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丹波霧     ( その11 )

2008-08-06 08:01:26 | ある被爆者の 記憶
官軍は、西上(にしがみ)の山、甚七森に前哨を置き、東水無川東岸には陣幕を張りめぐらし、砲四門を据えていたという。
 威猛高な官軍兵士の前に、平蜘蛛のように平伏して、ひたすら恭順の意を尽し、黄金百枚を献じたのは、一体何の役に立ったのかを、祖父は思い出しては、歯嚙みしたにちがいない。
 旧藩公、それに追随する旧藩士たちが、遂に再び帰ることなき篠山を後に、どの街道を出立したのか、別離を惜しみ見送る者たちが、どこでそれを断念したのか、今となっては知る由もない。
 しかし、その最後の最後まで、おそらく旧御領内の最果ての地まで見送ったのは祖父であった。
 山路の家は代々、道の者を束ねる家柄であったからである。つまり、今でいうと末端警察権を握っていたのである。お殿様の道々の安全を見守る最後の御奉公であったかもしれない。
 しかし、それが最後であると思えば思うほど、その日も粛々として降る丹波霧の中に、暮れ泥んでいく篠山盆地は哀しかったことであろう。
 丹波の秋は殊更に静かである。秋には秋の佇いを、例年同様に示す野山の故に、祖父の目に痛ましかったにちがいない。

 篠山はこの日から、夜明け前というより、昭和二十年まで、悪夢を見続けることになる。
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