みずほの合いの手も決まっているみたいに思われた。みずほは、私が、長押の槍を思い出したように、同じく床の間に飾られた胡簶(やなぐい)を、いたずらしたことでも思い出しているにちがいない。
 「 弓も上手じゃったし、馬に乗ったまんま射る流鏑馬(やぶさめ)ちゅうもんが、えろう名人じゃった。」
 私は、祖父が馬にも乗れたことを感心もし、羨しくも思う。
 母方にもせよ、祖父が武士の出であることは、肩身が広かった。
 祖母はそれを意識して話していたのかもしれない。その話しっぷりは、悪びれもせず、とにかく爺さまを最高の讃辞で飾り立てた。
 祖母は、つまり祖父の配偶(つれあい)である。年齢(とし)をとると、自分の亭主のことを、こんなにも手放しでほめても気にならないものなのかと、また、ちらっと私のおませな心が動いたりしたが、祖母は気がつかなかった。
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