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丹波霧     ( その10 )

2008-08-06 08:02:27 | ある被爆者の 記憶
この旧藩公の告諭が、どこで、どんなかたちでなされたか、今はそれを伝える人もいない。だが、はっきりと分かることは、いや応なしの歴史の転換期に動揺する人心を、ひたすら、かつての君臣の情誼に訴えて慰撫していることだ。
 祖父も、きっとこの群れの中の一人であったにちがいない。
 篠山に迫る官軍陣営に、御家老にお供して誰よりも早く、時代の急変を見聞した祖父である。そして、そのことを引き金として、篠山の封建体制は音を立てて崩れ、なすことを知らぬ篠山藩であった。
 この藩公東京移住の条例は、明治新政府が幕藩体制に打った最後の止めであったろう。
 罪なくして主君を奪われ、残された家臣団は、明日からは完全に崩壊、離散の憂き目に曝されなければならなかった。
 祖父はおそらく、何のために、早うち同様に、山陰道鎮撫使の本陣がおかれた福住村山田嘉右衛門方まで四里余の雪道を駆け続けたのかを思い出していたにちがいない。ただでさえ冷たい丹波路を、身ごしらえは礼装の麻裃に蓑笠つけただけの丸腰のまま、みぞれ混じりの寒風に、馬首を立て直し、立て直ししたにちがいない。
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